『命焦がす想望』
「今のがウワサの、『天の声』ってやつね……」
存外、恐怖心というものはなかった――と言えば、嘘にはなるが。
勢いに任せて飛び起きてしまえば、あとは目の前の怪異と対峙する道しか残されておらず、未だ信じ難いほどのピンチに直面している私は、半ばトランス状態に陥っていたのだと思う。
つまり。
「もう後には引けないってこと――!」
力いっぱいその場から飛び下がり、状況を確認する。
相も変わらず身も竦むような、それでいて人間と同じ造形をした魔物は、ちょうど私と同じくらいの体長をしていた。
ただしそれは頭からつま先までの長さを測った場合の話で、手足は異常なまでに長く、頭は歪に凹んでいる。
最も嫌悪感を促してくるのは――月光も届かぬ深い夜の中とはいえ、まるで塗りつぶされたように不自然な『影』であること。
そして、何故だか両の眼だけがぽっかりとくり抜かれたように空洞になっていることだ。
「それが……4、5体かしら」
全く、忌まわしいったらありゃしない。
私は額に滲む汗を乱雑に拭きとり、数時間ぶりに短剣を握りしめる。
身体は――重い。
それでも動けているのは、奇跡か、あるいは火事場のなんとか力ってやつか。
もちろん、たった一発で倒れてしまうような魔法に頼ることはできない。
なら、頼りないこの短剣を振るしかないわけだ。
そりゃもちろん、懸念はある。
私に剣が振れるのか。
振れたとして、この『影』に届くのか。
届いたとして、仕留めることができるのか。
仕留めることができたとして、同じことを5回もしなくてはいけないのに――。
そんな余計なことを考えるより、私はこの『影』――恐らくモンスターである彼らを倒して、無事に帰るのだ。
恐らく以前の私は、冒険者だったのだろう。あるいは、どこかの町の護衛か、街や国の軍兵――はなんとなくなさそうだけど、とにかく何度も何度も魔法を使い、モンスターを倒してきた。
時には剣も振って、バッタバッタと敵をなぎ倒してきたはずだ。
まぁ本当のところは誰にもわからないけれど、そっちの方が都合がいいから、そう信じる。
だから今回も、以前の私と同じように、モンスターを倒す。
そう、このモンスターを――、
「――あれ。……そういえばあなたたちって」
――本当に、モンスターなのか。
そんな、考えれば当然の疑問が浮かぶ。
頭に血が上っていたからか、たった今まで違和感に気付かなかったが、だってそうだろう。
私は彼らに、何の危害も加えられていないのだから。
本能は危険信号を発しているものの――、
「……こうやって見つめ合っていても、何もしてこない」
こちらに興味は示している。だけど、さっきあれだけ至近距離まで近付かれた私は、まだ生きている。
それから、再びにじり寄ってきてもいるが、その速度はかなり遅い。
そう、例えるなら――私が全力で走れば、追いつかれることなく逃げられるのではないか。そう思えるほどだ。
「――よし」
逃げられるのであれば、危険を冒してまで戦う必要もない。
意を決した私はその『影』に背を向けて、張り裂けそうな心臓と、棒のような足に喝を入れ、一気に走り出す。
「――え」
まず右足が緩い土を思い切り蹴り飛ばし、左足を前に出そうとして、違和感に気付く間もなく、盛大に転ぶ。
何が起こったかを頭で把握するより、本能のままに走り出すことが先決だと判断し、瞬時に立ち上がろうとすると、また転ぶ。
やっと一筋の月明かりに照らされた私には、左足の膝から下がなかった。
■
「――っあァアあァぁあっ!」
声にならない金切り声が漏れる。
痛い。痛い。痛い。痛い。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い――。
