第2話

 帰りに、私は仲のいい三人といつものカフェに寄った。男女比は私を含め一対一。彼らとどのような経緯で仲良くなったのかは正直わからない。きっと彼らもわかっていないだろう。気づいたらこの四人が固定メンバーになっていた。


「いやー、いつ来てもいいね、ここは」


 志田由美が中に入ってすぐ伸びをした。ボブヘアの由美はボーイッシュな性格で、その伸びも性格ゆえの行動だろう。そんな由美に天野健人は


「おい、入り口で止まんな」


 と頭をペシっと叩く。「痛いなーもう」「んな強く叩いてねーだろ。お前は豆腐か」「いいね! 豆腐ガールってアイドルで私売れるかな」「やめとけ、世の中の豆腐が売れなくなる」「どういう意味よそれ!」こんなやり取りができるくらい仲の良い二人は高校も同じだったらしい。その光景を微笑ましく見守るのは、私と椎名諒太だ。


「おいおい、健人もはやく進め。大学生が入り口で恥ずかしいぞ」


 ジャニーズのようなキラキラしたかっこよさではなく、京都の銀閣寺的なカッコよさを持つ彼には多くなくともファンの女性がいる。私も最近、気になりかけているのだ。でも、ガンガンアピールしていくような女にはなりたくないので自然体でいようと思う。高校まで青春を味わっていないので大学では弾けたいものだが、私は上手く弾けられる自信がないので普通に楽しむことにしたのだ。ちなみに諒太は四人の中で唯一、地元の人だ。


 四人はいつもの窓際の席に座る。由美が窓側に座り、私がその横。諒太が由美の前で健人がその横に座った。窓からは私がいつも帰りに通る海岸が見えた。


「今日は一段と綺麗ね」


 由美はメニューより先に外の景色に目をやる。


「天気いいしな。でももう見慣れたわ」

「健人! あんた見慣れたってここに住み始めたのの大学入ってからでしょ?」

「いやいや、そう言ってももうすぐ冬だぜ?」

「はーやーくーこーいーこーいーおー正―月」

「いや、それはもうちょい先だ」

「あ、見て見て! いつもの漁師のおじさん! 今日なんか人集まってるね」

「人の話を聞けよ」


 そうは言いながらも健人も由美が指差す先を見る。私も黙って二人の会話を聞いていたが、ウツボの一件もあるし、例のおじさんを探した。その人はすぐに見つかったのだが、確かに様子がいつもと違う。もしあのおじさんがウツボの事を取り逃がした漁師なら残念がっているのかも。それで仲間の漁師を呼んで、「ここで獲れたからみんなでもう一回釣るぞ」みたいな。でも船出さなくていいのかな。漁師なのに。


