覚醒の章 2-3
「気をつけて……」
「いってらっしゃいませ」
「無事の帰還をお待ちしております」
館の前にはイセリナをはじめ、メイドさんやアーサーさん、それにミリアさんに執事と思われる渋いおじ様風の男性や使用人の男性など二十人近くの人がそれぞれの言葉で南雲さんや一緒に行動する人たちを見送っている。
もちろん、私もそのうちの一人だ。
馬上の南雲さんの視線がみんなの顔をすーっと流すように見ていき私のところで止まる。
こくんと頷くだけだが言葉がなくても彼の言葉は伝わった気がする。
だから、私は頷き返す。
それを見て引き締まっていた顔が緩んで少し笑うと再度顔を引き締めた。
そして右手を上げると出発の合図を送る。
それと同時に部隊はゆっくりと動き出す。
私はそれを見送った。
そして、その見送る私をじっと見つめる視線があったが、私はそれにまったく気がつかなかった。
「ふう……」
私は自分の部屋で本を読んでいた。
いや読んでいたというより眺めていたと言うべきだろうか。
マリサさんから渡された指輪はかなりの高性能で、どういう原理かわからないものの文字なんかも見ればそれを脳内で私の知っている言葉に変換してくれる。
目で見えているのはまったく意味のわからない文字なのだが、その文字の意味を理解できるというなんともいえない現象になっている。
だから、読んでいるというより眺めて脳内で変化されて意味がわかるといった方が正しい気がする。
しかし、便利そうなこの指輪だが一つ欠点がある。
処理の問題だろうか。
長い文章の場合は、一瞬だが変換が遅れることがある。
だから、文章の量にもよるが一気に1ページ分を眺めると書かれている意味が理解できるのに数秒かかるなんてこともある。
それに、この行為はすごく疲れる。
脳を普段より以上に酷使しているという感じがする。
だから、普通なら問題ない何気なくメモを読むだけといった行為もちょっとした疲労を感じるほどだ。
その反面、喋ったり、聞いたりといったことは疲れも感じないし、タイムロスはまったくないといってもいい。
まぁ、何十人の人がしゃべっていたりということになると情報量は多くなって処理が落ちるかもしれないけどね。
で、暇なので部屋においてある本なんぞを眺めてみたのだが、三十分もしないうちにどっと疲れてテーブルに本を投げ出した。
まぁ、本の内容はこの辺近辺に伝わる伝記や昔話を集めたもので面白そうなのだが、本を読むことはそれほど好きではない上に、疲れるというマイナス部分が追加され余計にやる気がそがれてしまう。
元の世界では、目が疲れるということはあったが、脳が疲労感を覚えるというのは経験ない。
本はそれほど好きでも嫌いでもないが、気軽に本が読めないのはつらいなと思う。
帰ったら、もっと本を読むか……。とか思って窓から外を見る。
なかなかいい天気だ。
澄んだ空気のためか遠くまでよく見える。
柵や防壁の向こうに広がる田園風景はなかなかいい感じで、日本の田舎を思い出させる。
なんでだろうと考えてよく見たら、きちんと畑が一定の大きさで区切られ、一定の間に小道や溝なんかが掘ってあるのが原因のようだ。
途中、南雲さんの領地に入る前に寄った村は、どちらかというと適当な大きさの畑が歪に入り乱れているような感じだった。
それらと比べればここの近辺はきちんと測量されているのだろう。実に美しいまでにきっちりと同じ大きさで切り分けられている。
そう。異質的なまでにだ。
つまり、私のいた世界の匂いがするってこと。
多分、これも南雲さんの仕事なんだろうな……。
そんなことを思っているとトントンとドアを軽く叩く音が響く。
それと同時に「よろしいでしようか」という女性の声。
多分、この声はニーニャの声だ。
「どうぞ~」
ドアの方を向きそう声をかける。
