姉妹

あべせい

姉妹



「スパイ!?」

「そうです。幸枝さんは、スパイです」

 昼下がりの都心の喫茶店だ。といっても、セルフサービスの店で、2人は、奥にある喫煙ブースのテーブル席で、向き合って腰掛けている。

「わたしが、いつ、何をスパイしたって言うの! ことと次第によっては、わたしたちの仲は、たったいま限りになるわよッ!」

 女性は怒り心頭といった感じで、美しく刈り揃えた眉を吊り上げた。

 香道幸枝(こうどうさちえ)28歳。幸枝をスパイと決め付けた男性は、会社の同僚、須永君竹(すながきみたけ)、31歳だ。

 2人は同僚だが、周囲に隠れてこっそり付き合っている。しかし、まだ肉体関係にまでは至っていない。

 2人とも互いに、まだ踏み切れないものがあるからだ。

「幸枝さん、いいですか」

 君竹は、シガレットをくゆらせている幸枝の整った魅力的な顔を、まぶしそうに見つめながら話す。

「ぼくがあなたをここに連れ出す前、あなたは事務所で、何食わぬ顔をして、コピーをとっていました。あれは極秘の顧客名簿でしょ」

「そうよ。それが、どうかしたの?」

 幸枝は、平然としている。幸枝のくっきりとした瞳に、君竹は弱い。その瞳で見つめられ、幸枝に魂を奪われたからだ。

「あれは、都内の病院に入院されている高齢者のリストよ。それが、どうした、って?」

「うちの会社は、葬儀社です。高齢者の名簿をコピーして、他社に持ち出すのはスパイ行為じゃないですか」

「あなた、バッカね。だれが、あんなものを買うって言うの。だから、わたしは、あなたより……」

「ぼくより、って?……」

 君竹は初めて、幸枝のことばに違和感を抱いた。

 2人は仕事帰りに、こっそり待ち合わせてよく食事をする。そして、手を握り、夜道を何時間も歩いたことさえある。もっとも、そのときの幸枝は、酩酊していた。

 君竹の肩に顔を傾け、

「あなたのこと、好きになってしまった。どうしたらいいの……」

 と、ささやきかけたことは、これまで一度や二度ではない。

 いまは仕事中という意識が強いから、君竹は、固いことば遣いをしているが、2人きりのときは、もっともっと馴れ馴れしい口をきく。それが2人の愛の証しだと思っている。それは、君竹独りの思い込みでもあるのだが。

「幸枝さん、ぼくより、ってどういうことですか?」

 君竹が重ねてそう言おうとしたとき、背後から、

「よォ、お待たせッ!」

 と、元気のいい声がした。

 君竹は、気勢を殺がれ、急に黙り込む。振り返らなくても、その威勢のいい声で、それがだれなのか、わかる。

「遅いじゃない。ジュンちゃん」

 幸枝が、親しげに「ジュンちゃん」と呼んだのは、君竹のライバルで、同い年の川見順三(かわみじゅんぞう)だ。

 順三は葬儀の司会進行を務めるスタッフ。この仕事は、段取り通り進める優秀な頭脳を持ち、見栄えと、よく通る声が備わっていなければ務まらない。順三は、その三つを兼ね備えている。

