第18話 あぶない母

屋敷やしき家の客間に運び込まれた夕食は、それはもう見事なものだった。


基本的には和食系で、大きなお造りあり、煮物あり、焼き物あり、酢物あり、吸い物あり、香の物あり、おまけにデザートありと、高級料亭も顔負け。


わが家なら、正月の三が日くらいしかありえないようなバラエティに満ちたメニューだった。


僕は、配膳をしてくれるばあやさんに尋ねた。


「この料理って、きょう僕がおじゃましたから、これだけ沢山作られたのですかね?」


「いいえ。毎日このような夕餉ゆうげをお作りしておりますよ」


こんな立派な食事を、屋敷美禰子みねこは毎日食べているんだ。


スゲー!の一言である。


もうひとつ、僕はばあやさんに聞いた。


「料理は、おひとりで作られたのですか?」


「本日は、さようでございます。


基本的にはわたくしひとりで作りますが、手のかかる料理のときは、奥様やお嬢様にお手伝いをいただくこともございますが」


なんと、これらすべては、ばあやさんがひとりで作ったのだという。


ばあやさん、有能過ぎるだろ!


「さあ、遠慮なく召し上がってくださいませ」


「そうよ。どうぞ食べて、ホッシー」


ばあやさんと屋敷に促されて、僕は料理に口をつける。


まずは、3種の前菜から。


前菜といえど素材は豪華で、ウニやカラスミ、アワビ、クルミなどを大根おろしなどであえていて、これがまた珍味にして美味!


僕は未成年なのでお酒を所望しょもうするわけにはいかないが、飲んべえのひとにはたまらないに違いない。


続いて箸をつけたのは、お造り。


タイをはじめとして、マグロ、エビ、イカ、タコ、サバ、ヒラメなどなど、竜宮城状態。


どれも新鮮で、美味なことこの上ない。


まさに極楽の気分を味わっていたところ、部屋の一角、ふすまがすっと開いた。


浴衣ゆかた姿のひとりの女性が、そこに正座していた。


「こんばんは。


ようこそ、お越しくださいました、相賀あいがさん」


そうして、三つ指をついて頭を深々と下げる女性。


僕もあわてて、彼女に向かって頭を下げたのだった。


屋敷は彼女の登場に面食らったようで、つっけんどんな口調でこう言った。


「もう、あれほど来なくていいって言ったでしょ、お母さん」


すると女性、つまり屋敷の母親はこう答えた。


「いいえ美禰子、あなたは座持ちがいいとはとてもいえないでしょう?


あなたひとりだと相賀さんを退屈させてしまいかねないでしょうから、ここはわたしが出ないわけにはいかないわ。


おじゃまして、差し支えませんわよね、相賀さん?」


屋敷母はそう言って嫣然えんぜんと微笑み、僕の出方をうかがった。


僕自身には、お断りする理由など何もない。


「ええ、もちろんです。


どうぞこちらへ」


僕はそう言って、屋敷母を部屋へ招き入れた。


屋敷はほっぺたを膨らませていて、見るからに不満そうである。


が、客人の僕が許した以上は、何も文句が言えないのだろう。


屋敷と僕は向かい合わせに座っていたのだが、屋敷母はすすっとやってきて、僕の右隣りに座った。


これを見て、屋敷がいよいよ河豚ふぐのような膨れっつらになったのは、言うまでもない。


「改めまして、美禰子の母でございます」


屋敷母はたおやかに挨拶をした。


「僕は相賀保志雄ほしお、美禰子さんと同じクラスです。


よろしくお願いいたします。」


「日頃はうちの娘が大変お世話になっているとのこと、まことにありがとうございます。


相賀さんのお噂は、かねがね娘より聞いておりました。


どのように素敵なお方なのか、いつ当家にお見えになるのか、今か今かと心待ちにしておりましたのですが、ようやくきょう、お目もじかなって嬉しゅうございます」


「それはどうも、恐れ入ります」


屋敷の方を見やると、カァーッと赤面している。


あいつ、以前から僕のこと、母親に話していたんだな……。まったく。


「美禰子はご存じの通り、少々不器用で、人付き合いがいささか苦手な子でございます。


ですが、根はたいそう優しい、女らしい子でございますので、こうして交流の機会を持つことで、相賀さんにこの子の良さを少しずつ知っていただけるのではないかと、思っております」


なかなか娘思いのいいお母さんではないか、僕は素直にそう感じていた。


その時までは、だが。


近くでよく見ると、屋敷母はけっこうな美人であることに僕は気がついた。


引っ詰めた髪に瓜実うりざね顔、すっと通った鼻筋と小ぶりな唇。


そして何より、切れ長の目がなんとも色っぽい。


肌にも張りがあり、屋敷の年齢から察するにアラフォーだろうが、とてもそうは見えない、30代前半といっても構わない若さだ。


先ほど風呂場で素顔を見ることにからくも失敗してしまったが、屋敷も母親似の美人なのだろうか。


ちょっと興味が湧いてきた。


探求心が、首をもたげてきた。


僕は、それを屋敷母に投げかけることにした。


「お母様、ちょっとお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか?」


「ええ、どうぞ。なんでしょうか?」


「先ほど美禰子さんからお聞きしたのですが、こちらのおうちではいくつか独特のならわしがあって、そのひとつに『女の子は、結婚するまでは前髪を伸ばして素顔を見せない』というのがあるようですが……」


それを聞いて、屋敷母は首を縦に振った。


「その通りでございます、相賀さん。


ここ屋敷家には古くから続く一風変わったならわしがいくつもあって、今美禰子が伸ばしている前髪もそのひとつなのです。


わたしは元は他家よその人間でしたが、こちらに嫁入りするにあたって、前髪を伸ばしたことが実はございます。


さるかたから縁談があって、お見合いをすることになったのですが、今の主人と会う前にまず前髪を伸ばすよう、こちらの家からお願いがあったのです。


半年経ってから初めてお見合いをして、その後婚約、結婚の運びとなったのですが、前髪を上げて初めて主人に顔を見せたのは新婚初夜のことでした。


最初はおかしな風習だなと思っていたのですが、『古くからかたく守ってきたならわしなので、これだけは譲れない』と言われたものですから、わたしもしかたなく従ったのです。


でも今では、その意味合いはちゃんと分かりましてよ。


自分の娘に悪い虫、つまり変な男がつかないようにするための、魔除けなのです。


おかげさまで、美禰子はこの歳になるまで変な男とは無縁で過ごすことが出来ました。


男子から言い寄られたことは、一度もなかったようです。


でも16歳になると、法律上でも女子は結婚可能になります。


うかうかしていると、適齢期をあっという間に過ぎてしまうことでしょう。


ここ4、5年が勝負どきです。


そろそろその魔除けも解いて、これからは機敏にいい男を見つけないといけない、そう美禰子にも言い聞かせているのですが……。


なかなか、これまで身に染みついた用心深さは抜けないようで、困ったものですわ」


そうか、屋敷が16歳になったから、あの湯女ゆな役を母親から譲られたというのも、そういう背景があったということか。


僕はこれまでの屋敷の言動が、なんとなく解明できたような気がした。


「でも、美禰子がこうして男性のお友だちを家に連れて来るようになり、わたしもとてもホッとしております。


ありがとうございます、相賀さん」


そう言って、屋敷母はこちらににじり寄り、僕の手をギュッと握りしめたのだった。


浴衣の合わせ口から、胸の谷間が見えてしまう。


しかも意外と大きい。


目が泳ぐ僕。


「もう、お母さん。それは反則よ!」


屋敷があからさまにブーイングする。


それを聞いて屋敷母はさすがに手をほどき、元の席に戻る。


うーむ、平気でこういう行動におよぶところがあるから、屋敷は母親に「来なくていい」と釘を刺したのだろうな。


好奇の目で娘の男友だちを眺めたり冷やかしたりするだけならまだ可愛いほうで、下手すると母親が本人より積極的に男ともだちに迫りかねない。


あの男慣れした母なら、やりかねない。


そんな事態を恐れていたから、母親の同席を拒んだのに違いない。


話のついでとばかり、僕はもうひとつの話題を持ち出す。


「ならわしと言えば、先ほどお宅の素晴らしいお風呂を使わせていただいたのですが、そのとき美禰子さんに背中まで流していただきました。


それもまた、こちらに代々伝わるならわしということになるのでしょうか?」


それを聞いた屋敷母は一瞬沈黙し、しかる後にこう答えた。


「それは……正確には屋敷家ではなく、わたしの実家に伝わるならわしなのです。


わたしの実家は、代々武家であった屋敷家とは違って商人の出でしたので、少しさばけたところがございまして、江戸時代の昔、お客人にもあのようなおもてなしをいたしましたところ大変好評で、今に至るまで続いているのです。


今回、美禰子に役目を引き継ぐまではわたしが20年近くつとめて参りましたが、今となってはさすがに身体の若い美禰子の方が適役かと」


なんと、湯女サービスは母親の家のならわしだったのかよ!


道理で、お堅いはずの家柄にしちゃヘンだなぁと思ったんだ。


うへっ、ちょっとヤバいよ、このお母さん。


倫理的にアウトな匂いが、プンプンする。


こんなひとが母親で屋敷は大丈夫なのか、心配になってきた。


食卓の向こうじゃ、屋敷がむくれまくっている。


どうなるの、この晩餐会?!(続く)

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