第17話 屋敷家の奇習

湯船につかっている僕にすり寄ってきた屋敷やしき美禰子みねこは、どうやら一糸まとわぬ裸身のようだった。


それを直視しないよう、僕はあわてて身体の向きを変えた。


なおも屋敷は僕に接近し、ついに僕の背中に到達してしがみついた。


その両手は、僕の肩をがしっと捉えている。


「つ・か・ま・え・た」


いたずらっぽく笑う屋敷。


そうされると、僕は屋敷の方を振り向くことも出来ない。


さらに、大胆にも屋敷はその身体を僕の背中にぴとっと寄せて来た。


あ、当たっている!


弾力のある半球形の物体の感触が、明らかにわかるっ!


はっきりとした意図を持って、圧力をかけて。それを僕の背中に押し当てている!!


ヤ、ヤバい、ヤバいです。


「や、屋敷さん、落ち着いて。


どうか早まらないで」


しかし、僕の必死の制止など、聞き入れる屋敷ではなかった。


「そうかな、ホッシー?


わたしはとても落ち着いているよ。


これもまた、屋敷家流おもてなしのひとつなんだ」


「えぇ〜っ、そうなの?」


このままじゃ、僕の理性が完全消滅するのも時間の問題だった。


マズい、実にマズいよ。


この屋敷の捨て身の攻撃に「据え膳食わぬは男の恥」とばかりそのまま飛びつき、乗っかる。


あるいは一線を超えてしまう。


その選択肢は、どう考えても今後の展開にとって有利であるとは思えなかった。


そのチョイスは、安易すぎる。


複数の女性からモテたいと願ったからには、屋敷と国貞くにさだのふたりを当分らし戦法で上手くコントロールしていかないといけない。


ここで安易に屋敷一本に絞ってしまうのは、なんとしてでも避けたかった。


それに、屋敷については日頃気になっている一点があるし……。


僕はそのまま、背後にいる屋敷に向けて語った。


「ねぇ屋敷さん、僕たちってさ、まともに会話するようになって2日くらいしか経っていないじゃない。


まだ、お互いのこと、よく知っていないと思うんだ。


お互いがどんな考えをしていて、どんな好みなのかもまるで分かっていない。


そうだよね?」


この一言に、屋敷の「圧着」攻撃もピタッと止まった。


「その物体」の感触は、スッと消滅したのだ。


そして、少し間を置いて、


「う、うん、そうかも……」


と小声で返事をしてきた。


僕は、たたみかけるようにこう言った。


「だよね。


たとえば、僕は屋敷さんの前髪を上げた顔を、ちゃんと見たことがないんだけど。


これって、これから親しくしようとする男女としては、どうなのか、ありなのかって思うんだけど……」


すると屋敷は、しどろもどろになりながらこう答えた。


「ど、どうなのかって言われても……。


わ、わたし、実はこの家のしきたりで、こう言われているんだ。


『屋敷家の女子は、結婚して初夜を迎えるまでは、その夫に前髪を上げて顔を見せてはならない』


だ、だから、ホッシーにも顔を見せられないんだ」


おぉ、何というあやしい習わし。


今が令和れいわの世とか、とても思えない。


ここ屋敷家だけ、江戸えど時代から時間が止まっているのかも知れない。


そしてこれを聞いて、僕の灰色(見たことはないが》の脳細胞に、一瞬の閃きスパークが走った。


うん、試す価値があるかも。


うまくいけば、この事態が打開出来るかも。


僕はわが身をひねり、いきなり屋敷の方へ向き直った。


僕は屋敷の顔、それも前髪で隠れた目のあたりだけをじっと見つめる。


そして、低い声でささやいた。


「それでも、屋敷さん、いや美禰子の顔を見たいと言ったら……?」


屋敷の口元は開き、明らかに「驚き」の感情を示している。


「えっ、え〜っ!?


そ、それはダメだよ。


け、結婚もしていないのに、そんなこと出来ないよ」


僕はそれに何も返事をせず、両手を上げ、屋敷の前髪の方にゆっくりと伸ばしていった。


屋敷の身体は、わなわなと震えている。


僕の両手の指が屋敷の前髪にあと数ミリという距離に近づいた時。


「ご、ごめんねっ!!」


そう叫んで、屋敷は立ち上がった。


そして、あわてて湯船の外へと飛び出して行った。


全裸の後ろ姿で、まさに脱兎のごとく。


怨霊退散、成功。


僕は思わずガッツポーズを決めた。


今後も、いざという場面ではこの手が使えるな。


そう、確信した僕なのだった。



屋敷はさすがに決まりが悪かったのか、湯船から出るとすぐに大浴場から姿を消した。


その後僕はしばらくの間湯船につかり、のぼせる前に上がった。


風呂場を出て脱衣場に入ると、浴衣に着替えた屋敷が片隅に座っていた。


モジモジしている屋敷に、僕は声をかけた。


「いい湯だったよ、屋敷さん」


屋敷はちょっとけげんそうに尋ねてきた。


「えっ、さっき美禰子って呼んでくれなかった?


