92.『欠落した目的』


 確かに、急がなければならない理由があった。

 間違いなく、俺が走る意味があった。


 だというのに、何も、思い出せない。


 まるで記憶に霧がかかったように――という表現であっているのかすら分からないほど、俺の記憶には綺麗な穴が空いている。


 ――まぁいいか。

 忘れるってことは、大したことでもないのだろう。

 とりあえずルリとタマユラのところに帰って――いや、っていうか、


「……ここ、どこだ?」


 目の前に広がっている景色は、村だ。

 村と呼ぶには廃れすぎている気もするし、かと思えば綺麗に整えられている庭もあったり、なんともチグハグな光景が、俺の前にはあった。


「――っ、頭いて」


 いくら記憶になくても、ここまで俺を運んできたのは他ならぬ俺の足だろう。なら、記憶がないのはおかしい。

 なんとか思い出そうとすると、ズキンと頭の奥が痛む。

 まるで、この脳みその使い方は想定されていないと拒絶されているかのようだ。


「あ、ヒスイ。探しましたよ」


 声に振り向けば、そこにあったのは端正な容貌の美少女――というには少しだけお姉さん属性が強すぎるが、見た目だけでいえば美少女、誰あろうタマユラである。


 ちょうどタマユラのことを探していたところだったのだが、彼女もまた俺の事を探していたらしい。

 俺を見つけたタマユラはほっと胸を撫で下ろす様子を見せ、安堵の表情で言葉を続けた。


「すみません、お恥ずかしい話なのですが……」


「うん、どうしたの?」


 タマユラはそう言うと少しだけ表情を崩し、目を伏せる。

 そんな珍しい様子のタマユラを見れば、一体なんの話なのか気になるものだ。

 俺も聞きたいことはあったが、一旦それは後回しにして、タマユラの話に耳を傾けることにする。


 俺が知りたいのはこの村のことと、不自然に消えたように感じる記憶のことだが、大方また俺がヘマをしたのだろう。

 その点、タマユラならば――、


「どうやらここ数日分の記憶が消えているようで。その、ここはどこでしょう?」


 

 事は焦眉の急を要する。

 そう判断するには十分すぎるほど、異常事態だった。


 あるいは俺だけであったなら、間抜けにもその辺ですっ転び頭を強打、その結果記憶が吹き飛んでしまった――とかなんとか、無理やり解釈することもできた。

 

 しかし、同じタイミングで記憶を失くした者がふたりも現れたとすれば、それが外的要因により引き起こされたものであると結論付ける他ない。


 そして、わざわざ俺やタマユラを狙い、あまつさえ実害を及ぼすことの出来る存在――。


「――魔王軍、か?」


 それしかないだろうと、確信するように呟く。

 

 記憶を失くした以上定かではないが、もしかすると俺たちは既にこの場所で交戦したのかもしれない。

 その末に記憶を奪われた――とするなら、今こうして生きていられる理由はわからないが、ともかく。

 

 未曾有の危機が俺たちを襲っていることに、疑いようはなかった。

 S級冒険者ふたりの記憶を容易く消してしまえるほど、強大な存在。

 もし俺たちが、記憶のないうちにそんなのと一戦を交えたのだとしたら――、


「――ルリは?」


「――――」


 今この場にいないもう一人のS級冒険者。

 タマユラと同じく、なによりも大切でかけがえのないもの。

 決して失ってはいけない彼女の行方は、どこだ。

 一気に血の気が引くのを感じながら、俺たちはあてもなく走り出した。



「――ルリ!」


 村中を走り回れば、やけに目立つそれを無視することは困難だった。

 荒廃した村、人の気配すらない廃村にあまりに似つかわしくない立派な馬車が、村の入口付近にこれみよがしに停めてあったのだ。

 

 俺もタマユラも記憶こそないが、俺たちが乗ってきた馬車があったとすればあれだろうということで、飛びかかるように無遠慮に扉を開くと――、


「……あ、おかえり」


「いて、くれたか……」


 広々とした車内の真ん中にちょこんと座るルリの姿を確認し、俺は大きく息を吐いた。


 仲間の死という、最悪の事態は避けられたらしい。

 自身が置かれた状況を把握するよりも先に、ひとまずはホッとする。


 しかし案の定と言うべきか、無念にもと言うべきか、


「やっぱり、ルリにも記憶はないのか……」


「……ごめん」


「ルリだけが謝ることはありません。皆、同じ轍を踏んでしまったようですから……ただそうなると、なぜ私たちは傷のひとつすらなく、こうして生きているのでしょうか」


 当然、タマユラも同じ疑問に行き着く。

 ここまで一方的に記憶に干渉できる力を持ちながら、俺たちを見逃す意図はなんなのか。

 加えて言うと、


「馬車に揺られた記憶はあります。冒険者狩りを撃退した記憶も」


「……関所の人のことも」


「リドートの町も、覚えてる」


「はい。ですが……」


「ここがどこなのか、何が目的でここまできたのか、この馬車は誰に借りたもので、誰の依頼なのか……そもそも依頼だったのかすら、覚えてない」


 3人の欠落した記憶は、ほとんど共通したものだった。


 まとめるならば、まずこの村に入ってからの記憶はない。

 しかし、村に入る何時間前かまではわからないにしろ、その直前の記憶はある。関所を抜け、荒野に向かって馬を走らせた事実は、3人の中に確かにあった。

 

 それから、セドニーシティを出る直前の記憶も、部分的に欠落しているようだ。

 主に俺たちがこの場所に足を運ぶ理由となった何かが、綺麗さっぱり消されていた。

 つまり、


「俺たちがここに来た理由に、不都合があるのか……?」


「……でも、それが何なのかはわからない」


「どうしますか、ヒスイ。手がかりを求めてここに留まるか、一度セドニーに帰還するか」


 タマユラが問うと、ルリも俺に目配せをする。

 一応パーティリーダーである俺に、その判断は委ねられた。


 正直なところ、どちらの選択を取っても懸念はある。

 留まっていても目的を割り出せるとは限らないし、俺たちの記憶を奪った存在と戦闘になる可能性もあるわけで、相応に危険だ。


 しかし、だから帰還すると言っても、そもそもここはどこなのだろうか。

 数日程度で帰れる距離ならばともかく、もし数週間かかるような距離であれば、この周辺で何かあった時に即座に駆けつけることができない。

 

 少なくとも何かの目的があって俺たちはここにやってきたはずなのだから、ここから目を離すことこそが危険なのではなかろうか。


 どちらを取るべきなのか、俺は未だズキズキと痛む頭を回転させながら考えて――、


「――一旦、セドニーに帰ろう。俺たちの事情を知ってる人もいるはずだ」


 一時撤退を決断する。

 恐らくギルドであれば、失った記憶のパーツを教えてくれる誰かがいるはず。

 何も分からないまま闇雲に動くよりも、次なる判断を下すためにひとまず退くことも大事だ。


「わかりました。では……少々力技ですが、【気配感知】で引っかかった方に手当り次第話しかけて、現在地とセドニーまでの経路を聞いてみましょう」


「本当に力技だけど……うん、それがいいね」


 タマユラの提案に乗り、とにかく人を求めて馬車を走らせる。

 あの関所に辿り着くことができれば話は早いのだが、もちろんそこまでの道など誰も覚えていない。

 拭えぬ焦燥感と妙な胸騒ぎを抱えながら、俺たちは揺られていた。

 

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