覚醒の章  2-9

南雲が部屋に入るとベッドで上半身を起こして窓の外を見ている秋穂がいた。

「もう大丈夫なのか?」

その問いに、秋穂はゆっくりとこっちを向いてにこりと笑う。

しかし、その笑顔は以前のものに比べれば、何かがかけているように感じられた。

「ええ。もうすっかりいいみたいです。それどころか、こっちに来てから最高のコンディションかもしれないわ」

「そうか……。それはよかった」

そこで会話が途切れる。

沈黙が続き、互いに相手を見ている。

そんな状況が5分も続いただろうか。

クスクスクス……。

その沈黙を破ったのは、秋穂だった。

「そんな顔をしないでくださいよ、南雲さん」

まるでわかっていますといわんばかりの言葉と表情だった。

「すまない……。約束したはずだが君を元の世界に戻せなくなった……」

搾り出すかのような声で南雲の口から言葉が漏れる。

秋穂にとって衝撃的な発言のはずなのに、彼女は微笑んでいた。

「ええ。わかってます。だって、私、この世界に適正してしまったんでしょう?」

言葉こそ違うが、彼女は自分に起こっている変化がわかっているようだった。

「俺達は、覚醒と呼んでいる……」

「覚醒……。そう、そっちの方が正しいのかも……。この肉体が精神としっかりと結びつき、まさに私の血と肉となっているのを実感できる感じから……」

そして、くすりと笑い、自分の額の方を指差す。

「それに、これも生えてきましたし……」

彼女の額には、二本の角があった。

しかし、その角は、ぼんやりとした感じで南雲でさえもはっきりと認識できないでいたが、本人にとっては肉体の一部だ。

認識できて当たり前なのだろう。

「まぁ、立体映像っぽく見えなくはないんですけどね」

そんな事を言いつつ角を握ろうとするが、手は空を掴むだけだ。

「それは霊気の塊みたいなものだからな。普通の人には見えないし触れない。ただ、強い感情に満たされた時のみ実体化し、それによって強力な力を得られる……」

南雲の説明を真顔で黙って聞いていた秋穂だったが、すぐににこりと微笑む。

「なら、それが見えている南雲さんも、普通じゃないってことですね」

その言葉に南雲は頷き、左手の手袋を外す。

そういえば、今まで食事の時でさえ彼は手袋を外していなかった事を秋穂は思い出す。

違和感がないようなぴったりと肌に張り付くタイプの手袋だったから余計にそう感じたんだろうか?

