ミズキさんに覚えてほしい
第10話 天然総務ミズシロさん
「
「キヨミズ? キヨミズ……ないなあ。あれ?」
「あ、ちょっといいですか? これです、これ」
「ああ! 清水ね! シミズだと思い込んじゃってたよ、この漢字。あはは!」
「あはは」
「あっちの事務棟って書いてる方に入ったら総務の人がいるから、その人について行って」
「あれですね。分かりました。ありがとうございます」
いきなり守衛さんか……結構年配の守衛さんだったよなあ。このやりとりをあと何回くり返したら俺の名前がキヨミズだって覚えてくれるんだろーか。
柊の字もあんまりシュウだって知られてないみたいなんだよなあ。特に年配の方。トウ? って聞かれたことあるからね。それ冬だろってゆーね。木偏見えてないの? ってゆーね。
事務棟って……どこにも書いてない気がするけど、これを指差してたよな、あの守衛さん。
目の前の4階建てくらいの古びた建物を見上げる。駐車場をはさんで、向こう側には平屋っぽい低くて大きな建物が広がっている。
1段が高い3段の階段を上り、解放されている2枚扉のドアの間に立つ。
会社だけど、玄関と言っていいんだろうか。玄関の奥1メートルくらい向こうに10センチほどの段差がある。
そこで、こちらに背を向けてしゃがみ込み、箱からスリッパを出しては並べているスーツ姿の女性がいる。髪が肩につくかつかないかくらいの長さの女性だ。
俺は漆黒くらい黒い地毛で、この人は茶色っぽいけど今日は天気も良いしさんさんと日が差してるから地毛っぽいな。
なるほど、ここでスリッパに履き替える訳か。
この隙間なくピッチリとスリッパを並べている人が総務の人なのかな。総務って聞いたことないけど、何なんだろ。事務みたいなもんなんかな。
総務の人は何やら熱心にスリッパを並べているので、邪魔するのも悪い気がする。
見回してもまだ他の新入社員は誰ひとりいないくらい早くに着いた。急かす理由もないから並べ終わるのを待とう。あれだけ並べてるんだから間もなく終わるだろう。
なんとなく総務の人の後ろ姿を眺めていたら、スリッパを並べる手が唐突に止まった。
え? どうかした?
なんとなくから、凝視に変わる。
総務の人はしゃがみ込みうつむいてスリッパを見つめ微動だにしない。本当にどうしたんだろうか。体調でも悪いのかな?
大丈夫ですかって声かけた方がいいのかな……迷っていたら、ハッと顔を上げ、スリッパを箱に戻しだした。
あ、動いた。
さっきの突然の完全オフは何だったんだろうか。
総務の人はスリッパをすべて箱に戻すと、今度は2つ取り出して並べ、また2つ出すと少し空間を開けて並べた。
ああ、さっきのスリッパの羅列、何か違和感があるなと思ったら組になってなかったからだ。少しの隙間もなくキレイに並べてたもんな。
いやいや、それにしたって全部箱に戻す必要なくね? 端からずらして組にしていけば良くね?
ズラリと今度は組になったスリッパが並んだころ、また総務の人の動きがピタリと止まった。
また?! 今度は何だよ!
またハッと顔を上げると、右手に持っていた紙を確認しているようだ。
再放送のようにまたスリッパをすべて箱に戻していく。
なあ、今度こそその作業必要なんだろうな。だったら、実はスリッパいらなくて土足でOKとかかな?
と思ったら、やはりスリッパは必要なようでまた箱から2つ取り出し、中央に並べて置いて、また2つ取り出し、さっきよりも広く間を開けて左側に並べる。そしてまた2つ取り出し間を開けて右側にも並べて置くと、「よし!」と小声で言って立ち上がった。
3組で良かったのかよ! なんであんなにたくさんスリッパ並べてたんだ!
思わず笑ってしまいそうになった。
すっげー、たぶんってか絶対、この人天然だな。
こんな天然な人初めて見た。うちの高校は変り者も多かったけど、そういや天然って天然はいなかったな。
やっと人の気配に気付いたのか、総務の人が驚いたようにパッとこちらを振り返った。
俺と目が合うとおだやかに笑って、
「あ、新入社員の方ですか?」
とおっとりと言った。
「はい」
「はい」
「はい」
俺の返事に続いて声がしたので驚いて振り返ると、スーツ姿の男と女がいた。
「あはは! 超早い再放送!」
女の方が俺を指差して笑っている。
「再放送?」
「あの人とまったく同じ動きしたからー」
と、俺を差していた指を総務の人に向ける。
つられて正面を向いている総務の人を見ると、胸に「水城」と書かれた名札を付けているのが目に入った。
ミズシロさんか……。
いつの間にか、他の新入社員も来てたことにも気付かないくらい集中して見ちゃってたらしい。
やることが俺の予想をことごとく超えて上回ってくる。おもしろい人だな、
「じゃあ、このスリッパに履き替えてついてきてもらえますか?」
「靴はここでいいんですか?」
「靴? そうですね、スリッパに履き替えたら靴が余りますね。そこに置いててもらっていいと思います」
余りますねって。余るって言うのか、それ。
スリッパに足を入れると、さっきの一生懸命に無駄にスリッパを並べ続けていた水城さんが思い出されて、また笑ってしまいそうになった。
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