第4話

 アイスを食べながら家の前へと戻れば、すでに荷物は全て運び込まれた後のようで、トラックの姿もなくなっていた。全貌が見えるようになった家の姿を眺めるように一歩引いてから、一足先に玄関扉をくぐった成田の後を追う。

 吹き抜けになった玄関は団地の狭いそれと違い、数人となら一緒に靴を履き替えられそうだ。靴を脱いで顔を上げれば、リビングへと続く扉と二階へ伸びる階段が窓から差し込む光で照らされる。

 帰ってくると薄暗さが出迎えてくれるのがこれまでの日常だったのだが、それすら変わるらしい。そんなことを考えながら、リビングへと足を運ぶ。


「お帰り、悠斗」

「お帰り悠斗君。渚とのデートはどうだったかな?」


 出迎えたのはリビングにある大きなソファに腰を掛けて、仲良く話していた母さんたちだった。成田は俺が運んできたジュースをコップに注いでおり、光輝さんの言葉を気にしている様子はない。


「いや、別にデートってわけじゃ。行き先はコンビニですし」

「冗談だよ。夕飯時に歓迎パーティーみたいなものをするから、それまではのんびりするなり、部屋の片付けをするなり自由にしてていいよ」


 光輝さんの言葉に甘えて、それじゃあ、とリビングを後にする。部屋は二階にあるらしいので階段を上れば、渚と書かれた可愛らしいプレートが下がった部屋が真っ先に目に入る。その隣が俺の部屋らしい。

 ゆっくりと扉を開ければ、四畳半の団地の部屋よりも一回り広い部屋が俺を迎え入れる。ベッドと机だけは見慣れた姿のままそれぞれの位置に鎮座し、本棚は中身が抜けて少しの寂しさを感じさせる。

 そして、部屋のど真ん中には段ボールがいくつもある。本を読み始める俺に配慮してか、衣類の入った物が一番上でその存在をアピールしている。


「荷物いっぱいだね、手伝おうか?」


 後ろから声が掛かって、え? と間の抜けた声が出る。

 声の主は当然ながら成田だ。開けっ放しにしていた扉越しに声をかけてきたらしい。


「あー、良いのか?」

「いいよ。下は二人で仲良くやってるみたいだし、部屋でダラダラするのもなんか落ち着かなくて。普段は家事とかやってのんびりとはいかないから」


 衣類にしろ本にしろプライバシーなところなので、本当は一人で片付けてしまいたいのだが、なぜだか断る気が湧かず、そうかとだけ頷いて段ボール箱の山に手をかける。

 上着やシャツだけなら衣類を任せてしまってもいいのだが、下着までもをクラスメイトの女子に仕舞わせるのは気が引ける。というか、それはちょっとした特殊なプレイな気さえしてくるし、普通にセクハラだろう。


「じゃあ、本棚に本を仕舞ってくれると」

「いいよー」


 衣類がまとまった段ボールはクローゼットの方に寄せて、本棚のそばに本が入った物だけを移動させる。箱の数は1対5くらいで本棚に寄せた方が圧倒的だ。


「これ全部本なんだ。さっき話聞いた時も思ったけどすごいね」

「図書館で借りて読むことも多いけど、手元に残しておきたいのとか、置いてないのもあるし、そういうの集めてたらそうなってたんだ」


 そう言いながら、段ボールに張り付いたガムテープをカッターで切って、しっかりと切れていることを確かめるようにゆっくりと開ける。

 そこまでは良かった。

 外じゃないから少し油断していた。

 右手に握られたカッターを、いつものように左手に持ち替えることなく成田の方へと伸ばしてしまったのだ。気付いて引っ込めようとした時にはもう遅い。


「え?」


 成田の目には赤黒く、ふとすればあざにも見えるような手のひらのやけど痕が映ったことだろう。


「悪い」

「いや、大丈夫だけど……、なんで……」

「昔ちょっとな。まあ、生活に支障はないから変に気にしないでくれ」


 カッターはそれ以上手を見られないように成田のそばに転がして、段ボールから取り出した衣類をどんどんと衣装ケースに突っ込んでいく。

 たまに映る右手のやけど痕は、もう七年も前のものだ。

 学校の調理実習なんてもので料理を覚えた気になった俺が、帰りの遅い母さんに料理でも振舞ってやろうと意気込んで、見事に失敗した結果だ。痛くて熱くて泣き叫んだのは今もかすかに覚えているが、それ以上に帰って来るや否やそんな俺の姿を見て、叱るでもなく謝りながら手を冷やしてくれた母さんの姿が焼き付いて今も離れない。

 幸いにも後遺症が残ることはなかったが、その痕は今も消えないままだ。

 人に見せるの避けてきたのは、自分でもなかなかに酷いものだと思っている以上に、学童で仲が良かった女の子に見られて、驚くほどに泣かれてしまったからだ。

 まあ、また、こうしてついうっかりで見せてしまったのだから、避けてきたというのもなかなかに怪しいものだが。

 閑話休題。

 ちょっとした事件もあったが、とりあえず部屋は片付けが終わった。部屋の隅の壁に立てかけた畳んだ段ボールを捨ててしまえば、引っ越しという人生でもそう多くないであろう行事も完全に終わるのだろう。

 俺の右手を見てからというもの、成田は持ち前の元気さをいくらか削がれたようで、片付けが終わると一言「終わったから戻るね、ゆっくりしたいでしょ」とだけ残してすぐに部屋へと戻っていってしまった。

 視線の先にある本棚には綺麗に背表紙が並べられており、申し訳ない気分で心が満たされたままだ。

 そろそろリビングで始まるであろう歓迎パーティーで、俺は成田と顔を合わせてなんと口を開くのだろうか。

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