異世界召喚の章  1-2

「きゃあっ…」

揺れる馬車の中で、思わず声が出てしまう。

さっきまでは自分の中に引きこもっていたからこそ感じなかったものが一気に自分の中に情報として入り込む。

そして、南雲さんが言った「死ぬぞ」という言葉と、あの場で見た殺し合いの場面が重なり、一気に私を恐怖に染め上げていく。

血が、肉が飛び散る様、叫びを上げて苦しんで死んでいく人。鼻に残る血の匂い…。

ゲームと思っていた場面、ああ、すごいリアルだなって思っていた場面。

それがすべて本当であるという現実を突きつけられたとき、私は自分の中に引きこもるしかなかった。

怖かった。死にたくないという恐怖が一気に自分を支配していた。

そして、またその場面が再現されようとしているのがわかる。

血と硝煙のような焼け焦げたにおい。

金属同士がぶつかり合う音。

獣らしき唸り声。

殺しあう人の声……。

全てがあの時と同じだった。

ゲームだと思ってみていた召喚された時の場面。

しかし、それはゲームではなく、現実。

日本という戦争もない平和ボケのぬるま湯の国にどっぷり浸かっていた私には、あまりにもきつい現実。

それが一気にのしかかってくる。

いやだ……。いやだ……。

しかし、自分自身を強く抱きしめた時、より具体的な恐怖が目の前に現れた。



何やら馬車の中で魔力の力が働き、防御系の呪文が発動されたのがわかる。

目標はあそこか……。

爆裂呪文を当てない程度に近くで爆発させて相手を揺さぶれば、何やら動きがあると思っていたが、思ってた通りに動いたな。

どこのどいつか知らないが俺達の上前を掻っ攫おうとか考えてやがる相手にはきついのを食らわしてやる必要がある。

部下の魔術師にさらに爆裂の呪文を唱えるように指示し、転移系の呪文を準備し始める。

一気に掻っ攫ってやればやつらは何も出来ない。

部下達も相手をかく乱し、膠着状態にすることに専念しているし、飼いならしておいた魔獣もよく働いてくれている。

おっと、馬車から女が飛び出してきたが、あいつはブツじゃない。

さっきの魔力の反応から多分、さっきの防御系の呪文を唱えた魔術師だろう。

なら、今、ブツの近くには人はいないはず。

転移系の呪文を発動させようとしていると、飛び出てきた女が何やら呪文を唱えている。

こっちに視線を向けていることから、こっちをダイレクトに狙うつもりなのだろう。

隣にいる部下の魔術師が防御系呪文を唱え始めるが少し遅い。

もっとも、俺の転移呪文はほぼ完成している。

ここで死ぬようなら、この男もその程度でしかないということだ。

所詮はこいつはその程度の駒でしかない。

上空に光が集まるといくつもの矢を形作り、そして勢いよくこちらに向かってくる。

しかし、残念だ。

こっちが速い。

ひゅんという音が響き、俺は馬車の中にいた。

目の前には自分を抱き、ガタガタと小刻みに震える女の姿がある。

黒髪に黒い瞳。

間違いない。この女だ。

俺の組織の幹部が召喚したブツ。

大金となる大事な大事な商品だ。

いきなり俺が目の前に現れたのに驚いたのだろう。無様な悲鳴を上げている。

くっくっくっ……。こうでなくてはな……。

こういう怯えた女を滅茶苦茶にするのは実に楽しいが、いかんせんかな組織の大切なブツ。それもかなり高額になる商品となれば話は別だ。

相手もこっちがここに飛んだことを今の悲鳴でわかっただろう。

いらぬ手間も戦いもしたくないからな。

まぁ、手っ取り早くここから離れることにするか。

そう思い、目の前のブツの手を握る。

「ひいぃぃぃっ……」

声にならない悲鳴を上げ、ガタガタと震えている。

抵抗はない。

恐怖に完全に飲み込まれ、何も出来ないといったところだろう。

まぁ、その方が楽だからな。

事前に準備した移転の魔方陣を頭に浮かべる。

知らない場所への転移はかなりの魔力と高度な呪文のプログラムに構成、それに触媒を必要とするが、きちんと準備しておいた転移門に移動するだけなら、それほどの魔力も呪文も必要ない。

