第43話 歩きスマホは迷子のもと

 清水くんが私の手を取って部長席に向かう。え? 何?

 驚いている頼野さんに向かって姿勢良く90度の礼をした。本当に何してるのかしら。

「この度、水城さんとお付き合いをさせていただくことになりました。急なことで申し訳ありません」

 言い終えた清水くんが頭を上げてまっすぐ頼野さんを見つめている。


 なんか……頼野さんはもちろん私の親じゃないけど、清水くんの雰囲気がベタな「お嬢さんを僕にください」みたいで、すごく浮ついた変な気分。体ごと浮きそう。

「え、いや……こちらこそ、水城さんをよろしく」

 頼野さんも雰囲気に飲まれてるみたいね。

 親のいない私がこんな光景を目にするなんて思ってもいなかった。うれしくて照れくさくて笑ってしまいそうになる。


「茉悠ちゃん、茉悠ちゃん」

「何? さくら」

「高橋さんは知ってるの? 茉悠ちゃんと清水が付き合ってたの」

「付き合ってなかったわよ」

「え?」

「尾崎。高橋さんにはさっき話したから」

 清水くんが総務の出入り口を指差した。つられて見ると、無表情の高橋がのぞいている。


「あ、高橋」

「高橋さん!」

 さくらが席を立って駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

「何が? 大丈夫だから。分かってたから。俺も大丈夫かって聞きたいから言って来いよ。ちょうど片橋いるし」

「イヤですよ! なんで高橋さんのために言わなきゃなんないんですか!」


 コソコソ話をしてるつもりみたいだけど、ふたりとも声が大きいから丸聞こえだわ。でも、聞こえても内容がまるで分からないわ。

「何の話かしら?」

「知らなくていいことってあるよね。あのふたりの間で会話が成立してるんだから茉悠さんは気にしなくていいんじゃないかな」

 そっか、じゃあ気にしないでおこう。


 今日も何事もなく仕事を終え定時で帰る。

 ちょうど最寄り駅に着いて電車を降りたら、電話が鳴った。あら、さくらからだ。

「はい」

「あ、今電話大丈夫?」

「うん。電車降りたところだから」

「それってさー、清水のマンションの駅?」

「そうだよ」

「マジで同棲始めたんだ! なんで言ってくれなかったのー! 超びっくりしたんだからね!」

「そうよね。私もびっくりしてる」

「え?」


 あら、またいつの間にか言わなくていいことまで言ってしまいそうだわ。さくらは鋭い子だし、一緒に暮らすようになった経緯は言わないように気を付けないと。

 借金のことや風俗店で働いていたことを後輩に知られるのは避けたい。


 言ってはいけないことを言わないように日常会話をするのは、とても神経を使ってとても集中力を要してとても疲れる。

「じゃあねー、また明日ー」

「はーい、また明日ー」

 やっと電話を切って、はあ、と安心と疲労の重なった息が漏れる。そして、思った。


 ここ、どこ?

 あれ? 駅から清水くんのマンションまではまっすぐ歩くだけのはずなのに、見当たらない。

 あれ? 確実にまっすぐ歩いていたはずなんだけど?

 たった数十分電話してただけなのに、いつの間にか私は知らない道路を歩いている。


 まっすぐ歩いた覚えしかないけど、無意識にどこかで曲がったのかしら? ええ? そんなことありえない。

 たしかに清水くんのマンションは駅からまっすぐの場所にあるはずだから、とりあえずまっすぐ歩く。まあ、そのうち着くでしょ。じっとしてるよりはいいはずだわ。


 立ち止まるのもはばかられてとにかく歩く。まっすぐで合ってるとは思うんだけど、こうもマンションが出て来ないと不安になってくる。

 辺りがすっかり暗くなった頃、電話が鳴った。あ、清水くんだ。仕事終わったのかしら。


「はい」

「茉悠さん、どこ?! 買い物?! まさか出てっちゃったの?!」

 慌てふためく清水くんの声を聞いて、なぜかホッとした。

「どこか分からないの。まっすぐ歩いてたはずなんだけど、なんか知らないところに来ちゃってて」

「え? 迷子?」

「そうみたい」

「あー……なんだ、良かった。出てったんじゃなくて」

「出てったって行く所なんてないよ」

「そっか」

 笑ってる清水くんの声を聞いて、不安はなくなり安心する。あ、でも私が鍵を持ってるから清水くんも家に入れないわね。迷惑かけてるわ、私。


「ごめんね、清水くん」

「ううん、気にしないで。周りに何が見える?」

「えーと……」

 おあつらえ向きな大きな建物が目の前にあるけど、暗くて近付かないと字が読めない。

「あ、東区役所ですって」

「東区役所?! 東区まで歩いて行ったの?!」

「そうみたいね」

「迎えに行くから、そこから動かないでね」

「うん、分かった」


「茉悠さん、駅で北口を出ちゃったんだな。うちは南口を出てまっすぐなんだよ」

「出口がふたつあるの? 気付かなかったわ。さくらと電話しながら歩いてたから」

「そんなに電話に集中してたの?」

「うん。なんだかすごく疲れたわ」

「疲れてたのにそんなとこまで歩いたの?」

「とにかくまっすぐ進めば着くだろうと思って」

「いくら地球が丸くたって着かないよ。迷ったら進まずに戻ろうよ」

「ああ、戻ればいいのか」


 清水くんと話しながら待つ。そう言えば、電話切らないんだ。

「東区には入ったけど、どこに区役所あるんだろ。茉悠さん、ずっとまっすぐ歩いたの?」

「うん」

「じゃあ、まっすぐ歩けば着くのかな」


 しばらくすると、目の前の横断歩道の向こうをキョロキョロと周りを見回しながら歩いて来る電話をしてるっぽい人がやってくる。

「あ、清水くんが見えたかも」

「え? どこ?」

「横断歩道を渡った所」

「あ! いた!」

 信号が青になって、私も清水くんも横断歩道を渡る。ちょうど真ん中辺りで合流した。


「ごめんね。ありがとう」

「まさか最寄り駅から迷子になるなんてびっくりだよ」

「私も。まさかないだろうと思って歩き続けちゃったわ。さくらと電話してたから」

「尾崎に明日苦情だな」

「さくらは悪くないよ」

 慌てて言ったら、清水くんが笑った。え? 何か変かしら。


「次からは道に迷ったらまず俺に連絡してね」

「うん。歩き続けても着かないって学んだわ」

「あはは! 何事も学習だよね。困ったら俺に電話するってことも覚えといて」

「うん……ありがとう」

 いつもかわいいとしか思っていなかった清水くんの笑顔が、なぜかものすごく頼りがいのあるものに見えた。

 清水くんが来てくれたから、もう大丈夫だわ。

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