年下おねえちゃんとワクワク夏休み!
金澤流都
死んだ姉(ろくさい)がお盆に帰ってきた件
2021年も当たり前みたいに夏が来た。僕の高校はどの部活も弱小だし、なにより僕は帰宅部なので、こうしてのんびりと、ツイッターの精霊馬タグに参加するキュウリのバイクを作っている。ふつうに足を生やして馬にするよりもバイクのほうがカッコイイので。
できた。なかなかの出来栄え。じいちゃんはソバ屋をやっていて、よく原チャリで出前にいっていたので、これで無事に帰ってこれるだろう。仏壇をちらとみて、幼い少女と目が合う。
姉さん。僕が三つのときに六つ、幼稚園年長で亡くなった姉さん。それも、海の事故で。みんなで海に遊びに行って、姉さんの行方が分からなくなり、浮き輪につかまったまま沖に流されて衰弱して死ぬ……という、悲しい亡くなり方をした姉さん。
正直僕には姉さんの記憶というものがない。なんせ当時三歳だったので。父さん母さんも話題にすることを避けていた。姉さん、バイク乗れるのかな――と思ったそのとき、家の前からバイクのエンジン音が響いてきた。郵便屋さんにしては大げさな音だ。
玄関に出て、僕は言葉を失った。
六歳の少女が、バイクにまたがりメットをはずして、こっちを見て笑っていた。瘤久保先生のツイートの、お盆に帰ってくるケルシンハかよ……。
◇◇◇◇
六歳の姿で帰ってきた姉さんは、どうやら僕にしか見えていないようだ。父さん母さんは会社の仕事ができない上司のグチを言いながら楽しそうに食事をしている。僕はさっさとご飯をやっつけて、姉さんを連れて部屋にひっこんだ。
「姉さん、なんでそんないきなり帰ってきたの」
「おぼんだから!」
お盆がなんなのかよく分かってない顔をしているくせに、姉さんは笑顔でサムズアップをむけてくる。見れば、姉さんはいかにも子供服というかんじでなく、都会に出ていった若い女の子があか抜けて帰ってきました、という印象の服を子供サイズに仕立て直したようなのを着ている。
「もしいきてたら、ちかは大学生のおねえさんなんだよ!」と言ってくるのがなんともせつない。よく分からないが渋谷とか原宿とかに遊びに行って買ってくる服の感覚のようだ。ちなみに「ちか」というのは姉さんの名前だ。
「あのねゆーたろ、ちかはね、モルカーの映画みたい!」
死んでるくせにどこでモルカーを知ったのか。訊いてみると、「じごくでもね、シロモがゾンビになっちゃうお話みれたの!」と言ってくる。
確かにモルカーは面白い。それは認める。でも映画館まで観に行くほど面白いのかと言われるとううーん、となる。
「ちかね、モルカーの映画とね、わんだあわーるどとね、海にいきたい!」
わんだあわーるど、というのは、数年前につぶれた遊園地である。ものすごい負債を抱えて倒産したはずだ。いまも廃墟が残っていて、廃墟巡りマニアの聖地になっている。
「わんだあわーるどならつぶれたよ」
「つぶれた~?」
よくわからないらしい。つまりなくなったのだ。そう説明すると、
「じゃあモルカーの映画と海だけでゆるす」と尊大な口調で言ってきた。
ため息をつく。父さん母さんに姉さんが見えていないなら、劇場のチケットは一枚でいいだろう。いまならソーシャルディスタンスというやつで、席は飛び飛びになっている。幽霊なら隣に座ってもらえるだろう。
ちょっと待て、明日ってお盆の13日だよな。墓参りにいかなきゃいけないのでは。一階に降りて、両親に、
「明日って墓参りいくの?」と訊ねると、「当然」と返ってきた。そうですよね……。
