第16話 美禰子、若女将デビュー
こんな奇襲って、ありかよ?!
僕はあわてて
彼女の顔を見上げると、まだ湯気すらろくに浴びていないのにすっかり赤く染まっている。
「や、屋敷さん、なんでここに?」
僕の問いに屋敷はこう答えた。
しどろもどろに。
「え、えー、わが家に代々伝わる習わし、おもてなしの一環として、わたしが参りました。
せ、背中をお流ししましょう、ホッシー」
背中を流すって?
もしかしてアレだな。
古典だったか、日本史だったか授業で教わったことがある。
江戸時代、風呂屋に常に居て、客の垢すりや背中流しをしたり、髪すきなどのサービスをしたという女性、
これも、おもてなしの「基本コース」のひとつってこと?
いやいや、ちょっとサービス過剰だろ!
「屋敷さん、背中くらい自分で洗えると思うけど?」
すると屋敷は僕の前に腰を下ろして「ノンノン」と言わんばかりに人差し指を僕の唇に押し当ててきた。
「いいえ、自分で思ってるほどひとりじゃしっかりと洗えていないものなんだよ、ホッシー。
垢もきちんと落とすには、わたしの手が必要なの」
そう言ってひざまずいたその姿勢のまま、近くにあった湯桶を取り、携えてきたバンドタオルを使って、問答無用で湯女のお仕事に取りかかる屋敷だった。
「はぁ……」
僕もそれに強くは
「じゃ、じゃあ、背中だけだぞ。
ま、前は絶対、駄目だからな」
そう釘を刺すのが、精一杯だった。
しばらく屋敷がタオルで背中を念入りに洗うサービスを受けながら、僕は彼女に尋ねた。
「ねぇ屋敷さん、もしかしてこのお役目、お客さんが来るたびにきみがやっているの?」
屋敷の手が、一瞬止まった。
「と、と、とんでもない!
わ、わたしは今回が初めてなんだ。
ほ、本当のことだからなっ!」
「わかったよ。
じゃあ、これまでは、どなたがなさっていたのかな?」
すかさず僕が再度のツッコミを入れる。
「う……これまでは母がずっとこの役をやっていたんだ。
今回、わたしは『お前ももう16になったから、わたしがずっとやってきた役目を、もう引き継いでいいだろう』と母に言われたのだ。
だから、今回からなのだ……」
と、テンション低めの屋敷。
なるほど、今回がデビュー戦ね。
……ってことは、これまでは母上がずっとこの役をやっていたんかい!!
それはそれで、アレな話ではある。
屋敷家に代々伝わる、
「ここは八つ墓村かよ!」と言いたくなる。
民俗学者にとっては興味深いネタかもしれないが、屋敷家の奥知れぬ「闇」を感じてしまう話ではある。
あまりこれ以上、この件に深入りするのはやめておこう。
僕までが闇に落ちそうで怖い。
ともあれこれで「湯女」が屋敷美禰子の自主的な、いわゆる痴女としての行為でないことがほぼ確認できた。
そこは屋敷の名誉のために強調しておこう。
ところで、屋敷の背中流しが念入り過ぎて、なかなか終わらない。
終わったかと思えば、また背中の上に戻ったりして、それを何回も繰り返している感じなのだ。
これも屋敷お得意の、牛歩戦術?
それだけではない。
時折り、指が肩や腕を越えて、短い時間ではあるが、僕の胸をささっと撫でたりするのだ。
絶対、わざとやってるだろ。
おまけに、かすかにではあるが、あえぎともうめきともつかない小声を上げているように聞こえる。
これがけっこうジワジワと来るのである。
僕の理性をジワジワと侵食するのである。
このままじゃまずい!
そう判断した僕は、エヘンと咳払いをしながらこう言った。
「屋敷さん、もう十分洗えたと思うよ。
そろそろ、解放してくれないかな?」
それを聞くと、屋敷はビクッと反応した。
「あ、あぁ、そうね。
わたし、つい念入り過ぎるくらい念入りに洗ってしまったわ。
じゃあ、次は、わたしにご
屋敷はおずおずと、そう申し出たのだった。
「ご褒美?」
なんじゃそりゃ?
僕が聞き返すと、屋敷は頬を赤らめてこう答えた。
「これもわが屋敷家に伝わる習わしなのだけど、お客さまにご奉仕したことへのご褒美として、同じことをお客さまにしていただくことになっているのよ」
なんと!
チップとして、彼女の背中を洗うってこと?
ちょっと、というかかなーり抵抗のある提案だ。
がしかし、
「わかったよ、屋敷さん。
僕も恩知らずな客ではないつもりだ。
背中を洗うくらいのお返しなら、させていただくよ。
ただ、背中だけだぜ、背中だけ」
そうくどく強調して言うと、彼女は相好を崩して喜んだ。
「嬉しいわ、ホッシー。
では、ちょっと後ろを向いててね」
そう言われたので、僕は20秒ほど後ろを向いて待った。
「いいわよ」
その声に振り返ると、屋敷の白い滑らかな背中が目の前にあった。
風呂椅子に座り、下半身のみバスタオルをまとっている。
上半身はもちろん、前も後ろもはだかだが、近くには鏡などないので前はかろうじて見えない。
ギリギリセーフ、かな?