――痛いのかすら、わからない。
頭がぐっちゃぐちゃになって、痛みなんて、もはや感じていないのかもしれない。
「み摣ッ辟塺」
「ぁ、あ……」
気がつけば、私の左足はなくなっていて。
気がつけば、私はその場に倒れ込んでいて。
気がつけば、たくさんの『影』に囲まれていて。
そして、気がつけば――、
「――っ! あ、あァァぁああぁっ!」
――右腕も、もぎ取られていて。
それから、
「――――――っ!!」
――左腕も、もぎ取られて。
ああ、きっと、右足ももぎ取られてしまうのだろう。
もはや肉の塊となった私は、意識を保っているのが――いや、呼吸をしているのが不思議なくらい、終わりがすぐそこまできていた。
「――に騶?」
「な、に……よ……」
憎たらしいふたつの空洞が、ねっとりと私を覗きこんでくる。
まるで、『死』そのものが手をこまねいているようだ。
でも。
どんなにその時が迫ってきても。
どんなに、救いの目がない絶望的な状況でも。
「涅涅涅。ユぬ厞?」
「は、ふしぎ、みたいね……わたしが、なんで、しなない、のか……」
決して、意識は手放さない。
毛頭、死ぬつもりなんてない。
だって、
「――だって、きめた、もの……っ。わたし、『生きる』んだから――!!」
死なない。死んであげない。
一度そう決めたことを、易々と手放すようじゃ、褒めてもらう以前の問題だ。
あんまり私を舐めないでほしい。
生憎と、簡単に心を翻すような、そんな素直な女じゃないのだ。
だから、本当に最期の最期まで、私は――!
「――【夢断ち】」
「――――」
ぷつりと、目の前が暗くなる。
瞬間、真っ暗で何も見えない闇の森は、仄かな灯りが照らす柔らかな森へ姿を変えていた。
何体もいたはずの『影』は、たった1体を残して消え――その1体も、物言わぬ死体となって事切れている。
欠けていたはずの私の四肢は、まるで全て夢だったかのようにしっかりとくっついていたし、痛みもない。
そして、その灯りの真ん中に立つのは、見覚えのある風貌で、見覚えのない表情をしたS級冒険者――、
「――よかった、生きてて、本当によかった……」
「……大丈夫、私、勝手に死んだりしない、わ」
自然と、そんな言葉が出た。
今まさに私の命を救ってくれた彼に、見つけ出してくれた彼に――一筋の涙を零す彼に。
お礼よりも先に、そんな言葉が出た。
そんな私の言葉を聞いた彼は、泣き笑いのような顔になり、その場にドサッと座り込んだ。
「……こいつは、C級モンスター【喰人】。幻術を使って、目が合った人を内から殺すんだ」
「……喰、人」
「そう。俺ら冒険者ならともかく、戦闘力も対処法も持ち合わせてない人が引っかかったらまず命はない。個の戦闘力はそこまで高くないのに、危険度はC級と高めに設定されてるのは、そういう理由があるんだけど……」
言い聞かせるように説明していた彼が言葉を止める。
チラリとこちらを見やり、また視線を戻す。
そして考える素振りを見せながら、心底不思議そうに再びこちらを向いて続けた。
「君は完全に幻術にかかってた。それも、かなり深く。なのに、よく生きててくれたね」
「……たぶんだけど」
私の精神力の強さが理由――なら自慢もできるんだけど、それは違うだろう。
他に心当たりがあるとすれば、例の進化したスキルくらいのものだ。
――【命焦がす想望】。
どんなスキルなのかは、わからない。
だけど、ひとつだけわかることもある。
「私が本気で『生きる』って叫んだとき、なんか、心が燃え上がったような気がしたの。私は『生きる』んだ、って。絶対に死なない、って。想いが通じたのかしらね」
「――なるほど」
まぁ、ちょっとだけ願望も込みではある。
だってほら、想いが力に変わるって、ロマンチックじゃない?
