第13話
五限の終わりから空を覆い始めた分厚い雲は、下校時間に合わせるように大粒の雨を降らせた。忙しなく朝を過ごしてしまったせいで、天気予報の確認まで気を回せなかった俺には、この雨を凌ぐための傘はない。
友人か、はたまた雨が止むのを待っているのか、昇降口付近で携帯をいじる一段に交じって空を仰ぐ。分厚い雲に切れ目はなく、空をこれでもかと覆っており、この雨はしばらく続きそうだ。
風の噂では既に裏手のコンビニの傘は品切れてしまったらしく、バスを使おうにも引っ越したばかりで最寄りのバス停は分からない。選択肢は濡れて帰る以外にないのだろうが、最初の一歩をなかなかに踏み出せない。
「あれ、どうしたの?」
大きく開いた扉をくぐる生徒の邪魔にならないよう壁に寄りかかり、雨の様子を眺めていると声をかけられた。
「傘忘れたから、せめて少しマシになったタイミングで走ろうかと思ってみてるだけだ」
「じゃあ、一緒に帰る?」
本人は良かれと思って言っているのかもしれないが、学校内での自分の立場というものを自覚してもらいたい。その提案を飲もうものなら、明日から俺の机といすは校庭に置かれているだろう。
「いや、迷惑だろ。適当に濡れて帰るから気にしないでくれ」
「別に迷惑じゃないんだけどなぁ」
「待たせてるんじゃないのか?」
耳に届いた小さなつぶやきは聞こえなかったことにして、彼女を待っているであろう館山さんの方に戻るよう促す。
「どしたん? 早く帰るし」
「あっ、いや、悠斗君が傘忘れたみたいだったから」
俺の言葉を無駄にするようにこちらにやって来た館山さんは、成田の簡単な説明を聞いくと、フーンと不機嫌そうに俺を眺める。
行きかう生徒は雨のことばかり気にして、こちらを視界には納めていなさそうだが、傍から見れば修羅場のように見えるかもしれない。いや、カツアゲの方がしっくりくる気がするな。
この状況から逃げるように莫迦なことを考えていると、いいって言ってるなら放っておけばいいじゃんと突き放すような声が耳をついた。
全くもって、その通りだと思う。
だが、それを聞いてなお、小さな声で言葉を続けようとする成田。
「じゃあ、あーし先帰るよ。予定あるし」
「う、うん」
かき乱すだけかき乱して、この場から逃げるタイミングを奪った館山さんは、傘を開いて雨の中へと進んでいった。成田はその背中を追うことなく、こちらへと視線をよこしてくるが、俺の視線は外に向けたままだ。
雨脚は弱まる気配を見せることなく、それどころか地面に打ち付けられた雫が大きく跳ねて濡らす場所も高くなってきた。そのせいか、そこまで長いやり取りではなかったにもかかわらず、昇降口の人影は明らかにまばらなものになっている。
「えっと、雨強くなってきたけど、どうしよっか?」
「……帰る以外に選択肢もないだろ」
携帯の画面に映し出された天気予報では、雨脚は強くなる一方らしい。深呼吸して雨の中へと一歩を踏み出す。打ち付けるようにして降っている雨は、あっという間に髪を濡らしていく。
歩き出して数歩。ずぶ濡れとは言わずとも、制服はかなり濡れてきたところで、後ろからバサッと傘が開く音がした。
「もうほとんど人いないんだし、いいでしょ」
十メートルは離れていたと思っていたが、一瞬だった。容赦なく体温を奪っていきそうな雨がぴたりと俺の身体にあたらなくなり、鼻孔には甘い香り、耳元には少し怒ったような声。
「学校で一緒にいるところ見られたくないのは分かったけど、流石に放っておけないから。嫌なら言って、私が走って帰るから」
「……まあ、ほとんど人もいないし。分かった」
嫌と言えば本当に傘を押し付けるように、雨の中を走って行ってしまいそうな勢いに負けて頷けば、ようやくいつもの表情を見せる。
学校の前から伸びている学園通りを抜けて、府中街道に出たところで雨脚は予報通りさらに強まりを見せてきた。地球温暖化の影響なのか、いくらか早いゲリラ豪雨のような雨は、少し無理やりに俺を傘に入れている成田の肩を濡らし始めた。
「傘、俺が持つわ」
「え?」
「入れてもらってる身なんだし、それくらいさせてくれ」
「わ、分かった」
おずおずと差し出された傘の持ち手を掴んで少し成田の方へと寄せれば、右肩には雨を吸った制服がべったりと張り付きだした。不快感はなかなかのものだが、それは無視して、いつもよりゆっくりとした足取りで、隣を歩く成田に合わせるように雨の流れに逆らうように帰路を進む。
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