第2話 無双

 だから何だってんだ?

 ひょっとしたら、俺に槍を投げつけたのは戦士側かもしれないんだぞ。

 自分の命を奪おうとした奴を救う? 有り得ないね。

 どっちかが全滅するまで待つ。残った方が俺を攻撃してくるなら、仕留める。そうじゃないなら様子見だ。

 

 ドクン。

 握りしめた手から伝わる今井と梓の鼓動が頭をよぎる。


「そうじゃないだろう! 俺!」


 また「見捨てる」のか? 知らない人間だから構わない?

 あの時こぼれ落ちた命とここで消えようとする命。

 また見捨てるのか?

 また、また、また!


「嫌だ! 偽善だと分かってる。逃げた俺が別の命を救ったところで。だけど、だけどな!」


 既に傷口は完全に塞がっていた。

 破れ血に染まった服が無ければ、俺が先ほどまで大怪我を負っていたなど誰も分からないほど。

 

<見る>

 

 こいつは僥倖。怪物どもは人間と同じような生物らしい。

 呼吸をして肺に酸素を取り入れ、血が巡り、動く。

 ならば何の問題もないさ。

 「生きているぞ俺は」と示して攻撃してこようとする奴が敵だ。シンプルだろ?

 

「俺に槍を投げたのはどいつだ?」

「隠者様!」

 

 女の子の悲鳴が俺の声に重なる。

 ヒュンヒュンヒュン――。

 答えの代わりに小柄な緑の怪物が手斧らしきものを投げつけてきた。

 回転し一直線に俺の頭に向かってくる手斧が、あと一メートルというところで停止し地面に落ちる。

 弾丸ならともかく視認できる飛び道具を止めることなど赤子の手を捻るがごとし。

 

「お前か? 俺を殺す気で投げてきた。ならばこちらも遠慮しないぞ!」


 どんな世界なのかなんて分からない。生きるか死ぬかの戦いなんて人生で初めてだ。

 怖くないか? と聞かれれば、怖くて怖くて仕方ないと即答する。

 だけど、俺がやらねば、残りの戦士たちが倒れ、全滅するだろう。

 見捨てない。今度こそは。

 だから、怖さなどドブに投げ捨てろ!

 

『ナマイキなニンゲンめ』


 牛頭がブンと斧を振るう。三メートル以上の距離があるってのに俺の髪の毛が揺れた。

 この怪力……こいつが槍を投擲をしたに違いない。


「狼を頼めるか。残りは――俺がやる」

「貴殿に乗ろう!」


 全身鎧が対峙する小柄な緑の怪物から離れ、狼に向かう。

  

 いい配置だ。

 左右に小柄な緑、中央に牛頭である。

 俺と三体を遮るものは何もない。

 先ほど投擲を無効化されたからか、小柄な怪物らはショートソードを構えじりじりとにじり寄ってくる。

 牛頭もまた上段に斧を構え膝を落とした。

 こいつらの能力を俺は知らない。だが、あいつらも俺の能力を知らないんだ。

 

 ブンと自分の体がブレる。

 動いた俺に対し、小柄な怪物二体が足を踏み出した。

 

「残念、後ろだ」

 

 一瞬にして、牛頭の真後ろに転移する。これはいくつかある俺の「能力」の一つ。

 奴の巨体の肩をポンと叩いてやろうと思ったが、高すぎて届かないので強靭な太ももに手を当てる。

 完全に不意を打たれた牛頭は何が起こったのか分かってない様子だった。

 

 もう遅い。「捉え」た。

 こいつの神経、血管の一つ一つまで。

 手を触れたのと反対側の手を握りしめる。

 

『ぐぼ……』


 口から血を吹いた牛頭が前のめりに倒れ、絶命した。

 ピクピクと指先が僅かに震えているが、すぐにそれも止まる。

 

 奴が倒れ込んだ音でこちらに気が付いた緑の怪物二体だったが、こんどは右の怪物の後ろに回り頭の上に手を乗せた。

 同じように口から血を吐き、物言わぬ死体になる緑の怪物。


『キイイイ!』


 奇声をあげて逃げ出そうとするがもう遅い。

 コテンとすっころんだ怪物の前に転移し背中に手を当て、こいつも仕留めた。

 

「すまん! 一匹逃した!」


 この声は全身鎧か。

 逃がしたって言うから狼が

 逃げ出したのかと思いきや、そうじゃなかった。

 主人を殺されて怒り心頭なのか、大きく口をあけ俺に噛みつこうとしてきているじゃないか。

 

 転移して躱す?

