異世界召喚の章 1-1
「うううっ……」
まるで祖父に本気でかかって来いって言われて、言われたとおりに本気でかかっていったらボコボコにされて気絶してしまった後のような脱力感がある。
だから、身体中の力を抜き、横たわっているのが気持ちいい……。
ぐったりとした肉体と、ぼんやりとした思考。そんな中、私はゆっくりと覚醒した。
まず視界に入ってくるのは、綺麗な夜空。
星がきらめき、月が綺麗な円を描いている。
なんて綺麗なんだろう。こんな綺麗な夜空見るのは祖父のいる田舎にいたころくらいかなとか思ってしまった。
ああ、星のきらめきは目に痛いほどだし、月も綺麗なはっきりとした輪郭だし……。ああ、綺麗なお月様が2つ……。白っぽい黄色と白っぽい赤色の……お月様……。
そんなことを考えて、ぼんやりとした思考が一気に現実に引き戻される。
え?!
月が二つ……。
え?!
思わず、がばっと上半身を起こして慌てて周りを見回す。
かけたあった毛布のようなものが勢いよくめくれたが気にする余裕なんてない。
そこは森のちょっと開けた場所という感じで、私の傍には焚き火があり、そしてその周りには少し変わった形のテントがいくつか並んでいた。
かなり大きなもので、ちょっとした家と言ってもおかしくないほどの大きさだ。そういえばモンゴルの遊牧民が使っているのによく似ている。
「おっ、目が覚めた?」
私の後ろの方から声がして思わず振り向くと、木の枝をいくつか抱えた男性が歩いてくる。
金髪で青い瞳、そして整った堀の深い顔。多分、年は20歳前後ではないだろうか。少し長めの髪を後ろに流しており、まさに白人のイケメンといった感じだ。
「え……ええ……」
思わず見とれて上の空の返事をする。
えーっと、最近見た、そうそう確か吸血鬼のイケメン映画…その登場人物みたいだなとかそんなことを考えてしまう。
そんなことを考えていると、まるでやっと自己主張できるという感じでお腹の虫が大きく鳴いた。
カーッと顔に血液が集まるのが判る。まさかいきなりとは……。思わず私は下を向き、かけてあった毛布のようなものを握り締める。
多分、耳まで真っ赤になっているだろう。
そんな私を、男性は苦笑いで見ながらわかっていますよというかのように手でジェスチャーを返す。
「すぐに食事を持ってきますから。まずはお腹の虫をおとなしくさせてから話をしましょうか」
「……は、はい………」
その返事に満足そうに頷くと「少し待っていてください」と言っていくつかあるテントのうち、いちばん手前の方に声を掛ける。
「食事を用意してくれ。それと親分にもお客さんが目覚めたと声を掛けてくれ」
テントからひょいと女性が顔を出す。
こちらもかなりの美人で、白銀の髪を顎のラインでそろえたようなショートカットの髪型と切れ長の目に緑色の瞳、そして少し尖った耳が特徴的だ。
「おっ、お客さん、目が覚めたの?わかったわ。食事は用意するわ。でも、ボスはどこにいったか知らないわよ」
そう言って、今度はテントの中に顔を向けて「知ってる?」と聞いている。
「知らないなぁ……。お前知ってるか?」
「いや、知らんぞ」
「またどこに行ってんだ、あの人は……」
そんな声がテントの中から聞こえてくる。
どうやら、ここにいる人たちはかなり親しみを持っているみたいな感じだ。
そんななんか微笑ましい雰囲気の中、私の脳裏に浮かんだのはあの時のリーダーらしき男の事だ。
まさか……あいつのことなの?
そんな感じではなかったけど……。
そんなことを思いつつ、ふと気が付く。
そういや私、いつの間にこんな服着てるんだろう…。
少し大きめのファンタジー世界でよくみられるような茶色い感じの色合いのシンプルな上着とズボン。
さーっと一気に血の気が引く。
まさか……。
すーっとにこやかな笑顔を向ける金髪イケメンに視線を向ける。
「あの……もしかして……」
言い切らないうちに銀髪の女性が木の器とパンらしきものを持ってテントから出てくると雰囲気から察したのだろう。
「あ、着替えは私がしたから大丈夫だよ」
ウィンクしつつ、すーっと木の器とパンを差し出す。
器とパンを受け取りながら、美人がやっているということを除いても実になかなか様になっており、かっこいいなぁと思う。
そんなことを思いつつ器の中を覗きこむと白いどろりとしたシチューらしき料理で、スプーンらしきものはない。
もしかしてパンを使ってシチューを食べろということだろうか。
そういえば、中世では固いパンをスープに浸して食べるということが普通だったからそんな感じでいいのかな?
