第16話 別れ

「キヨミズですって言ったらさー」

「名前まで天然だねって言われたんだろ。もー、お前この話何回目だと思ってんだよ! 酒飲んだら記憶なくすにもほどがあるわ! 酔っ払うたびに同じ話しやがって」

「え? そう?」


 俺そんな酔ってるつもりねーけど。

 そんなに水城さんの話してんのかな、俺。


「カルーアミルクください」

 奏がもう5杯目くらいのカルーアミルクを注文している。

 珍しいな、奏がカルーアミルクこんなに飲むなんて。俺は一番好きだけど、奏はあまり好きじゃない。カクテルならモスコミュールが一番好きだ。


 奏と高校時代の同級生3人と5人で久々に飲みに来ている。みんな社会人になってからと言うもの、集まる頻度はグッと減った。


「奏、そんなに飲んで大丈夫なの?」

 聞いたのは佳乃なのに、うつむいていた奏が俺の顔を見る。本当に大丈夫かよ、目ぇ座ってんじゃねえのか。


「柊、その水城さんが好きなんでしょ」

「えっ……」

 びっくりした……何を決めつけてんだよ、マジで。

「んなことねえよ」

「じゃあなんで、ミズキだかミズシロだか分からないくらい話す機会もなかったのにずっと心の中でミズシロさんって呼んでたの? その人のことが気になってなきゃそんなことないよ」


 奏が見たことないくらい無表情な顔をしてる。いつもは表情豊かで感情が分かりやすい奏なのに。

 なんでって言われても……俺にも分からない。ただ、入社当時からずっと、水城さんを見かけたら目で追って、心の中でミズシロさんだって思ってただけだ。ただ、それだけだ。何か特別な感情を持って見てた訳じゃない。


 でも……水城さんが気になってる自覚はあった。

 けどそれは、あんなに小学生に簡単に流されてしまうような人だから、実際他にも流されてんじゃねーかって心配になるって言うか。


 ああいう人がホストにハマって借金作って水商売に走ってそれでも足りなくなって風俗にジョブチェンジして詐欺に引っかかってテレビの特番で顔にモザイクかけられて声変えられて

「こんなことになるだなんて、あの時は思いもしなかったんですー」

 って被害者なのにどこか呑気に語るんだ、と思えて気になるだけだ。


「もう、ずっと前から分かってた……柊、別れよう」

 きっぱりと奏にそう言われて、頭が真っ白になった。

 すごい衝撃だ。

 奏と別れる……別れる?!


 奏と別れるなんて考えられない。まるで実感が湧かない。もう、奏が彼女であることが俺の中で当たり前だったんだ。

 気になる人ができたと告げるなんて選択肢が思いつきもしないくらいに。


 経験したことないような衝撃だったのに、嫌だ別れたくない、って言葉はとっさに出て来ない。


 何も言えない俺を見て、黙って奏が席を立った。他の3人も、俺を一瞥イチベツして奏に続く。


 あー……俺、なんで何も言えなかったんだろ……。

 別れようって言われて否定しないなんて、こんなに長く付き合ってたのに奏を傷つけたんじゃねえかな……。


 奏が注文してたカルーアミルクが運ばれて来る。とりあえず、飲む。甘くて、濃くて、美味い。


 俺は何をしてたんだろう。

 高校を卒業して、同級生はみんな大学に進学したから就職したのは俺だけだった。大学生と社会人の生活の違いも、チリが積もるように堆積タイセキしていった。


 奏たちも就職してからは、高卒と一流大卒の就職先の規模の違いに話が合わなくなっていった。

 高校時代は、お互いに良い刺激になって進学校と言われる高校でみんな成績上位にいられた。

 みんなが横並びだった高校時代と違って、少しずつ溝が広がっていっていたのかもしれない。


 それでも、気になる人ができた、なんて理由で別れる気になんてならなかった。奏のことだって好きだったからだ。そんな理由で別れるには、奏は俺の深い所に居すぎた。

 ただ、水城さんに俺の名前が清水だって覚えて欲しかっただけだ。


 奏と別れることなんてできないから、水城さんと仲良くなろうともしなかった。

 同期の尾崎がどんどん水城さんと仲良くなってプライベートでも遊ぶようになっても、片橋や尾崎とは飲むことがあっても水城さんが来るなら俺は理由を付けて断って水城さんとの距離は保った。


 俺なりに、誠意を持って奏と付き合って来たつもりだ。


 ……でも……もう何年も、俺は奏を縛るだけになっていたのかもしれない。

 言いにくい「別れよう」を、奏に言わせただけなのかもしれない。


 自覚しないといけないのかもな。

 俺は、自分の気持ちを中途半端にごまかして、余計に奏を傷つけたんだ――

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