第37話 自分の意志を持って
自宅のドアの鍵穴に鍵を差す。カチャリと回す。開けちゃった。開けちゃった、けど……。
「はいはい、散らかってんでしょ。いいから。分かってるから」
動かない私を無視して清水くんがドアを開け部屋に入って行ってしまう。
「うわ! なんっじゃこりゃ」
せまいワンルームには玄関から物があふれている。部屋の中に入りたくば、このゴミたちを越えてゆけ!
「分かってた、分かってたよ。想定内想定内。俺の想像なんか軽く超えてくる可能性もあると思ってた。茉悠さん、マジで上回ってくるわー」
想定外であることまで想定内だったと言うの?! それなら、この部屋でもどんな部屋でも想定内なのかもしれないわ。
「とりあえず、今必要な物だけ救出して俺ん家に持って行こう。あとは、週末にでもまとめて片付けよう。今月末で退去してほしかったけど、これは無理かな。来月末での退去を目指そう」
「え? 引っ越すのに片付けないといけないの?」
「え? このままで引っ越せると思ってたの?」
「引っ越せないの?」
「引っ越せないよ。この部屋を空っぽにしなきゃ」
え、そうだったの? 引っ越すならこのままでいいと思ってたから、このどうしようもない部屋をどうにかしようとするより引っ越した方が早いのかと思ってた。危うくだまされるところだったわ。
「あ、あと賃貸借契約書。退去の連絡ハガキ出……しとくから、契約書俺にちょうだい」
「契約書……」
「失くしてはないよね?」
「持ち歩く物でもないからこの部屋の中にあるとは思うんだけど」
「このジャングルから探すのかよ。大変だな」
ジャングル……うまいこと言うわね。
「必要な物って何?」
「俺に聞くの? 何だろ、女の人しか使わないようなもんは俺ん家にはないよ。化粧品とか、スキンケアの何かとか、あー、あと服とか?」
「ああ、そのへんはいるわね。あ、清水くんの家って調理器具何もないからフライパンとかも持って行かないと」
「え?」
清水くんが手を止めて私を見た。何かしら?
「茉悠さん、料理するの?」
「うん。私料理好きだよ」
「人間が食べる物ができあがるの?」
「私は食べてるわよ」
「茉悠さんって健康そうだよね」
「清水くんよりはよっぽどね」
清水くん、背は高いのにガリガリだもの。ちくわしか食べてないんだもんね。
「え、料理作ってくれたりする?」
「作っていいなら喜んで作るよ。料理好きだから」
「ほんと?! やったあ、超楽しみ!」
こちらが驚くくらい、ワクワクしてるのがすごくよく伝わってくる無邪気な笑顔だ。清水くんが超とか言うのも珍しい気がするわ。
「彼女の手料理はたまになのは分かるけど、学生時代なんかは毎日食べてたんじゃないの? お母さんのごはんって手料理なものじゃないの?」
清水くんの笑顔がかげってしまった。あれ? お母さんの話ってしちゃいけないものなのかしら?
「あー……俺の母親は違ったの。俺より仕事が大事だったの。親世代は女が出世するには大変な時代だったみたいね」
「そうなんだ? 親世代……親のいない私には分からないわね」
周りに大人はたくさんいてくれたけど、みんな世代はバラバラだった。
「そっか、分かんないか」
清水くんが笑う。親のいる子にとってはそんなに変わったお母さんなのかしら?
でも……私でも違和感を感じる。自分よりも仕事が大事だったお母さんのために、テレビも付けないような節約生活をしてまで恩返しがしたいだなんて。
やっぱり、私にはよく分からないわね。考えていても仕方ない、今は手を動かさなくちゃ。
化粧品、スキンケア用品、秋物の服、調理器具と調味料を大きなカバンふたつと取っておいた紙袋にまとめた。
「けっこうあるね」
「そうね」
「はい、じゃあ、これ持って! 行こう、俺ん家!」
清水くんが大きなカバンをふたつ両手に持って、小ぶりな紙袋を私に渡してくる。
玄関を目指して、再びゴミを越えていく。
「はあ、すげーなこれ。やっぱり今月末での退去を目指そう! ダラダラ引き延ばしたって仕方ない。今月中に片付けるよ、これ」
「片付けられるかしら」
「できるかどうかじゃなくて、やるの! 流れに身を任せるのがクセになってるんじゃないの? 自分の意志を持って行動しようよ」
自分の意志……。
たしかに、私は自分がどうしたいかで動くことはあまりないかもしれない。いつも、必要に迫られないと動けない。
その結果が今日までの私だわ。このままじゃダメだ。清水くんが言ってたように、生活を立て直さないと。
……清水くんはすごいな。
ご両親に恩返ししたいと思ったらあんなにストイックに節約生活をしてでもお金を貯めて、そのお金を私なんかのために使おうと決断してしまう。
こうと決めたら私を自分の家に引っ越しまでさせようとする。なんて意志が強いんだろう。
大人しそうに見えて、自分の意志がハッキリした子だわ。
私も変わりたい。清水くんのようになりたい。ちゃんと自分の意志を持って、自分のやりたいことをやる。
せっかく清水くんがチャンスをくれた。絶対に清水くんの意志を無駄にしちゃダメだ。ちゃんと、人生をやり直さなきゃ。
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