そう思いつつパンの一部をシチューらしき料理に浸して食べる。
あ……普通にシチューしてる。
でも全体的に味は淡白で濃くがなく、入っているものも野菜らしきものを細かく刻んだものだけだ。
それでも空腹というのは最大の調味料というのは本当で、私はあっという間に出された食事を空にする。
すると待ってましたとばかりに金属製のマグカップらしきものが渡された。
中には茶色の液体が湯気を立てている。
恐る恐る口につけると少し苦味があり独特の匂いがあるものの紅茶に近い味だ。
熱いため少しずつ啜っていると私の食べている様子を楽しそうに横で座って見ていた金髪イケメンが口を開いた。
「そろそろいいかな……」
「は、はい。お願いします」
私がそう返事をすると、食べた後の食器をテントの中に持っていった銀髪の美人さんも金髪イケメンの横に座る。
「僕の名前は、アーサー・クルフトファー。この部隊の隊長なんてのをやってる。で、彼女はミルファ・エントレシス。副隊長で、僕の補佐ってとこかな」
そう言って少し腰を浮かすと手を開いて私の方に伸ばしてくる。
ああ、握手ってことかな?
私も手を伸ばして手を開くとがっしりと手をつかまれるといった勢いで握手をされた。
「もう、もう少しやさしく出来ないかな……」
少し呆れ顔で、今度は銀髪の美人さん、ミルファさんが手を伸ばす。
こちらとも握手を交わして今度は私のことを話そうとしたとき、後ろからきつめの声が響く。
「ゲームでの名前は必要ないからな。本当の名前を言ってくれよ」
後ろを振り返ると、そこには40ほどの年齢の男性が苦虫を潰したような顔で森の中から出てきてこちらに歩いてくる。
ぼさぼさの黒髪を無造作に後ろに止め、無精ひげ。そして今目の前にいる二人とは大きく違う、場違いなほどの日本人的な顔…。そして、聞いたことのある声…。
それでわかった。ああ、こいつが、あの男だ。あの時、私をモノのような目で見ていた男だと…。
「親分、どこ行ってたんですか」
「ボス、またふらりと…」
二人が男に向かって笑顔で声を掛ける。
「おい、親分はやめろ…」
「ボスはいいんですか?」
アーサーさんがそう言うと、男は諦め顔でため息を吐く。
「まだボスの方がマシだからな…親分だとヤクザの親分みたいでなんかなぁ…」
「似たようなものだと思うんですがね…。十分、自分らは普通じゃありませんしね」
「そうそう。ボスの言っていたヤクザよりも私達の方がタチが悪いと思うんですが……」
「いや、そう言ってくれるな……」
苦笑いで答えつつ、私をじっと見ている。
いや、観察しているといった方がいいのかもしれない。
そして、焚き火をはさんで私の向かい側に座り込む。
アーサーさんやミルファさんが横に座って友好的な感じなのとはまさに反対だ。
まぁ、よく考えてみれば話を聞かんなかったとはいえ、いきなり殴りかかってきたのだ。警戒して当たり前なのかもしれない。
「……南雲索也だ」
ぶっきらぼうだがそう言って、リーダーらしき男…南雲索也は私をじっと見る。
まるで早く名前を言えっていう催促に感じ、私は慌てて自分の名前を言う。
「霧島秋穂です。えっと……」
名前を言って、さてその後をどう自己紹介すればいいのか迷っていた私だが、すぐにアーサーさんが言葉を続ける。
「オッケー。ではまず現在の状況から説明しょうと思うんだ。問題ない?」
「え、ええ、お願いします」
司会進行のようにその場を仕切るアーサーさん。さすが隊長なんてやっていると仕切りスキルもレベルが高いようです。
まぁ、その方が助かるといえば助かるんだけどね。
まったく情報なくていろいろ言っていけないことまで言ってしまう恐れがあるからついつい用心してしまう。
「まず、ここは君のいた世界とは違う世界。異世界なんだ」
「あはっ……」
その言葉に私は苦笑を漏らしてしまう。
よくあるゲームや小説の設定だし、なによりゲームにダイブしてから始まったということがあり、さっきの体験があったとしてもにわかに信じられない。
