82.『ヒスイの信念』

 

「本音と建前、みたいなのはあるでしょう。最終的に、ヒスイが何を信念とするのかはヒスイにしか選べません。ですが、そのためにはまず自分で自分を知らなければならない」


「……俺がどうしたいかじゃない。俺が、どう在らなければならないかなんだ」


「その気持ちはわかります。私もそうでしたから。ですが……今は私しか聞いていませんよ」


「……なんで、そんなに俺の本心を知りたがるんだ? それを知って、どうなる? 俺の生き方が今さら変えられないこと、タマユラならわかるんだよな?」


 ここまで俺に感情を吐き出させて、問い詰めて、知りたがって。

 タマユラがそんなことをするタイプじゃないとわかっているからこそ、違和感が拭えない。


 言葉ではなく、行動で語るタマユラだからこそ、その行動の意図が掴めない。


 激情に任せて、言いたいことだけを言ったら楽になるだろう。

 俺が溜め込んでいるあれこれをタマユラに背負わせれば、俺の負担は半分になるだろう。


 だが、それまでだ。

 結局何も変わらないし、タマユラに得なんてなにもない。


 俺が心の奥底に抱え込んでいた方が平和なのに、それをほじくり出す意図はなんだ。


 自分でも気付かぬうちに打算的な思考しか出来なくなっていたらしい今日の俺は、次のタマユラの一言に度肝を抜かれることになる。


「惚れた男性を支えたいと思うのは、乙女の性ですから。ぶちまけて楽になるなら、いくらでも話して欲しいのですよ。ひとりで抱え込む必要などありません」


「――え」


「ヒスイの言う通り、今のあなたの気持ちは私なら理解できます。だから、私にならいいんですよ? 愚痴を吐くくらい、いくらでも」


 それだけ、だろうか。

 タマユラはそれを伝えたかっただけなのに、俺はこうも葛藤を繰り広げたのだろうか。


 それはさぞかし滑稽だったことだろうが――いや、それはいい。

 それはいいが、


「不器用じゃないかな、伝え方」


「すみません。でも先ほども言いましたが、ヒスイはこれくらいしないと本心を言おうとしなかったでしょう」


 考えてみれば、この行き場のない葛藤においては、タマユラこそが唯一の理解者となり得ることは明白だった。

 それでもタマユラだけには悟られたくなかったのは、俺のちっぽけなプライドからくる見栄だろう。


 そしてその見栄は今、打ち砕かれた。


「……本当はさ、誰にも期待して欲しくないんだ」


「――――」


 俺は、ポツリと言葉を漏らした。


 一度零してしまえば、じわじわと流れは強まる。

 言いたいことを言い切るまで、止まらない。


「S級になって、俺たちがパーティを組んでさ。段々、俺を知る人が多くなって。色んな言葉をかけられて。それで、ある時気付いたんだ。――この人たちが見ている『ヒスイ』っていうS級冒険者は、俺よりも大きい存在なんだって」


「期待っていうのは、偶像――人々の願いそのものですから」


「願いなんて胡散臭いもの、俺は嫌いだ」


 これは、自虐だ。

 願いなんて曖昧で無責任な他力本願でしか力を得られない俺への、痛烈な非難である。


 そしてあの悪神への、届かない宣戦布告でもある。


「俺だって折れるし、辛くなるし、全てを投げ出して逃げ出したい時もある。でもきっとそんな時、彼らが俺に投げる言葉は――頑張れ、なんだろうなって」


「……そうですね」


「間違っても……辛かったね、休んでいいよ、なんて言われないでしょ。それは当たり前のことで、どうしようもないことだ。だってここ一番で俺が休んだら、誰が民を守るんだって話だからね」


「力を持つ者、希望を背負う者の宿命――ですか」


「その通りだ。それはタマユラの悩みでもあるだろうし、ルリだって少なからず感じたことがあるはず」


 こんな姿は、誰にも見せられないな。

 俺がこんなことを考えていると知られれば、民は一転して俺に石を投げ始めるだろう。

 もしくは、失望したと言って離れていくだろう。


 随分と勝手なものだが、それが現実だ。

 そしてその現実は、俺には重すぎる。

 タマユラと違い、俺はそれを背負う覚悟ができていないのだ。


「俺、S級冒険者の器じゃないんだよ。だってさ、ずっとE級だったんだ。B級でも、C級でも、D級ですらない。E級だよ? 冒険者としてはかなり下の方だったし、才能があるわけでもない。S級になる未来なんて考えてもみなかった」


「心の準備は、出来ていなかったでしょうね」


「準備どころか、想定すらしていなかったわけ。そんな一般人が、いきなりS級に放り込まれて、立派な信念を持った強者たちと同じように戦えって言われてみなよ。……そんなの、誰かの真似をするしかないじゃないか」


「……それが私だった、というわけですか」


 タマユラの信念は、なんて美しいものだろうと思った。

 強者がみなこう在れば、それは素晴らしい世の中になるだろうと。


「俺さ、遠目にバーミリオン・ベビーを見た時、まずどうしたと思う?」


「と、いうと?」


「――逃げようとしたんだ。俺なんかが出ていかなくても、きっと誰か強い人がなんとかしてくれるだろうって。自分の強さには気付きつつも、俺の出る幕じゃないって」


「――――」


 今や封じ込めていた記憶だ。美化されたと言ってもいい。

 だがこうしてみれば、意志の弱い俺が確かにいたことを、ありありと思い返せる。


 目の前の困難から逃げようとする、脆弱な俺の存在を。


「――でも、逃げなかった。でしょう?」


「それは、タマユラを見たからだ。あの場で立ち続ける信念を持った、強い人。そんな人の真似をするべきだと、そう考えたんだと思う」


「私を……」


「そうだ。タマユラが信念を貫いていなければ、俺はきっと恐怖と重圧に押しつぶされて――」


「――ふふ」


 突如として割り込んできた余りにも場違いな声色――タマユラの微笑みに、俺は眉を上げる。

 笑うような場所はなかったはずだ。


 あるいは、俺の無様さについ吹き出したという線も無くはないが、タマユラがそんな性格をしていないことはわかりきった事実だ。


 それならば――、


「すみません。なんか、嬉しくなってしまいました」


「え?」


「ほら、あの時。私、ヒスイが隣に立ってくれて嬉しかったって言ったでしょう?」


「うん、言ってたけど……だからそれも、本当は順序が逆で、タマユラが立っていたから……」


「それですよ。つまりあの時から、お互いがお互いに勇気を与えていたんだなって思うと、なんだか運命的だと思いませんか? 私たちが今こうしているのは、私にヒスイが、ヒスイに私がいたからってことですよね」


「運命的……?」


 またも温度差の激しい単語だ。

 今のタマユラは、誰が見ても乙女のそれにしか見えないほど優しい顔をしている。


 無論、誰にも見せるつもりはない。

 『剣聖』タマユラのこの表情は、俺が独り占めするのだ。


 今となっては、傲慢にしか聞こえない台詞ではあるが。


「ヒスイ。信念の抱き方は人それぞれです。私の信念だって、自分の心の内から湧き上がってきたものではありません。いわば、家訓ですからね。大事なのは、それを信じられるか、ですよ」


「信念を、信じられるか……」


「虚勢でも、見栄でもいいんです。自分には不釣り合いだと思っていてもいい。ただ、自分でそう在りたいと信じられる信念を選ぶことです。今のヒスイは、どうですか? あの夜、バーミリオン・ベビーの前に立ったヒスイは、どうでしたか?」


「俺、は……」


「信念というのは、誰かに背負わされるものではありません。他の誰でもない、自分自身がそう在りたいと思わせる姿のことを、そう呼ぶのです」


 どう、だっただろうか。

 俺は、どう在りたいのか。


 どう在るべきかじゃない。

 どう、在りたいか。それを考えれば、自ずと答えは出た。


「――やっぱり、皆の期待を背負って立ちたいよ」


「私に囚われていたり、流されたわけではなく?」


「うん。俺自身の意思で、希望の象徴で在りたい。最後の砦になりたい。そう決めた」


 『そうで在ければならない』。

 そんな自己犠牲的な思想はともかくだ。


 世界中の期待を背負って立つなんて大業、俺にしかできないことだ。

 俺にしかできないことがあり、それに期待までされてるなんて、とんでもない幸運の上に俺はいる。


 ならば応えなきゃウソってものだろう、男なら。


 魔王という、世界を揺るがすほどの強敵。

 立ち向かうは、S級期待の星、俺。

 S級冒険者ヒスイは、人類を守るために死闘に身を投げ打つ――。


 こんなカッコいいことができるチャンスは、またとないのだから。 


「そうですか。それがヒスイの信念なら、私も出来る限りのお力添えをします。いつでも頼ってください」


「ありがとう。タマユラは奥さんとして完璧だね」


「ま、まだ早いです!」


 なんて冗談はさておいて、やはりやることは変わらないし、のしかかる重圧も変わらない。

 だが、俺の気の持ちようと、支えになってくれる人の存在で、きっと乗り越えられる範囲はぐっと広がる。


 そして改めて、タマユラこそが俺の中ではS級の象徴だな、と思うのだった。


「タマユラのおかげで気持ちに整理ができたよ」


「私もこれまで通り、民のために立ち続けます。共に頑張りましょう」



「……ヒスイは、民なんてもののためにいるわけじゃない」


 誰にも聞こえないように呟いたルリは、半分だけ開けた目で何を見て、何を思ったのか。

 それは、彼女にしかわからない。


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