 幸枝に恋心を抱いている君竹には、厄介な存在だ。なぜなら、幸枝は、君竹に好意を寄せているように振舞ってはいるが、何かにつけ、順三を頼ろうとするところがある。

 仕事面だけでなく、プライベートの悩みも、君竹の知らないところで、こっそり打ち明けているという噂がある。

「お2人そろって、なんの話ですか?」

 順三は、無造作に幸枝の隣の椅子に腰掛けた。

 礼を逸している。ひとこと、ことわるべきだろう。君竹は、こういう順三も好きになれない。

「ジュンちゃん、聞いて。君竹って、わたしがスパイだって言うの。あなたも、そう思う?」

「サッチーがスパイ!? 君竹、おまえ、サッチーが高齢者名簿をコピーしていたから、って、そんなバカを考えたンだな。おまえの頭脳はその程度か」

「なにィ、ジュン、もう少し口の利き方に気をつけろ!」

 君竹は、さすがに気色ばんだ。

「君竹、あれは、最近、次々と完成している介護施設の高齢者リストだ。バカな上司にたのまれてしていたことだ。この業界が欲しがっているのは、これだ」

 順三はそう言って、USBメモリーを取り出す。

「なに、ジュンちゃん、それ?」

「これは都内のICU(集中治療室)で現在治療を受けている患者リストだ」

「エッ、そんなものがどうして手に入るンだ?」

「手に入るンだ、じゃなくて、手に入れたのでしょう、ジュンちゃん」

「そォ。サッチーにこれまで内緒にしていたけれど、都内のICUに勤務する看護師と仲良しになり、新しくICUに入った患者の氏名と連絡先が、逐一メールでおれのスマホに送られてくる……」

「オイ、それって、違法じゃないか。個人情報……」

 順三をはじめ3人は、その瞬間、思わず周囲を見渡した。幸い、3人の会話に耳を傾けている人間はいない。

 順三は声をひそめる。すると、幸枝、君竹の顔が、自然と順三のそばに接近する。

「違法とも言えるが、患者の家族のためになることだ。患者が亡くなって、すぐに必要になるのが葬儀だ。それに、ICUに入ったからって、確実に重篤に進むわけではない。快方に向かい退院する患者も少なくない」

「でもね、ジュンちゃん。うちのライバルの大山葬儀社は、医者に手にまわしているそうよ。遺族に『ご臨終です』と告げる前に、メールをくれる、って……」

「その話は聞いた。救急車の救命士を手なづけている、って葬儀社もあるが、おれが手に入れたリストは、都内150の総合病院のベテラン看護師らとつながっているから、より価値がある」

「150も……。ジュンちゃん」

 幸枝が愁いを帯びた表情で、順三を見る。

 顔を寄せ合っているから、幸枝の唇が順三のそれにいまにも触れそうだ。君竹はそれを防ごうと、二人の間に顔を割り込ませる。

「少なくても、150人の看護師と仲良しになった、ってことなンでしょ? ジュンちゃん……」

 そうか。幸枝の心配はそれか。君竹は面白くない。

「サッチー、おれはそんなにマメじゃない。直に交渉したのは、5、6人だ。看護師だけじゃなく、力のある事務長や女医にも接触した。そして、鼻薬を利かせて、彼らが出入りする他の病院にも根回しを頼んだ。その結果が、150になった」