僕は部屋にもどり、「明日は墓参りにいく」と言うと、姉さん――見た目が幼女なので姉さんという感じはしないのだが――は、「おはかまいりよりモルカーの映画いきたいー」と子供さんらしいことを言った。それでもとにかくモルカーの映画は14日ね、と約束して、しばらくツイッターをいじって遊んだ。お、精霊馬のツイートがなかなか伸びてるぞ。
そのあと、眠くなるまでモンハンライズで遊んで、それから寝た。
我が家の墓参りはいつも朝早くにいく。混んでいないしやぶ蚊もいないからである。翌朝、たたき起こされて歯を磨きシリアルを食べ、あらかじめ買っておいた仏花を抱えて墓地に向かう。お坊さんを呼ぶのは本家の伯父さんたちがやってくれるだろう。
朝早い時間だというのに、墓地ではツクツクボウシがけたたましく鳴いており、夏真っ盛りという感じだ。マスクのなかがじりじりと暑い。だんだんめまいがしてきた。思わずバランスを崩し、膝をついて気が遠くなってくる。母さんの「雄太郎?!」という叫びが遠くに聞こえた。
……気がついたところは、雲の上だった。
透明な、目に見えない手が伸びてきた。どうやら神様らしい。我が家は仏教徒のくせに僕も姉さんもカトリック幼稚園に通っていた。カトリック幼稚園では偶像を作って拝んではいけないと言っていたので、神様はこのスタイルで登場したのだろう。
「雄太郎よ……。お前は姉を救うことができるのです」
「あねを、すくう。僕も姉さんもカトリック幼稚園でしたけど洗礼は受けてませんよ」
「そういうことではなくて。おまえに力を授けます。それは、心の底からお前の姉、ちかのことを、『ねーたん』と呼ぶならば、戻りたい時に戻れる力です」
「それはつまりぺこぱの『時を戻そう』ですか」
「まあそんな感じです」そんな感じなのかい。神様は続けた。「ちなみに私はすゑひろがりずが好きです。なんかめでたいので」訊いてないことを喋って、神様はオホンと咳払いした。そして、
「さあ、現実に戻りなさい。偶像崇拝や先祖崇拝は罪ですが、死者を忘れないという考え方は、美しいと思いますよ」と、言葉を続けた。
神様がそう言ったとき、空がちかちかと瞬き、僕は目を覚ました。母さんにポカリスエットを渡された。どうやら軽い熱中症で倒れたらしい。ポカリスエットがうまい。
変な夢を見た。「時を戻そう」ができるとかできないとかいう。でもそれは黙っていた。
その日は一日、冷房のある部屋で横になって過ごした。
14日。僕は映画を観に行く言い訳を考えていた。お客さんがくるから家にいろ、と言われるだろうからだ。僕は親戚の顔なんて把握していないので、いるだけ無駄なのだが。そう考えて、妙案を思いついた。さっそく父さんに言ってみる。
「あのさ父さん、中学の同級生で県南のほうに下宿住まいしてるやつがこっちに帰ってきてて、一緒に映画観に行くべって言ってるんだけど。きょうしか空いてないらしくて」
そう提案すると、父さんは意外とあっさり、
「そうか。雄太郎ももう高3だもんな。友達は大事にしろよ」
と許してくれた。そのうえ映画のチケット代もくれた。なかなかびっくりして、
「いいの? お客さんくるんじゃないの?」と訊ねると、
「まあ来るんだろうが、もうじいちゃんの弟軍団みんなヨボヨボだしな。ばあちゃんの友達とか親戚はうちとはあんまり仲よくないし――ちかは友達を作る前に死んでしまったし」
父さんは仏壇をちらりと見て、寂しげに呟いた。というわけで、僕は自転車で映画館に向かった。後ろには姉さんが乗っている。お巡りさんに怒られるかと思ったが、姉さんは僕にしか見えていないのだった。
