83.『よりによってこの馬車を』
俺が心の内の醜いものを吐き出している間も、馬車は止まらずに歩み続ける。
時間にしてみたら、きっと1時間はこうして感情を迸らせていたことだろう。
それは長い時間で、かといってまだ目的地は見えてもこない。
寝不足のルリが目覚めるのもまだ早いくらいの時間だ。
言いたいことを言い合った――というか主に俺がぶちまけ切ったので、ひとまず会話の流れは止まった。
後味として残るのはほろ苦さや気まずさではなく、妙な清々しさだ。
溜まってたものを吐き出すという行為は、それそのものが直接的な解決策になっていなかったとしても、ある程度心の負担を軽減してくれるらしい。
「なんとなく、目に光が戻った気がしますね」
「俺、そんなに死んだ目してた?」
「上手く取り繕おうとはしてましたが」
「してたんだ……」
自分ではそんなつもりはなかった。
むしろ、ルリとタマユラのおかげでしっかりと回復したと勘違いすらしていた。
だけど現実はタマユラの見立て通りで、ちょっとつつかれただけで大量の膿が溢れ出してくるほどに、俺の精神は蝕まれていたのだ。
自分よりもタマユラの方が俺のことをよく見ていて理解しているなんて、喜ぶべきなのか嘆くべきなのか。
いや、反省するべきだな、間違いなく。
「ま、反省や後悔をするより褒められたいっていうのが本音だけど……」
「すごい! えらい! かっこいい!」
「どしたの? 絶対タマユラのキャラじゃないよね? 嬉しいけどさ」
「ですよね。挑戦も大事だと思ったんですが、ちょっと自分を見失ってました」
「この話の後だとあんまり笑える冗談じゃないな……」
タマユラの冗談のセンスにはトゲがあるようだ。
もちろん、悪気があってやっていることではない……はずだが。
しかし、挑戦も大事というのは全くもってその通りだと思う。なんにせよ、いつまでも現状維持なんて不可能なのだ。人間は生きていて、成長して、老いる生き物である以上、それは絶対だ。
無論、成長をするのはなにも人間だけじゃない。
例えば、今こうして俺たちを運ぶ馬ですら、肉体的な意味でも精神的な意味でも成長していくのだ。
成長というのは、そう在ろうとしたものに等しく与えられる、チャンスなのだから。
「ヒスイ、気付いてますか?」
――と、そんな俺の悩める横顔に向かって、タマユラが言葉を投げた。
具体性に欠けるたった一言ではあったが、俺はその言葉の意味を正しく理解する。
「さっきから、なんかいるよね」
朝といえど、微妙な天気も相まって、辺りはまだ薄暗く。
いつの間にか霧も出てきており、視界は良好とは言えないくらいだ。
そんな朝の闇に乗じて、この馬車を大きく取り囲む無数の影に、俺たちは気付いている。
タマユラほどの感知スキルを扱えない俺でも、それが十数名程度の人影だということはすぐに察することが出来た。
加えて言うと、
「盗賊、っぽいよね」
「冒険者狩りですかね。これだけ立派な馬車なら、標的に選ばれやすいのはあるでしょう」
滲み出る邪悪な気配が、友好的な接触を望むものではないことを証明している。
なにやらこのタイミングで露骨に霧が出てきたことを考えると、それさえもこいつらの仕業かもしれない。
なんだかんだ今まではそういう悪意に狙われたことがなかったので、ちょっとばかり新鮮な気持ちだ。
「一旦止めますか」
そう言ってタマユラが馬に命令を下し、俺たちはその場に止まった。
盗賊。あるいは、冒険者狩り。
その存在は、俺たち冒険者にとっては案外身近なものである。
もちろん、そこに歓迎の意味は込められていないが。
主に弱者を狙って、反抗する気も押さえつけるような大人数で略奪を繰り返す、最悪な集団だ。
どうも背後には大きな組織があるらしく、各地の冒険者ギルドが躍起になって捕まえようとしている。
そんな悪意に今、俺たちは狙われているらしい。