それに、まさかねという疑心。それにそうであったほしくないという何よりも強い思い。それが拍車をかけている。
私の表情から信じてないと思ったのだろう。南雲さんがミルファさんに目配せをして、ミルファさんが手を広げたサイズと同じような丸い板を私に渡してくる。
ああ、手鏡か…。
そんなことを思いつつ受け取り、そして私は驚愕した。
その手鏡に映るのは、間違いなく自分の顔。
そう、ゲームで作ったゲームキャラの顔ではなく、現実世界で生きている自分自身の顔だった。
「これでわかったろう……。ここはゲームなんかじゃない。ある意味、現実だ……」
信じられずに鏡に映る自分の顔を見入っている私に南雲さんの冷たいような言葉が投げかけられる。
そして続けて言葉をつなげる。
「それをわかりきっていないと、間違いなく死ぬぞ」
その言葉は、信じられないという私の思いだけでなく、そうであってほしくないという思いまでもすべて切り裂き粉砕するのに十分だった。
南雲は右手を上げて合図をすると馬車を止める。
その動きに合わせ、後ろに続く荷馬車二台も止まり、馬車と同じスピードで移動していた八騎の騎馬も止まる。そして騎馬はすぐに周りに警戒を走らせる。
南雲が指でサインを送るとそのうちの一騎が前方の森の方に駆け出していく。
前方に広がる森を見ながら地図を広げ地形を確認する。間違いがないのか、南雲は地図をしまいながら後ろに声を掛ける。
「どうしてる?」
「あははは……。あれからは何を話しても上の空です。まぁ、食事も取ってるし、肉体的には問題ないと思うんですけどね。ただ、精神的にどうかというと……時々何かぶつぶつ言ってますし…」
幌の間から上半身を出してミルファが少し困ったような表情で答える。そして、じーっと南雲を見返す。
その顔には、現実をいきなり突きつけた彼に対しての非難とそれをどうにかして欲しいという期待感の入り混じった表情を浮かべていた。
そんな顔でジーっとみられ、ため息を吐きつつ地図をたたむ。
「まぁ、経験あるからな……。もっとも俺の場合はもっととんでもない状況だったけどな」
実感のこもった言葉。そして言葉の後半は呟くような声である。
「なら、お願いしますよ、ボス。いきなり現実認識させたのはボスなんだから、責任あるでしょ。それに…秋穂ちゃんに元気になってほしいんですよ」
少し寂しそうな顔のミルファが幌の中に視線を動かす。しかし、すぐにいたずらっ子のような表情になり南雲の方を向く。
「ボスがやさしく手ほどきをして慰めてあげるというのはどうでしょう?」
「おい……。その台詞、イセリナの前で言ってみたらどうだ?」
その名前が出た瞬間、ミルファの表情が固まる。
「イセリナねーさんの前でですか?」
「ああ、そしたら実行してやる」
「あはははは。冗談ですって……。いやだなぁ……」
そう言うと慌てて南雲の肩を揉み始める。ゴマスリのつもりらしい。
「だから、今のは聞かなかったということで……」
汗をかき卑屈な感じで言うミルファに、言わなきゃいいのにと思いつつ南雲はため息を吐く。
「まぁ、出来るかどうかはわかんないが一応フォローはするよ。しかしだ……」
そこで言葉を切り、じっとミルファを見返す。
「あまり構うな。別れるときつらいぞ」
「……わかってますって……」
肩揉みをやめてすーっと視線をずらす。
「まぁ、わかっているならいいんだけどな……」
その時、森の中から黄色の煙がきぃぃぃーんという音と共に打ち上げられ、ぱんっと破裂する。
「各自警戒レベル3!」
短く南雲は大きな声でそう宣言しミルファの方に顔を向ける。南雲の視線を受けミルファは頷くと幌の中に入る。
そして、馬車の奥の方で蹲っている霧島に声を掛けながら近くにおいてあった装備を手に取る。
「いい、ここにいること。何があってもここから動かないでね」
ミルファの方を向いているものの、はたして理解しているのかわからない。
そんな感じだったが、ミルファはそんなことは気にせず、呪文をつむぎだす。
独特のアクセントのあるルーンの響きが流れ、霧島の身体がぼんやりと光る。
その光は、薄暗い馬車の中を暖かい色合いで照らし、しかし、その光はすぐに収まる。
「気休めだけどこの馬車の中に防御向上の呪文を掛けたわ。これで少しはマシになると思うけど…」
だが、その後の言葉は周りから聞こえる激しい爆発音でかき消された。
ミルファはちっと舌を鳴らすと霧島の耳元に顔を近づけ、爆発音に負けないほどの大きな声でさっき言った言葉と同じ内容を繰り返す。
「ここにいて。ここから動かないで。いいわね」
そして返事を待たずに馬車の外に駆け出していった。
ミルファが外に飛び出したとき、馬車のすぐ傍で大きな爆発があった。
そのあおりを受けて馬車が大きく揺れ、地面に飛び降りたミルファが着地に失敗して泥だらけの道に転がるように倒れこむ。
「ええいっ、爆裂の呪文なんか使うなんて最低よっ」
泥だらけになりながら周りの状況を見ると、戦いはかなり膠着状態であった。
自分も含め、こっちは15名。しかし相手は20人ほど、さらに犬を大型にしたような魔獣が5頭はいるだろう。さらにタチが悪いのは一番後方にいる二人の魔術師らしき黒ずくめのローブ姿があること。
どうやらさっきから放たれている爆裂の呪文はその二人の一人がかけているようだ。
味方に当たったらどうするつもりなんだろうとか考えてしまうが、まずはそっちを黙らせないと不味い。
南雲は、魔獣2頭を抑えながら他の隊員達をフォローするので精一杯であり、勝てるだろうが今すぐ魔術師をどうにかできるほど余裕がない。
後ろの方では、アーサーが何人かの隊員と共に後ろに回り込もうとする相手を押さえている。
今、魔術師を相手に出来るのはフリーの自分だけととっさに判断したミルファは、手早く呪文を紡ぐ。
味方に当たらないように細心の注意をしながら呪文は完成する。
「魔法の矢の雨!」
上空にいくつもの光の矢が浮かび上がりそれが二人の魔術師を襲う。
悲鳴があがり、魔術師の一人が慌てて魔法の盾の呪文を唱える。
しかし、間に合わず一人の魔術師が何本もの魔法の矢を身体に受けて倒れこむ。
だが、もう一人は矢が当たろうとした瞬間、姿が消えた。
移動系の呪文使い?!
ミルファは周りに気配を探る。
そして、彼女の後ろから上がる悲鳴が彼女にもう一人のいる位置を知らせた。
「間違いなく死ぬぞ」
その言葉が深く私を切り裂いていた。
あの後、少し説明らしきものがあったがほとんど私は覚えていない。
今まで生活していたところではないという今の現実が私に強く覆いかぶさってきている。
不安、恐怖、そして孤独感が私を押しつぶしていた。
何もしたくない。
無気力感が全てを支配している。
これでは駄目だと思うが、どうすればいいのかわからない。
そんな時だった。
身体に刺さるかのような緊張感が周りに漂い始めたのは…
ミルファさんが何やら声をかけているようだが、理解できない。
いや、理解しょうと頭が働いていないといったほうがいのかもしれない。
圧倒的な拒否感が今の私を支配している。
私は、目の前で呪文らしきものを唱えているのをぼんやりと見ている。
そして、彼女が外に飛び出した瞬間に、馬車が大きくゆれ、それで内にこもっていた意識がびりびりという振動と爆発音に向いた。
ゆっくりとだが、無気力に支配されていた思考が動き始める。
何が起こっているの?
顔を上げて周りの様子を伺う。
そこで私はやっと爆発音だけでなく、金属同士のぶつかり合う音や人の叫び声、そして漂う緊張した気配と血の匂いに気が付く。
また戦いが始まっている?!
その瞬間、南雲さんが言った「死ぬぞ」という単語が私の頭の中で響く。
ぞくっとした恐怖が私の身体を走り、私はぎゅっと自分の体を強く抱きしめる。
怖い……。怖いよ……。
だが、私は知った。
本当の恐怖は、怖いと思うことが出来ないほどのものだということを……。
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