モルカーの映画は小さいお友達で混雑していた。姉さんが幽霊で物理的に3Dグラスをかけられないので、2D上映を見ることにした結果がこれだ。僕の暮らしている県ではYouTubeでしか観られなかったというのに小さいお友達で混んでいる。ぷいぷい鳴るボールを貰ったので、チケットに書かれた席につく。小さいお友達はマスクをなめたり外したりしているが大丈夫なんだろうか。姉さんは僕の隣の座らないでねと書かれた席に座った。ぷいぷい鳴るボールを渡すも、霊体なので持つことができない。しょうがないので僕がぷいぷい鳴らすことになった。
一時間いかないくらい、夢中でモルカーの映画を見た。流行った当時にぜんぶYouTubeで見たはずなのに、大画面で見るモルカーはなかなかの迫力で、ぷいぷいボールを鳴らすのにも力が入る。姉さんは映画のあとすごく満足げに、
「モルカーおもしろかった~」と言って笑顔になった。
「なんで地獄にいるのにモルカー知ってたの」と訊ねると、
「じごくだとね、ゾンビとサメはえんまさまが大好きで観られるの。それでシロモがゾンビになっちゃうお話だけみたの」とのこと。ゾンビ映画とサメ映画が好きな閻魔様ってなんなの。
「タイムモルカーのおはなしおもしろかった~。モルモットってかわいいねー」
「そうだね。で、どうしようか?」
「あのね、どうするかの前にききたいんだけど、……なんで、ゆーたろもおとうさんもおかあさんもほかの人も、みんなマスクしてるの?」
「コロナウィルスっていうのが流行ってるんだよ。人がたくさんいるところだと、マスクしないとばい菌吸って死んじゃうんだ」おおざっぱだがお子さんにはこれくらいの説明でよかろう。姉さんは、
「それはかなしいね」と空を見上げた。いっしょに空を見上げると、驚くほど大きな入道雲が、夏の空に浮かんでいた。
そのまま、海に遊びに行くことにした。自転車で、海に向かう坂道をくだっていく。空と海が交わるその青く美しい夏の浜辺に向けて、僕は自転車を漕いだ。汗まみれだ。
「うみだー!」浜辺に到着して、姉さんはいつ着替えたのかわからないが水着に浮き輪のスタイルで海に駆けていった。今年は去年に引き続き、海の家は営業していないし、海水浴場自体営業していない。姉さんの海に走っていく後ろ姿を見て、心がぎゅっと痛くなる。
姉さんは海で死んだ。浮き輪をつけたまま沖に流されて、衰弱して。
「姉さーん、沖にいっちゃだめだよー」
夕焼け空の、眩しい海辺を見つめながら、僕はあのときのことを思い出した。
姉さんが夕方になっても戻ってこなくて、父さんと母さんは暗くなる寸前にライフセーバーさんに声をかけた。そのあと警察がやってきて姉さんを探した。次の朝、姉さんは水死体にしてはずいぶんきれいな姿で見つかった。浮き輪につかまったまま、体温が下がって衰弱死してしまったのだ。
僕は、姉さんが手を振りながら沖に流されていくのを見ていて、これは大変なことになるんじゃないだろうか、と思っていた。でも父さんも母さんも、僕みたいな小さな子供の意見なんか聞いてくれないよな、と思って黙っていた。
「ねーたん」
口を突いて、あのころ姉さんをそう呼んでいたな、という名前が出た。ねーたん。懐かしい。もう一生口に出すことはないとばかり思っていた。
「ねーたん」
生きていたら大学生になっているはずの姉さん――ねーたんは、子供のまま、お盆に帰ってきた。
ねーたん。僕はねーたんと一緒に生きたかった。ねーたん、僕は、ねーたんを助けたかった。あのとき一言、「ねーたん」と叫んでいたなら。そうしたら、ねーたんは助かったんだ。
「ねーたん!」思わず全力で、そう叫んだ。心の底から、そう叫んだ。
そのとき時空がぐにゃりと歪むのを感じた。気が付くと、僕は三歳の子供になっていて、水着を着ていた。海水浴場は人でいっぱいで、海の家では浮き輪を貸し出しているし、焼きとうもろこしの匂いもする。だれもマスクなんかつけていない。
