第36話 難儀な妹

国貞くにさだ淑子としこ屋敷やしき美禰子みねこ清河きよかわ澄美すみの3人との渋谷デートは、第3ラウンドのカラオケバトルが清河の泥酔、ダウンという思わぬアクシデントの発生により、なんとも尻すぼみな結末で終わった。


酔い醒めの清河を気遣って送って行った僕は、最後に突然、彼女から交際の申し込みを受ける。


ついに、僕のモテレベルがワンランクアップ?!


いやいやこれは、みつどもえの修羅場への第一歩かも?


      ⌘ ⌘ ⌘


清河を見送ったあとの僕は桜新町さくらしんまち駅から、やって来た経路を逆にたどり、何線も乗り継いで、イーストサイドトーキョーのわが家へと帰り着いた。清河から預かった、「ワンダーガール」で買ったギャル衣装入りの紙袋を携えて。


混んだ電車にたっぷり1時間乗ったので、僕はもうへとへとだった。早く休みたい。


しかし、ほんとの難儀はむしろ、家にたどり着いてから起きたのだった。


「ただいま」


そう言って玄関のドアを開けた僕を、すぐに迎え出たのは七歳年の離れた妹、葉月はづきだった。


「おかえり、お兄ちゃん。


おや、おともだちと会ったついでに買い物して来たんだね。お兄ちゃんにしちゃ、とても珍しくない?」


みょうに語尾を上げたイントネーションでそう尋ねて来るので、僕はこう答えた。


「あぁ、久しぶりに渋谷で服を買って来たよ。じゃ」


そう言ってすぐに自分の部屋に向かおうとする僕を、妹は引き留めた。上着の裾をガシッとつかんで。


「ちょっと待って。いろいろ聞きたいことがあるのよね。


だいたい、おともだちが少ないお兄ちゃんなのに、朝いきなり女性のおともだちから電話が来たかと思うと、ろくに理由も言わずにいきなり外へ出て行ったあたりから、わたしはとてもおかしいなと思っていたのよ。


その後しばらくして家に戻って来たかと思うと、またあたふたと出かけて行ったじゃない。


今度は『渋谷でともだちと食事するから』とか言ってさ。


もう、それだけでも日頃のお兄ちゃんの行動から大きくかけ離れていて変だけど、でもまぁ、最近になってようやくお兄ちゃんにもおともだちが出来たのだろう、それは悪いことじゃないと思うようにしたの。


でも、いまお兄ちゃんが持っているバッグ、それは見過ごすわけにはいかないわ。


それってギャルファッションのブランド、『ワンダー・ガール』のバッグでしょ。なんでそんなもの持っているのよ。中を見せてよ」


「な、なんで小学生のお前が、そんなこと知ってるんだよ!?」


鼻白む僕に、葉月はあざ笑って見せた。


「ふふ、甘いわね。いまどきの小学生女子にとっては、マルキュー出店のブランドぐらい一般常識よ。


四の五の言わずに、さあ見せなさい!」


葉月はそう言って、手を伸ばして僕の持っていた紙袋をひったくろうとする。しばらく2者でもみ合いが続く。


「あっ!」


僕が少し手を緩めたすきに、葉月が袋を奪取!


次の瞬間には、すべての中身が外に躍り出ていた。


「何よこれ。肩出しトップスにショートパンツ、それにパンプスじゃないの。全部女もの」


妹は僕に、何か忌まわしい変質者でも見るかのような、嫌悪あるいは恐怖の視線を投げかけた。


「もしかして……お兄ちゃん、女装に目覚めたの?!


大変。これはお母さんに言わないと……」


「こらこら! それだけはやめてくれ、お願いだから!」


そう言って僕は左手で葉月の肩に手を回し、右手で彼女の口をふさいだ。


「わ、分かったよぅ……。その手を放してよ」


かろうじて聞こえるくらいの小さい声が、僕の手から漏れ出た。


話し合いの余地はあるようだ。そこで僕も葉月を解放してやった。


「えらく誤解があるようだから、ちゃんとわけを話すよ。


これは女性のともだちが買った服なんだ。


買ってすぐにそれに着替えたんだけど、そのひとは家のしつけがとても厳しくて、そのまま着て帰れない事情があって、しばらく僕に預かって欲しいと言われてしまって……。


そういうわけでここにあるのさ」


「ふぅん、そうなんだ。分かったわ。


ひとまず、信じてあげる。わたしもお兄ちゃんが女装趣味のキモいひとだとは思いたくないしね。


そのかわり、1ポイント貸しね」


「えっ、なんでだよ」


「だって、こんなものお兄ちゃんの部屋に隠しておくと、そのうちお母さんに掃除されたときに、必ず見つかってしまうでしょ。そうしたら、お母さんになんて言われることか。


お兄ちゃんと違って、わたしは部屋のお片付けや掃除はちゃんと自分で出来ているから、お母さんから信頼されていて、部屋を調べられる心配はないの。


ということは、わたしがそれを預かるのが一番安全ってことじゃない?」


むっ、小賢こざかしいことをのたまってくれるな、わが妹よ。


でもいたって正論だから、僕はあらがうことが出来ない。


「そうだな…。たしかにそうだ。お前の言う通りだ。


じゃあこれは、お前に預けることにするよ」


僕は服や靴を再び紙袋の中にしまって、妹の手に渡した。


彼女はとたんに表情をほころばせて、こう言った。


「ポイントは、そうねぇ、何にしようかな。先日の1ポイント分は、まだごちそうしてもらってないし……。


じゃあ、今度お兄ちゃんと一緒に出かけた時に食事と買い物、両方持ってくれるというのでいいわ」


「う…うん。分かったよ。


(えらく高くつきそうだな…)」


僕は渋々ながら、その法外とも思える要求を呑んだのだった。


ここんとこ、知られたくない秘密はことごとく葉月に握られちまっている気がする。


まったく、いまいましい妹だぜ。恐るべし、小学生。


      ⌘ ⌘ ⌘


翌日、日曜日。朝はゆっくりと起きて10時過ぎ、僕は家族とともにブランチをとっていた。うちでは日曜日は2食というのが通例なのだ。


食後の一服をとりながら、僕はつらつら考える。


きょうの僕は、特に出かける予定はない。いつもなら、自宅でダラーッと過ごすことになっていただろう。


とはいえだ。昨日のようなこと、つまり女子たちが僕の生活圏内に侵略して来る事態が絶対起きないという保証はないような気がする。


これまで国貞や屋敷が仕掛けて来た大胆な戦略の数々を考えると、ふたりのどちらかが、あるいはその両方がまた奇襲をかけて来るんじゃないか、僕にはそう思えた。


2度あることは、3度ある。たとえ、昨日のきょうであっても安心、油断、あるいは慢心は禁物、そういう気がした。


リスクヘッジするに越したことはない。僕はとりあえず、鬼たちがやって来る前にわが家から外に出ることを決めた。


それに、平日はなかなか話をする時間がとれないあるひとに、報告と相談をしておきたかったのだ。


僕はスマホを取り出して、茂手木もてぎ達人たつと先輩にメッセージを送った。


「先輩、お休みのところ大変恐縮なのですが、きょう、お話出来る時間はありませんか。


30分ぐらいでも構いませんので。場所は先輩の指定されるところへ、どちらでもうかがいますので」 


送信して待つこと約15分、先輩からの返事が来た。


「その後もいろいろ、進展があったみたいだね。僕もいささか気になっていたところだ。


いいよ、今から1時間後に新宿駅東口のカフェ、「アンテナ」で会うってことでどうだろう」


「ありがとうございます。ご指定の時間・場所にうかがいます」


僕は即答で返信した。



約束の時間の5分前に、僕はカフェ「アンテナ」のドアを開けた。表通りを1本横に入った小径こみちにあるので目立たないが、煉瓦作りの小綺麗な店だ。


奥の方で「こちらだよ」と言わんばかりに手を振る男性がいるのでそちらを見やると、茂手木先輩の隣りにもうひとり、見慣れた顔とツンツンヘアの男が微笑んでいた。仲真なかま友樹ともきだった。


「やあ、ホッシー。待ってたよ」


「仲真、どうしてここに……」


「いやぁ、さっき先輩にメッセしたら、これからホッシーに会う予定だって言うから、僕も頼み込んで急遽まぜてもらうことにしたのさ。


僕もホッシーの動向が、とても気になっていたからね」


相変わらずノリの軽いヤツである。『さっき』ってことは、この1時間以内だろ。実にフットワークが軽いな。さすが、コミュりょくの男だ。


信頼出来る相談相手が倍に増えたということは、僕としても心強いものがある。


僕がふたりの向かいの席に座ると、茂手木先輩が高校生らしからぬ、渋いハスキーボイスでこう言った。


「じゃあ相賀くん、話を聞かせてもらおうか」


僕は先輩、仲真のふたりに、ここ数日の出来事を細かく語り始めたのだった。(続く)

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