とはいえ、16歳の乙女の、シミひとつないむき出しの背中。
そのビジュアルに実際に接して見ると、圧倒されそうになった。
いかんいかん、正気を保たないと!
僕はなんとか気力だけで「これはただのオブジェ」と自分に言い聞かせ、彼女が新たに支給してくれたハンドタオルでゴシゴシと「返礼」を始めたのだった。
普段は制服をまとった姿しか知らない屋敷も、こうして見ると、年相応にしっかり成長した身体を持っているんだなとあらためて感じる。
いやいや、そういう風に思うこと自体、すでにアウトか。
無念無想、無念無想だぜ、ホッシー!!
そのうちふと、屋敷のうなじや耳元に視線がいく。
風呂場の湯気のせいだろうか、明らかに上気している。
心なしか、吐く息も荒いような気がする。
ここで僕は、あることを思いついた。
ちょっとだけ実験をしてみることにした。
いや、スケベ心じゃなくてほんの「探究心」からなんで誤解なきよう。
僕はそれまでよりは少しだけ力を入れて、かつそれまでよりもゆっくりとタオルで屋敷の背中を撫でたのだった。
とたんに、ビクン!という反応があった。
息も、さらに荒くなった。
ヤバい、もしかして感じている?!
ってことは屋敷の背中は、◯イカンタイ?!
「これ以上はいかん!
僕自身の理性も、バーストしかねない」
そう判断して、僕はこう屋敷に告げた。
「じゃあこれで、僕からのご褒美はおしまい。
湯船に入らせてもらうよ」
それを聞いて屋敷は「えーっ?」という反応をしていた。
声しか聞こえないけど。
だがそんなことはお構いなしに、僕はささっとカランからのお湯を浴びると、ハンドタオルを腰に巻いて大きな湯船に飛び込んだ。
そして、屋敷の身体がうっかり視野に入ったりしないように湯船のすみっこにまで移動し、身体を伸ばした。
あぁ、ようやく緊張の連続から解放された……。
そう思ったのもつかの間。
ほどなく遠く離れたところから、ポチャンという音が聞こえてきた。
屋敷も自分の身体を洗い終えると、同じく湯船に入ったようだった。
そして、少しずつ、僕の方に近づいて来ると思われる音がして……。
僕のすぐ横、50センチほどのところで屋敷も腰を落ち着けた。
そこにいるのはわかったが、僕はなるべく前の方向だけ見て、彼女を直接見ないようにした。
「ホッシー」
そのひとことに、僕は思わず「ヒッ!」と変な声を上げてしまった。
「し、失礼。
なんだい、屋敷さん」
「きょう、わたしの家にやって来て、たぶんこう思ったんじゃない、ホッシー。
『なんて妙な習わしの多い、変な家なんだ』って」
「あ、いや、そ、そんなことはないよ」
「いえ、正直に言っていいよ。
だって、わたし自身、変な家で生まれ育ったっていう自覚はあるんだから」
そうなんだ? 一応その自覚はあったんだ……。
「うーん、そうだね。
たしかに屋敷さんちは、ちょっとだけ変わったところがあるとは思った。
でも、どんな家庭だって、他とはちょっと違う変わったところがある、そういうものなんじゃないの?
僕の家だって、他人から見れば一風変わったところがあるのもしれないよ。
だから屋敷さんの家だけが、他の家より特別に変わっているとは思わないよ」
そう言って、僕は笑った。
「ホッシーってやっぱり、優しいね。
ホッシーのそういう気配りが、わたし好きだよ」
そう言われると、何かしら返事をしないわけにはいかない。
「そう…かい?
ありがとう」
屋敷は話を続ける。
「きょうのわたしはすっかり、クニクニより大幅に点をリードさせてもらったわ。
それはすごく感謝してる。
きょううちで何があったかは、あとで全部クニクニにも報告することになっているの」
えっ、今なんとおっしゃいました?
「だって、わたしたちすべてフェアに戦いましょうって誓い合っているからね。
抜け駆け厳禁。
機会は常に均等に。
それがわたしたちのポリシーなの。
わたしがきょうホッシーとしたのと同等のことは、クニクニも享受してもらうことにするよ。
もちろん、お風呂に一緒に入る権利もね」
屋敷はそう言って、軽く声を上げて笑った。
僕は少しうろたえて、こうツッコミを入れた。
「そうは言っても、
「ハハッ、たしかにそうかもね。
その時は、同等レベルの、別のことをしてもらいましょう」
それを聞くと、なんか不安しか起きないんですけど!
「いずれにせよ、わたしがすべて先行して出来るわけだから、圧倒的にわたし有利なんだけどね。
例えば、こんなことも出来ちゃうし……」
そう言って、屋敷はさらにその身体を動かし、僕にすり寄って来た。
もしかして、タオルも何も、まとっていない?!(続く)
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