いつか叶えたかった夢

 病室で眠る一人の少年、彼の手を握り、少女は泣いていた。


「ごめん、ごめんね……冬樹くん」


 何時間も何日も、寝ずに冬樹を見守る灯を心配し、雨水は灯の側に行き、


「そろそろ休んだらどうだ。彼が起きた時、君がそんな状態では彼が心配する」


「今私にできることは一緒に不安になることじゃない。いつか必ずその不安にぶつかる時は来る。だから、その時が来ても楽しい時間を溢れるくらい与えたい。だから笑顔で彼を待つことが、きっと正しいことなんです。

 ……でも、私にはそんなことはできない。だって私は弱いから。だから私は彼の帰りを笑顔で待つなんて、やっぱりできない……」


 嘘でも笑顔を作ろうとした灯だったが、涙が止まらず、悲しみを隠すことはできなかった。

 それほどまでに彼は彼女の支えであった。


 彼が灯にとっての希望となったのは"一年前"のこと。

 入院し、彼女は全てに絶望をしていた。負っている病はもう治らないと告げられてから、彼女にとっての毎日は絶望でしかなかった。

 そんなある日だ、窓の外を見ていると、一人の少年が猫とともに楽しそうに走っている姿が見えた。その日はなんでもないこととして見ていたが、それから毎日毎日、少年は猫とともに走っていた。

 それを見て彼女は思った。


「私も君のようになりたいな」


 それからというもの、彼女は毎日のように病院から抜け出そうとしていた。

 そしてある日、彼女は彼に出会った。


「あの日は驚かせちゃったよね。でも私はあの日、君に会えて嬉しかったよ。きっと君に会えていなかったら……」


 その時、灯は車椅子から転げ落ちて倒れた。

 倒れる彼女のもとへ、すぐさま雨水は駆け寄った。灯は激しく呼吸をしている。体温は高くなり、汗がたくさん出ている。


「灯さん、灯さん、灯さん、灯ーー」



 来崎灯は病に倒れた。

 灯と冬樹が倒れ、夜崎は泣きわめいた。


「どうして……どうしてだよ。どうして皆、私の側からいなくなってしまう……。いなくならないでよ」


 夜崎は苦しんでいた。

 大切な人が二人も失った。今彼女の側には誰もいない。孤独だった。


「宵、あんたをまた一人にさせた。ごめんね」


 雨水もまた、泣いた。

 人知れず、その涙を誰にも見られぬようにと。




 その時、一人の少年は目を開けた。

 体のあちこちに付けられている医療器具を無理矢理外し、裸足でベッドの上から下りた。


「灯、夜崎……俺は…………」


 壁に寄りかかりながら、灯が入院していたあの部屋に向かった。その部屋の前には雨水が扉に寄りかかり、泣いていた。


「雨水さん、二人に会わせてください」


「どうして……冬樹!?」


「深い夢の中で思い出した。まだ死ねないと。やり残したことがあるから。だから雨水さん、会わせてください」


「それではお前が死んでしまう」


「構わない。それでも俺は、あいつらに伝えないといけないことがある。これだけは伝えないといけない。そのために俺は、地獄の底から這い上がってきた」


 冬樹は真っ直ぐで鋭い視線を雨水に送っていた。

 彼が向き合おうとしていることを知り、雨水は病室の扉を開けた。


「全部伝えてこい。もう、遅いかもしれないが……」


「遅い?」


 病室の中に入り、冬樹は驚いた。

 ベッドに無数の医療器具をつけられ、今にも死にそうな表情で灯は倒れている。


 病室に姿を現した冬樹を見て、夜崎は少しは驚きはしたものの、悲しみが勝ち、涙を流してしゃがみこんだまま。


「冬樹……なんで来たの……」


「俺はあの時逃げた。向き合うのが怖かったから。だけどもう逃げない。今度こそは逃げない。これは、俺の、男としての意地だから」


「そう……でももう良いよ。そんなこと」


「夜崎、俺はお前も灯も大好きだ」


「それが、君の答えなんだね」


「ああ……」


「夜崎、俺は今までずっと側にいてくれてありがとうな。お前がいなかったら、俺はきっと一人だった。それでもお前は側に居続けてくれた。本当にありがとう」


「うん」


 夜崎の心には、悲しみの雨を溶かす喜びが太陽のように現れた。


「私は良いよ。それより今は、灯を……。二人きりで話してよ。私は外に出てるから」


 夜崎は涙を隠すように病室を後にする。

 病室の外で泣く彼女を支えるように、雨水は彼女の側に寄り添った。


 病室で二人きりになり、冬樹は灯の顔を見た。

 苦しそうであり、寂しそうにしていた。冬樹によって手を握られると、灯の表情には笑みが見えた。

 徐々に、灯の目は開いた。


「あれ……起きたんだね」


 苦しそうにしながら、彼女は笑顔で言った。その笑顔はいつもよりもぎこちなかった。


「灯、俺はもっと灯のことを知りたかった」


「私なんかのことを。関わりなんて、一日や二日だけでしょ」


「分からなくても分かりたい、知りたい、もっと君を知りたい。分からないままで終わらせたくない。だって、せっかく出会えたんだから」


「私も君をもっと知りたい」


「俺は猫が好きだ。犬も馬も、動物は全部大好きだ」


「私も猫は好きだよ。犬も馬も、鳥も魚も」


「どうせなら釣りにでも行きたかったな」


「乗馬とかでハプニングがありながらも、なんて楽しそうじゃない」


「うん。動物園に行ったらもっとたくさん面白いことができるからさ。だから動物園に行きたかった。行きたかった……」


 二人は泣きながらも、未来について話し合っていた。


「そしてそれから結婚式をあげよう。灯と」


「楽しそうだね。ウエディングケーキはどれくらい大きいんだろうね。生で見てみたいよね」


「ああ。だから見に行こう。それまで……」


「君が好きだよ。私にとっての灯は君なんだ。だから私は君が好きだよ。だからさ、私のことを忘れないでね……」


 最後、そうして彼女は息を引き取った。

 笑みを浮かべ、幸せそうに彼女は永遠の眠りについた。


 灯の手を握ったまま、冬樹は泣いた。幸せそうに眠る彼女の横で、灯は泣いた。

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