そんな事を思っていると、どうやら私の思っていた事は南雲さんにはわかっていたらしい。

「この手袋は魔法がかかってな。意識を拡散させてしまうんだ。まぁ、簡単に言うと違和感をなくさせると言った方がいいかな」

手袋をひらひらさせて説明してくれる。

そして、左手をゆっくりと私の前に広げてみせる。

ただの普通の人の手だが、秋穂には、その上にぼんやりとだがゆらゆらと炎のようにまとわり付くものが見える。

「それは……」

秋穂の口から言葉が漏れる。

「よくわかっていないんだ。今まで実体化した事はなかったからな。だから何もわかっていない。ただ……」

「ただ?」

「とてつもない力を持っている感じだけはするんだがな」

確かに言われてみれば、そんな感じがする。

しかし、力が発揮できなければ意味がない。

それでは宝の持ち腐れでしかないのだから。

少し、おどけた口調で南雲は「イセリナは、『幽鬼』って言ってたがね」と言葉を続ける。

「ゆうき?」

「幽霊の鬼という意味らしいが……。なんでそういう言葉が出たのかわからないけどな。そういえば君は『鬼』って言われたんだっけ?」

『鬼』という言葉が出てきたとたん、私の中でぐるりと何かの力がわきあがってくるような感覚が走る。

「ええ。そうですよ。鬼の姫ってね。そして、それが相応しいと感じました。もしかして南雲さんの時もですか?」

秋穂の問いに南雲はうなづく。

「なら、この呼び名が正しいのでしょうね。なぜだかはわかりませんけど……」

「そうだな……」

そしてしばらく沈黙が続いた後、南雲が口を開く。

「元の世界に戻れないとしてだ。それならこれからどうするんだ?君の望みを教えてくれ。できる限りの事はしたい」

「いえいえ。南雲さんが気にする事じゃないですよ」

秋穂は慌てた様にそういう。

彼女にしてみれば、自分の決断から生じたことなのだ。

南雲が気にする必要はないと思ったのだろう。

「いや、そう言ってくれるのはうれしいがせめて約束を守れなかった償いに出来る事はさせて欲しい」

その言葉に秋穂はくすりと笑う。

この人は責任感が強くて、相手を思いやる事ができる人だと再度実感して。

だから、ここで何もしなくていいといえば、南雲さんを傷つけてしまうかもしれない。

そう秋穂は考えた。

なら少しぐらいは甘えていいのかもしれない。

それなら……。

「うーんっ、そうですね」

少し悩んだ後、秋穂はにこりと笑っていった。

「もし、南雲さんが許可してくれるなら、この世界を旅して周りたいですね」



それからはとんとん拍子に話が進んだ。

南雲さんは反対しなかったが、しかしそのままさあ旅にどうぞとはならなかった。

何をするにしても私は足りないものだらけだったからだ。

だから、その為の知識や技術を身に付ける必要があった。

南雲さんはまず簡単なこの世界の常識、それを覚えるための機会を用意してくれた。

そして、一般的知識やサバイバル術、生きていくのに必要な技術を習得する機会も……。

もちろん、その合間合間に格闘術や武術の習得、武器や防具の特徴なんかも覚えこまされた。

ある意味、かなりのスパルタとなったが、それも私の為にやってくれている事だ。

だから、必死になって覚えていく。

それに、私はそれらを身につけておく必要がある。

なぜなら、今まで生きていた世界の常識がまったく通用せず、そして、今度は自分の身は自分で守らなければならないのだから……。

「ふう、疲れたぁ……」

力尽きたように机に上半身をだらりと乗せて呟く。

ハードスケジュールだが充実した一日が終わった。

その日にやらなければならないことを全てやり終わった達成感に満たされながら力を抜く。

そんな私を見てアーサーさんが苦笑している。

「お疲れ様でした。しかし、がんばってますね」

しみじみとそう言われ、私は顔を上げると苦笑を浮かべる。

「我ながらそう思います」

そしてゆっくりと上半身を起こして首を動かして肩を回す。

コキコキといい音がする。

「まぁ、でも自分のわがままだからね。がんばらないと」

「そうですね。でも……」

「でも?」

「もうすぐあなたがいなくなると思うと少し寂しくなりますね」

寂しそうな笑顔を浮かべてそう言ってくれるアーサーさん。

その言葉に素直に感謝の言葉を述べる。

「まぁ、また戻ってきます。ここは、私の初めての場所。故郷みたいなものですから……」

「そうですか。それはうれしいですね」

そう言ってアーサーさんは部屋から出て行った。

そして。それと入れ替わりに入ってきたのは、マリサさんだった。

「お疲れ様です。霧島様」

「あ、はい。ありがとうございます」

たしかこの後は、何も予定はないはず……。

普通なら、他のメイドさんが来てどうするか聞いてくるはずなのだが、なぜメイド長のマリサさんが?

何かあったのかな……。

そんな事を思っていると、いつも無表情の彼女が珍しく言いにくそうにしていた。

だから、こっちから声をかける。

「えっと、何か?」

私がそう聞くと、少し躊躇したものの口を開いた。

「もう少ししたらあなたはここを離れるから、イセリナ様があなたと食事でもしたいと……」

「どういう風の吹き回しかな……」

「さぁ……。私にはわかりかねます。ですが、親睦を深めようと言う事ではないでしょうか」

そうは言うものの、マリサさんの口調は重い

多分、そうだとは思っていないのだろう。

「どうしょうかな?断る事もできそう?」

私がそう言うと、

「ええ。出来ると思います。お断りいたしましょうか?」

と即答してくる。

どうやらマリサさんとしてはあまり彼女と関わってほしくないらしい。

前回のさらわれた時の事もあるからだが、それ以上にイセリナのことが好きではないのだろう。

まぁ、この屋敷でイセリナに気を許しているのは、南雲さんぐらいだし…。

でも、せっかくのご招待だ。

一応、同類としては、いろいろと旅に出る前に話をする必要もあるしね。

そう思って、「受けるよ」と答える。

その時のマリサさんの顔は、今までみた事もないほどひどい顔だった。

多分、受けて欲しくなかったんだと思う。

そして、その理由は後から知る事になる。



「こちらから下がイセリナ様の領域でございます」

マリサさんは私を地下への階段のところまで案内すると、そこから先に行こうとはしなかった。

多分、ここから先は人として踏み込んではいけない領域だとわかっているのだろう。

だからこそ、一緒に行けない悔しさが鉄仮面の表情顔から漏れていた。

「ありがとうございます、マリサさん」

私はそう言って階段の方に歩き始める。

「お気をつけて……。気をしっかり持ってください」

そんな事を言われて、一瞬、えっ?と思ったが、今更引き返す事もできず、私は歩くしかなかった。

こつんこつん……。

階段を降りる時に響く音だけが反響する。

まるで炎のようにゆらゆらと魔法の光が揺れており、いくつもの影が歩くたびに躍っているように動く。

同じような光景がぐるぐると続きどれくらい降りたのか感覚が麻痺し始めたころ、永遠に続くと思われた螺旋階段は終わり、目の前には扉があった。

金属製の豪華絢爛だがとても冷たい感じのする扉だ。

そして、私が扉に手をかけようとした瞬間、それを待っていたかのように扉は開いた。

扉の先には、一人の女性が立っている。

よく知っている髪型。よく知っている顔……。

そう、扉の先に待っていたのは死んだはずのニーニャだった。

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