 私はその弟ウツボ漁師説を私と弟の関係についてと一緒に皆に話した。


「すごい! 綾乃ってそんな面白い話作れたんだね」


 お腹を抱えて笑う由美に、私は真面目な顔で答える。


「いや、本当の話」

「嘘だー!」

「綾乃、マジで言ってんのか、それ」

「マジだって。さすがにこんな時間たつと夢じゃないってわかる」

「あのなあ、普通に考えてみろよ……。魚が空を飛ぶとかありえないだろうよ……」


 どうやら健人も信じてくれていないようだ。しかも、由美みたいに笑わずにすごく心配そうな顔をしている。そんな顔をされると辛いのだが。


「まあまあ、いいじゃん、そういう話。テレビであってるような事が身近で起きてるってだけだろ?」

「諒太……」


 彼は穏やかに笑いながら由美と健人に言う。本当にいい人だ。


「せっかくだしさ、ウツボ君の名前をみんなで考えようぜ」

「ありがとう、諒太! ほら、二人ともー。諒太はちゃんと信じてくれたよー」


 一瞬、諒太の顔が曇ったように見えた。でも、本当に一瞬だったのでもしかしたら見間違いかもしれない。きっとそうだろう。


「ご注文はお決まりになりましたでしょうか」


 突然、別の声が間近で聞こえた! と思ったらただの店員さんだった。確かに、何も注文せずしゃべってしまっていたな……。申し訳ない。


「あ、すみません! みんな、いつものでいいよな」


 諒太の言葉に皆は頷く。それを見た諒太はいつも皆が注文する料理を覚えていたようで、完璧に全品言った。私は料理名まで覚えられていない。


「以上でよろしいでしょうか」

「はい」

「諒太、あとポテト」

「ポテトくらい、自分で頼めよ……。すみません、あとフライドポテトひとつ」

「かしこまりました」


 店員さんは終始にこやかな顔を崩さないまま帰っていった。接客って大変だよなーと他人事ながらに思ってしまう。


「ありがと諒太」

「ったく健人って奴は。いい加減マイペースやめろ」

「自由に行きたいもんでね」


 由美はそれを見てまた笑っていた。私も由美のように声に出して笑ったが、うん。健人のこのマイペースさは目を見張るものがある。


 ウツボの名前も決まり、今日はお開きにする事になった。会計を済ませ、一同は外に出る。


「あ、俺ちょっと電話しないといけないから。三人とも先帰ってていいよ」


 諒太がおもむろにスマホを取り出し、喫煙所へ向かった。彼は喫煙者ではないので、おそらく今は喫煙所に誰もいないのを見て、そこで話そうと思ったのだろう。


「彼女かー」

「いねーよ。バカ」


 健人の冷やかしを軽くあしらった諒太は喫煙所の中へ入っていった。これ否定されていなかったら焦るところだった。確認できてよかったかもしれない。健人に感謝だ。


 このメンバーは途中まで帰り道が一緒なので、三人は並んで歩いた。


「普通に誰に電話だろうな。諒太が急ぎの電話なんて珍しい」

「別に急ぎとか言ってなかったくない? 確かに諒太が電話とか珍しいけどさ」

「そうだね、あれじゃない? 家族とか」

「なんで四人で話してたのに、カフェ出て突然家族に電話なんだよ」

「あ、確かに」


 会話はまだ途中だったが、海岸への分かれ道がある分岐点へやって来たので私はここで外れることになった。健人と由美はもう一方の道だ。


「じゃあね」

「おう」

「バイバーイ! 今度は女二人で遊び行こうねー!」

「それ昨日も言ってたよ」


 苦笑いで答えながら海岸を進む。漁師のおじさん達はまだ釣竿を持って粘っていた。


 さてさて、祥が待ってる。早く帰ろう。



※ ※ ※


「ただいまー」

「お姉ちゃん、お帰り!」


 私が部屋に入るとウツボ改め祥がパタパタと足音を立てながら走って来た。手

にはコンソメ味のポテトチップスの袋を持ったままだったが。


 床はとても綺麗になっていた。丁寧に磨いてくれたのがよくわかる。


「雑巾がけありがとうね。すごくピカピカになってるよ」

「お姉ちゃん聞いて聞いて! このお菓子すごくおいしいんだよ!」

「あ、ああ、そうだね」


 自分が掃除した事はもう忘れているのだろうか。


 そうか。祥は生まれる前に死んで、魚になったからお菓子というものを食べたことがないのか。なら、好きなだけ食べさせてあげよう。その前に、祥に名前が決まった事を教えてあげないと。


「ウツボ」

「何?」

「あなたのちゃんとした名前。決めてきたよ」

「え、かっこいいの?」


 あー、かっこいいかはわからない。


「祥ってどう?」

「しょう? しょうしょうしょうしょう……」


 祥は俯き、自分の名前を咀嚼するように何度も唱えると、突然、天真爛漫という言葉がこんなにも似合うかという顔で私を見た。その純粋さに思わず一歩後ずさる。


「いいね! かっこいい! 祥か~。いいねー」


 今度はいいねを連呼しながら、祥はポテチを持ったままリビングに戻っていった。


「よかった。気に入ってもらえて」


 私は荷物を置いて部屋着に着替えようと、自分の部屋へ向かった。あ、自分の部屋は汚いままだったな。掃除しないと……。そう考えながら部屋に入ると視界に飛び込んできたのは、テレビで放送されるようなタレントの汚部屋ではなく、眩しいモデルルームのように綺麗になった。


 一瞬、泥棒かと思った。下着なども散乱していたし、雑誌も散らかっていた。しかしどれも綺麗に整頓されてベッドの上に並べられている。


「……祥だ」


 私はパタパタではなくドンドンと音を立てながら、リビングへ向かう。そしてソファに座ってくつろいでいる祥に番犬の如く吠えた。


「祥!」

「ど、どしたの? お姉ちゃん」

「どうしたのじゃない! 私の部屋に入ったでしょ!」


 語気を強めると、弟は少し考えるような仕草を見せてから「えーと」とちゃんとポテチを置いて話を始めた。


「入っちゃダメってわかってたんだけど、綺麗にしてたら、お姉ちゃん喜ぶかなって思ったの」


 若干涙ぐんだような顔で私の顔を見上げてくる。


「嫌だった?」


 まったく。そんな顔をされては私が悪者みたいだ。私は数秒で最適解を考え、それを祥に伝える。しかし今度は優しい声音で。


「祥がそういう気持ちでやってくれたってわかった時、嬉しかったよ」

「本当?」

「うん、本当。でもね、部屋に入られたのは嫌だった。ダメって言われたのにやっちゃダメだよ? これからはしないでね。わかった?」

「うんわかった。ごめんなさい」


 私は「わかったならいいよ」と祥の頭を撫でた。そして立ち上がり、キッチンへ向かう。


「晩御飯は何がいい?」

「うーん、お姉ちゃんが作ってくれる料理なら何でもいいや」

「う」


 祥って子は……。イライラさせられる時があるのに、あざとい所もある。なんて子なんだ。親の顔が見てみたい。いや、私の母親だ。


 それにしても、いつまで家にいるつもりだろう。まあ、しばらくはいいだろう。


 夕食と寝支度を済ませ、祥が眠りにつくと、テーブルに上に置いてあった私のスマートフォンが振動した。まあ、LINEだろう。だがそろそろ十二時を回る。こんな時間に誰が一体何の用事でLINEなんぞをしてくるのだろう。私は手帳型ケースのスマホを開き、相手とメッセージを確認する。


『明日空いてる?』


 諒太からだった。とんでもない声を出しそうになったが、真夜中である事と祥がいる事を考慮して堪えた。急に心拍数があがり、頭が真っ白になる。慌てる必要もないのに慌てて返す文面を考え送信した。


『どうしたの?笑 空いてるけど』


 既読はすぐにつき、ピロンと返信が来た。


『前見たいって言っていた映画公開されたじゃん? 良かったら一緒に見に行かない? 友達から無料券二人分もらったんだよ』


 おそらく『花と剣』の事を言っているのだろう。私の好きな俳優が演じる侍の青年を主人公にしたラブ&アクションのコメディ映画なのだが、よく話をした事を覚えていたな。話したのは確か、六月くらいのはずなのに。さすがはモテる男は海馬が他の人とは違うらしい。


 私は迷わずキーボードを打ち、返信した。


『本当に? 行きたい!(/・ω・)/』


 スマホが揺れる。


『おお! じゃあ、明日の九時にいつものカフェの前のコンビニ集合な!』

『わかった笑』


 勝利の女神様は私の事もちゃんと見てくれていたようだ。高鳴る胸を押さえながら、私は自室のベッドに潜り込む。


 明日が楽しみで仕方がなかった

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