第25話 女王様の周知プレイ

国貞くにさだ淑子としこを彼女の家まで送っていった僕は、結局そこで国貞の父親と一緒にお風呂に入ることになり、さらには夕食まで振舞われてしまった。


まぁそれは、前日に屋敷やしき美禰子みねこの家でも同じような歓待を受けていたので、ふたりの女子に対して等距離外交を取るためにも、いたしかたないことではあった。


国貞と屋敷の間で結ばれている淑女協定により、一方の者が享受したことは、もう一方の者も同様に享受する権利があるのだから、僕には拒否権はないも同然だった。


でも、悪いことばかりでもない。


こうして国貞本人やその家族と親密なコミュニケーションをとれば、国貞の本当の性格や僕との相性を知るいい材料となるはず。


僕はそう考えて、国貞家の熱烈歓迎に身を任せることにした。


国貞の母親は家族の夕食のトピックを振り出しに、僕にいろいろと聞いてくる。


そこはやはりお客商売を長年やっている女性ひとである。


相賀あいがさんは年の離れた妹さんがいらっしゃるのよね。トシコからも話を聞いているわ。


どんな妹さんなのかしら?」


国貞本人にも聞かれた質問である。自分たちと同じ女性のことって、そんなに気になるものなのかね。


「けっこう、年のわりに生意気なところがありますね。見た目は年相応なんですけど。


7つ離れているとは思えないくらい僕と対等な感じで、いろいろダメ出しして来るんですよ。


きょうのお兄ちゃんの服装は全然イケてないとか、そんな格好じゃまるで女性に相手にされないレベルだよとか。


9歳の子に、そんなことホントに分かるんでしょうかね?


外出前に、上から下までコーディネートを全部やり直しさせられたこともあります」


「それはとっても頼もしい妹さんね。彼女のアドバイス、ちゃんと聞いてあげたほうがいいわ。


女の子って小学校も半ばを過ぎると、同世代の男の子と違って異性をはっきり意識して行動するし、ファッションにも敏感になるのよ。


そしてどの男子を選ぶべきか、どの男子の求愛なら受けていいかを、常に真剣に考えるようになるの。


トシコ、あなただってそうだったでしょ?」


話を突然振られて、国貞はちょっと面食らったような表情になり、こう答えた。


「わ、わたしはお母さんと違ってもう少し奥手だったと思うわ。


男の子を異性として意識したのは、中学に入ってからだと思うの。


わたし、あまり自分に自信が持てないほうだから、小学生の頃から男の子に積極的にアプローチする子たちを見ていて、わたしにはとても無理だって思ってたわ」


「そうだったわね。トシコはちょっと出遅れ気味の子だった。


その傾向は、中学に入ってからもあまり変わらなかったんじゃない?


自分からの告白なんか絶対出来なくて、バレンタインデーはいつも他人事みたいだったわね」


それを聞いている国貞の顔が明らかにあかく染まっていることに、僕は気づいた。


やっぱり、男性のいる前で過去の自分をさらされるのは相当恥ずかしいことなのか。


「男の子からの告白を待っているだけじゃ、チャンスは回ってこないわよって、わたしはトシコに何度も言ったわよね。


でも結局、中学時代のあなたは何も出来ず、何も得られず仕舞じまいだった。


恋の第1ラウンドは劣勢で終了した、そんな感じだったわね。


まぁ、それでも中学生だから焦るほどのことはないよ、第2ラウンドの高校時代がもっと大事なんだから、わたしはそう言って励ましたわよね」


国貞はその母親の言葉に、無言でうなずいた。


国貞夫人はそこで僕のほうに向き直り、その大きめな目を光らせて真剣な表情でこう言った。


「相賀さん、先ほどすでに主人から聞かされたかもしれませんが、わたしは中学、そして高校の途中まではけっこう真面目で堅い女子だったんですよ」


「え、えぇ、そのことはご主人から少しうかがいました」


「今のトシコほどではないにせよ、親の言いつけと校則をきっちりと守り、清く正しくをモットーにするような女子でした。


自分からの告白なんてもってのほか、時には男子からの告白もあったのですがすべて断っていました。


別に選り好みしていたからじゃありません、中高生の本文は勉学、恋愛なんて大人になってからのことと生真面目にそう思っていたんです。


それが大きく方向転換してしまうのが、今の主人と高校で同級生になってからなんです。


彼はちょっと不良っぽいところがあって、授業もよくサボっていたので、クラス委員だったわたしがいつも注意していたんです。


それが縁でなぜか私と彼は付き合うことになり、結婚にまで至ったのです。


親には心配をかけ、かなり反対されましたが。


でも、後悔はしていません。


素行不良で自分とは対極のところにいるように見えた男子が、実はとても心優しく、好きになった女子をとことん大切にすることを知って、それまでの男性観が一変したのです。


だから、娘にはわたしの経験を踏まえて、恋愛に『まだ』はない、いいオトコがいたらそれがタイミングだと説き聞かせているのですが、どうもかつての私に似たせいか奥手だったので、娘はこれまでまるでチャンスを掴めずにいたのです。


オトコのオの字にも縁がありませんでした。


でもこうして、娘にも春が巡って来ていい男性をつかまえられたようなので、わたしはホッとしていますよ」


そう言って国貞母は微笑んだ。口の両端を上げた、いわゆるハリウッド・スマイルで。


うわ、ヤバい。先ほどの父上に続いて、母上にまで外堀を埋められてない?


