93.『絶望、絶望』


 結論から言うと、俺たちはアマガサ領の最果てに位置する村にいたらしい。

 人の気配すらない廃村、ここはどんな辺地なのかと思えば、村から数時間馬車を走らせると案外すぐに人影は見つかった。


「あんたら、冒険者だろう? 数日前にここを通りがかったのを見たよ」


 偶然にも、話しかけた人が俺たちのことを認識していたらしく、丁寧に現在地の説明をしてくれた。

 

 ここからセドニーシティに戻るなら、どんなに急いでも1週間と半分はかかる。

 案の定、気軽に行き来できる距離ではないが、今俺達の身に何が起きているのかを確認するためにも、決断を覆すことはしない。

 

 嫌な予感がする。胸騒ぎが止まらない。

 じわじわと顔色が悪くなっていく俺に気づいたのか、ルリとタマユラはその瞳に憂慮の色を浮かべて隣に座った。


「ヒスイ。逸る気持ちもわかりますが、今は心を休めましょう」


「……また膝、貸してあげてもいい」


 顔を上げると、そこにあったのは意志の座ったふたりの戦士の表情だ。

 憂うべきことはありつつも、その重さに押しつぶされることは決してない、強い者の目だ。

 あぁ、どうして彼女たちはこんなにも――強いのだろうか。


「大丈夫だよ。心配かけてごめん」


「いえ。心配は、私がしたくてしていることですから」


「……ん」


 ならば、俺が弱くあることはできない。

 葛藤して、苦しんで、もがいて、そして自分の意思で期待を背負って立つと決めたのだから。


 たとえ胸を張り裂くような痛みの中でも、俺は強く大地を踏みしめねばならない。

 弱いところを隠して、強いところを見せ続けなければならない。

 

 ――いや。ならない、なんてのは誤魔化しだ。

 本当は、俺がそう在りたい。


 そして、タマユラが支えてくれて、ルリがひっぱたいてくれれば、俺はそう在ることができる。

 ほんのちょっと昔の俺が聞いたら腰が抜けるほど、誇らしい仲間に恵まれたものだ。


 本当に、このふたりには感謝が尽きない。

 素直に感謝を伝えるには少しばかり仲が深まりすぎてしまったので、照れくさくて面と向かっては言えないが。


「どうしたしまして」


「あれ!? 顔に出てた!?」


「書いてありました。タマユラいつもありがとう大好きだよ、って」


「いかに俺がわかりやすくても、そこまで赤裸々にぶっちゃけた顔はしてないと思うんだけどな……」


 俺の叫びを聞いたタマユラが、クスクスと控えめに笑みをこぼした。

 その姿を見て、俺の心が大分落ち着いていたことに気づく。

 敵わん。タマユラには敵わん。


「ルリにはギリギリ敵ってると思いたい……」


「……ふ」


「なんで今嘲るように笑ったの?」


 口の端をほんの少し歪めるだけの笑みを向けられ、俺の胸がキュッと締まる。

 いや、でもたしかに冷静に考えてみたら、ここ最近はルリにも甘えっぱなしだったような気もするわけで。

 なるほど、俺が敵う相手はここにはいないらしい。


 そんな自己評価を下し、幾許か平静を取り戻したことに気付いた俺は、それでも頭の中を駆け巡るあれこれから目を背けまいと息を吸った。

 

 充分に頭を巡らせる必要はあるが、焦る必要はない。

 目の前にあるたったひとつの問題に自分の中で答えを出すことなど、1週間以上もあれば難しくはないはずだ。


 そのための足がかり、結論を迎えるための第一歩には――、


「まずは、改めて状況を整理しよう」


 自らの置かれた状況を正しく認識することが、最も重要なことだ。

 俺はルリとタマユラに目線を送ると、ふたりは唇を結んで顎を引く。


「まず、俺たちはギルドからの依頼でここまできたんだよ。それは間違いない」


「……記憶がないなら、断言はできないんじゃ」


「いや、できる。さっきは気が動転してたから忘れてたけど、俺たちはいつもギルドに話を通してから街の外に出てたじゃないか。ただでさえセドニーがあんな状況の中、S級3人を簡単に外には送り出せない事情は俺たちもわかってるし、気まぐれでお出かけなんて考えにくいでしょ?」


