出会い

第35話 不思議ボーイ

 私の手首をつかむ清水くんの手にも力が加わっている。外せないかしら。痛いほどではないけど、ずっと手首をつかまれていると当たり前だけど落ち着かない。


 ヘラヘラと笑う健太さんを清水くんがにらみ続けているようだ。何してるのかしら、このふたり。

「シュウちゃん連れて行くの、やめてくれない?」

「やめてあげない。この人にこの店を辞めてもらう」

「この人、ねえ。お兄さん、シュウちゃんの彼氏?」

 一瞬の間が開いて、清水くんがきっぱりと普通のことを言った。


「俺が柊だ」

 ヘラヘラと笑うばかりだった健太さんの表情が変わった。

「あー、そういうこと? えらい中性的な名前だなとは思ったんだよね」

 健太さんは何に納得しているのかしら? 何がどういうことなの?


「シュウちゃん、いつでも戻って来てくれていいからねー。待ってるよー」

 健太さんが清水くんの手を外そうとがんばっている私に笑って手を振っている。

「え? あ、はい」

 話を聞いてなかったから、適当に返事をした。

 清水くんが渋い顔をしてまた健太さんをにらむ。え、ごめん、何の話してたの?


 ジーンズのポケットから何かを出した清水くんが、カウンターのボールペンで何かを書いて健太さんに差し出す。

 手首が自由になったからその何かをのぞきこんだら、私が渡した「家まで送ってあげてください」と書かれたこの店の名刺だった。


「シュウちゃん、こんなの書いてたの? 知ってる人が見たらこの字シュウちゃんだってバレるでしょ」

「え? そうですか? 字だけで誰かなんて分かります?」

「けっこう個性的な字だから、知ってる人なら分かるでしょ」

「俺もそう思ったから、高橋さんには渡さなかった」

「これバレるよね」

「絶対バレる」

「そうかしら?」

 私は人の字が気になったことなんてない。


 健太さんが名刺をまじまじと見る。

「電話番号?」

「もしも、この人がまたこの店に来るようなことがあったらその番号にかけて教えて。俺何度でも迎えに来るから」

「うわー、しつこそう」

「うん、俺しつこい」

「分かった。シュウちゃん、柊さん、またねー」


 笑う健太さんをまた清水くんはにらんで、再び私の手首をつかんで店を出る。狭い白い階段を下りると、私の手首から手を離した清水くんが階段を苦々しく見上げる。

「あの人、俺のことからかってんの? ずっとヘラヘラしてんだけど」

 清水くんもこんな不機嫌そうな顔をすることもあるんだ。なんかかわいくて、思わず笑ってしまう。

「あの人はああいう人なの。いつもヘラヘラしてる」

「あんなヤツに声かけられてついてってんじゃねーよ」

 う……返す言葉が見つからない。


「そのうち、マジで事件に巻き込まれるよ」

「事件より、事故に巻き込まれそうだけどね、血筋的に」

「……そういう笑えないことを笑えるテンションで言うの、やめてくれる?」

「そう?」

 笑ってくれて全然いいんだけど。


「茉悠さん、家どこ? まずは必要な物を俺の家に持って行かないと」

「え……本当に私、清水くんの家に行くの?」

「行くよ。異議は認めない。茉悠さんひとりだと事件なり事故なりに巻き込まれちゃうだろ。俺に守らせて」

 行くよって……軽く言うけど、うち超きったないのよね。あんな店で働いてたわ部屋超きったないわで、副業を失ったばかりだっていうのに見放されないかしら。


「茉悠さんってちょこちょこ人の話聞いてないよね」

「え? ごめん、何か言ってた? 何?」

「……いや、そう言われると……回数重ねて言えばいいか。で、家だよ、家」

「……家……」

「ああ、分かった分かった。散らかってんでしょ。大丈夫、想定内だよ」


 ……え……清水くん、こんなにスムーズに俺様男からワンコ系男子にスイッチしちゃうの? 

 ひとセリフの間に強気な俺様顔からかわいいワンコ系の優しい笑顔に変わったんだけど?!


「清水くんって、どうなってるの?」

「え? 俺がそれ茉悠さんに聞きたいよ」

「お酒飲んだら俺様モードになるんじゃないの?」

「え? 何それ、そんなモード搭載してないよ」

 清水くんがかわいく笑う。うん、今はワンコモードだから違うわね。


 どういうことなんだろう? さっきまでの俺様な清水くんも、今のかわいい清水くんにも嘘はないっぽい。

 ふたつの人格どちらも本物だとしたら? そういうことなのかしら?

 っていうことは、考えられるのは――


「二重人格!」

「違う! 何、いきなり?」

 え? 違うの? 名探偵ばりに清水くんを指差して言っちゃったんだけど。

「もしかして、俺の性格の話してたの?」

「清水くんは何の話をしてたの?」

「何の話か分からなかったの」


 地下鉄へと階段を下りる。ホームまで下りると、もうすぐ電車が来るみたいだ。

「俺も、やっかいな性格だと思ってる。自分でも」

 アナウンスが流れて、電車が近付いてくる音がする。音の方を見ながら、悲し気に清水くんが言う。

 ……やっかい? いつも素直で一生懸命で会社でも部署問わずペットのようにかわいがられている清水くんが?

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