「い、いやぁ、そんな買いかぶりですよ、お母さま。


僕と淑子さんは、話をするようになってほんの数日なんですから。


まだ、僕が淑子さんのお眼鏡にかなっているかどうかも……」


腰を(気持ち的に)うんと引き、曖昧な言葉と苦笑いでその場を取り繕ろうとした僕だった。


だが、国貞夫人の表情にまったく揺らぎは見られず、即座にこういう返事がやってきた。


「いえいえ、母親のカンで分かりましてよ、これがビンゴだということは。


トシコはこれまで家族以外の男性と話すことなど、滅多にありませんでした。


また、わたしに男性の噂話をしたことも、まずなかったのです。


そんなトシコが、この4月以来、事あるごとにひとりの男性の話ばかりするようになったのですから。


これは事件です。いえ、大事件です」


それを聞いて、僕の身体中の毛穴という毛穴から、汗が吹き出して来たように感じた。


もしかして、それが……。


「それが相賀さん、あなたのことだったのですよ」


アチャー、恐れていたことが現実に!!


そこで国貞を見やると、顔が先ほど以上に、まるで茹で蛸みたいに赤くなってる。


「もっとも4、5月の頃はただただ相賀さんの名前と、同じクラスであること、やみくもに素敵なひとだというぐらいしか、あなたの情報は聞かされてなかったのです。


存在そのものが疑わしいぐらいの、薄ーい情報のみ。


それが一昨日から、爆発的に情報量が増えたのです。


そう、前日比1万パーセントぐらいに。


お弁当を食べさせ合いっこしたとか、そんなわたしでもしたことないような小っ恥ずかしいエピソードまで聞かされました。


そこでわたしの意識の中でも相賀さんがついに実在する人物となり、そのキャラクターがにわかに具体的なものとなりました。


ここでわたしは、ついにふたりは付き合うことになったんだなと確信した次第です」


いや確信しないで。少し疑問を持って、お母さま!


それを聞いている間、国貞のほうはハアハアと息を荒げている。


まるで激しい拷問が終わって、息も絶えだえの囚人のようだ。


これって、ヤバくないですか?


案の定、国貞はこう言った。


「わ、わたし、ちょっと気分が悪くなってきたの。


自分の部屋で休むことにするわね、ごめんなさい」


そう言って国貞は食事中の箸をき、よろよろとした足取りで茶の間から退出した。


まるで致命傷を負った敗残兵の様に。


僕と国貞夫人はその様子を黙って見守っていたが、


「ははぁ、ちょっと薬が効き過ぎたようね」


国貞夫人はこともなげにこう言って、かすかに笑った。


このひとドSだろ、僕がそう確信した瞬間だった。


哀れにも国貞は、女王ははおやの羞恥プレイ、もしくは周知プレイというべきか、そのターゲットとなって壮絶にたおれたのであった。


国貞夫人は、僕にこう言った。


「相賀さん、不甲斐ない娘でごめんなさいね。


不調と言っても大したことはないと思うのですが、こういう時のお薬としては、やはりあなたの愛情に勝るものはないでしょうね。


ぜひ娘の部屋まで行って、彼女を看てやっていただけませんこと?」


とんでもない依頼だった。


「よろしいんでしょうか、女性おひとりの部屋に僕が行っても?」


僕がおずおずと尋ねると、国貞母はこう答えた。


「問題はまったくありません。


むしろここで行かないと、男がすたりますわよ、相賀さん」


そんな風に挑発されてしまっては、行かない訳にはいかないだろうな。


僕は覚悟を決めて、立ち上がった。


国貞夫人に案内されて僕は「としこ」のネームプレートがかかった部屋にたどりついた。


ドアを2度、ノックする。


「相賀です。入ってもいいかな?」


少しだけ、間があって、


「いいわ」


国貞からの返事があったので、僕は中に入った。


国貞夫人は入らず、茶の間に戻って行った。


部屋の中を見回すと、国貞が先ほどの服装、セーターとスカートから着替えたのか、パジャマ姿になってベッドの上に突っ伏していた。


浜に打ち上げられた魚のむくろのごとく、ピクリとも動かない。


僕は緊張で、再び全身に汗が噴き出てきた。


「だ、大丈夫なのか、国貞さん?」


「正直、もうダメ、わたし……」


相変わらず、息も絶えだえである。


どうすればいい、こんな時?


恋愛の達人、茂手木もてぎ先輩にすがって聞きたい気分の僕だった。(続く)

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