 そう、俺たちは実質的にセドニーシティの警衛なのだ。

 誰が言い始めたでもないし、そう打診されたわけでもないが、自然と担った役目である。


 そこにはもちろん、セドニーにバエルを呼んでしまった原因が俺であったことへの後ろめたさと、第二の故郷への愛着も含まれているが。


 ともかく、俺たちは常にギルドへ話を通してから街を離れていた。

 基本的にはまず受付嬢へ。そしてそこから、ギルドの偉い人に話を通してもらっていたはずだ。


 付け加えて言うと、俺たちがなんの目的もなく、ふらっと王国の反対側に足を運ぶ意味も理由もない。

 それならば、やはり依頼によってこの地に辿り着いたと考えるのが妥当。

 

 そして俺たちが冒険者である以上、それが出来るのは冒険者ギルドのみ。


「っていうのは、よく考えてみたら当たり前の話だ」

 

 そう軽く整理しながら、隣のタマユラに目配せをする。

 彼女ならば同じ結論にとっくに辿り着き、さらに先まで見通しているだろうから、確認の意図を込めて。


「――。その通りですね」

 

 と、予想と反する表情のタマユラがそこにはいた。

 びっくり仰天、と言わんばかりの感嘆をその瞳に浮かべながら、じっとこちらを見つめている。


「う、うん? どったの、目丸くして。何か間違ったこと言った?」


「いや、その、なんというか……やっぱりヒスイは頼もしいなと」


「え? そう? そう言ってくれるのは嬉しいけど……」


「……遠回しに『いつのまにポンコツを克服したんだ』って感心してることに気づいたほうが――あっ、待って、やめて」


「ポンコツもルリに関してはお互い様だろうが! 俺だって日々成長するのよ、人間ですから」


 茶々を入れてくるルリの右と左の脇腹を交互につつき、不服の意を表明する。

 

 そんな行動を取りつつも、こういうところでウジウジしなくなったのは――訂正、前ほど酷くなくなったのは、たしかに成長の証と言えるだろう。

 自分を褒めてやりたい。


 それはともかく、ここまでは周知の事実。

 そして、この先が核であり、本題だ。

 

 ここまでに降りかかった異常事態を噛み砕いて考えれば、自ずとひとつの推論が浮かび上がる。

 そしてその推論は、考えれば考えるほどに確証を持った結論となる。


 なぜ、俺たちはここにいるのか。

 なぜ、俺たちはその理由を忘れているのか。

 なぜ、簡単であるはずの答えを出せるものが、たった1人としていないのか。


 そこに、何らかの作為があるとするならば――、


「ギルドの誰かを、忘れている気がする」


 というのが、俺が導き出した答えだった。

 忘れる――というのが、どんな状態を意味するのか、それは定かではない。


 うっかり記憶の引き出しに閉ざしてしまった記憶はあっても、取りこぼすことなどない、というのが人間の常であり、一般的な常識だ。


 当たり前のように覚えていた誰かが、ある日突然――それも3人の頭から消去されるなんてことは、少なくとも俺の常識とは程遠い。

 つまるところ――、


「これも、作為的に引き起こされた異常事態だ」


 覚えていられると都合の悪い誰かの記憶。それを俺たちから奪ったのか、あるいは誰かを存在ごと消滅させてしまうほどの力があるのか。

 願わくばせめて後者であってほしくないが、ともかくこれは偶然なんかではない。


 もちろん、心当たりがあるとすればただひとつ。


「魔王軍、ということになるのでしょうね」


「そうだと思う。奴らの力で、俺たちの記憶は消されたんだ」


 タマユラと同じ結論に行き着き、二人で険しい目線を合わせる。

 それに追従して、ルリも口を開いた。


「……だったら、今魔王軍が襲ってこないとも限らない」


「その通りだ。――けど、その可能性は低いと思ってる」


「それは、何故でしょうか?」

 

 S級冒険者3人が派遣された廃村には、恐らく魔王軍の関係者がいたのだろう。

 そこで何らかの能力――恐らくスキルを行使され、俺たちは記憶を失った。


 しかし俺たちの知る限りでは、件の敵と交戦した覚えはない。

 

