第9話 普通のOLの価値

 リアちゃんと呼ばれた若くてめちゃくちゃかわいい女の子は、ここから見て右側3番目の部屋に入って行った。


「無理です! 私あんなかわいい子のいる店でなんて働ける気がしない。私はせいぜい60代のママと40代30代もいる店でしか働けないです」

「逆にそれ、どんな店?」

 キャバクラの面接すら行く勇気がなくてがんばってスナックだった私が、日本有数の歓楽街のあんなかわいい子がいる店内に立っているなんて、場違い過ぎて恥ずかしくなってきた。

 スカウトなんて言われて喜んじゃったのかしら。今はもう、一刻も早くこの店を出たい!


「お客さんみんながリアちゃんみたいな子が好きな訳じゃないよ。シュウちゃんみたいなごく普通の女の子も人気だよ」

「ごく普通の女の子にこんなに高いお金払うなんて、絶対嫌じゃないですか」

「普通の女の子とイチャイチャできないお客さんにとっては、リアちゃんみたいないかにもな子よりもシュウちゃんみたいな普通っぽい子がウケるんだよ」


 何それ?

 普通の女の子とすらイチャイチャできないんならなおさら、こんなに高いお金払うんだからリアちゃんみたいな子の方が絶対にいいに決まってる。

 私だって、ケイ様がクラスに10人はいるような顔してたら高いお金出してお店に通ったりしていないもの。


 この店、人手不足なのかしら。それで適当なことを言って私を入店させようとしてるのかしら。やっぱり大きな歓楽街は怖いわ。やっぱり私は自宅近くの場末のスナックくらいがちょうどいい。


「お世話になりました! ありがとうございました!」

「あ! 待ってシュウちゃん!」

 パーカーの人が止めてるけど、無視してブンッと勢い良くお辞儀をする。1万2000円の礼は尽くした。出よう!


「お疲れ様でーす」

 自動ドアの方に体を向けた所で、個室が並ぶ方とは反対側から身長も高くガタイのいい体の大きな金髪の短髪の男性が歩いて来た。

 私を見ると、あれ? とつぶやいた。

「ああ、この子? 健太ケンタがスカウトした子」

「そうそう」

「へー、この子がねえ」

 ニコニコしながらジロジロと私を見る。


「俺、中條ナカジョウ ジュンです。よろしくねー、シュウちゃん」

 ガタイはいいけどとてもフレンドリーな人のようだわ。笑顔で握手を求め右手を出してくる。

 一瞬、条件反射で手を出しかけたけど、私よろしくしないから握手はできない。

 えーと、どうしよう、よろしくしません、は変だし、辞めます、でもないし、なんて言えば……あ! 入店だ。入店しませんだ。


 やっと正解にたどり着いたのに遅かったらしく、

「どうかしたの?」

 と中條さんが健太という名前だったらしいパーカーの人に尋ねている。


「できそうって言ってたんだけどさー、ちょうどリアが出勤してきちゃって」

「ああ、なるほどねー」

 困り顔の健太さんに対して、中條さんは軽く答えると私の方を向いて何か言いかけた。


「あ、お客さん上がって来てるからシュウちゃんバック行って」

「バック?」

 どこに行けばいいのかまったく分からない。

「こっちこっち」

 と、中條さんがカウンターに入ると壁の中に消えた。

 え?! イリュージョン?!

 驚いて私もカウンターに入り壁をのぞくと、壁に見えたのは衝立のようなもので更に奥に同じ白い本物の壁があった。


 壁と衝立の間にせまいスペースができている。

 たしかにせまいけど、人ふたりくらいゆうに立てるのに中條さんは密着して私の背中に手をやりもう片手をシー、と口元で人差し指を立てている。

 距離感のおかしな人だな。


「いらっしゃいませ、堀さん。リアちゃんご指名ありがとうございます」

 健太さんの声が聞こえる。

 スナックでは、女の子とお客さんの会話しか繰り広げられないから、女の子のいない所でのお客さんのリアルな声って興味深い。

 フロントの方に意識を集中していたら、唇に温かい柔らかい感触があった。


 驚いて横目でフロントの方を見ていた目を正面に向けると、目を閉じてる中條さんの顔があった。

 びっくりして放心状態になってしまう。

 唇を離すと、中條さんが笑って

「健太、講習でキスした?」

 と聞いてきた。

「……してないです……」

「した方がいいよ。お客さん興奮させた方が早く終わるから楽だよ」

「え……はい」


 お客さんにキスなんて、しなかったなあ。教わったことをこなすだけでいっぱいいっぱいなんだもの。

 ていうか、キスした方がいいよ、なんて本当にしなくても口頭で十分じゃない?

 講習にしたって、実技で教える必要あるのかしら? 口頭で良くない?


「シュウちゃん、OLさん?」

「あ、はい」

 今日は二階堂さんの壮行会があったから、普段より綺麗めを意識したOLファッションだ。普段はぺったんこの靴が多いけど、今日はヒールだし。

「じゃあ、平日の出勤は厳しいかな。まあ、土日だけでも全然OKだから」

「え……私……」

 あ、そうか。ここで働かないって言ったのは中條さんが来る前だわ。


「私、あんなかわいい子がいる店で働けません。リアちゃんみたいな子の後に私なんかが出てきたら100%クレームだし、怖い」

「そんなに心配しなくても、リアは予約で即埋まるからフリーの客につくことなんかないよ。もしリアの客につくことがあったら、リアが気に入らなかったってことだし」

 え……あのリアちゃんが気に入らないお客さんなんているのかしら? 健太さんも言ってたけど、普通の子がいいお客さんが本当にいるのかしら?


「風俗初めてなんでしょ? うちみたいな高い店の方が安心だよ。安い店は客層が悪いし若い客も多いから度を越した要求をしてくる客も多いよ。うちはうちのルールを守れないなら来てもらわなくて結構って強気でやってるから、天神森イチ女の子を守れる店だと思ってるよ」

 守れる……優しい笑顔でそう言われると、この店ならやってもいいのかしらと思えてくる。


「うち今大学生に偏ってるから、社会人貴重なんだよね」

「え? こんな普通のOLでも?」

「こんな普通のOLだからこそ。何か事情があって風俗やりたいんでしょ? 思い切ってやってみたらいいじゃん」

 普通のOLだからこそ……そうだ、バイトしなくちゃ生活できないんだった。こちらが選り好みしてる場合じゃなかったわ。


 私は、健太さん中條さんの言葉を信じて入店を決めた。




 翌日。

 眠い。超眠い。平日に深夜まで風俗なんて働くものじゃない。


 ギュッと目をつぶってパッと開いてみても、コーヒーを飲んでみても、手の甲をひねってみても、どうあらがっても信じられないほどのパワー全開で超大きな睡魔が襲ってくる。


 ダメだ、これ、一度寝た方が後の仕事のパフォーマンスが上がるな。

 諦めて立ち上がり、総務の部屋を出てヨロヨロ歩いてトイレに入る。

 フタを下ろしたまま座り、スマホを出して10分タイマーをかける。


 これで、よし。

 10分だけでも寝たら、きっとスッキリ仕事再開できるだろう。

 ああ、気兼ねなく目を閉じれる閉鎖空間なのにこれはこれでなぜか入眠できない。

 でも、この眠いだけの今よりは確実にマシになるだろう。


 10分だけ、寝よう――……

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