「ジュン。ということは、鼻薬次第では、まだまだ増えるということか」

 君竹は、順三の発想と行動力には、前から一目置いているが、最近、会社に葬儀依頼がふえたのは、彼のおかげといっていいだろう。

「ジュンちゃん、そのUSBメモリーだけど、コピーはあるの?」

「いつでも作ってあげられるけれど、あまり意味はないと思うよ。連絡は、すべて、おれのスマホに来るのだから。そのスパイとの信頼関係がないと、何も教えてくれない……」

「わたし、いま思いついたのだけれど、ジャンちゃんのそのリスト、同業者に売ったら? 一件、そうね……10万円、ってどう?」

 君竹は、びっくりした。10万円掛ける150は、1500万円だ。

君竹はそういう思考しか出来ない男だ。ジョークがわからない。

「サッチー、もう売ったよ」

「いくらで?」

 幸枝が、どうでもいいのだけれど、といった顔つきで尋ねる。

「一件、1万円にまでダンピングさせられたが、……」

「リストをいじったでしょ」

 幸枝は、全て承知だといった風だ。

「あァ、病院名は正直に記してあるが、おれが交渉した人物は、その特徴だけが書いてある」

「特徴、ってなんだ? 顔のキズや、髪型、口癖なんか書けば、だれか、すぐにわかってしまうぞ」

 君竹は、150万円を手に入れた順三がうらやましくて、そう言った。

「君竹、そんなことまで書けば、一件1万円じゃすまないわよ。ジュンちゃん」

「そうだ。体の特徴。すなわち、身長と体重。それも、一桁の数字は書いてない。170ンセンチ、とか、体重なら、60ンキロと変えてある」

「そんなものに、1万円も出すのか」

「それが、出すンだな。総合病院には、千人以上の職員がいる。探し出すのに時間がかかる。まァ、半年はかかるだろう。しかし、その頃には、病院内で異動があるだろうし,おれは別の病院に潜入して、新しいスパイをつくっている。リストに掲載されているスパイは他社に探し出されても、すでにおれとの契約期間が過ぎているから、何を聞いても知らぬ存ぜぬで、押し通させる。悪事は引きどきが肝心だ。彼らにも一件5万円の報酬を出すが、1人30万は超えないように配慮している。人間、持ちなれない金を持つとロクなことをしないからな」

 そうだ。君竹は、その意味をいやというほど思い知らされている。葬儀の際、相続で敵対する夫人同士から、会社に内緒で10万円づつ受け取り、遺体が解剖される前に火葬に回してしまった。「連絡がなかったものですから」と、警察には惚けてみせたが、その後1ヵ月、寝覚めが悪かった。

「ジュンちゃん、こうして集まったのだから、あの話、君竹にもしてみたら?」

「エッ!?」

 幸枝が順三に対して、親しげに微笑んだ。

「そうだな。君竹、どうだ、おれたちと一緒に会社をやらないか。3人の会社をつくるンだよ」


 君竹は、順三の提案を承諾するのに、半月もかかった。それでようやく、決断した。

 マンション一室の葬儀社。

 社名は、3人の名前の一字を組み合わせて「幸順竹葬儀」。

 宣伝と受注依頼は、ネットを通じて行う。葬儀は小さい規模のものだけ。少人数の密葬を中心に手がける。だから、料金は安い。一件、高くて30万円だ。最安値は、13万円。

 死亡から火葬まで法律では、24時間空けるように規定されている。だから、24時間後、すぐに火葬したこともある。

 問い合わせは、驚くほど多い。葬儀は、地域によって、搬送から納棺、葬儀、火葬、お骨あげまで、13万円で行うこともある。顧客は都内24区内のみに限定しているが、近く、支社をふやす話が出ている。

 しかし、その拡大については、順三と幸枝の意見が食い違っている。

 幸枝は、これ以上、ふやすことに懐疑的だ。お金は、いくらあっても邪魔にはならないが、利益ばかりを追い求めていると、人間の心がすさむ。幸枝は、両親の死からそのことを学んだ。

 幸枝の両親は農家だったが、父が仕事の傍ら高利貸しをしていて、周囲から恨まれ、あげくの果て、ウツになり自死した。

 団塊の世代が、日本人の平均寿命に到達しつつあるこれからは、ますます葬儀社は求められる。

 「小規模」「格安」がウリの、幸枝たちの葬儀社は、連日、仕事依頼が殺到している。このため、協力会社を募り、料金の1割を差っ引いて仕事を回すようになった。

 しかし、これについても、幸枝は反対だ。3人のうち1人でもその葬儀現場に参加して、不都合や不備をチェックできるのならいい。しかし、3人とも、バラバラに分かれて別々の葬儀に携わることが珍しくない。

