第28話 若手のクレーム対応
会社では営業さんと話す機会がそうそうないとは思ってたけど、こうも顔も見ないなんてね。さすがに、営業と総務の部屋は隣同士なのに丸二日も顔を見ないことは珍しい。
月曜も火曜も営業さんは恵利原部長の顔しか見てないわ。見たくもないんだけど。
「かわいそうにねえ、まだ若いんだから八年も前のことなんて分からないでしょうに。恵利原部長が謝罪に行くべきよね」
「今日僕鍵当番だから七時に来たんだけど、ふたりして憔悴しきった顔でもう待ってたよ。心配だよね」
「七時で?! 大変だなあ、高橋くん清水くん」
水曜日、おはようございまーすと出社すると、すでに席に着いている総務部長の頼野さんと部長席の前に座る三十代男性社員の友坂さん、ふたりからは離れて私の向かいの席に座るベテランパートの阿部さんが暗い顔をして話していた。
……営業さんの話みたいだけど、何かあったのかしら。
「営業さん、どうかしたんですか?」
三人を見回して聞いてみる。頼野さんが心配そうに小首をかしげた。
「混入だよ。現場が気付かなくて品質保証部も見落として納品しちゃって、先方カンカン。月曜の夕方六時前かな、クレームの電話が入ってすぐに担当の清水くんと前担当の高橋くんが謝罪に行ったんだけど、まー若いせいか話が難航しちゃってるみたいだね」
「若いふたりに不満なら恵利原部長とかおじさんが行けばいいんじゃないですか」
「八年前にも同じ混入事故があったんだよ。その時の担当が恵利原部長でモメにモメたから恵利原部長も行きたがらないし先方も顔も見たくないって言ってて」
それ、恵利原部長のせいで今回清水くんたちがやり玉に挙げられてるんじゃないかしら。
「かわいそうに、昨日の退勤十一時半過ぎてるよ、三人とも。電車間に合ったのかなあ」
頼野さんがパソコン画面を見ながら言う。
「十一時半?! それで今朝七時にはもう来てたんですか?!」
「社長が行くって言っても跳ね除けられるらしい。若い者をいびりたいだけなんだろうね」
まあ、なんて最低な年寄りかしら。そんな会社は切っちゃえばいいんじゃないかしら。迷惑かけるばかりで役に立たない恵利原部長と共に。
「八年前からの改善点を示せだの何だの要求されてるらしいけど、清水くんはもちろん高橋くんもその頃まだいなかったからどうしようもないのよ。会社に戻って資料を集めて返事しますって言っても向こうの会社から出してもらえないんですって」
軟禁状態じゃないの。そんな暴挙が許されるものなのかしら。そして、社内一の情報通とは言え阿部さんはどこからそんな情報を仕入れているのかしら。
八年前か……私と高橋が入社した年だけど、混入事故なんて私もまったく知らないから入社前の話なんだろうな。
大丈夫かしら、清水くん……見るからに大人しそうだから、付け込まれていたぶられてなきゃいいんだけど。
私はいつも五時の定時を迎えるとキリの良いところまでだけ仕事をしてすぐに帰る。早い時は終業のチャイムが鳴り終わる頃にはパソコンのスタートボタンから電源、シャットダウンへと進んでいる。
でも今日は、清水くんから電話でも入らないかしらと三十分だけ残ってみた。隣のデスクのさくらもいつもは私と同じようにすぐ帰るのに、まだいるっぽい。デスクの上にさくらの水筒があるし、入力作業途中っぽい。
総務の部屋に戻って来たさくらと目が合う。
「今、片橋が帰って来たわ」
「清水くんたちから連絡はあったのかしら」
「分からないんですって。片橋も昨日からふたりの顔見てないらしいわ。いきなりふたりも動けなくなって、片橋も大変そう」
「ああ、そっか。そうだよね」
今は営業全体が大変そうだ。営業だけではなく、混入事故を出した二課の課長と工程の課長が真剣な顔で会議室にいるのも見た。ひとつの事故でこんなにいろんな部署の偉いさんたちが深刻な顔になるものなのね。
今日も清水くんの顔を見るのはおろか、声を聞くことすら叶わなそうね。帰ろ。
やっと清水くんと高橋の顔を見たのは、木曜日の退社後だった。会社を出て駅に向かって歩いていたら、向こうから清水くんと高橋がやって来るのが見えて駆け寄った。
「お疲れ様です!」
「あー、水城。お疲れ」
「お疲れ様です」
ああ、ふたりとも分かりやすく疲れてるな……元からガリガリの清水くんがさらに痩せてしまったように見える。
「大変そうね。大丈夫なの?」
「もう大丈夫です。やっとご納得いただけて。高橋さんのおかげですよ」
清水くんが笑顔を見せる。あら、相変わらずかわいい。久しぶりに見るとなぜか胸がキュンとする。この笑顔が見たかった。
「いや、清水がいたからだよ。褒めてやってよ、水城。清水よくがんばったよ」
へえ、高橋が人を褒めるだなんて、私に褒めてやってよなんて、珍しい。
さくらが入社してきた当時、すごくしっかりしていて仕事もできるからびっくりしてこの子すごいのって言ったら
「お前なんかに褒められたって誰もうれしくねえんだよ」
って食らったことを私は今も忘れていない。
「いえ、高橋さんが要所要所でガツンと言ってくれるから俺が聞き役に徹することができただけですよ」
「いやいや、清水がうまく話を引き出してくれるから言えたんだよ。俺ひとりじゃ確実にキレてた。あんな言われようをしてもキレるどころか誠実な返しができるなんて尊敬しかねえよ」
「いえいえ、高橋さんこそあれだけの人数に取り囲まれても臆せず堂々と意見できるなんて素晴らしかったです。単に気が強いのとは違って、本当にカッコ良かった」
「俺、清水と出会えてマジ良かった」
「それは俺のセリフです、高橋さん」
ふたりして気持ち悪いくらい褒め合ってるけど、一体どんな目にあったのかしら。想像してたよりも壮絶そうだわ。
でも、結果オーライなのかもしれないわ。清水くんと高橋ってどこかギスギスした雰囲気があったけど、肩を抱き合いながら旧友のように会社に入って行くふたりの後ろ姿はとても微笑ましい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます