第3話

 翌朝。


「祥―、私、友達と映画行ってくるから。留守番しててねー。ゲームしててもいいよ」

「はーい」


 祥にそう言ってから私は家を出る。昨日の夜からずっと緊張していて、心臓が爆発して辺りに飛散しそうだ。やめよう。グロいわ。


 今日の服は持っている服の中で一番おしゃれな服にした。かなり暗めの紺色のロングスカートにグレーのティーシャツにワインレッドのカーディガンを羽織った。もともとブランドのようなゴツゴツキラキラした金の匂いがする服は嫌いなので、自然とカジュアル系の服になる。


 待ち合わせ場所には十分も早く着いてしまい、コンビニで温かいレモンティーを買って待つことにした。最近のペットボトル飲料は馬鹿にしてはならない。キャップを開ければ、甘いレモンの香りが漂う。その甘さが温かさにより増すのだ。


 一口飲んでは香りを楽しむ、というのを繰り返していると、諒太がやってきた。


「ごめん、待った?」


 諒太はいたって普通の服装だった。まあ、普段から服に気を使っていればこういう時も特に考える必要がないんだろう。


「全然。ていうかレモンティー飲めてよかった」

「美味いもんな」

「うん。美味しい」


 じゃあ行こうぜ、と二人でバス停へ向かう。バスはすぐにやってきて、映画館のあるショッピングモールへもすぐに到着した。


「とりあえず席とるか。空いてるといいな」

「そうだね」


 このショッピングモールは五階建てで、映画館はそ五階にある。私たちは入ってすぐ目の前にあったエスカレーターで目的地へ向かうことにした。


 今日観る映画『花と剣』は漫画原作があり、もともと私はその漫画のファンだった。その漫画の映画化が決まり、しかも主演が好きな俳優とわかった時は家の中でベートーベンの第九を歌ったほどだ。諒太に映画に誘ってもらった瞬間の喜びよりも嬉しかったかもしれない。そんな諒太はその原作をレンタルで数巻読んできたらしく、予習はバッチリだった。


「で、あのヒロインの桜子だっけ。あの子捕まったところまで読んだ」

「おお、映画はたぶんそこまであるよ。オリジナルキャラも出るみたいだし楽しみ!」

「俺も漫画買ってそろえようかな」

「諒太もハナラーデビューか」

「かもな」


 映画館はわりと混んでおり、券売機も列を作っていた。並ぶしかない、と思って最後尾へ行くと、諒太がいなくなっていた。


「え?」


 辺りを見渡してみても見当たらない。一体どこへ行ったんだ。私は鞄からスマホを取り出し、諒太に電話をかけようとしたが、後ろから肩を叩かれ私はそれをやめた。叩いた主が諒太だったからだ。


「諒太! どこ行ってたの?」

「ごめん、ごめん。はい」


 諒太は映画館のロゴマークが入った赤い袋を私に差し出してきた。中には何か入っているようだが。


「何?」

「まあ、プレゼント的な?」


 中身を取り出してみると、『花と剣』のパンフレットだった。表紙には好きな俳優がアップで印刷されている。


「え、すごい! ありがとう!」

「さっき、どうせ並ぶならパンフレット買って待ち時間見ようよって言おうと思ったら、綾乃もう並んでてさ。グッズ売り場も行列出来そうだったから何も言わずに消えちゃった。ほんとごめん」

「いいよいいよ! パンフレットまで買ってもらって、嬉しいよ! ホントありがとう!」

「そう言ってもらえるなら俺も嬉しいよ」


 順番が回って来て無事に最後列をゲットし、十五分後に開演なので、ポップコーンを買うことにした。


「俺が出すよ」

「いいよ。さっきパンフ買ってくれたし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 私はメニューを一度見て、続けて諒太を見た。諒太もメニューを一度見て、私を見た。


「どうする?」

「綾乃もポップコーン食べるんだろ? この二人用のやつでいいんじゃない?」

「私、塩派だよ?」

「大丈夫。俺はキャラメル派だから」


 ということでポップコーンが決まり、私はジンジャエールを、諒太はメロンソーダを注文した。 


「ん?」


 飲み物も手に入れ、半券に書かれているスクリーン五番へ向かおうとすると、諒太が足を止め、遠くの方を見ていた。何を見ているのだろうと、私も諒太の視線の先へ目をやるがわからず、「どうしたの?」と訊くと、


「いや、気のせいだったみたいだ。行こうか」

 と言うので私も深く訊く事はせずに、そっか、と二人は歩みを再開させた。





 映画は期待以上の物だった。これはDVDも買うしかないな、という事を考え

ているとあり得ない光景が目に飛び込んできた。


「お姉ちゃん、映画面白かった?」


 理解が追い付かない。え? どうして?


「何で祥がここにいるの? お留守番しててって言ったじゃん!」


 祥の両肩を掴み、大声何て気にせずに訊く。


「え、だって一人寂しかったもん」


 対して祥はあっけらかんとしていた。悪気もないような顔をしている。私は心の底から腹がたった。せっかくのデー……二人での休日だったのに。祥が来てしまっては台無しだ。まったく前に続き、今回までも……。


「あ、やっぱりその子、綾乃の知り合いだったの?」

「え、どういうこと?」


 諒太もその場に屈み、祥と目線の高さを合わせる。


「映画、始まる前にさ、その子がずっとこっち見てたんだよ。俺の知ってる子じゃないからさ、綾乃の知り合いかなと思って。でもすぐにどこかへ行ったから人違いかなって思ってたんだ」

「さっきのは、そういう事だったのね」


 ああ、と諒太は頷き、私は一先ず祥を諒太に紹介することにした。お説教は帰ってからだ。


「えーと、諒太。この子は祥。前に話した私の弟」


 すると、諒太は今までにない笑顔を浮かべ、「あー、君がか!」と、祥に手を差し出した。


「お兄さんは綾乃お姉ちゃんの友達の諒太。よろしくね」

「うん! よろしく!」


 小学生相手にも抜群のコミュ力の諒太だったが、今はそんな事どうでもいい。私は再び祥に向き直る。


「祥! 一体どうやってここまで来たの?」

「魚に連れてきてもらった」


 魚って……、誰かに見られでもしたらどうするんだ。私は加熱される怒りを残っている理性で押さえながら話を続ける。


「もう、勝手に来ちゃダメでしょ。今日はその魚と一緒にお家に帰ってて」


 私がそう言うと、諒太はまあまあと割って会話に入って来た。


「いいじゃないか。祥君が一緒でも。三人でお昼ごはん食べようぜ」


 まったく、諒太にそう言われたら私が逆らえるわけないじゃないか。


 しょうがなく、私は「諒太がいいなら……」と食い下がり、三人でフードコートへ行くことにした。祥は諒太と手を繋ぎニッコニッコしている。祥のやつめ……さらに過熱されるが堪える。まだ理性はあるようだ。


「祥君、何食べたい?」

「あれ!」


 祥は黄色い文字でMと書かれた看板を指差す。


「じゃあ、お兄さんもあれにしようかな。綾乃は?」

「私は、うどんにする。祥の分のお金渡しとくね」


 鞄から財布を出そうとすると、諒太に止められた。


「いいよ、子供一人分のお金くらい。バイト増やしたからお金はあるんだ」


 私はそれを聞かなかったが諒太も聞かず、根負けした私は「それじゃあよろしく」と祥を諒太に頼んだ。


 横長のフードコートで、私の好きなうどん屋は諒太たちが行ったファストフード店とは真逆の方向にある。諒太と祥に背を向け歩き始めた。


 何だろう。祥がやって来てから色々と上手くいっていない気がする。確かに諒太に映画に誘ってもらえた事は結構レアな幸せだ。しかし、しかしだ。チャンスが上手く進まないというべきか。そりゃあ、現実は厳しく、難しいので簡単にはいかない。だが、祥が来る前はこんな事なかった。大きな成功も失敗もなく安寧の日々を送っていた。何でよ。祥のやつ、恩返しに来たんじゃないの?


 駄目だ。そんな事考えてはいけない。会えないはずの弟と会えたんだ。こんな幸せはない。


 自分にそう言い聞かせ、うどんを受け取ると、二人の姿を探す。


「あれ? どこ行った?」


 まだ受け取っていないのだろうか、と二人の行ったお店まで行ってみるが見当たらない。フードコートをもう一周したが、やはり見つからなかった。どこへ行ったのだろう。もう一周して探してみよう。それで見つからなかったら電話するしかない。そう思った刹那、


『……斎藤綾乃さん、斎藤綾乃さん。お連れ様がお待ちしております。サービスカウンターへお越しくださいませ』


 アナウンスに自分の名前が入っている。お連れ様がお待ちしておりますだって? まさか、祥に何かあったのだろうか。


 私は手をつけていないうどんを店員さんに謝りながら返却し、一階のサービスカウンターまでエスカレーターを駆け降りた。


 サービスカウンターには二人のお姉さんがいたが、諒太と祥はいない。慌てて一人のお姉さんに尋ねてみる。


「あの、さっきの放送の斎藤綾乃ですけど!」

「あ、お連れ様は急いでいらっしゃったようなので、外でお待ちしているようです」

「ありがとうございます!」


 お礼をしながら外に出る。だがやはり、すぐには見つからない。


「諒太―! 祥―!」

「あ、あんたが綾乃さんかね」


 私が二人の名前を呼ぶと声をかけてきたのは、太った丸禿げのおじさんだった。にしても、このおじさん、どこかで見たことある気が……。


「そ、そうです! あなたは、諒太の知り合いなんですか⁉ あの、諒太達はどこに?」


 つい、食い気味で訊いてしまう。おじさんはそんな私に、少々驚きながらも答える。


「まあ、そうだな。確かに知り合いだな。とりあえずこっちに来い」


 そう言うおじさんに「ありがとうございます!」と言いながらついていく。それにしても一体どこで見たのだろう。絶対に見たことがあるはずだ。祥が心配だが、やけにおじさんの事が引っかかる。


 一つの答えに辿り着く。


「まさか!」


 私は口にハンカチを当てられ車に押し込められた。


 意識が遠のいていく。

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