 すなわち、幸枝たちの目が届かないところで、幸枝たちの社名の葬儀がいい加減に行われれば、すぐに会社の信用が落ちる。

 仕事は信用が第一だ。利益の追求ばかりに走ると、仕事の質が落ちる。しかし、順三は、協力会社を増やし、自分たちは実質的には、協力会社の管理だけにしようと考えている。

 葬儀社は、リピーターが稀だから、注文をとることを優先させるというのが、順三の考えだった。

 しかし、世間は広いようで狭い。悪事、千里を走るということわざがある通り、幸枝たちの葬儀社の評判は口コミで如何ようにも伝わる。

 新会社「幸順竹」を設立して、半年がアッと言う間に過ぎた。

 売り上げは、右肩あがりで急上昇を続けている。怖いほどオファーが来る。

 当初は、主に幸枝が事務所にいて、事務や電話番をしていたが、とても手が足りない。

 3人で話し合った結果、3倍のスペースがある事務所を新たに借り、それに合わせて、従業員も10名、雇用することに決めた。

 従業員はいずれも現役の女子大生だ。10名も必要ないが、大学の講義がないときだけ、10人が各自都合のよい日を選び、交替で勤務することにさせた。こうすれば、バイトが10人でも20人でも、人件費を気にすることはない。

 彼女らの仕事は、事務所に待機して、注文依頼の電話を受けることや、必要な備品の購入、車両の手配、また、現場に出て葬儀を仕切る順三たちと連絡をとりあい、指示を仰ぐことだ。

 10名はそれぞれ異なる大学から、アルバイトとして雇われている。違う大学の学生を雇ったのは、彼女らに広告塔になってもらうためだ。

 葬儀社に知り合いがいる人は多くない。いざというとき、葬儀社でバイトをしている学生が知人なら、頼みやすい。そんな計算からだったが、これは君竹のアイデアであり、その狙いは見事に当たった。

 安心、安全、安価をモットーに営業を進める。幸枝が会社代表、君竹が営業、順三が葬儀実務の責任者として役割分担も決め、新会社は順調に成長を続けている。

 しかし、好事魔多し。

 順三と幸枝の営業方針の違いが決定的になった。

 1年後、順三は、別に会社を立ち上げると宣言し、女子学生の半数を引きつれ、退職した。

 もっとも、互いに忙しく仕事が重なったときは協力し合おうと約束をした。

 喧嘩別れではない。一応、そういう形はとったのだが、実のところ、順三の本心は別にあった。

 順三は、世田谷に一軒家を借りて、葬儀社「極楽社」という看板を出した。そして、学生バイトを30人に増やし、下請けの協力会社を50社まで増した。

 順三の仕切る葬儀は、格安、迅速がウリで、それが貧しい高齢者向けにウケた。

 売り上げは伸びる一方。しかし、そこには秘密があった。幸枝と君竹の会社で過去に扱った遺族宛てに、宣伝用はがきを郵送したが、それが功を奏した。

「『幸順竹葬儀社』におりました川見順三がこのたび独立いたしました。これまで以上のサービスを心がけます。万が一のときは、当社のスタッフが24時間体制でお世話させていただきます」

 といった文面だった。

 そのはがきを受け取った遺族は、公営団地の比較的貧しい人たちだったことから、口コミで瞬く間に、順三の「極楽社」の名前が広がった。順三は「幸順竹」に葬儀依頼が行かないよう、料金を「幸順竹」のさらに1割引きにしたことも、依頼者を喜ばせた。

 そして、順三は、仕事の大半を協力会社に丸投げした。

 しかし、日を追うごとに、綻びが出てくる。

「極楽社」は女子学生をスタッフとして雇用し、彼女らを葬儀責任者として各葬儀に派遣していたが、わずか一日の研修しか受けていない。このため、葬儀の不手際が目立つようになった。

