第31話 30分間の攻防
白い壁の小さな個室に入った清水くんは、目の前のベッドを見るなり
「ベッドー」
と靴のままベッドの上にダイブしてしまった。
このままほっといて30分寝ててもらおうかしら。
「お姉さん、シュウって名前なの?」
あら、話しかけてくる。
「あ、はい。シュウでーす。よろしくお願いしまーす」
「へー、おんなじだ。俺も柊なのー」
ベッドにうつぶせになり、目を閉じたまま顔だけこちらに向けて清水くんが笑っている。
そういえば、名前を決める時に清水くんの名前が浮かんでシュウにしたんだったわ。
なんだか清水くんの話し方がいつもの営業社員モードと違って、ヘロヘロで舌っ足らずでかわいい。
この間はお酒飲んでも敬語で話してたくらいにはしっかりしてたけど、泥酔したらこうなるんだ、清水くん。
「へ……へー、偶然ですねー。今日は高橋と飲んでたんですかー?」
「そうー。高橋さん、タダで腹いっぱい食わせてくれて酒飲ませてくれて超いい人ー。ここも高橋さんのおごりだってー」
「へえ、この店高いのに」
「ここ、何の店?」
清水くんが体を起こして部屋を見回す。見回さないで! 何か印象に残ったら困る。
「ベッドをお貸ししている店です」
どんな店なのかしら。言ってしまったからにはベッド貸し屋さんで押し通すしかない。
清水くんの背中を寝かしつけるように軽くトントンと叩きまたうつぶせの状態に戻す。
「高橋はどうしてよりにもよってこんな高い店に来たのかしら」
「なんかねー、ホームページで見て気になる子がいたんだって。何だっけなー。あ、私の笑顔で疲れを吹き飛ばしちゃえ♡ ほんわか癒し系美女って子に会いに来たの」
ああ、ホームページ。
私も入店を決めた時に同じようなキャッチコピーをホームページ用にってつけられたわね。
美女なんてハードル上がるからやめてくださいって訴えたにもかかわらず
「客を呼び込むためのホームページなんだから売り込まなきゃ意味ないんだよ」
って押し切られたものだわ。
私なんか写真もなく簡単なプロフィールとキャッチコピーだけだけど、何人かの女の子はけっこう際どい写真を載せてたりもする。
「あー、ねむ」
と言いながら清水くんがベッドの上で正座をする。靴が当たって痛くないのかしら。
「寝てていいよ。時間が来たら起こすから、寝てて」
「ありがとー」
むしろ寝てくれた方がこちらも都合がいい。
清水くんが正座の姿勢からそのまま前方へ上半身を倒し、自分の手を枕に寝だした。
かわいいー。大型犬が寝てるみたい。なでたい。清水くんを愛でたい。清水くんって元から童顔だと思ってたけど、寝てるとひと際子供みたいだわ。
あ、メガネ。うつぶせ寝でメガネは危ないかもしれない。失礼して、そっとメガネを外して手に持つ。
私視力異常にいいから、メガネなんて物を持ったのが初めてかもしれない。
ちょっとかけてみたくなるけど、勝手に人の物でそんなことしちゃダメだよね。
傷ひとつないキレイなメガネだわ。几帳面そうね、清水くんって。
今日はダークブラウンのドルマンスリーブシャツと白いパンツを履いている。こうして丸くなって寝ていると、柴犬の子犬を見ている時みたいな気持ちになってくる。
これが癒されるってことかしら……永遠に見てられる。
ずっと見ていたいし寝かせてあげたいけど、そろそろ時間だ。本当に30分なんてあっという間だわ。
「清水くん、起きて。時間だよ、帰らないと」
清水くんの背中を揺さぶる。反応がないから、ちょっと手荒かもしれないけど肩をバンバン叩いてみる。
「……んー……」
上体を起こして正座の姿勢に戻ったものの、全然目が開いていない。
本気でどうしようもなく眠い時って、本気でボンドで固めたように目が開かないのよね。
大丈夫かしら。こんなんで無事に家まで帰れるのかしら。お姉さん心配になっちゃうんだけど。
高橋に家まで送って行ってあげてって言いたい。でも、ここで高橋の前に姿を現す訳にはいかないわ。
あ、そうだ。
ベッドの脇のとても小さなデスクの引き出しからまだ名前を書いていない名刺を出す。
店の電話番号やら住所、ホームページに飛ぶQRコードが記載された名刺に「家まで送ってあげてください」と書いた。
その名刺とメガネを清水くんの手に握らせる。
「この名刺、忘れずに高橋に渡してね。絶対よ」
「名刺?」
「これ。絶対に高橋に渡してね。忘れないで、家まで送ってもらってね」
「はあい」
「立てる? 気を付けて」
ベッドから床に足を着いた途端、バランスを崩して清水くんがよろめく。
「危ない!」
思わず体を張って支えたけど、重い……。ちくわばっかり食べててガリガリなのに、どうしてこんなに重いのかしら。身長があるから骨だけでもこんなに重くなるのかしら。
なんとか立ち上がらせてドアの前で清水くんをお見送りする。
フラフラなんだけど。大丈夫かしら。ついて行きたいけど、ここで別れるしかない。
「気を付けて帰ってね。高橋に名刺渡すの忘れないでね」
「はあい」
「ありがとうございましたー」
「ありがとうございましたー」
気になるけど、清水くんの様子を見ようとして高橋に見つかる訳にはいかない。ドアを閉める。
さてと、私も急いで着替えて帰らないと、終電を逃してしまう。
フロントに連絡を入れてから部屋を出る。フロントカウンターには健太さんがパソコンを開いていて、中條さんも立っている。
「お疲れ様ー。最後のお客さん、大変だったでしょー」
「まあ、そうですね」
いろんな意味で。
「すげー酔ってたよね。アンケートに大きくバツつけて帰って行ったよ。はい、これ確認して」
中條さんが笑いながら白い封筒を出してくる。
「バツ?」
封筒からお札を出し、今日のお給料を確認してサインをする。はあ、土曜なのにヒマだったもんな……。
「シュウちゃん、明日はー?」
ホームページの管理は健太さんがしているらしい。パソコンを見たまま聞いてくる。
「オープンから来ようと思ってます」
「おおー、助かるよ。出勤予定あげとくねー。シュウちゃんは遅刻もしないし来るって言ったらちゃんと来てくれるからありがたいんだよね」
……褒めてもらって何だけど、当たり前のことじゃないかしら。
いつも日曜日は夕方で帰るけど、明日は夜までいようかな。これじゃあ生活するだけでお金がなくなってしまう。
せっかく返済するばかりになったのにまたキャッシングしたくないし、ケイ様のお店に行けるのはいつになるのかしら。
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