第28話 かりそめの和戦条約

土曜日の朝、突然僕の家の近所に現れ、電話をかけてきた国貞くにさだ淑子としこ


僕はなんとか彼女の訪問を食い止めたものの、そこにもうひとりの“彼女”、屋敷やしき美禰子みねこが登場した。


これはもう、修羅場しゅらばの予感しかない?!


僕は屋敷に向かって、内心の動揺を隠すようにつとめて明るく声をかけた。


「やあ、屋敷さん。いつからそこにいたの?」


屋敷は冷ややかな口調で、こう答えた。


「ホッシーがここにあわてふためいてやって来た時には、わたしはここにいたよ」


と言うことは、今の僕と国貞のやりとりの一部始終を見られ、聞かれていたってことじゃん。


つまり国貞が僕をハグしたことも、僕が国貞を淑子と呼んだことも全部かよ。


やべぇー。冷や汗が流れてきた。


僕が返答につまっていると、隣りの国貞はこう口を開いた。


「屋敷さん、あなた、ひとのことを言えた義理じゃなくてよ。


あなただって、保志雄ほしおの住所を調べてここに来たのでしょ。わたしと同罪よ」


このひと、もはやバレたもんだから、僕のこと下の名前で呼んじゃったよ。


切り替え早っ。つーかそれ、火に油を注ぐ挑発行為でしかないよ。やめてーっ!


これに対し、屋敷がいっそう厳しい口調で反論する。


「何よ、盗っ人たけだけしいったらないね。


わたしはクラスの連絡先調査のとき、ホッシーと席が隣りだったから、たまたま彼の住所が見えてしまっただけよ、クニクニ」


「ふん、要はそれをしっかり覚えていて、きょうここに来たわけでしょ。それを盗み見というのよ」


「うるさいわね、クニクニ。ホッシーに対して何か行動を起こす前にはもうひとりに事前通告をしないといけない協定を平気で破っておいて、そんなことよく言えるわね。


けさ、ふと気になってクニクニの家に電話してみたら、もう出かけたって言うじゃない。


イヤーな胸騒ぎがしたから、ここに駆けつけてみれば案の定ってヤツよ。


こんな抜け駆け、許せない。ペナルティものだよ。


ねえホッシー、そう思うでしょ?」


屋敷に同意を求められたものの、僕はうかつにうなずく訳にはいかない。それはそれで新たな火種になりかねない。


ふたりの女子は向かいあって肩を怒らせ、今にも掴み合いの喧嘩を始めんばかりだ。


この一触即発状態をなんとか収拾する手段と言えば……、やはりあれしかないな。


僕を含めた3者がうまく「痛み分け」となって、事を収めるというやり方……。


僕はおもむろに口を開いた。


「僕、思ったんだけどね。


淑子に美禰子、きみたちは僕にとってとても大切な存在だ。


そんなふたりには、いがみ合ったり、ののしり合ったりして欲しくないんだ」


ともに名前呼びをした僕のその言葉を聞いて、ふたりのテンションは見る間に変化した。


ふたりとも臨戦態勢にあった身体のこわばりはなくなり、しゅんとした姿勢になった。


ともに、少し頬を赤らめている。


これまでの彼女たちの戦意が、すうっと消えていくようだった。


僕は言葉を続けた。


「きみたちふたりそれぞれの行動は、決して褒められたものではないだろうね。


淑子も美禰子も、僕の回答、つまり個人情報を勝手に見て記憶してしまった。それは事実だ。


そして、ついに我慢が出来なくなり、きょう禁を犯して使用してしまった。


それについては、あれこれ弁解せずに非を認めてほしいんだ。


そして、お互いを自分より罪が重いなどと言ってそしるような、恥を恥で上塗りする愚かな真似はやめてほしいんだ」


国貞、屋敷はそれを聞いて、しょんぼりと首をうなだれ、口々に言った。


「ごめんなさい、保志雄。


愚かだったわ、わたし」


「ごめん、ホッシー。


わたしも間違ってた」


ふたりの返事を聞いて、僕はうなずいた。


「分かったよ、あやまりはそれで十分だ。


そして、きみたちがそういう行動に及んでしまった原因は、僕のほうにもある。


きみたちと仲良くなったものの、僕の個人情報をきみたちにすぐには知らせておかなかったこと、出来ればなるべく知らせずにいようとしたこと、これがふたりの暴走を生んだといえる。