冒険者にとって、最も出会いたくない厄災のひとつ。
言い換えるならば、ピンチに直面している。
「よりによってこの馬車を標的にしてしまうとは。おそらく、貴族でも乗っていると勘違いしたのでしょうが……哀れなものです」
だというのに、タマユラは冷めきったものだった。
付け加えて言うなら、俺も同じような心境だ。
獲物だと思ってつついたら、まさか中からS級冒険者が3人も飛び出してくるなんて、とんだ災難だろう。
まぁ、冒険者狩りにも事情があって、生きるために必死なのかもしれない。
生憎、俺は冒険者狩りの根絶を掲げるほど正義に染まってはいないから、積極的にどうこうしようという気はない。
だが残念ながら、火の粉がこの身に降りかかるなら話は別だ。それを払うことに、わざわざ胸を痛める優しさも、俺にはない。
「ちょっと行ってくるよ」
「はい、ヒスイならなんの心配もないと思いますが、一応お気をつけて」
ルリの頭をタマユラの膝に預け、立てかけてあった溟剣ヴィレインを手に取る。
まさかこの剣のデビュー戦がこんな輩だなんて、ちょっとだけ不満があるなと思いながら、俺は草原を踏んだ。
じりじりと距離を詰める人影は、もう完全に視認できる位置まで近付いている。
馬車を取り囲むように円を描く盗賊たちは、それぞれが形の違う剣を抜いていた。
一応、対話の余地はないか確認してみるとする。
正直なところ、今この瞬間にでも盗賊を全滅させることは容易いのだが、それをする必要性も薄い。
対話というのは、人間の特権であり、利点なのだから。
「俺たちさ、別に急いでるってわけでもないんだけど、夜までに町に着かないと困るんだよ。通してくれない?」
なるべく大きく、全員に届くような声を出す。
俺の声はよく通る方、というわけではないが、大人数がいるにしては不自然すぎるほどに静かなこの空間だ。
充分、俺の対話の意思は届けられたことだろう。
ほどなくして、盗賊たちが目線を送り始める。
さしずめ、誰が声を上げるか決めあぐねているのだろう。
この集いには上下関係というものがないのか、少なくとも真っ先に名乗りを上げる代表者は存在しないらしい。
「……有り金を置いていけ」
「悪いけど、それもできない。この期に及んで野宿なんて嫌だからね。育ち盛りの女の子もいるし」
俺の正面、といっても数十メートルは離れたところにいる、ひとりの覆面が対話に応じた。
要望に応えられないのは申し訳ないが、話が通じるのはいいことだ。ぜひこのまま続けてもらいたい。
「ならば死ね」
「――あっ、ストップストップ!」
と思ったのも束の間、すぐに戦闘になだれ込んでしまった。
四方から投げつけられた棘の束が、俺の足元に突き刺さる。
次の瞬間、その棘の一本一本から吹き出す煙が俺を覆い、視界は白に染め上げられた。
「煙幕とか、コスい真似してくるなぁ……!」
これも、確実に獲物を逃がさないための知恵だろうか。
それとも、この隙に金目のものを奪って逃げる算段なのだろうか。
どちらにせよ、確かに俺の視界は奪われた。
単純すぎるほどに単純だが、だからこそ対策をしていない俺はモロにその影響を受けてしまっているのだ。
視覚を奪われれば、次は聴覚に頼るしかない。
幸いにも、俺の耳は悪くない方だから――、
「――うおっ」
今度は、耳元で大きな爆発音が響いた。
それは、例えば鼓膜を破り耳の機能を完全に停止させるほどに強烈なものではなかったが、意識の外から劈く轟音は、俺の反応を鈍らせるには充分だった。
視覚もダメ。聴覚もダメ。
頼れるものが減っていく中、俺が咄嗟に選んだのは嗅覚だった。
視界ほど入ってくる情報は多くないし、聴覚ほど繊細なものではないが、それでも役に立ってもらうしかない。
俺は大きく鼻から息を吸い込んだ。
「くっさ! なんだこれ、花の臭い……!?」
しかし、それさえも盗賊たちは先読みしている。