「でもさ、それって不自然じゃないか?」


 S級である冒険者を一度に3人も相手取って、まんまと記憶を奪うことに成功した強敵。

 そんな奴がいるなら、今この瞬間に――人間としての自我を失うほど、俺たちの記憶を根こそぎ奪ってしまえばいいのだ。


 ここまで歩んだ人生を無に帰して、文字通り赤子同然まで記憶を逆行させてしまえば、いかにS級であっても手も足も出せることなく完封されてしまうだろう。


「それをしないってことは、能力に制限があるか――」


「能力を行使されたのは、別の方……例えば失われた当人、ということですね」


「少なくとも、今すぐに俺たちを殺せる算段はないはず。あったらとっくに死んでるよ、3人とも。記憶に干渉なんてズルじゃん」


 だから、すぐに危険が迫ることはない。そう結論付ける。

 希望的観測も交じっているかもしれないが、全くの願望というわけでもない。


「今は落ち着いて、今後の対策について考えよう」


「そうですね、それが賢明でしょう。やっぱりヒスイは頼もしいです」


「……ん。褒めてあげる」


 最後にそんな会話を交わし、馬車には長い沈黙が訪れる。

 大丈夫だ、冷静になれている。考えられている。


 成長、できている。

 

 自分に言い聞かせるように心の中で唱えて、俺は馬車に揺られていた。



 そうは言っても逸る気持ちを押さえつけながらの馬車旅は、中々に堪えるものだった。


 会話も少なく、空気も陰鬱としていて――いや、そう思っているのはもしかしたら俺だけで、ルリとタマユラは気を遣ってくれていただけなのかもしれないが。


 ともかく、それでも1週間半という時間は、思ったよりもすぐに過ぎた。


「見えてきました。セドニーシティです」


 久しぶりのタマユラの声は、張り詰めた俺の気を、ほんの少しだけ緩める。

 

 無事――といっていいのかは微妙なところではあるが、ひとまずは記憶の断片以上の目立った被害もなく、帰るべき家に辿り着くことが出来そうなことへの安堵感。


 それから、抱えた問題に答えが見つかるかもしれない――という期待感により、俺は鼓動を早めていた。


「――。ヒスイ、少々出ます」


「え?」


 矢先、タマユラが表情の色を変えた。

 と思えば、勢いよく馬車から飛び出し、屋根に乗る。


 突然の行動に、俺とルリは呆気に取られてしまう。


「……ヒスイ」


「ど、どうしたの……?」


 聞いたこともないような声だった。

 いつも毅然と振る舞うタマユラに似つかわしくない、焦りと戸惑いを多分に孕んだ不安定な音。


 アークデーモンの時みたいな、絶対的な力に恐怖する声とも違う。


 もっと心の内から湧いてくる密やかな絶望と、それをどうにか振り払わんとする必死さを隠そうともしない、頼りない声だった。


「……ヒスイ、ルリ。走りましょう」


「――。わかった」


 この距離なら、もはや走った方が早い。

 馬車はここに置いていくことになるが、そんなことは些細な問題だ。


 なにより、タマユラがそう言った。

 このパーティでだれよりも危機管理能力が高いタマユラが、だ。


 従わない理由など、なかった。


 俺たちは最低限の荷物と武器を抱え、馬車を飛び降りる。



 その男は、鼻唄を歌いながら、瓦礫を踏みしめた。

 ――否、男というには、些か幼すぎる容貌だ。

 

 手足はまだ伸びきっていない子どものようで、無邪気な笑顔を振りまく姿は、人によっては庇護対象にも映るだろう。


 しかしそれがどれだけ馬鹿げていて、愚かな感情であるかは、この景色が証明している。


 ――この街には、誰もいない。

 ――誰も、いなくなってしまった。

 

「ふんふ〜ん、ふふふ〜ん、ふふ、あはは、あはははは!」


 場違いな笑みをこぼすそれは、どこまでも機嫌が良さそうに純白の髪を揺らす。


「は〜、最高! 最高だよ、まったく。……ふふ、遂にだね。遂に、その時は目の前だ」


 何かを感じ取ったように背後に視線を送り、呟く表情は、やはりどこまでも純粋で無垢な少年そのもの。


「いったいどれだけの人間が、君という人に期待をかけているんだろうね。ふふ、罪深いことだ。そして――可哀想だね。無責任な期待にだって、君は律儀に……誰よりも深く絶望するいうのに」


 亀裂の入った空を眺めながら、男は初めて焦がれるように頬を歪めた。

 

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