 自然、「極楽社」の評判は落ちる。逆に、やはり「あっちのほうが良心的」だとして、「幸順竹」の評価があがる。

「極楽社」がスタートして1年余りたったある秋の晴れた日、順三が「幸順竹」の事務所を訪れた。

 電話連絡を受けていたため、幸枝と君竹が事務所で待機していた。

「よッ、久しぶり。元気そうじゃないか」

 と言ったのは、君竹だった。

 彼は、「幸順竹」を立ち上げてからのこの2年余りで、すっかり人間が変わった。

 仕事に自信がついたせいか、どんな人間を迎えても堂々としていて、臆するところがない。

「ジュンちゃん、顔色がよくないわ。悩みでもあるの?」

 幸枝が心配そうに尋ねる。

 そのとき順三は、スタッフの女性と問題を起こし、警察沙汰になり、連日警察の事情聴取を受けていた。強制猥褻容疑だった。

 順三にすれば、合意があったと考えていたが、スタッフの女子大生は、仕事だと思ってホテルについて行った主張した。

 順三がこの種のトラブルを起こすのは、これが初めてではない。これまで警察に訴える女性がいなかったため、表に出なかったにすぎない。順三は今回も金で解決できると思っていた。

 しかし、相手が悪かった。彼女は、「幸順竹」が雇った最初の女性で、頭が切れた。そして、貞操観念が強かった。

 君竹が、幸枝に代わる女性として、こっそり食事に誘ったこともあった。名前は、白波雪絵(しらなみゆきえ)。雪絵は私大の4年生だったが、大学院を目指している。

 さらに意外な事実が発覚した。雪絵は幸枝の妹だった。

「幸順竹」がネットで求人募集したとき、雪絵がすぐさま応募したきたのも、これでうなずける。幸枝が陰で、妹に強く勧めていたのだ。

 幸枝は、順三や君竹と一緒に事業を始めるにあたり、不安が強かった。このため、気持ちを理解してくれる、強い味方を必要とした。

 幸枝は、君竹も順三も、自分に好意を寄せてくれていることは承知していたが、2人のうちどちらを選ぶべきか、迷っていた。

 そのとき、思いついたのが、両親の離婚にともない、小学生のとき、別れ別れになっていた3つ年下の妹、雪絵だった。

 2人は、不幸にも、離れ離れで暮らしたが、互いの家が電車で駅2つと近かったため、半年に一度は行き来していた。

 幸枝は母親の元に行き、母の旧姓香道を名乗る。妹は父の姓、白波のままになっていた。

 雪絵は、幸枝のようには融通が効かない。悪事には黙っていられない。このため、順三の猥褻容疑に対して、示談に応じようとしない。あくまでも、処罰を求めた。

 順三は困り果て、姉の幸枝にとりなしを頼んだ。しかし、幸枝にすれば、かわいい妹の痛みを無視することはできない。順三は、すでに「幸順竹」を去った人間だ。

 順三は身柄を拘束され、取調べを受けた。このため、社長が不在になった「極楽社」は開店休業状態になり、従業員が次々と去っていった。事実上の廃業だ。

 どうして、このようなことになったのか。

 結局、順三は、雪絵をホテルに連れ込んだものの、キスを迫っただけだったため、起訴猶予となり、釈放された。

 その間、雪絵は、君竹と親しくなり、結婚を決意した。

 順三は、他の葬儀社に職を求め、幸枝や君竹の前に、二度と現れなくなった。

 しかし、都合のいいことはいつまでも続かない。君竹は、幸枝とも肉体関係を持った。雪絵との婚約中に、だ。

 結婚を3ヵ月後に控えていたにもかかわらず、「幸順竹」の忘年会で、つい飲みすぎ、我を忘れ、いつの間にか幸枝と一緒に帰ることになり、気がつくと、ホテルで朝を迎えていたという。

 すべて雪絵の計算だった。雪絵が君竹と婚約したのは、本心からではない。姉の幸枝が、君竹に心を寄せていることを知ったことから、姉の嫉妬心を煽り立て、君竹と結婚することを願ったためだ。

