第33話 キヨミズくんの糾弾
私は一歩も動いてないのに、勝手に廊下を歩いて来た清水くんが目の前にいる。
どうして、ここに? 清水くんは昨日のことなんて覚えていないはずなのに。
「茉……シュウさん、今どっちから出て来たの? こっち?」
「あ……ううん、そっち」
私が指差した方のドアを開け、勝手に入って行ってしまう。
まだお酒が残ってるのかしら? だから、まだ覚えてたのかしら? だとしても、何しに来たのかしら?
もしかして……昨日私が何もしてないことも覚えていて、サービスを受けに来たのかしら? それは困るわ。清水くんにこの店のサービス内容なんてできない。
ひとりで廊下に突っ立ってる訳にもいかないから、私も部屋に入ると清水くんはメガネの奥の目がネコのように鋭く無表情で私を見る。
……本当に、どうしてここにいるんだろう……。
「どうして、ここに? 昨日のことは覚えてないはずじゃないの?」
清水くんがジーンズのポケットに手を突っ込む。
「店の場所も名前も覚えてなかったけど、これのおかげで来れた」
と差し出したのは、ゆうべ私が渡したこの店の名刺だった。書いてあるのは、名前じゃなくて「家まで送ってあげてください」だけど。
ああ……こんな物、渡すんじゃなかった。でも、あのままほってもおけなかった。
閉めたドアの前に立っている私のすぐ前まで清水くんが近付いてくる。逃げたい……。
「聞きたいことと言いたいことがたくさんある」
「え……」
何だろう。言いたくも聞きたくもないことそうな予感しかしない。
「いつからここで働いてるの?」
「えっと……先月くらいから」
ふう、と清水くんが息をついたのが聞こえる。
「最近か。あー、まだ良かった。なんでバイトなんかしてんの? 正社員は副業禁止でしょ。総務なんだから当然知ってるよね」
分かってたけど、お金がないからバイトするしかなかったんだもの……。
「……ごめんなさい」
「俺に謝ることじゃないけど。やりたくてやってんの? この仕事」
「そんなことない。お金が必要だから、やってるだけで」
清水くんはじっと私を見てるようだけど、私はとても目を合わせられない。うつむいて答える私に、
「茉悠さん」
と清水くんが呼んでくるから顔を上げるしかなかった。
思いがけず、清水くんは優しく笑って私を見ていた。
「まだまだ聞きたいこともあるんだけど、先に言いたいことを言うね」
「え……うん」
そっと清水くんに抱きしめられる。細い腕の筋肉の固さを感じてドキドキする。……ドキドキする。
「今すぐこの店辞めて。俺と一緒にこの店出て」
「え……でも」
「店の人とは俺が話してもいい。俺を最後の客にして、辞めてほしい」
「でも、この後プロのカメラマンに写真撮ってもらうの」
「へ? 写真?」
驚いた清水くんが私の顔を見る。
「ホームページ用の写真。プロのヘアメイクにメイクしてもらって、プロのスタイリストに衣装選んでもらって、プロのカメラマンにスタジオで写真撮ってもらうんだって」
「ホームページ? この店の?」
「え? たぶん」
そう言えば、この店のホームページ用かは確認していない。けど、きっとそうじゃないかしら。他の店のホームページに載せたんじゃ意味が分からない。
「ダメ! 絶対、俺と一緒に帰ろう、茉悠さん。そんな簡単に風俗店のホームページに写真なんて載せちゃダメだよ」
ええ……でも、ちょっと楽しみだったのに……。
「分かった、俺がプロに撮ってもらえるスタジオ探すから。プロにメイクしてもらってプロに衣装選んでもらってプロに写真撮ってもらいに行こう」
え……それは、何か違うの。仕事上必要で撮ってもらうのと、自ら撮ってって言うのは違うの。私にはそれはなんか恥ずかしいの。半強制的にプロに撮ってもらえるのがありがたいの。
「……納得してねえな……」
苦々しい表情で私を見ると、うーん、とうなりながら清水くんが狭い部屋を歩き回り始めた。
なんか、考え込ませちゃってるみたいでごめんね?
清水くんが立ち止まって振り向く。
「ねえ、この仕事やりたくてやってるんじゃないんだよね? だったら無理せず辞めようよ」
辞めようよって……やりたくないからって辞められるくらいなら、そもそも始めてないんだよ。
「借金でもあるの? だから辞められないの?」
ほぼ確信を持ってるかのように真正面から聞いてくる。ああ、やっぱり聞かれたくないことばかり聞かれる。
もういいか……こんな店で働いているのを知られてしまったんだもの。そりゃあ借金くらいあるわ。
「そうよ。借金を返すためにスナックで働いてたんだけど、閉店しちゃって……どうしようって思ってたら、この店に招いてもらえて」
「招いて?」
「そう。自分からは行けなかったのに招いてもらえて、ありがたいなって思っちゃったの」
「行けなかったの? 自分からは」
あ……なんかこのままじゃ、この店で働いているのが健太さんのせいになってしまう気がする。それは違う。たしかに私は自分から行けなかったけど、勇気が出なかっただけだ。
「行けなかったけど、やれちゃうんだっていうのは自分でよく分かってる。スナックより楽だなって思っちゃったことだってあるし……」
嫌だよね、そんな先輩。また清水くんの顔が見られなくなる。
仕方ない……私がお金のために決めたこと、やったことだ。軽蔑されたって、嫌われたって、仕方ない……。
「茉悠さん、目ぇそらさないで。ちゃんと俺の顔見て話して」
……なんで、そんなことを言うかなあ……。
渋々顔を上げて清水くんを見る。
どうして、笑ってるんだろう。どうしてこんな私にそんな優しい笑顔を向けるんだろう。
本当に、清水くんは何をしに今日ここに来たのかしら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます