81.『誰よりも強く、人並みに弱い男』


 触れられたくないのは、足の裏と脇の下かな。

 なんて茶化せる雰囲気ではなかった。


 どこまで俺を見透かしているのか分からないが、確かにタマユラの言う通り――俺には踏み入られたくない領域がある。


 隠し事なんて後ろめたいものではないにしろ、他人に知られたいとも思えない考えが。

 タマユラに聞かせても別に面白くもない話だ。あえて言う必要が、あるのだろうか。


「何を、聞きたいの?」


「別に取って食おうってわけじゃありませんよ。そんなに畏まらないでください。談笑の延長だと思ってくれればいいですから」


「――わかった。で、なんで隠してることがあると……そう思ったの?」


「ヒスイの目が――昔の私に似ていたから、です」


 いまいち要領を得ない会話の応酬が繰り広げられる。

 そう感じられるのは、きっとお互いがお互いの出方を窺っているからだ。


 腹を割って話すと言ったって、いきなりズケズケと踏み入るのもはばかられるわけで、つついても怒られなさそうなラインを見定めているのである。


 まぁそもそも、俺はタマユラの提案に了承したわけではない――というのは、少し性格が悪いだろうか。


「いや本当に、隠し事ってわけでもないんだよ。でも別に言わなくてもいいことってあると思う」


「相手のことを慮るならそうかもしれませんが、今は私しか聞いていません。私は、聞かせて欲しいです」


「そうだなぁ……」


「……わかりました。間違っていたら訂正してください。――ヒスイは、ひとりで魔王と戦おうとしている」


「――――」


 なんの前置きもなく投げかけられた言葉に、ほんの一瞬思考が止まる。

 その刹那の硬直は、反応に隠された意味を悟られるには充分過ぎるほど劇的だった。


 もはや言い逃れなど出来ないほど、タマユラは俺の本心を掴んだ。


「――いや、何もふたりを置いていこうっていうんじゃないよ。ただ、『鏡の世界』には魔王軍七星もいるかもしれないし、さすがに同時に相手はできないだろうから」


「だから、弱い方を私たちに預けて、ヒスイはひとりで魔王と戦おうと言うのですか?」


「……場合によっては、それが必要になると思ってる。この3人の中で一番可能性があるのは俺だから……」


「――くだらないですね」


 ――っ、くだらない、だと?

 よもや、タマユラにこんな喧嘩腰でものを言われるとは思いもしなかった。


 タマユラなら――タマユラだけは、わかってくれると思っていた。

 多少の反発は覚悟していたが、最後には「仕方がないですね、絶対に勝ってきてください」と送り出してくれるものだと思っていた。


 それが、こうも取り付く島もないなんて、予想していなかった。


 第一、タマユラがやってきたことではないか。

 どんなに勝ち目の薄い戦いでも、正義を信じて立ち続けてきた――そんなタマユラだからこそ、理解を示してくれるものだと早合点していた。


 タマユラは、俺の理解者ではなかったということか。


「いいですか、ヒスイ。ヒスイのそれは、ただの傲慢で、自己犠牲です。孤高のS級冒険者としてはそれでいいかも知れませんが、このパーティのリーダーとしては落第点です」


「――っ」


 黒い感情が渦巻く俺に、タマユラは追撃をしかける。

 

 そんなこと言ったって、俺が皆よりも強いのだから仕方がない。使命なのだ。

 S級は――俺は、誰よりも強く在らないといけない。

 皆の希望でなければならない。


 他ならぬ、タマユラから学んだことだ。


 タマユラが俺に、そうさせたのだ。


 俺は、決してタマユラに向けてはいけない目を、彼女に向けていた。

 その目を捉えたタマユラは、激高する――、


「なぜ私がヒスイの本心に思い当たったか分かりますか? 先ほど言った通り、昔の私が今のヒスイにそっくりなのです」


 ことはなかった。

 なおも淡々と、ありありと、事実だけを伝えてくる。


「『剣聖』としての私は、確かに無茶をしてきました。それこそヒスイと出会ったあの日までは、『剣聖』としての信条だけを信じて立ち続けていました」


「今は違う、と?」


「ええ、違いますね」


「――――」


 それならば。


 俺が憧れ、目標にしていたタマユラは、もういないということになる。

 俺の進むべき道は、知らないうちに途切れていたということになる。


 無論、なにもタマユラの信念だけを追い求めてやってきたわけじゃない。

 しかし、ひとつの導を失ったことに違いはない。


 それはひどく、俺の心に棘を残す事実だ。

 

 しかし、もはやそこで情けなく膝を抱える暇もない。

 それに今さら後戻りをするわけにもいかないのだ。


「たとえタマユラが信念を違えても、俺の進むべき道は変わらない」


「――私がいつ、信念を捨てたと言いましたか? 私はいつだって、弱き民を導く存在で在らねばなりません。その為には、無謀にもひとりで立たねばならぬ時もあるでしょう」


「は――、え? いやだって、それじゃ言ってる意味が……」


「私が変わったのはですね、意志の在処ですよ。『剣聖』としてではなく、私の意思でそうしたいと決断した。そして、それを教えてくれたのは……ヒスイ、あなたですよ。それに――」


 俺の記憶に強く刻まれている、燃え盛る意志の籠った真っ直ぐな目。

 あの日と同じ目にあてられ口を噤んでいる俺に、タマユラは畳み掛けるように言葉を続けた。


「私が聞きたいのは、その先です。実のところ、ヒスイがひとりで魔王と戦おうとしていることは本題じゃなくてですね。問題は、ヒスイがなぜそう思い立ったか、です」


 しかも、言い当てられてバツの悪い本心は、本題ですらないという。

 タマユラが俺から聞き出したいのは、きっと。


「――ヒスイ。あなたは、私に囚われているのではありませんか?」


 もっと暴かれたくなかった心の底を、タマユラは簡単に丸裸にした。

 タマユラだけには隠し通したかった、俺の中身を。


 容赦なく、触られる。


「私の、『剣聖』としての役目を、追っているのではありませんか?」


 二度、同じことを問われ、もはや言い逃れもできない。

 タマユラは確固たる自信を持って――つまり確信があって、俺の心に入り込んできた。


 言いたくないことを、言わされる形だ。


「……いつからか、困難に直面した時。タマユラだったらどうする。タマユラだったら何が出来る。そう考えるようになっていた。ルリには怒られたよ。タマユラにできて、俺にできないこともある。自分がどれだけ優秀だと思ってるんだ、って」


「……ルリなら、そう言うでしょう。少し言葉はキツいですが」


 俺の膝ですやすやと眠るルリの頬を、優しくひと撫でする。

 あの時ルリに言われた言葉を、忘れた日はない。


「こうも言われた。俺しかできないこともある。……じゃあ、俺にしかできないことってなんだ?」


「ヒスイの美点は山ほどあります。私だってそれに――」


「山ほどなんてねぇよ――! ひとつだけだ! 俺は、誰よりも強い! それしかない! だけど、強さなら持ってる! 誰も寄せつけないような、絶対的な力なら! だったら、誰よりも民を導く希望でなければならないだろ!?」


 突然の怒号にも全く臆さずに、タマユラは続ける。


「ヒスイの強さは、確かに圧巻の美点でしょう。しかし、なにも強さというのはレベルや剣の技術だけではありません」


 そして俺は、自己嫌悪が強くなる。

 これは、昨晩の繰り返しだ。

 俺の心の脆い部分を解いてくれた昨日のタマユラを、無碍にするような非道な行いだ。


 それでもなお、俺の心の叫びは止まらなかった。


「言っただろ、俺は弱いって! 見かけ上の強さはともかく、中身は貧弱なんだよ! でもそんなの、周りの奴らからしたら関係ない! 感情なんて捨てて、周りの期待に応える希望でなければ! ならないんだよ!」


「いいことを教えてあげましょう。強さと弱さは同居できますよ? 虚勢とも言いますけどね」


「――っ! つまり、俺が虚勢だけの口先野郎だって――」


「違います。――私が、そうだったのです」


「――――」


 タマユラの本心の吐露に、俺の頭は追いつかなかった。

 

 キョセイ。虚勢。

 タマユラが、虚勢――?


 そんなはずはない。

 タマユラは確かな信念を持っていたし、事実あのバーミリオン・ベビーの前でも立派に立っていた。


 あれは、虚勢で奮起できるほどの生易しさではなかったはずだ。

 本心から民の期待を背負う覚悟がないと成せない所業だ。


「簡単な話です。本心から、虚勢を張っていただけですよ」


「本心から、虚勢を――?」


「『剣聖』としての生き方に倣っただけ――といえばいいでしょうか。そして、もうそれをする必要もなくなった。もう一度言いますよ? ヒスイのおかげです」


「俺の……?」


「これからは民のためではなく、ヒスイのために――いえ、自分のために剣を振ると、そう決めたのです。そしてそれが、民の期待に応えることにもなると」


 タマユラの言葉の意味を、俺は理解することは出来なかった。


 自分のためと、民のため。

 その境界線は、隣り合ったものではないからだ。

 むしろ、対角線上にあると言ってもいい。


 決して交わることのないジレンマを、タマユラがどう乗り越えたというのか。それは、わからなかった。


 しかしその答えの見つからない命題は、俺の頭を冷やすのに充分な時間を与えた。


「……ごめん。熱くなった」


「焚き付けたのは私ですから。感情的にでもならないと、ヒスイは本心を曝け出したりしないでしょう?」


「……まぁ」


 だからといって何が解決したわけでもない。


 それに、まだタマユラには言っていない事実もある。

 むしろそれこそが、俺のこの思考の元凶ともいえる。


 ――この世界は、俺のために造られたと。

 ――俺だけが、特別な存在だと。


 もちろん、あの悪神の言うこと全てを信じるわけはない。

 しかしこればっかりは、どうしたって疑いようのない事実に思えてならないのだ。


 S級ですらレベルが90程度のものだったこの世界に現れた、レベル8000の化け物。

 世界で俺だけがそれに対抗出来る力を持っている。

 そしておあつらえ向きにこのタイミングで、俺の失われた能力は開花した。

 今のレベルだって、ちょうど魔王といい勝負ができる程度だろう。


 これを偶然と言い張るには、少しばかり無理がある。

 あの悪神は、こう言った。


 ――主人公が勝たなきゃ、面白くないじゃないですか。


 言い換えれば、俺は勝てるのだ。

 魔王に勝つだけの力は、俺の中にあるのだ。


 ただしそれは俺に言った言葉であって、あの悪神にとってどこまでが計算づくの事象かまではわからない。

 

 もし、タマユラやルリと出会うことが予定外だった場合――ふたりでは、勝てない可能性もある。

 唯一勝利が保証されているのが俺なら、危険な目に遭うのは俺だけで十分なはずだ。


 無論それさえ、確定している事項ではない。

 俺が追放されたあの日から、この世界はあの悪神の制御下にはないそうだ。

 ということは、俺の鍛え方が温かったなら普通に敗北する未来も有り得る、ということだ。


 事実、あの悪神の元へ行った時の俺は、奴の予定よりも弱かったみたいだから。


「つまりですね。私はヒスイの……ヒスイ自身の信念を聞きたかったのです。誰に味付けされたでもない、ヒスイだけの心を」


 そんな俺の秘めたる思考は、タマユラによってかき消された。

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