そういう意味で、僕にも落ち度、誤りはあった。


許してくれ」


僕はふたりに向かって、頭を下げた。


「それだけではない。僕の間違いはほかにもある。


一昨日、僕は美禰子に、今後は名前で呼ぶ約束をして、そのことを当人同士の秘密にしておこうと持ちかけ、納得してもらった。


その翌日、昨日僕は淑子にも名前で呼ぶ約束をして、同じようにそれを当人同士の秘密にしてしまった。


このふたつのことが今、はからずも露見してしまった。


どだい、そんなことをいつまでも完全な秘密にしておくのは無理なことなんだと、早く気づくべきだったんだよな。


これについては、僕が浅はかだったとしか言いようがない。


そのせいで、きみたちにも余計な精神的負担をかけてしまったし、傷つけてしまったのだから。


どうか、僕を許してほしい」


再び、僕はふたりに頭を下げた。


国貞と屋敷は、それぞれにこう言った。


「保志雄、そのことは気にしていないわ。


あなたが悪かったとは全然思っていないわ」


「ホッシー、わたしをちゃんと名前で呼んでくれただけで、十分よ。


自分を責めないで」


「ありがとう、ふたりとも。


じゃあ、3人で仲直りをしよう」


そう言って僕は、国貞と屋敷の手を重ね合わせ、それに僕の手も置いた。


「これからは隠し事をしないで、もっとオープンに行こう、僕たち。いいね」


そこでふたりの女子は、僕の顔を見上げて大きくうなずいた。


戦闘開始寸前で、和戦条約がようやく結ばれた。


仲介者の僕は、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。


      ⌘ ⌘ ⌘


その後、僕たち3人は先ほど国貞に提案した通り、近くにある池ノ上いけのうえ公園に行くことになった。


こういうのをデートと言っていいのかよくわからないが、ふたりの女子がわざわざ僕の住む地域まで来てくれたからにはすぐ帰ってもらうのも悪いので、3人揃って行く羽目になったのだ。


徒歩で5分足らず、ほどなく池ノ上公園に着いた。


特に有名な場所ではないが、中にはその名の通り公演の約半分を占める大きな池もあり、ふたり乗りでボート漕ぎも出来たりして、ちょっとしたデートスポットになっている。


僕たちは、木陰のベンチに陣取った。


国貞と屋敷は相談して、持ち合わせのないまま自宅からやって来た僕のために小遣いを出し合って、缶コーヒーを買って来てくれた。


3人で、仲直りの乾杯をする。


その後例によって、僕が真ん中に座り、その右手に屋敷、左手に国貞が座ったのだが。


これまで以上に、ふたりが僕に密着しているのだ。


屋敷は左足を僕の右太腿ふともも、国貞は左足を僕の左太腿の上に置いている。


その態勢は以前と同じなのだが、きょうはふたりとも制服よりも長めのスカートを履いているせいか、より高く足を上げており、そのせいで密着度もいやが上にアップしている。


ふたりのバストの存在を、僕にいやおうなく意識させるぐらいに。


しっかり当たってますよ、おふたりさん!


「淑子に美禰子、何もそんなにひとところに密集しなくてもいいんじゃないのか、このベンチは3人にだって十分な幅があるんだから」


「そうかしら、保志雄。こうでもしないと、あなたのお隣りの人に保志雄の領有権を奪われそうなので、いやでも防衛策を取らざるを得ないわ」


「言うわね、クニクニ。あなたこそ、わたしの領土、ホッシーを侵犯しているくせに。


こちらこそ、正当な防衛権の行使よ」


前言撤回。和戦とは名ばかり、一時休戦に過ぎませんでした!!


「さぁ、保志雄、どちらの言い分が正しいか、態度で示してちょうだい。


具体的には、あなたがまだどちらの女子の肩にも回していない腕を、然るべき相手に回すことで示して」


「だったら、当然わたしの方だけ、その腕を回してくれるはずだね、ホッシー」


そんな感じで、2国間のつば迫り合いは続く。


いやもう、かしましいのなんの。


おまけに目の前の歩道を、家族客がときおり通り過ぎて行く。


好奇の眼差しを、こちらに投げかけながら。


「ねぇ、ママ。あのお兄ちゃんとお姉ちゃんたち、なんであんなにラグビーのスクラムみたいなことやってるの?」


「しっ! あんまりジロジロみちゃダメよ、あの人たち。


あれは悪いおとなの見本なんだから。


真似しちゃ、絶対にダメ!」


えらい言われようだな。


そんなスクランブル状態の僕たちに、突如霹靂へきれきのごとく、ある女性の声が投げつけられた。


「あなたがた、たいがいにしなさいよ!」


僕たち3人が揃って声のした方を見上げると、そこには昨日高校の屋上で遭遇した女子が唇をワナワナと震わせながら、腕を組んだ姿勢で突っ立っていた。


休日だというのに制服姿の、清河きよかわ澄美すみだった。(続く)

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