「ねーたん! ねーたんながされてう!」
僕がそう言うと、父さんと母さんは顔を上げた。
「――本当だ。ちか、沖に流されてる!」
父さんと母さんは素早くライフセーバーさんに声をかけた。ライフセーバーさんが出動し、あやうく沖に流されかけていたねーたんを抱えて戻ってきた。
「ちゃんと監督してくださいね。もうちょっとで本当に危ないところに流されるところだった。無事でよかった」ライフセーバーさんは肩をすくめている。
「ありがとうございます。申し出ありません」父さんと母さんはペコペコしている。
「こわかったあー」ねーたんはぜんぜん怖くない顔でそう言った。
……暑い。なんだか疲れた。僕はこてんと横になった。母さんの、「雄太郎?!」という声が遠くに聞こえた。あ、これ、熱中症ってやつだ。
◇◇◇◇
「無事に姉を救うことができましたね」
神様がそう声をかけてくる。僕は三歳児だというのに妙に鮮明な意識でそれを聞いている。
「ねーたんを助けた?」
「そうです。違う世界では、お前の姉は死んでいた。しかしこの世界では、お前の勇気ある行動で、姉は助け出された。ご褒美に、コロナウィルスの流行らない未来をあげましょう」
「ずいぶんいろいろご褒美もらってますよね、僕」
「そりゃあ、わたしがお前の味方だからですよ」
◇◇◇◇
あれから十五回、夏になった。2021年の夏は、いつも通り平穏に過ぎていく。ちなみに2020年の東京オリンピックは、ド派手なクールジャパン演出の開会式や閉会式で、世界中から称賛を受けた。
2021年の夏休み、僕はキュウリでバイクを作っていた。ツイッターの精霊馬タグに参加するためである。仏壇をちらりと見る。ソバ屋をやっていたじいちゃんと、それを内助の功で助けたばあちゃんの写真が飾られている。じいちゃんとばあちゃんがキュウリのバイクに2ケツして帰ってくるのはちょっと想像すると面白い。
テレビでは高校野球のヒリヒリした勝負を映していて、今年も面白い。ちなみに地元の出場校は智弁和歌山にコテンパンにのされて一回戦で負けた。
「よし、できた」出来上がったキュウリのバイクの写真をぱしゃぱしゃーとスマホで撮っていると、家族で使っているLINEに連絡がきた。
「もうすぐ家につくよー」と、姉さんからのLINEだ。姉さんは東京の大学に進学して、アルバイトして稼いだお金で合宿免許で大型バイクの免許を取り、バイクも買った。
さすがにガールズバーに勤めて買ったというのは僕と姉さんの間だけの秘密だ。姉さんはとにかく、自分のバイクが欲しくて仕方がなかったらしい。
姉さんはいまいちばん家に近いインターチェンジで高速道路を降りたところらしい。そのLINEから少しして、豪快なバイクのエンジン音が聞こえてきた。
玄関に飛び出すと、姉さんはフルフェイスのメットから顔を出したところだった。長い髪は後ろで束ねていて、東京で一式そろえたオシャレなライダースーツを着ている。
「ふうーあっちい。元気だった? ゆーたろ」
「元気だよ。お帰り、姉さん」
「ゆーたろ、お盆休みの間にさ、モルカー3D応援上映観に行こうよ。ふつうの上映見たけど楽しかったから、応援上映ぜったい面白いよ」
「モルカーかあー。面白そうだね。スマホの画面では観てたけど3Dになったらすごいだろうなあ」
今度こそ、姉さんと夏休み、楽しめよ。コロナも流行ってないんだろ、そっちの世界。
どこか違う世界の僕が、そうささやいた。
年下おねえちゃんとワクワク夏休み! 金澤流都 @kanezya
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