すーっとドアが開き、ニーニャが顔を出してくる。
「どうしたの?」
私がそう聞くと、苦笑を浮かべるニーニャ。
「いや、何か用事はないかなと……」
その言い回しに、ピンときた。
「そう言いながら仕事をサボりに来たんでしよう?」
その言葉に、ニーニャは慌てたように手を振り回して否定する。
しかしそんな行動は正解であるといっているようなもので……。
「マリサさん、怖そうよね」
ニーニャは、ひいぃぃっと言ってもおかしくない恐怖に歪んだ顔で後ろに数歩後ずさりし、そしてダッシュして私の傍まで来るとがっしりと手を握った。
「アキホさま……」
なんか涙浮かべているように潤んだ瞳でじっと見つめられてしまう。
うーん、かわいいじゃないかっ。
ニーニャさんには失礼かもしれないがそんなことを思ってしまった。
「わかってますって……」
そう言っていたら、ぐーっとお腹の虫が鳴いてしまった。
沈黙が周りを包む。お互いの顔を見て、そして思わずうつむく私。
そしてまた沈黙。
しかしすぐにニーニャの大爆笑が響く。
「あれだけ食べられていたのに」
笑いながらニーニャが何とか言葉を発する。
その言葉に、少しむくれて見せて「いいじゃない」と返事を返す。
「す、すみません……」
何とか笑いを抑えようとするものの、抑えきっていないため肩が震えている。
まぁ、いいや。
これが南雲さんやアーサーさんの前だとこの程度ではすまないだろう。
真っ赤になって逃げ出したくなるほど恥ずかしかったに違いない。
その分、同じ女性だし、ニーニャは気さくで話しやすい感じなので恥ずかしさもあるけれど、この程度で済んでいるんだと思う。
まぁ、私が彼女に気を許している分、彼女も私に気を許していると思いたい。
ともかく、そんな友人みたいな関係になったらいいなと思っている。
「私、朝はご飯じゃないと駄目なのよね。パンだとお腹すくのが早いんだよねぇ…」
ぶつくさとつぶやく。
「なら、旅の間はどうしていたんですか?」
「ああ、『小腹がすいたら食べてね』ってミルファさんに干し肉とかもらってたから、それかじってた……」
「……アキホ様は食いしん坊だったんですね」
くすくす笑いつつニーニャがそう言い切る。
「いやいや、身体動かしたりしてたから仕方ないんだってば。本当だよ?」
「でも、今は身体動かしてないですよね……」
その指摘に渋い顔をしてしまう。
確かに、そりゃそうだ。言い訳としてはイマイチね……。
そんな考えが顔に出ていたのか、私の顔を見て我慢できなくなってまた爆笑しだすニーニャ。
さすがに、そろそろ私もカチンとしてきたのですーっと口に息を吸う。
そして吐き出すと同時に声を上げる。
「マリさ…」
そう言いかけると笑ってたニーニャが慌てて私の口を手で塞いだ。
さーっと顔色が変わる。さっきまで爆笑していたとは思えないほどの急変ぶりだ。
それだけ、マリサさんが怖いのか……。
これはいい事を知ったぞ。
少し悪い考えが浮かび、私はそれを実行することにした。
ニーニャの後をこそこそと進む。
周りに人の気配はない。
ふむふむ。いい感じね。
先に行くニーニャがため息を吐き、私の方を見ている。
「しかし、お腹すいたから何か食べ物あるところに連れて行ってって言われるとはなぁ……」
ぽろりと呟くニーニャ。
「いいじゃない。お腹すいたんだから」
私がそう言うとニーニャはまたため息を吐く。
「普通だったら、食べるものを持ってきてって言うと思うんだけどなぁ……」
そう言われ、はっと気がつく。
「その手があったか」
「気がついてなかったんですかっ」
思わず私に突っ込むニーニャ。
うーむ、言われるまで全然思いつかなかった。
そういえば、ここは領主のお屋敷で、私は一応お客扱いである。
言えば対応してくれるのではないだろうか。
