第3話

 空はどこまでも青く澄み渡り、雲一つない晴天。梅雨明けも宣言され、いよいよ始まろうとする新生活を前に、新婚夫婦の仲よりもあつくなってしまうんじゃないかと思えるような日差しが降り注ぐ。

 西国分寺の駅前にある団地を出発した引っ越し業者のトラックを追うようにして歩くこと十分ほど。新旧の街道に挟まれた住宅街の一軒家の前では、そのトラックから段ボールが運び出されている真っ最中だった。

 荷物が一通り運び込まれてからでもいいか、そう思って途中にあったコンビニの方へとつま先を向けたその時、明るい声が耳をついた。


「佐倉君、いや、悠斗君。忘れ物でもした?」


 トラックの影からヒョイという擬音が似合うように姿を現したのは成田さん。


「いや、運び込む作業の邪魔になる気がしたし、コンビニでも行って時間潰そうかと」

「じゃあ、私も付いていっていい?」

「まあ、いいんじゃない」


 パーソナルスペースがあっという間に侵され、風に吹かれた長い髪がわずかに掠った。ふとすれば肩が触れ合ってしまいそうな距離に人がいる。彼女にとってはこれが普通なのかもしれないが、そうだとするのなら、これからの生活で慣れていかなくてはならないのだろうか。


「今さらなんだけどさー、部屋の家具とか置くの見てた方が良かったんじゃない? 勝手に配置されても困るっしょ」

「いや、家具らしい家具って机とベッドと本棚くらいだし、壁際においてもらうだけだから」

「男子の部屋ってだいたいそんな感じなの? パパの部屋みたい」

「いや、他のやつの部屋に行ったことがないから分からん」


 派手な容姿をしているものだから、てっきり彼氏とか男友達の部屋に入り浸っているものかと勝手に想像していたが、口ぶりから察するにそうではないらしい。

 まあ、親が別れてから長いらしいし、家事に放課後の時間を割くのが習慣となっていたのなら納得だが。


「そっか。……あれ? でも、沢山荷物あったよね」

「母さんのじゃなくて?」

「悠斗君の部屋に運ばれてたのも結構あったと思うけど」

「じゃあ本だな」


 沢山の荷物は草木も眠り、幽霊が出るとか言われている丑三つ時までかかって段ボールに詰めたものだ。もっとも、幽霊には会わなかったのだが。

 それにしても、草木ですら眠っているらしい時間だというのに、繫忙期の母さんはこの時間に帰ってきて朝一番に出勤していくのだから、幽霊なんぞよりも怖いのは訓練された社畜とそれによって回る社会の方なのではないのだろうか。

 その残業代が俺の進学費用として貯金されているのだからとやかく言えないのだが、女手一つでここまで育ててもらっただけでも十分なのだから、これ以上無理はしないでいただきたい。

 閑話休題。

 俺の言葉を聞いた成田はえっ、と溢して目を丸くする。

 確か五つほどの段ボールに分けて預けたはずだ。誰かと比べたことがないから分からないが、そこまで驚くほどの量ではないと思う。


「本、好きなんだ。いつから?」

「多分小学生の頃。学童とか遅くまでいると、友達みんな帰って暇になるから本読んで母さん待ってたんだよ」

「分かる! 私のとこでも遅くまで残って本読んで待ってる子いたし。学童あるあるだよね」

「お、おう」


 気を遣ってくれているというよりかは、彼女の気質、処世術の類なのだろうが、少しオーバーアクション気味の共感は、やけに近い距離感と相まって心の壁を少しずつほぐしていく。


 そうこうしているうちに着いたコンビニで、手持ちアイスだけ買って外に出る。成田は大きめのペットボトルに入ったジュースを袋に入れて持っていた。


「私もアイス買えばよかったな」

「半分食べるか?」

「えっ、いいの? やったー」


 大げさに喜んでみせる成田は、俺が差し出した袋からアイスだけを取り出す。左手には空っぽになった包装だけが残り、それを持つ手に少し力を籠めればクシャっと音を立てながら形を歪める。


「シェアできるタイプのアイス選んでたってことは、最初から私にくれるつもりだった?」

「いや、別に。ただ、帰り道に食べても一本残るから、ちょっと得した気分になれるだろ」

「確かにお得感はあるかも。でも、その一本貰ってよかったの?」

「うちの冷凍庫に入れておくと母さんが食べて、結局二本目は食えず仕舞いだったと思うし、いいんじゃねぇの」


 俺がそう言うと、成田さんはふふっと笑って距離を詰めてくる。なんだよ、とぶっきらぼうに聞いてみれば、笑顔で口を開くのだ。


「優しいんだね、お兄ちゃん」

「いや、別にそういうのじゃないだろ。っていうかその呼び方」

「私の方が誕生日遅いんだし間違ってはないでしょ」

「さようですか」


 クラスメイトにお兄ちゃんと呼ばれるのは、なんというか嫌な新鮮さがあった。しかし、当の本人はそんなことは感じていないらしく、アイスを吸い出すようにして食べている。

 それは唯の他人クラスメイトから家族へとなったことに、いち早く適応しようとした結果なのか。

 まあ、人の思考なんて読めないから、憶測の域を出ないのだけれども、それもひとえに親のためなのではないだろうか。俺たちはまだ家族という枠組みに収まっただけで、本当の意味での家族になるのにはまだ時間がかかるのだろう。そして、そこを考えるうえで一番ネックになってくるのは俺たち連れ子の関係なのだから。


「なに?」

「その袋は俺が持つよ」


 差し出した左手と俺の顔を大きく見開いた目で交互に見ること数回。驚いたと言いたげな表情はようやく崩れ、伸ばした手には二リットル分の重さが加わった。

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