最終章 『歩いてきた道程を』

80.『馬車の密談』


 夢を見た。


 魔王の圧倒的な力に敗れ、背負った期待も希望も俺の手からするりと零れ落ちていく夢を。


 深い悲しみと、絶望に暮れる夢を。


 そんな中、突如温かい光が射し込む夢を。


 その光は、闇を切り裂き俺の手をとってくれた。

 大丈夫だよ、大丈夫だからね。そう言われている気がした。


 夢の中の俺は、その光の正体に気付かないまま、ただ柔らかな感触に宥められていた。


 目を開けると、絶対的な強さを持つ魔王も、それに討ち滅ぼされた民も、もうそこにはなかった。



 俺は、朝に弱い。

 特に早起きしなければならない日ほど、俺の溢れる反骨精神が寝覚めの邪魔をするのだ。


 6時に出発する予定があれば、5時に――いや、4時に起きるくらいの心づもりでないと、予定通りに事が進まなかったりするわけで。


 そんな融通の利かない俺ではあるが、たった今目が覚めた。世界の皆さん、おはようございます。


 果たして今は何時なのかという疑問の前に、言い知れぬ違和感に苛まれていることに気付く。

 まだ頭の働かない俺に訴えかける違和感。


 なんというかこれは――そう、匂いだ。

 花のような匂いがふわっと香ったかと思えば、今度は仄かな石鹸の匂いがツンと鼻を通った。

 俺の部屋は、こんな女の子の部屋みたいな匂いはしないはずだ。


 次に抱いた違和感はそう――枕だ。

 いつものふかふかの枕とは違いながらも、確かな柔らかさと温かさが安眠を助長させる――温かさ?


「……おはよ、ヒスイ」


「……おはよう、ルリ。ずっと膝枕してくれてたの?」


「……さすがに足が痛い」


 目を開けると、いつも通りのジト目をしたルリと目が合った。

 ただし、いつもと違ってルリに見下ろされている形だ。

 

 昨日、結局ルリの太ももで眠りに落ちてしまったのだ。

 そしてルリは律儀にも、そんな俺を膝から降ろさずに見守ってくれていたということになる。


 ここで、ひとつの疑問が浮かぶ。

 ルリはどうやって寝たのだろうか。


 俺を膝に乗せていたら、ベッドに横たわることも出来ない。

 ルリが『背もたれもない中で座ったまま眠れる器用な子』だという仮定が成り立つなら、このまま眠ったという線もあるが。


「もしかして、寝てないの?」


「……馬車で寝させて」


「う、うん。ごめんね」


「……いい。私がしたくてしたことだから」


「ありがとう、よく眠れたよ」


 完全に俺を慰めるためにしてくれたことなのに、そんなことを言わせてしまったのは心苦しい。

 だけど、そんなことは俺もルリもわかっている。

 その上で、気にしないでいいと言ってくれたのだ。


 そのルリの優しさを無下にしたくもないので、俺はあえて訂正を入れることはしなかった。


「さて、準備しようか」


「……ん」



 今回の目的地は、ここせドニーシティより遥か西、アマガサ領。

 その中でも最西端に位置する、名もなき村の近く――王国の辺境に、謎の黒柱が出現したという。


 同時期、世界各地で謎の疫病が流行り始めた。

 因果関係は不明だが、奇しくも病が流行った集落の近くには、その黒柱があったらしい。


 早い話が、『なんかあの黒柱怪しくね? 絶対アレが病の原因じゃん。ちょっと調べてきてよ』ということだ。


「忘れ物はありませんか?」


「タマユラ、何を馬鹿なことを言ってるんだ」


「――? ええ、ヒスイなら忘れ物なんてしませんよね。失礼しま――」


「忘れ物は忘れてるから忘れ物なんだ。忘れ物があるかなんて、思い出すまで分からないさ」


「失礼しました。ヒスイはこういう人でしたね」


 タマユラに心外な評価をされながら、俺たちは馬車に乗り込んだ。


 目的地までは片道1週間はかかる。

 それならわざわざ朝早くに出発しなくてもいいんじゃないかと思ったが――、


「急ぎの案件でもないようですし、休息を入れながら向かった方がいいと思います。毎日馬車の固い椅子で眠るのは嫌でしょう?」


 ということだ。

 さしあたり、今日のところはリドートという町で休息を取ることになっている。

 夜までに到着するためには、早朝にセドニーシティを発たないと間に合わないらしい。


 ま、こういうのは素直にタマユラの言うことを聞いておいた方が間違いないのだ。

 冒険者としては、自分のことよりもタマユラのことを信頼しているし。適材適所ってやつだな。ちなみに俺は暴力担当である。


「外から見てもわかったけど、かなり広い馬車だね」


「まぁ、ギルドマスター直々の依頼ですからね。折角なので、馬車もいいものを手配してもらいました」


「しっかりしてるな……」


 人数で言うと、10人乗りくらいだろうか。

 たった3人には持て余す広さだが、別に広くて困ることもない。

 ギルドマスターがタマユラに強請られていたことには同情心が芽生えるが……バエルの件で未だギルドもてんてこ舞いだろうに、気の毒なことだ。


 ただ、この馬車で寝泊まりをする日もあるだろうし、そういう意味でもやはり広いのはありがたい。


「ルリ、馬車に乗りますよ」


「ん……はっ、着いた?」


「着くわけないだろ。馬車に乗ってすらないよ」


 ルリは眠気の限界が来ているようで、立ちながら頭をこっくりこっくりさせていた。

 なんならちょっと寝てたかもしれない。


 常に眠たそうな顔をしているルリではあるが、本当に眠い時には目も開かなくなるらしい。


 俺はルリをエスコートしつつ、広い椅子の真ん中に位置取った。

 狭い歩幅でちょこちょことルリが着いてきて、隣に座る。


「……寝る。おやすみ」


「おやすみルリ、好きなだけ寝るといい――よっと」


 その小さな肩を引き寄せ、ルリの体を倒す。

 昨日ルリにしてもらったことのお返しだ。


 さすがに俺の太ももはある程度ガッチリしているから、ルリの膝枕より寝心地は悪いだろう。だけど、それでも枕になるものはないよりあった方がいいはずだ。


 ルリはしばらくモゾモゾと位置の微調整をしていたが、納得のいく場所を見つけるとすぐに寝息を立て始めた。

 俺が寝ている間ずっと座っているだけでも、結構な体力を消耗したことだろう。

 揺れる馬車の中だが、少しでも身体が休まるなら本望だ。


「ルリは昨晩寝ていなかったのですか」


「俺のせいで寝られなかったんだよ。今はそっとしてあげて」


「ヒスイのせいで……? 一体何を……」


「なんか変な勘違いしてない?」


 タマユラの勘違いを正しつつ、俺はルリの寝顔を見つめる。

 あどけなさの抜けきらない少女だ。

 無防備に眠っている姿は、俺の庇護欲を掻き立てる。

 この寝顔をいつまでも守ってやりたいと、そう思わせる魅力がある。


 だけど、芯のある強い子だ。

 何度もルリの真っ直ぐさに救われた。


 色んな一面が見られて、俺のポジションはお得だなぁなんて考えていた。


 と、同じくルリに向けられた視線に気付く。


「ルリはそんな顔で眠るのですね。まるで子どもみたいです」


「ルリは……たぶん、大人と子どもの真ん中にいるんだと思う」


 成人という境目は、風土や文化によって異なる。

 12歳で成人の儀式を行う村もあれば、20歳まで大人と認められない街もあるのだ。


 だから大人か子どもかなんて曖昧な線引きは、年齢で一概に推し量ることはできない。


 その上で言うと、ルリはきっと大人なのだろう。

 ルリの詳しい過去までは知らないが、早くに冒険者としての器量が芽吹き、S級にまで上り詰めた。

 強大なモンスターと戦い、人間関係で悩み、数え切れないほどの経験を積んできたはずだ。


 人生経験という面では、そこらの中年よりも豊富な可能性さえある。


「だけど……きっと、心残りがあるんじゃないかな、どこかで」


「心残り、ですか?」


「俺たちって、お互いの過去のことをあまり語らないけど……大体察しはつくでしょ?」


「まぁ、なんとなくは」


 恐らく、ルリは本当の意味で子どものうちに親元を離れている。

 それは、冒険者として生計を立てていたからというのもあるし、普段の振る舞いからもそう思える部分がある。


「たまにやたら子どもっぽかったり……かと思えば、いざと言う時には俺よりよっぽど大人っぽい振る舞いをしたり」


「大人であろうとする子ども、ってのがしっくりきますかね」


「ルリは頭もいいし、世界最高峰の実力も備わってるから、行く先々で大人として扱われてきたんだろうけど」


 まだ、子どもでいたかったのではないか。

 本当は誰かに甘えて、かわいがって欲しかったのではないか。


 親からの無償の愛を、充分に注がれる前に独り立ちしてしまったのではないか。


 ルリの――ある種ちぐはぐな人間性は、そんな予想を立てられるものだ。


「……冒険者にはよくある話です。まだ身も心も成熟し切る前に親元を離れることになり、生きるために必死で冒険者になった、なんてのは」


「ほんと、よくある話だよね」


 だが、現実は甘くない。

 世の中には、冒険者としてしか生きる術がないのに才も人望もなく、終いにはひっそりと野垂れ死ぬような人間も数多くいる。


 そんなこの世界で、ルリは魔法の稀有な才能を持って生まれた。それは、とても幸いなことだ。

 『パーティメンバーの魔力を喰らう』なんて呪いのような副作用があっても、生きられないよりはよほどいい。


 そのせいで悩みを抱えていると言ったって、今なお己の無力に嘆く多くの人々から言わせれば、そんなの贅沢な悩みだと切って捨てられるだろう。


 だって、ひとりで生きていく力があるのだから。


「俺、ルリと出会えて本当によかったよ」


「ヒスイくらいにしか受け止められないですからね、ルリの悩みは」


 でも、このパーティでは何も気にしなくていい。

 ルリの悩みも自責も、俺が丸ごと引き受けよう。


 今のところは、それが出来る唯一の人間が俺で、唯一のパーティがここだ。


 ルリに救われた分、俺がルリを救おう。

 ルリに甘やかされた分、俺がこれでもかってほどルリを甘やかしてやるのだ。


 いや、俺だけではないか。

 タマユラだって、ルリを甘やかしてくれるはずだ。


 この3人で分かち合うのは、喜びや幸せだけじゃない。

 苦しみや悲しみ、怒りや絶望でさえも、3等分するのが俺たちのパーティの在り方にしたいと思う。


 ま、これも半分はルリの受け売りなんだけどね。


「――俺、もう大丈夫みたいだ。とりあえず、メンタルがヤバかったのは落ち着いた。全部ルリとタマユラのおかげだよ。本当にありがとう」


「いえ、大したことはしてませんよ。でも、また何かあったら相談してください。私だっていつでもヒスイを甘やかしますからね?」


「年下のルリに甘やかされるのは背徳感がすごかったけど、お姉さん属性のタマユラに甘やかされるのはなんかまた別の扉開きそう……」


 特に最近のタマユラのカッコいいお姉さん感はすごい。

 思えば、たったひとりでバエルと対峙しながら、臆することなく前を向いていたところからヤバい。


 失礼ではあるが、あの時のタマユラではバエルには届かなかっただろう。

 それなのに一抹の絶望すらも見せず、皆の希望を背負って立つあの姿。

 やはりタマユラは、俺の憧れだ。


「タマユラの心の強さって、どうやったら身につくんだろう」


「自分ではあまりそう自己評価することはないですが……アークデーモンの時も、お恥ずかしいところをお見せしてますし。ただ、強き者を敬い、弱き者を助けるというのは家訓ですからね。強いて言うなら、生まれつきです」


「なんか身も蓋もない……」


 やはり、付け焼き刃ではタマユラのようにはなれないか。

 ほんの少しでも、その誇り高き姿に近付くための方法論があればと思ったのだが……そんな、頭で考えてどうにかなるようなものでもないよな、たしかに。


 脳みそよりも先に心が――信念が体を突き動かすくらいじゃないと、タマユラのようにはなれそうにもない。


「――ヒスイ。少し腹を割って話しませんか?」


 なんて考えてると、タマユラに突然そんな言葉を投げかけられる。


「腹を割って……? 俺、いっつも本心で話してるけど……」


「ヒスイが嘘をつかないのは知っています。ですが、隠し事をしてないわけではない――違いますか? 触れられたくない場所が、あるのではないですか?」


 カッコいいお姉さんは、俺を見透かしてそう言った。

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