ふーむ。庶民だったから思いもつかなかった。というか、自分のことは自分でしましょうって感じだったからなぁ、うちは……。
それに、ニーニャとかいないときでもお腹すいたら勝手に食べにいけるじゃないか……。
なんて自分に言い訳してみる。
まぁ、虚しいんだけどね。自分自身を騙してるみたいでさ……。
「えっとこっちです」
ニーニャはそう言うとドアのを開ける。
開けた隙間から匂いが流れてくる。
ああ、これは……お菓子の匂いだ。
焼き菓子の匂い。リンゴかなぁ……これは……。
そんなことを思いつつ、部屋の中に入る。
そこは何台ものワゴンがあり、左側の壁の中間あたりがくりぬかれて隣と繋がっており、その窓口のようなところには同じ高さのテーブルが備え付けられている。
そして右側にはガラス戸の食器棚みたいなものが並び、中には綺麗に磨かれた食器が収められていた。
どうやら配膳室といったころだろうか。
私が部屋の中をきょろきょろ見ていると隣と繋がっている窓口の方からひょいと女性が顔を出した。
年は五十代近い年齢だろうか。茶色の紙を後ろに結って帽子のような白いものをかぶり白いエプロンのような清潔そうな服に身を包んでいる。
「なんだい、なんだいっ。そこの譲ちゃんは誰なんだい?」
ざっくばらんな言葉遣いで、女性がこっちを睨んでいる。
ああ、関係者じゃない人物が入り込んできたらそうなるよね。すいませんと謝ろうとしたらニーニャが私の前に出た。
「ああ、例のお客さんだよ」
その言葉に、「ああ、例の……ね」となぜか納得される。
えっと、どういうことなんだろう?!
例のって、何か変な話でも広がっているのだろうか……。
いやな予感がする……。
そんなことを思っていると、顔を出した女性がじろじろと私を見てくる。
「なかなかいい肉付きじゃないか。領主様をいきなり殴りつけてきたっていう女傑がお客で来ていると聞いてたけど、あんたがねぇ」
「あー、駄目っ」
ニーニャが慌てて誤魔化そうとしていたが、女性はそんなことは関係ないとばかりに男性的な笑いを浮かべて言い切る。
あー、やっぱりそっちかぁ……。
なんとなくそんな感じはしてたんだよね。
昨日の晩餐のときにアーサーさんが喋り捲ってたし、その場には、メイドさんとかもいたし……。
そりゃも話のネタになるわなぁ。
つまり、あの出来事はかなり広まっていると思っていいんだろうなぁと思わず遠くを見てしまう。
あの時の自分にもっと落ち着け、周りを判断しろと注意してやりたい…。
「すみません……」
ニーニャが申し訳なさそうに言ってきたが、もういいやって気持ちの方が強いから笑うしかない。
多分、ニーニャからはかなり痛そうに見えたのだろう。
何度も謝ってる。
「もういいから……」
そう言ってまぁまぁと手を振ると、女性が笑いを止めて、「すまなかったね。気にしてるとは思わなかったよ」と言って自己紹介をしてくれる。
「わたしゃ、ここの厨房全般を預かっているアデールっていうんだ。よろしくな、お嬢さん」
「私は、霧島秋穂っていいます。秋穂でいいですよ」
そう言って頭を下げると、女性、アデールさんもあわてて頭を下げた。
「で、どうしたんだい、アキホお嬢様」
なんかぶっきらぼうな口調なのにお嬢様ってつけてるあたりに違和感を感じてしまう。
普通に秋穂でもいいんだけどなとも思うが、ニーニャさんと同じで一応使用人としてきちんとしておきたいのだろう。
だからそのままお嬢様をつけていることはスールする。
「ああ、お腹がすいたから、何か食べるものがあるところに連れて行ってってニーニャに相談したんです。そしたら、こっちらに案内されて……」
その言葉に、少し驚いた表情を見せるアデールさん。
「普通に頼めばメイドが持ってくるっていうのに、わざわざこういうところに顔を出すなんてね」