使い道が血なまぐさい戦場で、肝心の想いが命への渇望ってのがちょっとアレだけど。
「ま。だとしても、最後まで諦めずに心を強く持ったアリアの勝利だ。ほんと、強い人だよ、君は」
「――――」
「でも、これに懲りたら一人で外に出るなんて危険なことはやめてほしい。俺が空いてる時だったらいつでも呼んでくれていいし、俺がダメでもうちのちびっ子か頼りになるお姉さんを――あれ、どうしたの?」
その優しい笑顔に呼ばれる名前は、知っている。
いや、そう呼んでくれる人を――知っている。
ぼんやりと、その温かさに触れたことを、心が覚えている。
怪訝そうにこちらを覗き込む表情も、きっと知っている。
「――私、あなたを知っていたのね」
「……アリア」
「助けてくれてありがとう……ヒスイ」
記憶は戻らない。
だけど、きっと、私が取り戻したかったものは、ここにある。
「――帰ろうか」
「うん、帰りましょう……あ」
歩こうとした瞬間、足がもつれて土に倒れ込む。
咄嗟にさっきのことを思い出し、大慌てで視線を落とす。
足は――ある。
両方ともちゃんと、私についている。
だったらなぜ――と考えるより先に、彼が答えを出した。
「魔力の枯渇か。よし、おぶっていこうか?」
「そうね……申し訳ないけど、歩けないか、ら……」
背中を向けてくれている彼に寄りかかろうとして、思考が巡る。
何かを忘れている気がする。
重大な見落としがある。
そんな悪寒が全身を支配し、言葉が詰まる。
「……アリア?」
そんな彼の声も、今の私には届かない。
それよりも――いや、だからこそ、その見落としが大きな後悔に繋がる。そう、直感で思ってしまっている。
直感は大事なものだ。
言い換えれば、自分の本質。
深層心理が、思い出せと叫んでいる証拠だ。
こんな時は――そう、遡って、思い返してみればいい。
私は、野草を採りにきて、魔法でモンスターを倒して、【喰人】の幻術にかかって――幻術、幻術だ。
私を苦しめた幻術。四肢をもぎ、死を目の前に運ぶ幻術。
私は、いつから幻術にかかっていた?
四肢をもがれた時――幻術。
5体の喰人に囲まれた時――死体が1体分しかないことを考えれば、あれも幻術か。
ちょうど同じ頃、私は恐怖にあてられ涙や鼻水を――。
「っ――!」
恐る恐る視界に入れたズボンに大きな染みを確認して、私は彼を突き飛ばした。
■
「なにも、突き飛ばさなくてもよくない……?」
そんなに俺の背中が嫌だったのかと落ち込む彼には、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
だけど、こっちも年頃の乙女なわけで。
さすがにこれで男の人に跨るわけにはいかない。
いや、男の人じゃなくても跨るわけにはいかないか。
ともかく、私の魔力が回復するまで待ってもらうことにした。
というていで、どっちかというと乾くのを待っている。
このズボンは帰ったら捨てる。すぐに。
「結構お気に入りだったんだけどな……」
「え、なにが?」
「あ、いや。こっちの話よ」
声に出てたらしいので、素早く誤魔化す。
とはいっても、S級冒険者である彼ならば、観察眼にも優れているだろう。
わかっていながらスルーしてくれている可能性もあるけど……そうじゃないと信じよう。その優しさは逆に痛い。
それにしても、S級冒険者とはなんと心強い存在だろうか。
正直、私のわがままで乾くまで……魔力が回復するまで待ってほしいと伝えた時、怒られると思っていた。
何を言っているんだと。夜の森を舐めすぎだと。
危険でいっぱいなのだから、無理をしてでも今すぐ森を抜けるべきだと、当然のように諭されると思っていた。
そんな覚悟で口にしたわがままは、彼の「あ、そう? わかった」の一言であっさり受諾されてしまった。
なんでも、【喰人】程度だったら100体が同時に襲ってきても後れを取ることはないんだとか。
「……ねえ。私も前はS級冒険者だったりしたの?」
「……いや。君は、E級冒険者だったよ。俺と同じね」
「そう」
