第7話 保志雄、空の星くずとなる
月曜日の朝、僕はいつもより1時間近く早起きをして、家族全員に驚かれた。
ギリギリまで寝ていて、朝食をろくに食べる時間もなくあたふたと出かけるのが、僕の日常だったからだ。
小学生の妹などは「お兄ちゃんが早起きだなんて、きょう、大雨にでもなるんじゃないの」と、テレビの天気予報を確認していたぐらいだ。
妹よ、兄貴だってたまには早起きぐらいするんだぜ、まったく。
しっかり朝食を食べ終えると、さっそく高校へ行く準備をして出かけた。
高校に着いたのは、授業開始の40分ほど前だった。
スーパー優等生の
いかにもクラス委員を務める
チャンスは彼女が登校してから、他の生徒たちも登校するまでの間、せいぜい10分。
それを逃したら、どうかするとライバルにチャンスを持っていかれるかもしれないから必死だった。
僕は自分の席に座って、彼女の登場を待った。
10分と経たないうちに、貴音華子がその優美な姿をあらわした。
噂はやはり本当だったようだ。
「おはよう、貴音さん」
僕のほうから、挨拶をした。
自分より先に誰かが席についているなんて予想だにしていなかったようで、彼女の身体は一瞬、ビクッと反応した。
表情を見るに、かなり驚いている。
「あ、お、おはよう、
しどろもどろになりながらも、彼女は僕に返事をした。
「うん。いつも予鈴すれすれぐらいに来ているけど、たまには早めに来て、授業の準備をしておこうかと思ってね」
それを聞くと、貴音はようやく
まるで
「そう? それはとてもいい心がけだと思うわ」
はっきり言って、時間の猶予はない。
すぐ本題に入らないと。
僕は意を決して、こう言った。
「それに、この時間なら貴音さんとも話が出来るんじゃないかと思ってね」
こう言いながらも、僕の全身を強い緊張感が走る。
「実は、貴音さんに折り入って話したいことがあるんだ。
ここだとすぐに他の連中が来るので、ちょっと場所を移動していいだろうか?」
その言葉の意味するところを、頭の回転の速い彼女は、瞬時にして悟ったようだった。
再び彼女の表情は、この部屋に入ってきた時のように強張ったからだ。
「いいわ」
その一言だけが返ってきた。
僕は席から立ち上がり、道を指し示すように彼女に先立って歩き始めたのだった。
⌘ ⌘ ⌘
僕と貴音華子は、校舎裏へと移動した。
ここならば、登校して来る生徒たちの目に触れることもまずないだろう。
そう、ここは愛の告白には一番適した場所なのだ。
僕はふと立ち止まり、
“さあ、勇気を出して言うんだ、
僕は一瞬、奥歯を噛みしめた。
貴音のどことなく不安感を漂わせる目をみつめ、そして語り始めた。
「僕と貴音さんは、入学した時から同じクラスだから、知り合ってもう1年2か月あまりになるよね」
貴音は無言でうなずいた。
「その間、僕は勉強がとてもよく出来る貴音さん、男女問わずクラスメートにとても優しく礼儀正しい貴音さん、ホームルームや生徒会では言うべきことををきちんと言う貴音さん、いろいろな顔の貴音さんを見てきた。
そして、貴音さんのことを、誰よりも好きになってしまったんだ」
ここでひと息、置いた。
貴音の顔は、先ほどの緊張した様子から、少し赤みがさして熱っぽい感じに変わっている。
僕は続けた。
「最初は僕自身、貴音さんへの想いは、アイドルファンがアイドルへ抱くようなもので、単なる憧れやひいきに過ぎないと思っていた。
それに、貴音さんと僕とでは、容姿にしても能力にしてもいかにも不釣り合いだ。
貴音さんなら、もっといい男、才能のある男がふさわしい。
他人から見てそう思われるというだけじゃない。
僕自身、そう感じるんだ。
そういうふうに、自分に一年以上言い聞かせてきみへの告白を思い留まってきた。
でも最近、このまま心の中で想っているだけの一方通行な恋では、とても我慢できないぐらい、気持ちが高まってしまった。
やはり、貴音さんと付き合いたい。
きみと相思相愛になりたいんだ。
だから、きょう、はっきりと伝えます。
貴音さんが好きです。
付き合ってください」
そう言って僕は、貴音に向かって深く頭を下げた。
顔を上げて貴音の顔を見ると、先ほど以上に紅潮していた。
目元も、少し涙っぽかった。
わずかな沈黙ののちに、彼女はこう答えた。
「相賀くん、わたしのこと、そんなに好きになってくれていたんだね。
ありがとう」
そう言って、いったん口をつぐんだ。
えっ、もしかして好感触!?
そう僕が思ったのもつかの間、貴音はこう続けた。
「でも、わたしは相賀くんの気持ちには答えることができないんです。
付き合うことは、できないんです。
その理由を相賀くんに伝えることは、いまは事情があってできません。
とても心苦しいのですが。
ほんとうに、ごめんなさい!!」
平謝りに謝られた。
“グワァ〜〜〜〜〜〜〜ン!!!”
僕の後頭部を、お寺にある
100パーセント覚悟していた事態とはいえ、現実になってしまうとキツいわー、やはり。
しかしここで気を失うわけにはいかない。
なんとか平常心を取り戻した僕は、こう返事をした。
「そうか。やっぱり、そうだよね。
分かった。
しょせん無理な望みだとは思っていたんだよ。
気にしないで」
そう言っても、貴音の表情は晴れない。
僕は、こう続けた。
「じゃあ、せめてひとつだけ、聞かせてもらっていいかな?」
「なんでしょうか。なるべく、お答えしたいと思いますが」
「貴音さんはだれか僕以外の、特定の男性からの告白を待っているから、僕の求愛を断ったのだろうか。
教えてほしい」
貴音はそれを聞いて、特に言葉に詰まったふうではなく、すっと答えてくれた。
「それは、断じてないです。
嘘じゃ、ありません」
そう言い切った彼女の目を見ると、とても真剣な眼差しだった。
その言葉、信用してよさそうだった。
僕は少しだけ、気が楽になった。
「ありがとう、貴音さん。それで十分だ。
じゃあ、授業時間も近づいてきたことだし」
「そうね。相賀くんと一緒に教室に戻ると何かしら言われるかもしれないから、悪いけどわたし、先に行くわね」
「ああ」
貴音華子は校舎の中へと去って行った。
そして、僕の1年以上におよぶ恋も……去った。
相賀保志雄は、玉と砕け散った。
いや、保志雄、ホッシーだけに、
まだ一日が始まったばかりなのに、もう「本日は閉店しました」の看板をかけたい気分の僕なのだった。(続く)
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