第15話 おもてなしの基本コース

ん……。


なんで、こうなった?


僕は今、猛烈に違和感を抱いている。


絶対、何かがおかしい。


僕のすぐそばには、制服姿の屋敷やしき美禰子みねこがいて、茶筅ちゃせんを回している。


茶碗の中の抹茶を、茶筅でかき混ぜて泡だてている。


こんなシチュエーション、1ミリも想定していなかったのに、なんでこうなるの?!


昭和しょうわの名コメディアン、萩本はぎもと欽一きんいち風に)


      ⌘ ⌘ ⌘


事の発端から、もう一度説明しよう。


僕、相賀あいが保志雄ほしおは、昨日の約束を果たすため、屋敷を彼女の自宅まで送っていくことになった。


屋敷の家は高校の近隣にあったので、途中で屋敷に牛歩戦術を取られたとはいえ、徒歩でほどなくたどり着いた。


そこで僕はすぐに退散するつもりだったのだが、屋敷に「お茶でも飲んでいってよ」と誘われてしまい、「お茶ぐらいなら」と何の気なしに受けてしまったのだ。


そうしたら。


屋敷に案内されたのは、母屋おもやとは別棟の小さな茶室。


それも、古式ゆかしい四畳半の作りの草庵そうあんである。


なんかもう、今が令和れいわの世とか信じられなくなってきた。


ここ屋敷邸だけには、「昭和」の時間がひっそりと流れているんじゃなかろうか。


ここだけ、亜空間なんじゃなかろうか??


戸惑いを隠しきれず、僕は客人用とされる躙口にじりぐちから、茶室の中へと入り込んだ。


狭い。


まるで、宇宙船の操縦席のようだ。


作法にのっとってのことだろう、別方向にある茶道口さどうぐちから、屋敷も部屋の中へ入ってきた。


僕は貴人畳きにんたたみというらしい、床の間の前にある席に座るよう、案内される。


部屋の真ん中の、小さな畳の一角には炉があり、茶釜ちゃがまがかかっている。


炉の中の木炭(!)に火をつけて、お湯を沸かし始める屋敷。


それまでボーッとしていた僕は、ようやく正気を取り戻して、恐るおそる屋敷に尋ねる。


「あのー、屋敷…さん。


お茶ってもしかして、これのこと?」


「そうよ、わが家ではお茶というと、こうやっていただくものを指すのよ」


そんなの、聞いてませんって!


「あら、ホッシー、もしかして茶道初体験?


そうね、きょうび、こういう古風なことをしている高校生ってめったにいないよね。


でもわたしは屋敷家の長女として、生まれた時から茶道、華道、書道をはじめとする作法全般を叩き込まれて育ったの。


わたしは慣れているから正座でも大丈夫だけど、ホッシーは辛かったら、足を崩していいよ。


ほかに誰も見ていないから」


そうは言われても、由緒正しき茶室でだらしなく胡座あぐらをかくのも気が引ける。


僕は慣れない正座を、我慢してしばらく続けることにした。


しばらくするとお湯も沸いたので、屋敷は慣れた手つきで抹茶の粉とお湯を茶碗に入れ、茶筅を回し始めた。


「なんでこうなった?」という違和感を抱きつつ、僕は屋敷に尋ねる。


「ところで屋敷、お屋敷の中でまだ誰にも会っていないけど、きょうは家族とかいないのか?」


「なぁに?


もしかして、この家にふたりきりのシチュエーションを期待しているわけ、ホッシー?」


唇の端に意地悪い笑みを浮かべる屋敷。


「ぜんぜん!


全然全然全然!!」


「もうホッシーったら、照れ屋さんなんだからぁ。


正直に期待してるって言えばいいのに。


本当のことを言うと、母は家にいるんだ。


でも、さっきメールでわたしが頼んだの。


すぐにはホッシーの前に出ないようにしてちょうだいって。


だって母ときたら、わたしが初めて家に連れて来た男性を、ひと目見たいひと目見たいと必死になってしゃしゃり出て来そうなひとなんだもの。


そんなガッツく母を見たら、ホッシーもドン引きよね。


だから、ひとまずお預けにしたの」


「そうなのか……。


まぁ、僕としてはそれで構わないけどな。


(彼氏でもないのに、そういう期待をされてもなんだしな……)」


「ん、何か言った、ホッシー?」


「なんでもない」


僕は適当にごまかした。


すると、屋敷は「そう」と軽く返事をし、茶筅を動かしていた手を止めた。


「出来たよ、ホッシー。


では、召し上がれ」


そう言って、しっかりと泡だった抹茶の入った茶碗を、僕の前に置いたのだった。


「作法とか気にせずに、気楽にどうぞ」


「ありがとう。いただくよ」


そう言って、僕は茶碗を手に取り、正しい作法ではこれを何回かある方向に回すんだよなと思い出しながら、どうせ正しく出来るわけもないので、そのまま飲んだ。


苦い。


実に苦い。


しかし少量なので、すぐ飲み終えてしまった。


器を置いて、僕はうろ覚えの紋切り型で、こう礼を述べた。


「結構なお点前てまえでした」


すると、屋敷はこう言う。


「この量じゃ、全然足りないでしょ。


おかわりはいかが、ホッシー?」


「ごめん、屋敷さん。


僕は、抹茶はこれ一杯でいい。


それより、普通のお茶、煎茶でいいから飲み直させてくれないか?」


ギブアップ宣言した僕だった。


おまけに足もしっかりしびれて、立ち上がろうとしたら、見事コケた。


やれやれ。


      ⌘ ⌘ ⌘


「なーんだ。お煎茶が欲しかったのね。


それならそうと、最初から言ってくれたらそうしたのに」


屋敷は母屋へ戻る途中、そうのたまう。


いや、悪気がないのは分かるのだが、普通お茶と言ったらお点前のほうじゃなくて、急須で入れたお茶だろうが。


「最初から言ってくれたら」ってのは、こちらのセリフだよ。


どうも彼女と僕は、当たり前とか常識といったものの基準がズレている。


いわば違う生活文化圏に住んでいるような気がしてきた。


もしまともに交際とかしたら、いろいろ苦労しそうな予感……。


とりあえず母屋に戻り、床の間のある広い部屋に通された。


屋敷はしばらく席を外していたが、ほどなくひとりの女性を伴って現れた。


和服を着て白髪まじりの、上品な雰囲気の初老の女性である。


手には茶器の載ったお盆を持って、一礼してくる。


思わず、僕は顔色を変えて身構えた。


屋敷がすっと僕に近寄り、こう耳打ちする。


「母じゃなくてばあや﹅﹅﹅だから、大丈夫だよ」


それを聞いて僕もひと安心、緊張状態を解いたのだった。


あの人は、使用人なのか。


さすが屋敷家。


もう、暮らしのレベルが違うな。


僕は、ばあやさんの淹れてくれた煎茶を頂戴して、ようやくひと息ついた。


これでようやく、おいとま出来そうだな。


そう考えていた矢先、ばあやさんが屋敷にこう言った。


「お嬢さま、お風呂が先ほど沸いたところでございますが」


「そうなの?


なら、ぜひお客さまに一番に入っていただかないとね」


「それがよろしゅうございます。


お客さま、いかがでしょうか。


せっかくお越しになられたのですから、お風呂にお入りになっていかれてはいかがでしょうか?」


晴天の霹靂へきれき


まったく思いもかけぬ話だった。


僕はさすがに当惑した。


初めておじゃましたお宅でひとっ風呂浴びるとか、さすがに人としてどうなの?


「いえ、そんな。


初めてお伺いしたばかりの者が、そんな厚かまし過ぎます」


ばあやさんは手を振って、こう言った。


「いえいえ、当屋敷家では、初めてお越しいただいたお客さまにもお風呂を使っていただくというのが、ならわしとなっておるのでございます。


いわば、おもてなしの基本コースなのでございます」


「そうなんですか……?」


そう言って屋敷のほうを見やると、唇に笑みを浮かべながら、嬉しげにこう言う。


「そうなの。


それがうち流の、お・も・て・な・し。


だからどうか遠慮しないで、入っていってちょうだい」


ばあやさんの上品で丁寧な物言いもあって、ここはご提案に素直に乗っかるのもいいかな、という気分になってきた僕だった。


まぁ、向こうがこんなに熱心に勧めてくれているんだから、失礼には当たらないよな、むしろ固辞するほうが親切な相手に対して悪いよな、そういう風に自分に言い聞かせて、僕はふたりの申し出を受けることにした。


「ありがとうございます。


せっかくのお話ですので、入らせていただきます」


そう言うと、屋敷もばあやさんも喜びをストレートに顔に表した。


「では、わたくしめがご案内させていただきます」


ばあやさんが、僕を広いお屋敷の中、浴場まで案内してくれた。


そこはまさに温泉旅館の大浴場にも引けを取らない、超豪華な風呂場だった。


広さはざっと、畳にして30畳分はありそうだ。


浴槽は豪奢ごうしゃ総檜そうひのき造り。


それも、10年に一度は新調しているんじゃないかと思うくらい、ピカピカで木の香りが漂う。


僕は脱衣場で服を脱ぎ、備え付けのハンドタオルを手に浴室の中へ入った。


まずは身体を洗おうと、僕は風呂椅子に腰かけた。


お湯を流し、石鹸とタオルで身体を洗い始めて、しばらく経ったころだ。


「失礼します」


そのひと声とともに浴室の扉が大きく音を立てて開き、そしてひとりの人影がそこに現れた。


すべてを脱ぎ捨ててバスタオルを一枚まとっただけの、屋敷美禰子だった。(続く)

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