覚醒の章  2-10

「ニーニャっ。ニーニャよね。生きてたの?」

私は我を忘れて彼女の肩を掴んで揺さぶり叫んでいた。

しかし、彼女の表情に変化はなく、ただ能面のようにこっちを見ているだけだ。

そして、手から伝わってくる冷たさ……。

それで私は理解した。

マリサさんが私をこっちに行かせたくなさそうな態度だった事。最後に言った言葉の意味が……。

そうですか。

そういうことですか。

私は熱湯が一気に冷水に代わったかのように熱気が引いていくのがわかった。

そして肩から手を離す。

まるでそれを待っていたかのように、ニーニャだったものが口を開く。

「ご主人様がこちらでお待ちしております」

その言葉は棒読みで感情を微塵にも感じさせないものだ。

私は自分の中にくすぶり始めた炎を押さえ込む。

「いいわ。案内して……」

「では、ご案内します」

そう言ってきびすを返すと歩き出すメイド。

私はそれについていく。

そして、しばらく歩いた後、突き当りの両開きのドアの前に案内された。

「こちらでご主人様がお待ちでございます」

脇に寄って会釈をするとメイドはその場所から動かなくなった。

ようは自分であけて入れと言う事らしい。

横目で動きの止まったメイドを、かって友と思っていた女性をもう一度見る。

哀れだと思う気持ちもあるが、こうはなりたくないという気持ちの方がはるかに強かった。

そして、謝罪と怒りの感情が心の中をのた打ち回っている。

それは黒と赤い炎が混ざり合い、より深い黒になりつつあった。

そして角のある辺りの霊気が凝縮しつつある感覚。

まるであの時と同じ様な感覚だった。

それをなんとか押さえ込み制御する。

すーっはーっ、すーっはーっ。

何度か深呼吸をして気を落ち着かせると私はドアノブに手を伸ばした。

ゆっくりとノブを回してドアを開ける。

スーッとドアが開いた先には豪華なシャンデリアが並ぶ煌びやかな大部屋だった。

壁にはいくつもの絵画が並び、中央には真っ白に輝くテーブルクロスがかけられた大きなダイニングテーブル。

テーブルの上には煌びやかな花がいくつも並べられており、白いテーブルクロスの上という事もあって彩色鮮やかに咲いていた。

そしてテーブルの横にはいくつもの椅子が並んでいる。

まさに、本や映画あたりで出てきそうなダイニングルームだ。

「よく来てたな、秋穂」

一番奥の椅子に座っていたイセリナがそう言って立ち上がる。

今日は、真っ白なドレスを優雅にまとって吸血鬼のイセリナがこっちら歩いてくる。

そして私の傍まで来ると覗き込むように私を見て聞いてきた。

「どうした?顔色が優れないようだが……。なにかあったかな?」

その言葉に、一気に私の中で抑えていたものか外れた。

ぱーんっ。

あたりに響くのは私がイセリナの頬をひっぱ叩いた音。

平然とした顔でそれを受け止めてニヤリと笑うイセリナ。

唇の端から少し血が流れるものの、すぐにまるで皮膚に吸収されるかのように消えていく。

「ほほう……。なにやら角がはっきりしかけていたようだったが……。怒ったのか?」

まるでからかう様な口調。

それにあわせて放たれた私の2回目の平手打ちは彼女の手で止められる。

「なによ、あれは……。死者に敬意を払いなさい」

怒気の含んだ声で私はそう言うが、それさえも彼女にとっては楽しいらしい。

くすくすくすと笑って言い返してくる。

「それはお前が以前いた世界の常識だ。ここでは死体はモノだ。モノなら拾った者の所有物。何に使おうが文句を言われる筋合いはないぞ。それにお前のいた世界全部がそういうわけではあるまい?」

その言葉に、私は言い返せない。

確かにその通りなのだ。

死者に敬意を払う。

それは世界の共通認識ではない。

種族によっては、死体は食べ物であったり、道具の材料であったりする場合だってある。

だから、それを言われれば何も言えない。

あくまで、死者に敬意を払うというのは、私の価値観でしかない。

つまりは、この世界は以前の私の価値観で判断できる世界ではないという事を再認識させられる。

「そうね。そのとおりよ。これは私の価値観。私の考えよ。あなたに押し付けるわけには行かない。ひっぱ叩いた事は謝るわ」

私は素直に頭を下げる。

今から、私はこの世界で生きていく事になるのだ。

だからこそ、受け入れなければならない。

この事実を……。

私の言葉と態度に、イセリナは満足そうに笑う。

しかし、私の中でくすぶっているものがあるのも事実だ。

だから、言葉を続ける。

「だけど、これだけは言うわよ」

私は、頭を上げて睨みつけるようにいう。

「イセリナ……。あれは悪趣味だわ……」

私の言葉に何か面白い要素でもあったのだろうか。

言葉を聞いた瞬間、腹を抱えて爆笑するイセリナ。

それを怪訝そうに見ている私。

しばらくその構図が続いたが、涙を流しながら笑い続け、イセリナは何とか途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