強烈な刺激臭を発する花弁を身体中に塗りたくったような、有り体に言えば鼻の曲がる臭い。
呼吸すら嫌になるほどのそれに、ついに俺は嗅覚を諦めることとなる。
残された五感は味覚と触覚。
味覚は言わずもがな、役には立たないだろう。
触覚でさえも、情報が入ってくるには遅すぎる。
ここまで僅か数瞬の出来事だ。
あまりの手際の良さに、感服せざるを得ない。
こうなれば、俺ができることなんてほとんどない。
そう、俺ができることなんて、あれくらいしか――。
「――【青嵐】」
「――魔法か、下がれ!」
その小さな突風は、煩わしい煙も、頭の痛くなる臭いも、全てを青い空の彼方に飛ばしていく。
やっと視界が晴れると、もう数歩先に盗賊たちは現れていた。
「……剣士だと思って侮った。魔法を使うか」
「あぁ、剣士だったら為す術もなかったかもね。あんたら凄いよ」
なんせ、剣士を確実に殺すための連携であった。
今回は俺一人だったが、近くに仲間がいた場合には闇雲に剣を振り回すこともできまい。
それさえ計算した、芸術のような戦法であったことは認めよう。
もちろん、襲う相手が剣士とも限らない。
この盗賊たちは、魔法使い用の連携も持っていると考えていいだろう。
冒険者狩りとはよく言ったもんで、一手一手相手を追い詰める、本当の狩りをしているのだ。
無論、
「俺にとっては敵じゃないけどね」
「抜かせ。馬車旅で対策のひとつもしていないとは、不用心にもほどがある。怠惰なものだな」
「あれ、アドバイス? 優しいとこあんじゃん」
覆面から飛び出してきた意外すぎる言葉に、俺はつい茶化してしまう。
なるほど、冒険者狩りというのは対策をしておくものなのか。そうだろうな。
これがこいつらのお決まりの手法なら、必死に逃げ帰った冒険者の手によって共有されていてもおかしくはない。
それを知ってすらいなかった俺は、確かに怠惰ってものだろう。
「だが、魔法を使うとなればこっちの分が悪いのも事実。出直させてもらおう」
「まぁまぁ、ちょっと待ってよ。助言のお礼に一芸披露させてくれ」
「貴様のような腑抜けに構っている暇はない。撤収を――どうした?」
こちらの被害もなし、この道も通れる。となれば、ここで引き止める理由なんてものもないんだが。
せっかくいいものを見せてもらったお返しと――ちょっとした私怨により、盗賊たちをこのまま帰らせることはしない。
仲間たちに撤収を呼びかけた覆面は、その場に這いつくばって地面と仲良くしている盗賊たちを見て、疑念の声を上げた。
「おい、起きろ。何をしている。一体これは……」
「雄大な大地が恋しくなったんじゃないかな。一芸ついでに、俺の名前も教えてあげるよ」
「――――」
何かを察知した覆面の表情が、布越しに険しくなっていくのがわかる。
名乗り上げなんて俺の趣味ではないし、自分がそんな偉そうな振る舞いが似合う人間ではない自覚もある。
だけど……やってみたかったのだ。許して欲しい。
「俺は、S級冒険者――」
「ヒスイ。そろそろ出発しないと間に合わないかもしれません」
「……ヒスイだ」
待ちきれなくなって馬車から降りてきたS級冒険者――タマユラに名前を呼ばれ、なんとなく締まらない名乗り上げとなる。
そんな俺の恨めしそうな目線に気付いて一瞬で状況を理解したのか、タマユラは地面に剣を突き立て、高らかに宣言した。
「私は『剣聖』タマユラ! 悪を断つ、正義の剣! 貴方たちが悪であるならば、この私が斬りましょう! さぁ、かかってきなさい!」
「け、『剣聖』だと……クソ! とんでもない馬車を狙ってしまったようだな……!」
そして、俺の渾身の名乗り上げが喰われた。
いや、仕方ない。俺の名前より、『剣聖』の権威の方が圧倒的に強いし、知名度もあるし。仕方ないし。
だからって、俺の事を忘れたようなこの反応はさすがによくないんじゃない? 傷付くよ?