 いや、ここは。敢えて、受けてやる!

 圧倒的に戦闘経験の足りない俺にとって痛みは必要なことなのだ。

 

 左腕を前に出し、右腕で喉元を守る。

 狼は俺の左腕に噛みつき、間もなくひっくり返って地面に転がり動かなくなった。

 

「ぐ……」


 槍に突き刺さった時より遥かに痛い!

 一撃で致命傷になることはないと踏んで噛みつかせてみたが、覚悟していても痛みで身が竦む。

 こ、こいつは慣れるまで相当な訓練が必要かも……むしろ、傷を受けたら最優先で痛みを遮断したほうがいいか。

 ハッキリとした歯型が残り、右腕からはとめどなく血が溢れ出している。

 

「隠者様。手傷を」

「賢者殿、私が逃してしまったばかりに、申し訳ない!」

「俺のことより、敵は?」


 全身鎧が首を左右に振った。

 そうか、狼二匹は仕留めてくれたんだな。もう少し戦闘に慣れてくれば、周囲の状況を探りつつ立ち回ることだってできるようになるかも……いや、なるんだ。

 一方、ローブ姿の女の子の方は血が付着するのも構わず傷に触れぬよう俺の右腕へ指先を添える。


「治療いたします」

「え? 『他人』の傷を?」

「はい。まだ成りたてですが、これでも一応聖女の端くれですので……」


 恐縮したように頭をさげる彼女の顔はローブのフードで隠されたままで見えない。

 聖女? 職業が聖女ってことだよな? それが傷の治療をできる?

 どうやら、俺の力とは違う能力を彼女は持っているらしい。俺の治療は自己修復のみ。転移だってそうだ。

 彼女のように自分以外にも能力を行使出来ていれば……。

 心の中で大きく首を振り、気持ちを落ち着ける。彼らとの会話に集中しろ! 俺。

 そういえば、彼女だけでなく、全身鎧の方も剣が炎に包まれてとなっていたな。

 

「賢者殿。レティシアの聖魔法ならば、そのくらいの傷、瞬きする間に癒える」

「……お願いします」


 全身鎧から飛び出た「魔法」という言葉に思わず聞き返しそうになったが、ぐっと飲み込む。

 この行為で落ち着きを取り戻した俺は、戦闘時の乱暴な言葉遣いから初対面の人へ向ける丁寧な言葉遣いに改め、頭を下げた。

 それにしても、魔法。魔法か! 痛みは遮断済み、このまま自己治療をしようと思ったが、聖女とやらの力を見せてもらおう。

 しゃがむように促され、腕をレティシアと呼ばれた女の子の方へ向ける。

 両膝を地につけた彼女は両手を胸の前で組み目を瞑った。

 

「この者の傷を癒し給え。エクストラヒール」


 呪文、呪文だよなこれ! 俺もやったよ、思い出したくもない中学三年生の夏。受験勉強に励んでいた俺は日頃のストレスからか、とんでもない黒歴史を作り上げてしまったんだ。黒一色の表紙のノートを買ってきて、長い長い恥ずかしい呪文を書き綴り、ロウソクを一本立てて念仏のように唱えた。思い出すだけで我ながら怖気が走る。

 もちろん、何も起こるわけがない。

 しかし、彼女の呪文は遊びじゃあなかった。

 腕の傷がオレンジ色の光に包まれ、みるみるうちに癒えていく。まるで傷をつけられる前まで巻き戻ったのかのように。

 まさか本物の魔法に巡り合えるとは。くそったれな出来事ばっかりだったけど、この時ばかりは感動で胸が熱くなる。

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