第5話

 一階から香る美味しそうな匂いにつられて、扉を開けて部屋を出れば、ちょうど隣の部屋の扉も開いたところだった。

 そのまま階段を下りて行ってくれればよかったものの、こちらが扉を開けた音に気付いたのか、振り返った成田と目が合ってしまう。

 こちらがとっさに視線を背けたせいか、沈黙が少しの間この場を支配した。


「あー、その、さっきは助かった」

「それはもう聞いたよ」

「まあ、それでも一応」

「はいはい。私の方こそ、さっきはごめんね。驚いちゃって」

「いや、驚かない方が難しいだろ。何度かやらかして驚かせてるのに、自分の部屋だからって気を抜いた俺の方が悪いまである」


 適当に言葉を並べれば、成田からはふふっと笑いがこぼれる。それにつられるようにしてこちらも笑ってしまう。


「行こっか、お腹空いたし」

「そうだな」


 足並みをそろえてリビングへと向かえば、机の上を彩るのは料理の数々。


「いいタイミングね。ちょうど呼ぼうと思ってたところよ」


 キッチンに立った母さんがそう言えば、なにか手伝おうかと成田はキッチンへと入っていく。普段は総菜ばかりの夕飯を食べている俺は手伝いに入れるはずもなく、一足先に席に着く。

 同じように席にかけていた光輝さんは、少しキッチンの方に目を向けてから話しかけてきた。


「悠斗君、部屋の片づけは進んだかな?」

「えっ、あぁ、はい。なり……渚さんが手伝ってくれたので、思いのほか早く終わりました」

「そうだったのか。まあ、仲良くやれているようで良かったよ。高校生にもなって突然同い年の兄妹が出来るってだけでもなかなかなのに、ましてやクラスメイトともなると距離感とか難しいと思ってたんだ」


 ハハハと乾いた笑いがこぼれてしまう。確かに距離感は難しいが、成田とはクラスメイトとはいえ、教室では滅多に話さないのだからそこまでではなかった。あとは成田の性格のおかげか。


「まあ、でも、大変なのはこれからだよね」

「そうですね」

「二人が高校を出るまでは名字を揃えるつもりはないとはいえ、変化に気づく子もいるだろうし」


 光輝さんがそこまで言ったところで、成田と母さんがそれぞれ料理をもってこちらにやって来た。

 一瞬、ふわっと甘い香りが鼻をついて、隣の席に成田が座る。


「二人でなに話してたの?」

「大したことじゃないよ。渚とは仲良くできそうかとかそんな話」

「ふーん」


 光輝さんと言葉を交わした成田から何か聞きたげな視線を向けられた気がしたが、それには気づかないふりで、机に並んだ料理の数々に目を向けておく。


 いただきますと手を合わせてから始まった夕食は、楽し気な会話と共に進んでいく。ちらほらとその会話には参加しているものの、一人で夕飯を食べる生活だった俺にとっては現実のものに感じられず、その様子を俯瞰するようなもう一人の自分が耳元でここはお前の居場所じゃないと囁いたような気さえしてくる。


 気が付けばテーブルの上の料理は片付いており、正面に座る大人二人はいつの間にか飲みだしていたワインのアルコールで見事に酔いが回り始めている。


「コーヒー飲む?」

「えっ、あぁ、うん」


 突然隣からかけられた声に頷けば、キッチンからはやかんにかけられたお湯が沸騰する音が聞こえてくる。

 てきぱきと準備を始めた成田は数分もすれば、コーヒーで満たされた見慣れたマグカップを片手に戻ってきた。


「牛乳とか砂糖必要だった? とりあえずブラックで持って来ちゃったけど」

「いや、大丈夫。ありがとな」

「いいよ別に。なんとなく話し相手が欲しかっただけだから」


 ソファの前のローテーブルに二つのマグカップを置いて、そのまま腰かけた成田は隣に来いといわんばかりに、その横のスペースを軽く叩く。

 コーヒーを淹れてもらったのもあって、それに逆らうことはできず、ソファの端にそっと腰を下ろす。


「そんなに面白い話はできないぞ。出来たら今頃クラスの人気者やってるし」


 ふふっと笑った成田は、人気者になりたいわけじゃないでしょと返してきたものだから、良く御存じでと言いながらマグカップに口をつける。


「見てればなんとなく分かるよ。私が話したいのはそういうことじゃなくて、学校でどうするかとか、そういう話。まあ、面白い話も大歓迎だけど」

「あー、そういうこと。まあ、学校では今まで通りでいいんじゃないか。家出る時間は多少ずらすくらいはした方がいいかもしれんけど」

「じゃあ、そうしよっか。仲いい子には話しちゃったけど平気だよね?」

「まあ、いいんじゃねぇの」

「よし。じゃあ、ライン交換しよ」


 なにがじゃあ、なのかは分からないが、そんな言葉と共に差し出された携帯の画面には、QRコードが映し出されている。

 携帯でラインを開いてそれを読み取れば、クラスで見る格好の成田のアイコンが表示され、そのまま追加のボタンを押した。


「なにかあったらこれで連絡するから」

「はいよ」


 再びマグカップに口をつけてみたが、まだ底は見えそうにない。

 よろしく、と可愛らしいスタンプが送られてきた携帯の画面を暗転させて、まだ話したりなそうにする成田の話に耳を傾けることにした。

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