タマユラもタマユラで、何かを察したフリをして自分が全部持っていくとは、欲張りさんなことである。
まぁ、さすがタマユラは――、
「……『白夜』。氷像にして砕かれたい人は、構ってあげる」
「『白夜』……! 孤高の天才魔術師か……! ふん、逃げることはできそうにないな」
「ルリさん!? おはよう! なんでルリさんまで俺の見せ場を奪っていくの!?」
「……やってみたかった」
タマユラの背後からひょこっと現れたルリは、重ねて俺のカッコつけポイントを奪っていった。
しかも、やってみたかったってなんだ。
ルリって意外と目立ちたがり屋な一面もあるのか。知らなかった。
なにはともあれ、やっとこの馬車を狙った運の悪さに気付いたらしい覆面は、どうやらここを死に場所とする覚悟を決めたようだった。
あわよくば片腕でも持っていけたら本望、みたいな顔をしている。
絶対無理だからやめた方がいいし、そんな意味の無い覚悟を決めるよりは尻尾巻いて逃げ出した方が判断としては賢明だと思うが、多分言っても無駄だろう。
なんせ、ここが人生最期で一番の大勝負だとでも勘違いしてそうな男らしい顔付きだから。
「――うぉぉおおおおォォァアアッ!」
「あっ、本当にかかってきちゃった……」
「タマユラ、そこは責任持って――」
■
ひと仕事終えて汗をかいた俺たちは、清々しい気分で馬車を走らせていた。
一番いいところを取られた悲しみはあるが、やっぱり運動をすると気持ちがいいのだ。
「それにしても、タマユラが早まって殺さなくてよかったよ」
「そんな、私だってむやみに人を殺したいわけじゃありませんからね? まぁ、相手が悪人だったらそうせざるを得ない時もありますが、今回のは簡単に無力化出来そうでしたし、それに……」
「それに?」
「ヒスイが中々帰ってこなかったので。手こずる相手じゃないのはわかっていましたし、なにか理由があって生かしてるのかな、と」
そう、別に殺そうと思えばすぐに殺せたのだ。
煙幕で前が見えなかろうが、聴覚を奪われようが、【重力操作】でも使えばあっという間だった。
人を殺すと寝覚めが悪いとか、悪人であっても生きる権利はあるはずだとか、そんな説法めいた建前よりも、殺したくない理由があった。
それは、冒険者狩りの組織の話だ。
かつてのパーティメンバーである、クォーツとタルク。
彼らは冒険者狩りと協力して、イヴとネスの仲間を襲った。
その背後には誰かがいたのか。あの覆面たちは、そいつらの一味なのか。
それを聞き出すことができれば、と思ったわけだ。
無論そんなことを知ってもイヴたちの仲間は帰ってこないし、クォーツたちは牢屋の中だ。
だけど、もし俺がその復讐を果たせたなら、少しは気休めになるのではないか。そう思っての行動だった。
結果として、得られた情報はなかった訳だが。
「冒険者狩りも色んな組織があるみたいだね」
「悪どいことを企むのは何も決まった組織じゃありませんからね。人の数だけ、その可能性はあるということです」
あの一件と何の関係もないその辺の冒険者狩りだと判明した時点で、奴らにはお帰り頂いた。
もう完全に無力化していたし、相手がS級冒険者では歯向かう気も起きないだろうという判断だ。
そのせいでまた被害に遭う冒険者が生まれてしまうであろうことも理解していたが、それは彼らを殺しても同じこと。冒険者を悩ませる盗賊は、彼らだけではないからだ。
多くの冒険者は被害覚悟で旅をするか、護衛をつける。それか、複数のパーティで纏まって旅をする。
そんな知恵と共に、常に死と隣り合わせの冒険をしているのだ。
「大変だよね、冒険者って」
「そうですね」
俺は運動後の気持ちよさも忘れて、揺れる馬車の中でそんなことを考えていた。
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