どうして元に戻っちゃうのよ?」


僕はバスタオルを取り、身体を拭きながらこう答えた。


「あ、あれ? 


あれはまぁ、ちょっとした『はずみ』さ。


初回限定サービスみたいなものと思ってくれ」


そしてニヤリと笑った。


「そ、そうなの?


(ホッシーのいけず……)」


「ん、何か言った?」


「な、なんでもないっ。


……ところで、ホッシー用の浴衣も用意してあるんだけど」


そう言われて屋敷の手元を見ると、男物の浴衣一式を持っている。


僕はあごに手をやり、ゆっくりとなでながらこう答えた。


「うーん、それは遠慮しとくよ。


それを着てしまったが最後、この後もズルズル居残って、ここに一晩泊まることになるような気がするからね。


さすがに僕も、そこまで図々しい人間じゃないつもりだ。


きちんと自分の家に帰るつもりだよ」


そう言って、僕は屋敷の表情をうかがった。


屋敷は盗み食いが見つかった時のネコのように、バツが悪そうな感じでこう言った。


「そ、それは残念。


ホッシーさえよければ、お、お泊りしてくれたって全然構わなかったんだよ、わたしは」


「ありがとう。その気持ちだけで十分ってことさ」


僕は学生服のカッターシャツを着ながら、ウインクを送った。


屋敷の顔は、パッと赤く染まった。


うん、これで先ほどの騒ぎのフォローはバッチリ、かな?


      ⌘ ⌘ ⌘


入浴を終え、出来ることならばそれからすぐ、屋敷家を辞去するつもりの僕だった。


だった、が。


敵もさるもの、そう簡単に「おもてなし」は終わらなかった。


客間に戻った途端、先ほどのばあやさんが再び現われて、こう言ったのである。


「ちょうど夕餉ゆうげの支度が整ったところでございます。


せっかくですから、お召し上がりいただきとうございます、相賀あいが様」


その言葉に乗っかるようにして、屋敷もしきりに夕食を勧めてきた。


「そうよ、せめて食事だけでも召し上がれ。


これからずっとそうなるでしょうけど、フフ」


なんか含みのある表現だよな、「せめて﹅﹅﹅食事」とか、「これからずっと」とか。


でもまぁ、ここでイヤですとか言うのもカドが立つというものだし、なるべく相手のご厚意に応えるのもモテ男の義務ってものだろう。


「分かりました。それではありがたくご馳走になります。


家に電話して、きょうは夕食はいらないと伝えることにします」


「よかった。嬉しい、ホッシー」


「承知いたしました。それではご準備させていただきます」


屋敷、ばあやさんとも喜びの色を隠さない。


僕はスマホで家に電話する。


トゥルルル…。


「はい、相賀です」


小学生の妹が出た。


「あ、葉月はづきかい、お兄ちゃんだよ」


「え、お兄ちゃん? いまどこなの?


きょうはえらく遅いじゃない」


「ちょっと、お友達の家に呼ばれててね。


で、せっかくだからご飯も食べてって言われたんだよ。


断れないんで、きょうはこちらで食べていくから、母さんにそう言っておいて」


「ふーん、そのお友達って、仲真なかまのお兄ちゃんじゃないよね?


これまで夕食に呼ばれたなんてこと、一度もないじゃん。


さては、オンナだな」


「う……まぁ、そんなところだな。


でもそのこと、母さんには言うなよ」


「分かった。


適当にごまかしとくよ。


サンリ◯グッズ一件で、たしかにお受けしました」


「へいへい」


まったく、小学生のくせにいろいろとこまっしゃくれた発言の多い子である。


末恐ろしいぜ。


なんとか家に断りを入れて一息ついた僕の目の前、大きな食卓の上に、夕食のお膳が運ばれてきた。


さぁ、これさえ片付ければあとは無事放免と思っていたのだが、それは見積もりが甘かった。


甘過ぎた。


まだまだ、予期せぬ事態は続いたのだから。(続く)

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