短く呪文を唱えればいいだけだ。

だが、呪文を唱えようとする前に声が響く。

それは俺の知らない言葉だが、多分、この女に聞こえるように外にいる男の誰かが叫んでいるのだろう。

まぁ、どんなことをいっているのか知らないがもう遅い。

呪文を唱える。

しかし、呪文は発動しなかった。

思考が一瞬だけ止まる。

そして、俺は気が付いた。

今まで怯えて、諦めきっていたような恐怖に飲まれていたブツがこっちを怯えながらも睨んでいる事に……。

ちっ、抵抗しやがったのか……。

しかし、それだけではなかった。

掴んでいた手を引き剥がし、俺の方に身体ごと突っかかってくる。

さっきまでのおびえが嘘のようだった。

くそったれ!どうなってんだ?!



目の前で魔術師の男が形となる。

それは死としての形であり、恐怖の対象だった。

目は今まで見たことのない狂気と死に満ち満ちているように見えた。

下種な笑みを浮かべ、私を見下ろしている。

今の私は蛇の前の蛙のように身動きさえ出来ないほどの圧力に押さえつけられているかのようだ。

思考は一色に染められていく。

ただ、恐怖だけが全てだ。

手を掴まれるが抵抗できない。

身体が動かない。

まるでどろどろの液体の中にいるみたいに視界が歪み、身体がとても重い。

助けて。

たすけて……。

たす……け…て……。

誰か助けて……。

その時、確かに聞こえた。

それは日本語だった。

わけがわからないこの世界の言葉ではなく、日本語だった。

「必ず、必ず、俺がお前を元の世界に戻してやる。だから、諦めるな!!生きろ!!」

その言葉が耳から頭の中に入り込んでくる。

それはただの言葉。

多分、日本語の理解が出来るアーサーさんやミルファさんならわかっただろうが、他の人にはわからない、日本人だけがわかる言葉。

つまり、あの人。

南雲さんが私のために叫んだ言葉。

まだ知り合ったばかりで、性格の悪そうな気に入らない中年親父だが、それはもう関係ない。

あの人は、きっと言ったことは実行してくれる。

そんな風に思わせるのに十分な自信に満ちた声と言葉。

それが水のように身体に染み渡る。

身体の震えが止まる。

恐怖が……死への恐れがなくなったわけではない。

だが、私の中から湧き上がってくるものが、恐怖一色に染められていた心を塗り返していく。

そうだ。私は、こんなところで死にたくない。

元の世界に返るんだ。

その思いが、身体を動かす。

目の前の男が呪文を唱え、私の身体にびりびりと衝撃が走る。

しかし、耐えられないほどのものではない。

ぐっと歯を食いしばる。

負けてたまるか。

負けない……。絶対に負けない……。

私の中で祖父の言っていた言葉か蘇る。

「いいか、秋穂。どんな場面でも決して屈するな。たとえどんな場面でも、心さえ折れなければ道は開ける」

言われた時は何もわからなかった。

しかし、今はよくわかる。

私は、掴まれていた手を引き剥がす。

目の前の男は、私の態度の変化に驚いていたようだった。

動揺と焦りが見える。

今だ。

私は身体を沈めると一気に身体のばねを開放するかのような勢いで相手に身体ごとぶつかっていく。

頭が相手のみぞおちあたりに入り、その勢いのまま押し出す。

馬車がゆれ、転がるように男と一緒に外に飛び出した。

どしゃりと泥だらけになりつつ転がって男から離れる。

馬車から転がり落ちた時に肩と膝を打ったのだろう。

ずきりと痛みが走ったが、そんなことを悠長に考えている暇はない。

何とか起き上がろうと身体を起こす。

目の前にいる魔術師の男も起き上がろうとしていたが、その前に私の前にすーっと影が入り込んだ。

「がんばったわね」

ミルファさんだ。

私と魔術師の男の間に入り込むと私を守ろうと壁となってくれたのだ。

右手には20センチ程度の刃の短刀を構え、左手には奇妙な形の短く切り取られたような杖を持っている。

「呪詛結界」

短くそう言葉を紡ぎ、杖を地面に突き立てる。

さーっと青い光が杖を中心にかなりの範囲に広がっていく。

そのまま広がるだけかと思ったが、魔術師の男を通り抜けていく時変化があった。

彼が纏っていたもやもやとしたものがすーっと消え去っていく。

「魔法封じのアイテムかっ」

吐き捨てるように魔術師の男がぶつぶつと呟いていた詠唱を止め、たぶだふのローブの中からすらりと剣を抜く。

その構えはきちんとした形になっているように私には見え、本格的に剣を使い慣れているといった感じを受ける。

その反面、ミルファさんも右手に握る短刀を構えるもこっちはまだまだといった感じだ。

それは魔術師の男もわかったのだろう。

にたりと下卑た笑いを浮かべて一気に距離をつめるべくこっちに駆け出した。

ミルファさんの身体に緊張が走る。

そしてより深く身体を沈めると振り下ろされる剣の勢いを殺すかのように短刀で受け流す。

だが、相手の方もそれがわかっていたのだろう。

すぐに剣の向きが変わり何度も何度も切りつけてくる。

その攻撃をミルファさんは受け流し続ける。

その様子は、ただただ必死になって防いでいるだけのようにしか見えない。

いや、その通りなんだろう。

魔術師としての素質は高いように見えたが、彼女の体つきや動きには戦士や格闘家といった前衛クラスの要素は薄いとしか感じられない。

あくまで最低限の自衛のためだけの技術しか身につけていないといった感じなのだ。

そんな彼女に守られている。

私は……何なの?

何も出来ないの?