 雪絵の計略は成功した。

 君竹も、幸枝を愛している。しかし、これまでは順三という強力な恋敵がいたから、諦めていた。

 翌年。君竹は雪絵との婚約を解消するとともに、幸枝と結婚した。その披露宴には順三も招待された。

 その頃、順三は、営業の腕前を買われ、めきめきと成績をあげ、管理職に抜擢されるまでになっていた。

 雪絵はそうした順三に、心が動いた。姉の結婚生活を間近でみているうちに、自身の淋しさをひしひしと感じるようになっていた。

 しかし、これは、偽りの感情だ。淋しさが作り出したものだったが、雪絵は、一度は拒んだ順三に対して、恋をしたと思い込んだ。

 順三は女にだらしがない。雪絵だけが女ではない。しかし、それでも、自身の年齢を考え、雪絵との結婚を決断した。

 こうして、2組の夫婦が、ともに「幸順竹」を支えることになった。

 しかし、やはり順三の女癖がたたった。

 順三は、君竹の妻、幸枝に再び邪な感情を抱いた。それは、仕方ないかもしれない。

 毎日、顔を付き合わせる。そばに、自分の妻の雪絵がいても、視線を姉の幸枝に送る。

 雪絵は、その順三のようすをみて、考えた。彼の性癖を変えることはできるだろうか、と。

 1ヵ月考えぬいた結論は、「不可」だった。

 しかし、そのとき、雪絵は順三のこどもを身ごもっていたことがわかった。

 雪絵は、シングルマザーを選択した。

 妹から事情を聴いた幸枝は、全面的に応援すると約束した。勿論、君竹も、だ。

 雪絵は裁判所に離婚調停を申し出た。すでに別にマンションを借り、夫とは別居している。順三は、自分の非を認め、離婚は成立した。

 しかし、順三には、違和感があった。どうして、雪絵は妊娠したのか。それほど、愛し合った覚えはない。しかし、彼は、外で、多くの女性と関係している。セックスの場所や回数は、記憶できないほどだ。

 雪絵は8ヵ月後、赤ちゃんを出産した。君竹が、だれよりも祝福した。

 ところが、1年2年と年月がたつと、その赤ん坊の容貌が、君竹に徐々に似てきた。

 妊娠できない体なのか、幸枝は不妊治療を続けている。君竹も一緒にクリニックを訪れ、検査を受けている。君竹の体には問題がない。

 雪絵は、哀しい結論を出さざるを得なかった。

 赤ん坊には罪はない。DNA鑑定をすれば、父親は判明する。しかし、雪絵はそれを拒んだ。幸枝も、赤ん坊のかわいい顔を見ていると、父親がだれであってもいい、という気持ちになっていった。

 しかし、おもしろくないのが別れた順三だ。

 順三は、会社をやめていたが、ある日、君竹の前に現れ、真相を話せと迫った。

「おまえは、雪絵と不倫していたのだろう。雪絵のこどもはおまえの子だ」

 勿論、君竹は否定した。女性は、離婚後、半年以内に出産したこどもは、前夫の子とされているが、雪絵の場合は、8ヵ月後の出産のため、この法律は適用されない。

 しかし、真実は一つだ。その夜、君竹は、幸枝に、雪絵と一度だけ、関係を持ったことを告白した。雪絵から、夫にかまわれず、淋しい思いをしていることを打ち明けられ、話し込んでいるうちに、そういう関係になったという。

 幸枝は、妹も君竹も責める気持ちは起きなかった。夫の君竹は、愛してくれている。十分すぎるほどだ。

 幸枝のこどもが君竹の子でもいいではないか。例えそうであっても、自分は叔母だ。

 ただ、雪絵は子育てのため、非常勤となり、事実上退職した。しかし、非常勤の役員として毎月、それなりの給与は支給される。

 こうして、表向きは、平穏を取り戻した。

 しかし、十年後、こどもが成長して、物事の理解が進んだとき、どんな事態が待ち受けているだろうか。それはだれにもわからない。

 予想しても、その通りになるという保証もない。

                     (了)

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