第29話 対見えないもの。女の戦い

 金曜日に出社すると、三時に帰るパートさんの阿部さんがすでにクレーム対応の詳細を知っていた。どういう情報網を持っているのかしら。

 さくらと共に話を聞く。


「清水くんが相手の話をよく聞いて言葉巧みに言質を取って、それを高橋くんがつついて前より有利な条件に契約更新してしまったんですって」

「へえー、すごいわね。そんなコンビネーション技ができあがってるなんて」

「ふたりが帰社後社長室に呼ばれて報告したら、社長がまあ驚いて」

 どうして三時に帰った阿部さんが五時を過ぎてからの社長のリアクションまで見ていたかのように知っているのかしら。


「若手三人衆の中では片橋くんが頭ひとつ抜けてると思ってたけど、今回の件で見る目が変わったわー。あのふたりがこんなにできる子だとは思わなかったわー」

 阿部さんが感心しきりにうなずいている。

 人の粗探しが得意な阿部さんにここまで褒められるなんて、清水くんも高橋もすごいわ。


 さくらがムッとしたように

「そうですかー? 私はやっぱり片橋は抜けてると思いますけど。清水と高橋さんが向こうの会社にずっといられたおかげでしょ? そのために片橋超がんばってたんだから」

 と語気を強めた。

 片橋くんから何が抜けてるって言うのかしら。

 さくらが応戦してるけど、一体何と戦っているのかまるで分からないわ。でも私も何か分からないものと戦いたくなってしまった。


「清水くんががんばった成果でしょ。だって、相手の要望を聞き出すのって難しいし大切だよ。相手の望みが分からなければ対応のしようがないんだもの」

「清水と高橋さんはずっと向こうの会社にいただけだけど、片橋はふたり分のカバーをするためにあちこち駆けずり回ってたんだから。一番大変だったのは片橋だよ」

「でも、向こうにはこちら側の資料も何もないのよ。社長の助け舟も先方に断られて、あの高橋とふたりで難局を乗り切らなければならなかったのよ。清水くんが一番大変だよ」

「片橋はひとりで三人分の仕事してたんだよ? 清水がずっと向こうにいるために」

「ただいればいいってものじゃないでしょ。最若手なのにがんばったよ、清水くん」


「年は若いけど清水と片橋は同期だからね。社会人としては同じだよ」

「社歴は同じでも人生の先輩じゃない。さくら片橋って呼び捨てにしてるけど、片橋くんは私と同い年だからね?」

「だって私と片橋は同期だもん。茉悠ちゃんだって、高橋さんのことは呼び捨てなのに片橋のことはくん付けじゃない」

「そりゃあ、同い年でも社内的には片橋くんは私の後輩だから」

「同じだよ。年は上でも私と片橋は同期だもん」


「あなたたちは一体何と戦ってるの? もうふたりとも素直に告白しちゃえば? どっちも勝算あると思うわよ、私は。知らんけど」

 阿部さんが苦笑しながら言った。


 告白?

 告白って、罪を白状したり好きな人に好きって言うことだよね?


 え……もしかして……?!


「さくら、片橋くんのこと好きだったの?!」

 自分でも驚くくらいの大きな声が出た。突拍子もないことを大声で言ってしまってたら恥ずかしいわ。

 でも、びっくりしてそんなことを考えるよりも先に口から出てしまった。


「え。私、硬派で鈍感な片橋にも伝わるように好き好きビーム出してるつもりだったんだけど?」

「えー! そうだったの?!」

「そっかー。自分では十分なつもりだったけど、そんなに意外なくらいはたから見ると分かんないもんなんだー」

 ああーと気落ちした様子で中空を仰ぎ見るさくらの横で阿部さんが爆笑している。


「私はチャンスさえあれば告白するつもりだけど、茉悠ちゃんは? 私、実は清水が彼女と別れたのって茉悠ちゃんのことを好きになったからじゃないかなって思ってるのよね。だって清水、マジでお酒飲むたびに茉悠ちゃんの話するんだもん」

 チャンス? チャンスさえあれば告白するつもりって……

「さくら、この前片橋くんに家まで送ってもらってたじゃない。ふたりきりなんだから大チャンスでしょ。好きなのに告白しなかったの?」


「えっ……だって、いざとなるとやっぱり、なかなか……ねえ?」

 へえ。ひとりでも生きて行けそうなしっかり者のさくらでも男の人を好きになる上に、こんなにモジモジしちゃったりもするんだ?

 意外……さくらは100%言いたいことを言って生きているものだとばかり思っていたわ。

 さくらでも、好きな人には好きだって言えなかったりするんだ。さくらも血の通った人間だったのね。


 今日はなぜか頼野さんの姿が見えないから、お昼休みはさくらとふたりで食堂に行った。いつもは頼野さんが壁際だけど今日は私が壁際にまわってお弁当を食べていると、片橋くんがひとりで入って来るのが見えた。

「あ、片橋くんだよ、さくら。片橋くーん!」

「え! 呼んじゃうの?!」

 そうだ、告白のチャンスを待つ乙女なさくらに、先輩としていいパスを出そう。そしたら、もう営業に行きたいだなんて思わなくなるかもしれないわ。


「お疲れ様です」

 さわやかな笑顔で片橋くんがやってくる。そこどうぞ、とさくらの隣の席を勧めたら素直に座る。いい子だわ、片橋くん。チャンスくらいすぐくれるんじゃないかしら。


「さくらがね、チャンスを待ってるの。片橋くん、さくらにチャンスあげてくれない?」

「チャンス?」

「宝くじ! 片橋、運の向いてる当たりそうな宝くじ売り場知らない?!」

 宝くじ? さくらは慌てた様子で何を意味の分からないことを言い出してるのかしら。


「ああ、チャンスセンターのことか。そっか、ジャンボ今日までだな」

「そうそう! チャンスセンター!」

「尾崎も宝くじ買うんだ? 俺もジャンボだけは買うんだけど、バタバタしてて忘れてたな」

「あ! じゃあさ、今日一緒に買いに行かない?」

「え、でも俺、総務より確実に終わるの遅いよ」

「待ってる! 待ってるから気にしないで!」

「でも長時間待たせるのも悪いし……尾崎、先に帰ってていいよ」

「ええー……」

「俺、終わったら電話するから電話番号教えて」

「えっ……うん!」


 今、さくら、めっちゃかわいかった。

 うんって言っただけなのに、めちゃくちゃかわいい笑顔した。


 正直話がどう転がってるのか分からないけど、さくらがかわいかったからいいパス出せたんじゃないかしら。

 これでもう、営業に行きたいなんて言わないでくれたらいいな。

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