疑問が心に湧き上がる。

そして、相手の動きを見てわかってしまった。

私なら互角以上に戦える。

いや、普通にやったら勝てる。

そう思えてしまった。

祖父に習っていた武術の経験やゲームでの格闘家というプレイヤーとしての感覚がそう教えてくれているように思う。

ミルファさんを手伝える。

一緒に戦える。

だが、そんな熱くなっていく心にすーっと冷え切った冷水が注がれる。


「ここはゲームなんかじゃない。ある意味、現実だ。それをわかっていないと、間違いなく死ぬぞ」


南雲さんの言葉。

怖い……。

死への恐怖。

知らないことへの不安。

そして、まったく勝手の違う世界への関わり方がわからないという迷い。

それらが沸点を超えようとした熱を冷まさせていく。

しかし、それはかえって心を落ち着かせ、思考をより深く動かすことに結びつく。

そして自然と言葉が出た。

「ミルファさんは下がって……」

私はゆっくりとミルファさんの後ろから出る。

驚いたようなミルファさんの表情がなんか面白かった。

それと同時に美人はどんな表情になっても様になるなとも。

「私が相手です」

相手に向かってそう宣言し、腰を落として構える。

日本語がわかるわけではなかったが、相手の魔術師の男も私が出てくるとは思わなかったんだろう。

一瞬、動きが止まる。

そのチャンスを逃さない。

一気に踏み込み剣を持つ手に自分の手を絡めて逆方向へ引き締める。

「ぐあっ……」

手の力が抜け、指から剣が離れる。

すかさず地面に落ちた剣を足で蹴って距離を離す。

現実なら、武器を持った相手に素手で挑むのは下策でしかない。

優れた格闘家でも武器を持った相手をするのは嫌がるという。

武器とはそれほどのアドバンテージを人に与えるのだ。

なら隙をみて武器を奪い、或いは武器を失わせて同じ条件にすればいい。

そうすれば負けることはない。

そう判断し、まず武器のアドバンテージを取り除く。

そして、勢いのまま一気に相手の左手を背中に回し、がっちりと決めて押さえ込む。

痛みと勢いに負けて膝が折れ、相手がその場で地面に押さえつけられる。

「ミルファさんっ、何か縛るものをっ」

私がそう叫ぶとミルファさんが慌てて馬車に駆け込み、ロープを持ってくる。

そして二人がかりで相手を縛り上げた。


はぁっ……終わった……。

緊張感が薄れていき一気に疲れが身体に押し寄せ、私はその場に座り込んだ。

気が付くと周りの戦いも終わったのだろう。

今まで漂っていた緊張感が薄れ、金属同士のぶつかる音や戦いの声が聞こえなっていた。

「よお、がんばったじゃないか」

私の肩をたたきなから声をかけてきたのはアーサーさんだ。

「あ、ありがとうございます」

「おかげで助かったよ。リーダーのそいつを押さえ込んでくれたから、他の連中は逃げ出したよ」

肩をこきこきと回しながらにこりと微笑む。

ドキっと心臓が跳ね上がったように感じた。

イケメン俳優のような男性にリアルで微笑んでもらえるなんて今までの生活ではまったくありえないことだから動揺してしまった。

しかし、ここに飛ばされて今のところ唯一いい事は、アーサーさんみたいなイケメンと会話することが出来るくらいだ。

まぁ、現実世界では、こんないい男は私の周りにはいなかったからなぁ。

そんなことを考えてぼーっと見つめていると、アーサーさんが苦笑しつつ聞きてくる。

「しかし、なんだな。いい格闘センスしてるな。うちのボスにかましたパンチもなかなかよかったし、武芸でもやってたのかい?」