「あははは。ニーニャさんにも言われましたよ」
苦笑を浮かべて頭をかく。
「元々庶民なんでこういう貴族っぽいのは苦手というか、常識がないんですよ」
私の言葉に、アデールさんは男性みたいな笑いをするとどんと自分の胸を叩いた。
「いいね。気に入ったっ。なかなか面白いお嬢さんだ」
そして、一度顔引っ込めて隣の奥のほうに入り込むと今度は手に皿を持って戻ってきた。
「ほれ、これでいいなら食べていきな」
皿の上には、出来立てだろうか。
焼きパイがドンとのっている。
匂いからして、さっきドアを開けた時に嗅いだ匂いはこれらしい。
ということは、リンゴの焼きパイってとこだろうか。
「おいそう……。いただきます」
手を伸ばそうとすると、慌ててアデールさんがひょいと皿を上に上げた。
その顔には少し呆れ返った感情が出ている。
「そんなに慌てなくても逃げやしないよ。ニーニャ、飲み物を用意しな。後、そこの畳んであるテーブルのひとつを広げて椅子も用意するんだ」
「了解です。椅子は三脚?」
「あんたが食べないなら、2つでいいけどね」
その言葉にニーニャさんが慌てて「いや、3つ用意させていただきます」と答えを返す。
「ならさっさとしな」
その言葉に従い、ニーニャさんがてきぱきと用意していく。
私は、手伝いたかったのだが勝手のわからない場所だけに何を手伝っていいのかわからずおろおろしてしまう。
そんな私を見て、アデールさんはそのまま待ってなと言って笑っている。
多分、彼女の中では、私は食いしん坊キャラに認定されてしまっている気がする。
いや絶対そうだ。
でも、いいんだ。
私は燃費が悪いだけなんだから…。
そんなことを思いつつ、準備が終わり、お昼前の簡単なお茶会が始まったのだった。
さてと、そろそろ戻らないと怒られるかなぁ……。
片手に持っていたパンの残りを口に放り込む。
メイドたちの間で話題になるだけあってあそこの新作パンは美味しい。
またお使い頼まれたら食べていこう。
そんなことを考えながらもう片手に持っていた紙袋を持ち直す。
アデールに頼まれた食材が入っているのだが、見つけるのに苦労した。
でも、お使いの時ってこういう買い食いできるからスルーしたくないのよね。
なんと思いながら歩いていると後ろから呼び止められた。
振り向くと男の人が立っている。顔は結構いいと思うが少し胡散臭い感じがする。
直接話をしたことはないが、たしか同郷の人で、最近こっちの方に越してきたと聞いた。
姉がちょくちょく話をしている様子を見たことがあり、そういえば、その時は付き合っているのかもしれないなぁと思ったっけ。
もっとも、私の好みではないし、告白されても私は勘弁だけど、姉の好みには合うかもしれないな。
あの人は面食いだからねぇ……。
私は顔よりも逞しい身体の人がいいなぁ。がっしりしていて…。
その点、この人はひょろひょろしすぎだ。
でも、そんな人が私に何のようだろうか。
もしかして姉絡み?
勘弁してよ。当人同士でそういうのはやってよ。私を巻き込まないで。
そんなことを思って、聞き返す。
「あの……、なんでしょうか?」
「君のお姉さんが大変なんだ」
慌てている様子でそう喋ると私の手を取って引っ張っていこうとする。
その様子になにか異常なものを感じ、私は手を振りほどこうとする。
しかし、力いっぱい握られて手を話すことが出来ない。
「や、やめてください。いい加減手を離さないと大きな声を上げますよっ」
「ちっ……」
男は舌打ちすると手を離す。
ほっとした瞬間、口に何か布のようなものを当てられた。
何?
そう思ったもの、すーつと意識が遠くなる。
そして一気に思考は暗闇の中に沈み込んでいった。
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