第39話 キヨミズくんの秘密
「ただいま! え、何コレ」
布団を手に帰って来た清水くんが、テーブルの上の浄水器に早くも気付いた。
「なんかね、私たちが荷物を運び入れてたものだから引っ越してきたと思ったらしくて、水道屋さんが来たの。でね、水質検査をしてくれたんだけど、ここの水汚れてるんですって。この浄水器を付ければ、キレイな水が飲めるんですって」
清水くんの顔がゆがむ。どうしたのかしら。
「買ったの? この浄水器」
「分割で。月に3000円くらいなら清水くんへの返済にも影響ないから安心して。私が自分の意志で買った、せめてもの感謝の気持ちを込めたプレゼントよ。清水くんがガリガリに痩せてるのも水のせいかもしれないわ。ここの水を飲み続けていると健康を害するんですって」
「契約したの? 分割の」
「まだ。手持ちの書類がないから、夕方にまた来てくれるって」
「よし、セーフ! 名刺置いて行ってない? あ、あった」
テーブルの名刺を手に取ると、スマホを出して電話をかけだした。
え? 断っちゃうの? 健康に悪い水を飲み続けることになるのに?
「俺が間違ってたわ。自分の意志で行動する前に、俺に相談してくれる? 茉悠さん」
「え……」
「お願いだから、ひとりで決めないで?」
「うん、分かった」
「はー……マジで予想を上回ってくるわ……」
どうしたのかしら。清水くんがガリガリを通り越してゲッソリしてしまったように見える。
「どうしたの? 大丈夫? 具合悪いの?」
清水くんの顔をのぞき込むと、目が合った。
私と目が合うと、にっこり優しく笑った。
「大丈夫だよ」
私の好きな穏やかな空気感に包まれて、つられて私も笑ってしまう。日々秋が深まっていくけど、小春日和のような暖かさを感じる。
「ねえ、茉悠さん。俺、金出すからって茉悠さんとの間に変な上下関係っていうか、俺の言うこと聞けよとか、そういうのはイヤなんだよ。恩を着せたくないの。あくまでも公平な関係として、俺は茉悠さんにここに来て欲しかったの。今日俺といて、違和感なかった?」
「違和感しかなかったよ。この人は本当に清水くんなのかしらってくらいに」
「それが、俺なんだよ」
この人は本当に何を言ってるのかしら。
「茉悠さんが抱いた違和感は、俺が会社では隠していた秘密をさらしたからだよ」
秘密? 私が副業を隠していたように?
「俺、今会社でうまくやれてると思ってる。わがままで自己中なライオンの面を隠してるおかげで。俺はこっちの面は今後もずっと隠していくつもりだよ。俺だけが茉悠さんの秘密を知っているんじゃ、どうしても脅されてるように感じるかもしれないとは思ってた。会社の中でこんな俺の本性を知ってるのは、茉悠さんだけ。対等だよ」
……なんか、いっぱい言われてよく分からなくなってきたわ。とりあえず、私も清水くんは今会社でとてもうまくやれてると思う。みんなにかわいがられて、うらやましいくらいに。
「あんな仕事は辞めて、生活を立て直してほしい。それだけ。茉悠さんに言ったことに何も嘘はない。それを証明したくて、俺も今日ずっと秘密をさらしてた」
「うん、清水くんには何も嘘なんてないね」
いつの間にか真顔になっていた清水くんがまた笑った。
「分かってもらえて良かった。今後は家でもわがままなライオンの面は出さないから安心して。今日だけ。茉悠さんに俺の真意を知ってほしかっただけだから」
「え? 家でも隠すの? どうして?」
せっかく素でちょうどいい俺様なのに、どうしてわざわざ隠しちゃうのかしら。
「え……だって、イヤでしょ家にわがままな自己中がいるなんて。一緒に暮らすからには、俺茉悠さんに不愉快な思いをさせたくないんだよ」
「不愉快? 私は何が不愉快なの?」
「え……だって、みんな……あ、尾崎だって、俺がちょっとでもライオンの面を出したらすっげーイヤな顔するし」
「ああ、さくら」
清水くんはかわいいワンコ系男子なのがデフォルトのせいか、お酒を飲むと清水のくせにかわいくないってイヤがってたわね。
「不思議よね。さくらは何がイヤなのかしら? 私にはよく分からないのよね」
清水くんがかなり戸惑った様子で私の顔を見ている。
「茉悠さんは素の状態の俺といてもイヤな気持ちにならないの?」
「ならないわよ?」
むしろ、タダでちょうどいい俺様と一緒にいられるなんて、ありがたい限りだわ。
「本当に? 無理してない?」
「しつこいわね。私、何事も無理なんてしないよ」
「たしかに、しなさそう」
「うん」
「本当に、俺家で素でいていいの?」
「自分の家なのに素でいない方がおかしいよ」
ずっと戸惑っていた様子の清水くんが、うれしそうに笑った。
ピーンポーン、とインターホンの音がする。
「あ、引き取りに来たかな。俺が出るから、茉悠さんは待ってて」
浄水器を持って玄関に行った清水くんと水道屋さんが押し問答している。
しばらくすると、普通に笑顔で戻って来た。
「どうかしたの? 何かもめてたの?」
「分割払いの書類持って来てたけど、契約成立もしてねえのにクーリングオフも何も関係ねえっつーの。いらん手間かけさせようとしやがって」
何の話か分からないけど、笑ってるから清水くんの言い分が通ったみたいね。
ワンコかわいい笑顔で荒い言葉遣いをされると違和感が増すわね。本当にどちらも素なんだな。
「そうだ、茉悠さん。ミーティングを始めます」
唐突に清水くんが丸いローテーブルについた。ならって私もその真正面に座る。
「ミーティングって、会社みたい」
「会社の話なんだけどさ。引っ越したからには転居届を出さないといけないでしょ」
「ああ。面倒だからいいんじゃないかしら」
その届の処理をするのは私だ。自分で自分の仕事を増やしてしまう。
「いや、ルールは守ろうよ。総務なのに社内規定ガン無視だよね。でさ、一緒に暮らしてることを隠すのって難しいと思うんだよね。いくら取り繕ったって、何気ない会話なんかからバレると思うんだよ」
「そうね、さくら鋭いし」
「茉悠さん普通に言っちゃいそうだし」
たしかに、言っちゃうかもしれないわね。
「だからさ、バレる前にこっちから言った方がいいと思うんだよ」
「え? 私が清水くんの家に引っ越したって?」
「付き合い始めて、同棲を開始したことにする」
「付き合い?!」
え……付き合うの? 私と清水くんが?!
びっくりした……ある訳ないと思ってた。
まさか、私と清水くんが付き合うことになるなんて。
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