第15話 流される人

 疲れた……。

 毎日毎日得意先を訪問して知らない人と会っている。初めは長かった机上講習が終わっていよいよだって楽しみでもあったけど、気を遣いまくって疲れてきた。

 今日はもうアポ取ってないから、会社に戻って業務レポートをメールして訪問先レポートを書いてメールするだけだ。だけだって言いながら溜めちゃってるから今日も残業だわな。

 もう残業なんて当たり前になっている。


 高橋さんとふたりで電車に乗り込む。車両の端っこの優先座席の前に広く開けられているスペースの端っこに立っている。

 電車が停車すると、遠足帰りらしい小学生の集団が乗って来た。お、ちびっ子かわいい。

 高橋さんは子供嫌いなのかチラッと見るとスマホに目を戻す。

 先輩の前でずっとスマホ見てるのも失礼な気がするから、俺はちびっ子たちでも見てるか。


 次に停まった駅で、知った顔が乗り込んできた。水城さんだ!

 フワッとした白いブラウスには、小さなフリルの付いたえりの下から細い皮のリボンが結ばれている。リボンと同じような茶色のスカートにも15センチはあろうかという太めのウエスト部分にリボンが編み込まれいる。

 水城さんって見るたびに印象の違う服を着てるよなあ。ファッション好きなのかな。今日みたいな服が水城さんの雰囲気にも合ってて俺は好きだな。


「あ、水城だ。銀行回りかな。小さい会社だからさ、総務っつっても経理もやってんだよね。あいつに振込とかちゃんとできてんのかね」

 高橋さんも気付いて水城さんの方に行こうとしたように見えたが、ちびっ子たちに阻まれて身動きが取れない。はーい、残念でしたー。

 水城さんはドア付近で微笑ましそうに小学生たちを見ている。


「俺は水城と同期だから分かるんだけどさー、あいつがひとり暮らしできてんのは俺のおかげだよ。ひとりじゃ何もできないようなヤツでさー」

 俺の父親みたいなことを言うな。通りで高橋さんのことを好きになれないはずだ。


 ひとり暮らしなんだ、水城さん。大丈夫なのかな。ちゃんと忘れずに家賃とか払ってんのかな。滞納してても気付きもしなさそうだ。


 高橋さんがスマホをしまって水城さんを見ている。

 ……高橋さんって、完全に水城さんのことが好きだよな。

 小学生が好きな女子にするレベルの嫌がらせをいつもしている。水城さん以外にはヘコヘコペコペコしてるくせに。ダッセー。

 こんなダッセーヤツに狙われてるなんて……ムカつく。


 あ、いかん。俺たぶん今、社会人にあるまじき顔になってたわ。せっかくここまで順調にやってこられてるのに。

 高橋さんが水城さんを見てて良かった。


 会社のひとつ手前の駅に差し掛かろうという時に、高橋さんのスマホに着信が来たようだ。後ろを向いて、小声で対応しだした。

 高橋さんの代わりにじゃないけど水城さんを見ると、停車した電車から降りていく小学生たちのリュックに押し流されて水城さんまでオロオロした顔で体がホームに出て行ってしまった。


 あらら。すぐに乗って来るだろうと思いつつすっかり空いたドアの方へと歩くと、結構な距離小学生に流されて行っている。

 え?! このまま階段下りちゃいそうな勢いなんだけど。どれだけ流されるんだよ、水城さん。


 いや別に、ここで流されても次の電車で会社に戻ってもいいのかもしれないけど、なんか見過ごせなかった。

「水城さん!」

 俺の声が聞こえたようで、顔を上げるとやっとリュックにあらがってこちらへと向かって来る。


「ドアが閉まります。ご注意ください」

 アナウンスが聞こえて、閉められないように半身をホームに出して、水城さんへと手を伸ばす。

 俺の手を取った水城さんの手を握り、力を入れて引っ張った。飛び乗るように水城さんが車内に戻る。


 直後、ピ――とけたたましい音と共にドアが閉まった。

 うわ……何このドラマティック感。ドキドキしてくる。

 実際には、単に小学生の波に流されていった会社の先輩を電車の中に連れ戻しただけなんだけど。


「あ……大丈夫ですか? 手、痛くないですか?」

 はあ、と息をついた水城さんに尋ねる。水城さんに「お疲れ様です」以外でしゃべったの、いつぶりだろ。

 電話に出てくれたことはあったけど、もしかしたら入社式以来の可能性あるな。


「ありがとうございます、シミズくん」

 水城さんが俺の顔を見て笑った。


「大丈夫かよ、お前。小学生に押し負けるとかへなちょこ過ぎるだろー」

 電話を終えたらしい高橋さんがやって来てまた水城さんにくだらないちょっかいをかけている。


 水城さん、俺の名前覚えてくれてたんだ。読み方は間違ってるけど。

 なんか、すっげーうれしい。

 俺の名前はキヨミズだって覚えてほしいって思ってたけど、清水って漢字だとは覚えてくれてたんだ。

 入社以来、ずっとまともにしゃべることもなく、現場では俺がいることに気付いてもなさそうだった。

 名前なんか、アピールする機会なんてまるでなかったのに……。


 俺の名前がシミズではなく、キヨミズだって伝えられたのはそれから3年も経ってからだった。

 シミズでもいいかなって思ったから。キヨミズでもシミズでも、水城さんが清水だと覚えてくれていたのがうれしかったから。

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