「ええ。祖父が空手をやってて、いろいろ手ほどきをしてもらっていたんです。それに興味があって他にも合気道なんかも手を出していましたし…」

アーサーさんがきょとんとした表情を浮かべる。

「カラテ?アイキドー?」

ああそうか。この世界に空手とか合気道とか言ってもわかんないか…。

認識できない単語が出たので困ったのだろう。

「こっちでいうなら、ル・チャンブルみたいなものだ」

そう言って南雲さんがこっちに来た。

ル・チャンブルとは多分、こっちの世界の格闘術の一種なのだろう。

アーサーさんが納得して頷いている。

しかし、まじまじと南雲さんを見る。

アーサーさんがそれほど汚れてもいないし怪我もないのに対して、彼は血だらけだ。

見える部分だけだと頬には爪でつけられたような切り傷があるだけだが、服にはべったりと尋常ではない血がついている。

もしこれが自分の血なら、間違いなく出血多量で死んでいてもおかしくない。

「あ、あのっ…怪我…」

「ああ、大丈夫だ。ほとんど魔獣の返り血だからな」

その言葉を聞き、彼の後ろ側に視線を向ける。

彼の後ろには、人よりも大きな犬のような魔獣2体が折り重なって倒れており、その後始末を他の人たちがやっていた。

南雲さんは、私の傍まで近づくとじーっと私を見る。

その視線は、私の中の……そう心の中までも覗き込むかのような感じさえした。

そして、ふうっと息を吐いた後、「やっとか……」と呟いた。

「なにがですか?」

「いやなに、やっときちんと話せる状態になったと思ってな」

「それは……どういう……」

「多分、あの時そのまま真実をいっても信じなかっだろう」

「あ……」

言葉が出ない。

確かにあの時、説明されたとしても信じなかった。いや信じたくなかったという気持ちで拒否していただろう。

現に、さっきまで真実を突きつけられ、私は恐怖に自分の中に逃げ出したのだから。

だから、彼の言い分は正しい。

だがなんか悔しい。

多分、かなり悔しそうにしていたのだろう。

そんな私を見て南雲さんはニタリと笑う。

そして嫌味たっぷりに言葉を発した。

「なんせ、ゲームと思って思いっきり殴ってきやがったからな」

その言葉に私はカッとなった。

「確かにその通りだけど、あの時は少しぐらい説明してくれてもいいじゃない!そういうデリカシーはないんですかっ!」

思わず口から出た言葉に、南雲さんは嫌味100%を含んだ笑み浮かべて言い返す。

「デリカシーとか笑わせる。完全にゲームのイベントと思っていたくせによ」

「ぐぬぬぬぬ…」

一発触発の雰囲気が漂い、アーサーさんが慌てて私と南雲さんの間に入り込んだ。

「まあまあ、落ち着いて……。ちゃんと理由はあるからね……」

「アーサーさんがそういうなら……」

なんか収まらないけど、冷や汗を流しながら落ち着くように言うイケメンを立てて自分を少し落ち着かせる。

「ふんっ」

南雲さんはそんな私をみて面白くなさそうに鼻を鳴らし、地面に縛り付けられて転がっている魔術師の男に視線を向けた。

縄で縛られて魔法が使えないように呪文殺しの首輪を付けられた男を私のときと同じように覗き込むようにじっと見てつぶやく。

「まずはこっちのお相手からだな……」

そして、周りで動き回る人間に指示を出す。

「今日は、この近くでキャンプだ。準備をしろ」

その指示を受け、動き出す人たちを見つつ、私はため息をはいた。


どうやら、きちんとした説明を受けるのはもう少し先になりそうね。

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