第30話 招かれざる客をあえて招く

 あと10分ってところかしら。終電に間に合うには、あと10分くらい待っても客につかなきゃ帰るだけかな。

 ああ、土曜日だっていうのに、私はヒマだったなあ……こち亀50巻を突破してしまった。100巻以上出てるのは知っている。これでまだ折り返し地点ですらないだなんて、すごい大作だわ。延々読めそうな巻数並んでいた。


 私は風俗店やんちゃなタイガーでの待機時間を、自分に与えられた個室で過ごす。休憩室で楽しそうにおしゃべりしている女の子たちは、私よりもずいぶん年下そうなんだもの。

 指名を期待できるお客さんがたったひとりしかいない私は、店に入っても待機時間が長い。お客さんが待つための部屋にある漫画を誰もいないすきに大量に自室に持ち込んでヒマをつぶしていた。


 こんな調子じゃあ、次にケイ様のご尊顔を拝めるのはいつになるかしら。

 明日は朝から入ろうかなあ。土曜日は客も多いけれど出勤している女の子も多い。指名のないお客さんはフロントで順番に割り当てられるから、思うように私の番が回ってこない。

 入店して間もない上に土日しか出勤しない私の写真指名用の写真は簡易的なポラロイドで、他の女の子たちのきらびやかな写真の陰に隠れてしまって目立たない。その上この平凡フェイスだから、写真指名なんてほとんどない。

 それでも朝なら女の子が少ないから、客さえ来れば回してもらえる。


 プルルルル、と受話器が鳴った。あら、最後に稼ぎをもたらしてくれるかしら。

「はい」

「シュウちゃん、モニター見てー」

「はーい」

 一応横のモニターを見る。前職スナック程度の私の知り合いがこんな高い店に来るとは思えない。形式的に見るだけだ。


「え? 高橋?!」

 びっくりした。フロントの盗撮映像のような粗い画像の中で、酔ってるのかどうもふらついているのはたぶんきっと高橋だ。


 高橋、こんな高いお店に来るんだ。今週は大変だったから、自分へのご褒美かしら。

「シュウちゃん、知り合い?」

「絶対に写真見せないでください!」

「りょーかーい。他の子についてもらうねー」

「はー……え?!」


 高橋の手前を、後ろによろめいて横切る人物が映る。

「清水くん!」

 粗い画像だけど、高橋が笑いながらその体を支えているのは清水くんだろう。

「お連れさんも他の子についてもらうから大丈夫ー。シュウちゃん、もう上がっていいよー」


 他の子?! 他の女の子が清水くんにこの店のサービス内容を施すの?!

「待って! この連れの人、酔ってるように見えますか?」

「かーなーり酔ってるね。お断りしようか迷うレベル」

「じゃあ、私がつきます!」

「先にもうひとりの人からご案内するから、ちょっと待ってて」

「はい」


 酔ってるなら……酔ってるなら、清水くんの記憶には残らない。

 明日の朝、目覚めればこの店に来たことすらきれいさっぱり忘れているはずだわ。


 本当に酔ってるかしら……中途半端に酔ってて覚えていたらどうしよう。

 総務の私が社内規定を無視して副業をしていることも問題だけれど、こんな店で働いてることを清水くんになんて絶対に知られたくない。どれだけ軽蔑されるだろう。


 しまったかもしれない。

 どうせ忘れてしまうんだから、他の女の子についてもらえば良かった。

 でも、どうしても他の女の子が清水くんの体に触れるなんてイヤだ。


 なんとか、清水くんの記憶に残らないように30分をやり過ごそう。それしか手はない。

 部屋を薄暗くしている照明をMAXまで明るくする。

 なるべく風俗店ぽさを消したい。友達の家にでも気軽に遊びに来ただけみたいな雰囲気にしたい。

 ベッドの下に隠したこち亀をベッドの端にさりげなくレイアウトする。

 ティーセットでもあればいいのに……。


 プルルルルと受話器が鳴る。……来た!

「はい」

「お出迎えお願いしまーす」

「はーい」


 大丈夫だよね……酔ってさえいれば、清水くんはすべて忘れてしまうとさくらも片橋くんも高橋も言っていた。


 部屋から出て、ドアを開けて廊下を歩き清水くんをお出迎えする。

「お待たせしました、シュウちゃんでーす」

 と健太さんがご案内して清水くんがこちらへと歩いて来る。かなり足取りが怪しい。お酒に強い高橋のペースで飲んじゃったのかしら。

「シュウでーす。よろしくお願いしまーす」

 努めて明るく言うと、足元を見ながら歩いていた清水くんがよろめいた。慌てて体を支える。重っ……ガリガリに痩せてても重量はあるものなのね。


「……シュウ?」

「シュウでーす。よろしくお願いしまーす」

 半分寝てるように、下を向いている清水くんをなんとか部屋に入れる。これもう、ご案内ってよりも介護ね。ここまで酔ってる人はお断りするべきだわ。

 他の女の子がついたところでどうしようもなかったんじゃないかしら。


 部屋に入りドアを閉める。

 大丈夫、清水くんは確実に酔っている。ていうか、泥酔してる。大丈夫、なんとか……なんとか、30分を乗り切って、清水くんの記憶から無事に消えるんだ!

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