「すまん……。いや、まさか愛しい人と同じ事を言われるとは思いもしなくてな……」

それでやっと私はイセリナの笑う意味を知る。

そっか、南雲さんも同じように感じて文句の一つも言ったんだ。

その事実に、私はほっとするのと同時に、彼とのつながりを感じた。

そんな私を笑いながら観察していたイセリナだったが、何とか笑いが収まると、苦笑しつつ言う。

「よかろう。ニーニャはきちんとこの後供養してやる予定だ。心配するな」

その言葉に私は違和感を感じた。

口調から、まるで最初からそうするつもりで今回の事をやったと言う風に捉えることができたからだ。

そして、それが意味する事は……。

私の為に、よりはっきりと認識させる事ではないかという事だ。

以前とは違うこの世界の理屈を、常識を……。

忘れがちになるが、人は残酷で、どんな動物よりも貪欲で、自分のためなら何でしてしまう生き物だという事を……。

その為に、あえて憎まれ役をしているのではと思ってしまう。

だが、それを聞くわけにはいかない。

ひにくれているイセリナが正直に言うわけもないし、何よりこの場合イセリナの性格を考えると聞くという行為は失礼ではないだろうか。

だから、私は「お願いします」とだけ言い返した。


その後の会食は何事もなく進んだ。

会話の主な話題は、私の力についてだった。

それを実にわかりやすく、そしてより深く入り込んで説明された。

特に何度も言われたのは、感情に支配されないように注意すべき事。

その感情の中でも、私の力の解放に関わる感情のひとつである『怒り』については特に注意すべきだと釘を刺された。

私もその忠告を素直に受け入れる。

なぜなら、今さっきまで怒りにとらわれ、角が実体化しかけていたのを認識していたからだ。

この力は諸刃の剣だ。

一時的とはいえ私の力を与えてくれる代わりに、角の実体化というマイナス点が現れる。

人は異形のものを嫌い憎む。

ただ肌の色が違う。瞳の色が違う。

それだけで憎しみ忌み嫌うことが出きるのだから。

だから外見上の変化は、大きなマイナス点でしかない。

「この世界で、角を持つ種族ってどんなのがいるの?」

そう聞いた私に、イセリナは意地悪な微笑を浮かべて、ざっと50種類くらい種族名を言っていき、最後に言葉を付け加えた。

「まぁ、このうちの実に7割が人間に絶対的な敵意を持っていて、2割がある程度の敵意を持っていて、残りの1割のほとんどがあまり人と関わりあいたくないと思っているだろうな」

要は、角を持つ種族に人間に敵意を持っているものが当たり前であり、人もそれをわかっていると言う事だ。

「はぁ……」

ため息が思いっきり口から漏れる。

頭を隠すフードか何かを用意する必要があるかもしれない。

だが、感情をコントロールできれば問題ないとも言える。

「まぁ、いざとなったら逃げることだ。『三十六計逃げるに如かず』とも言うではないか」

そう言ってけらけら笑うイセリナ。

しかし、その通りだと思いながらも、さっきから気になって引っかかるものがある。

ちょっと待て……。

さっき、ニーニャに対してイセリナは『供養する』と言った。

そして、今また『三十六計逃げるに如かず』といったこの世界にない言葉を使っている。

それって……。

私はごくりと唾を飲み込み、そして言葉を選びつつ、確かめるように聞いた。

「もしかして、イセリナって……日本人なの?」

その問いにイセリナの笑いが止まり、目が細くなる。

そして瞳に宿るのは敵意。

ゆらゆらと背後にオーロラのようなものが立ち上がり、それが背景を歪めている。

禍々しい気が当たりに充満していき、にぃぃっと口角が釣りあがり、牙が唇から見え隠れする。

「それを聞いてどうするのかな、秋穂」

その強力な圧力に私は圧倒され動けない。

まさに蛇の前の蛙だ。

なんとか口を動かす。

「い、今、ちょっと思っただけ……よ」

その瞬間、まるで一気に温度が変わったかのように今までのしかかっていた威圧感が消え去る。

「なら、気にしない方がいい。藪をつついて蛇を出すなんて言うでしょ」

そう言ってかわいらしく舌を出すイセリナに、わたしは頷く事しかできなかった。



イセリナの食事の招待から1週間が過ぎた。

あの後は、イセリナが私に関わる事はなく、時間が過ぎて用意されたプログラムを無事終了することが出来た。

そして、明日出発となったその晩に、南雲さんは私に係わり合いのある人たちを呼んでパーティをしてくれた。

正確に言うと立食式の食事会といったところだろうか。

それでも、わざわざそういう会を用意して送り出してくれるあたり、実に南雲さんの人柄を表していると思う。

そして、マリサさんからは、一冊のノートと筆記用具を渡され旅先について記憶を残すといいというアドバイスをもらい、アーサーさんからはいざという時に使いなさいと小さなイヤリングをもらった。どうやら一瞬だけとはいえ、念じれば動きを加速できるらしい。

南雲さんからは、しばらくの資金にしなさいと旅の旅費を用意してくれた。

まさに至れり尽くせりである。

そして、それ以外の人たちも私の元に来て励ましやアドバイスをかけてくれたり、旅たつ門出にとプレゼントを用意してくれたりと実にサプライズに満ちたイベントとなった。

そして最後に残ったのは、あの日以来顔をまったく会うことのなかったイセリナだ。

今は少女の格好をしているゴスロリイセリナで、すました顔で私に近づくと大事にしなさいといって私の手の上に何かを置いた。

えっ、何?

と思った瞬間、置かれたものが動き出し、私の肩にまで一気に上りきる。

「クレラットという動物なの。名前はあなたが付けなさい」

そう言われ、肩にちょこんと座り込んでいるネズミとリスの合わさったような生き物を見る。

茶色の体毛に所々白い点といった感じの模様が入り、なかなかかわいい。

「ありがとう……。すごくかわいい」

私がそう言うと、イセリナはすーっと私に近づくと耳元で囁く。

「生き続けなさい。あなたの価値観に合わない処遇を受けないように足掻く事ね」

それだけを言うと、さっさとこの場を離れていく。

それはイセリナなりのアドバイスという事なのだろう。

だから、私はイセリナに言う。

「わかったわ。足掻き続けて見せるから」

その言葉にイセリナは振り返ることはせず、ただ片手を億劫そうに振っただけだった。


こうして、私の旅立つ前日の出来事は終わり、私は明日、ここを旅立つ。

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