なんとなく聞いてみたものの、まぁわかりきっていた。
だってもし私がS級冒険者だったら、ある程度顔も割れてるだろうし、昔の知り合いが大勢訪ねてきてもおかしく――あ、なるほどね。
「もしかして、あなたは私を探してセドニーに……あの店にきたのね?」
つまり、そういうことだろう。
S級冒険者の情報網を持ってすれば、探し人のひとりくらい簡単に見つかるはずだ。
つまりこの人は、私を探してこの街に――、
「あー……いや、全然そんなことなかった」
「全然そんなことないの!?」
「うん、超偶然」
「偶然ってすごいのね……」
ガックシと肩を落とす私を見て、彼が笑う。
笑った彼を見て、私もまた小さく噴き出す。
冷たい風が刺すはずの森の中で、暖かい空気が私たちを包み込むと、心までがほんのりと熱を持った。
やがてひとしきり笑い合うと、彼が息を整え、真面目な口調で言った。
「――アリア」
「私のこと、よね」
「……そうだ。もうわかってると思うけど、君の失った過去を、名前を、歩んできた道を、俺は知ってる。答えが欲しければ、時間はかかると思うけど、全部伝える。聞きたいか?」
「そう、ね。私は――」
過去。それはきっと誰にでもあるもので、自己を形成する材料なのだろう。
過去があるから、反省する。成長する。強くなれる。
人は過去を頼りに、大事な何かを見つけるのだろう。
だけど私は――、
「ううん、いらないわ。私は、ここにいるもの」
「――――」
両の手で、心臓を包み込むように撫でる。
心があるなら、きっとここだろうから。
過去。それは、私には必要ないものだ。
必要なものは、全部もらった。
――いや、全部ではないのだろう。
だけど、少なくとも、過去に縋らないと手に入らないものは、もうない。
充分過ぎるほど、与えてもらった。
「大事なのは、今とこれからよ。失った過去に悩むより、未来の自分に期待した方が得だもの」
私は、天に手をかざした。
その動作はなんとなく小っ恥ずかしいし、そもそもやる必要もないことだけれど、ちょっとだけカッコつけたい気分なのだ。
そして、ずっとずっと避けていたその言葉を、紡ぐ。
「ステータス!」
『ステータスを表示します』
ーーーーーーーーーーーーーーー
アリス・グレーデン Lv.7
看板娘
【スキル】
命焦がす想望
ーーーーーーーーーーーーーーー
案外、あっさりとしたものだ。
あぁ、だけど。これでやっと、胸を張ってマスターの家族を名乗れる。
「私はアリス。アリス・グレーデンよ」
「――アリス。いい名前だ」
「でしょ? おばさまが付けてくれたのよ」
きっと、私の知らない私がいるのだろう。
『アリア』が感謝を伝えたい人だって、いるはずだ。
私はそれを忘れちゃったかもしれないけれど――、
「――私は、生きるわ」
きっとそれだけで充分だと、目の前の彼ならそう言ってくれるから。
私は、私を生かしてくれた全ての人へ感謝を込めて、今日を生きる。明日も生きる。
「……ほんと、いつだって君には敵わない」
ぽつりと呟くその声が、広い星空に溶けていった。
■
「送ってくれてありがとう。それから、助けてくれて、本当にありがとう」
「気にしないで。……生きててくれて、本当にありがとう」
「ふふ、お礼言い合って、なんだか変な感じ。ていうか、私の認識不足が原因なんだし、もっと責めてくれていいのに。このクソ雑魚木偶の坊が! って」
「言うわけないだろ!?」
「冗談。またお店にも来てね。じゃ、おやすみ」
「あ、ああ……おやすみ」
扉の閉まる乾いた音を聞いて、男は息を吐く。
人もまばらな往来を歩き、家路につく。
「遅くなっちゃったな……ルリとタマユラ、もうご飯食べちゃったかなぁ」
数日後に遠征を控える彼は、まだ知らない。
煌々と輝く星空に照らされる男には、知る由もない。
――見慣れたあの店を訪れる日は、もう二度とないことを。
ーーーーーーーー
Side Aria:独唱『産声』
完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます