第十話 【期待】


Day.4/15 『第一言ノ葉学園:食堂』


 土曜日。まだ新年度が始まったばかりで、今日も学園はほぼ休みとなっている。午前の授業が終わってほとんどの生徒が寮に帰る中、午後も予定のある学級委員長二人は、昼食をとるために学食に来ていた。


 三百人の生徒の胃袋を満たすこの食堂だが、土曜の今日は寮で食事をとる生徒が多数派であるために、いつもとは違うがらんどうとなった不思議な景色を味わえる。


 とはいえ、他のクラスも俺たちと同じように学級委員長のようにも見える生徒が、用事があるのかまばらに校内に残っているのが伺える。


 そんな中、俺と岸良は、学食で何を食べようかー……なんて雑談をしていた。


「矢冨君はなに頼むの?」

「あー、どうしよ。今日はがっつり食いたいんだよな」


 入り口に設置されている学食のメニューを見ながら、指をさして内容をひとつづつ確認していく。今日はなんとなく肉をがっつり食べたい俺は、かつ丼を食べることに決定する。


「かつ丼だな。丼ものはシンプルでうまい」

「じゃあ私もかつ丼にしよー」


 そういうと、サッとかつ丼の引換券を岸良は交換していった。それに追従にして、俺もかつ丼の引換券を交換して岸良をの後を追いかけた。


 そして、かつ丼を二人で手にして席に着く。もさもさとかつ丼を食べていると、雑談の続きか岸良が話しかけてきた。


 うわ、岸良の奴、いつの間にか食べ終わってる……。俺のかつ丼はまだ半分はあるぞ。


「ねぇねぇ、矢冨君って愛衣ちゃんとよく一緒にいるけど、どういう関係なの?」


 俺がカツをもそもそと口に運んでいる時に聞かれた質問は愛衣についてだった。


「……。んくっ。なんでそんなこと聞くんだよ」

「まあ私も女子だからねー。恋バナ的な? あれの輪に入るんだけどさ。この前、そういうグループで愛衣ちゃんと矢冨君の話が出て、愛衣ちゃんにははぐらかされちゃったから気になってるんだよね」

「そんなことがあったのか。まあ、いうほど特別な関係じゃないよ。小学生の時からの縁ってだけだ。仲がいいことには違いはないけどな」


 昔――――小学生のころは、あいつは友達が少なかった。だからこそ、俺と遊ぶことが多かった。

 今でこそ誰にでも体当たりで仲良くなっている愛衣だが、昔は仲間外れにされていることが多かった。だからこそ、自分から輪に入っていく術を身に着けたとんだけどな。


 そんな時期も、それからも。なんだかんだ、小中と共に幼馴染として過ごし、高校まで同じになったというのが俺と愛衣の関係性だ。


 恋バナに出てくるような甘酸っぱい関係ではないが、間違いなく俺からすれば親友と言える関係を、俺たちは築いている。


「へー。じゃあ、やっぱ矢冨君は男女の友情は成り立つと」

「それが前の話とどういう繋がりがあるんだよ……。男女の友情に関しては、あるとは思ぞ。なんたって、俺とお前も友達だろ」


 突然持ってこられた、よく少年誌なんかのラブコメの謳い文句のような問いかけだが、俺は男女の友情は成立すると思っている。

 愛衣はもちろん、今目の前にいる岸良だってそうだ。俺は、彼女に間違いなく友情を感じている。朝、何かしらの用事で学級委員として呼ばれたときの会話。休み時間、ふと話すきっかけがあった時に、今週の週刊誌の話をする。ホームルームにて、何かしらの決め事の際にまとめ役として呼ばれたとき。


 そんな些細なやり取りの中に、俺は少しずつのちょっぴりとした友情を感じている。


「そういうもんだろ、友情って」


 それが、俺の持論だ。些細なことにこそ、友情ってのは感じられるものなんじゃないのか。そんなことを、俺は岸良に言って見せた。それを聞いた岸良は、少しだけ間をおいてから口を開いた。


「そう、か。……うん、そうだね」


 ……空気が変わった。いや、空気というか、岸良のまとう雰囲気そのものが、妙な変化をした。それは、彼女の纏う感情と言っても差し支えない、変化。表情や声色から読み取れるのは、安心したような、怯えているような、そんな複雑な気配だった。


 いったい何が、今の彼女にそんな変化を与えたのか、俺にはわからなかった。


 ただ、彼女は次の瞬間に、意を決したかのように俺にとあることを告白し、そして依頼してきた。


「ねぇ。矢冨君」


 そのただならぬ雰囲気に、俺は息をのんでしまう。


「なんだよ、岸良。そんな怖いかをしてよ」

「あれ、そんなに怖い顔してた? 私」

「怖いってか、威圧された。ワードマスターからの威圧とか、俺からすれば小動物みたいに縮みあがるしかないんだよ」

「あははっ、ワードマスター……ね。」


 ワードマスター。俺がそう発言した瞬間に、何かが萎むように空気の重さがなくなっていった。そして、ワードマスターという単語を聞いて、岸良は自嘲するように笑った。


「凄いよね。ワードマスター。百人近くいる新入生の中から、たった六人しかなれないんだよ。だけどさ、私は間違いなく


 それは、突然の話であった。


「ワードマスターってのは、最優秀者の称号でさ。それに伴う責任ってのがあるんだ。だけど、私は優秀である自信がない。だからさ、お願いがあるんだ、矢冨君」

「お願い……?」


 自信満々に、自らが優秀である自信が持てないという告白。しかし、その言葉から何を俺にお願いするというんだ。


「矢冨君だからお願いするんだ。私は、君のやさしさや頼もしさや努力家なところを全部、全部評価してる。だから、どうか、私から……ワードマスターの称号を奪ってほしいんだ」


 そう、彼女は俺へと頼み込んだ。






 ・――――・



 day.???? 『――――』


 人は、期待をする。


 些細な思いを募らせて、「きっとそうだ」と期待をする生き物だ。


 私も、も、そんな期待のせいで、心に傷を負ってしまった。


「ねぇ。今週のダッシュよんだ?」

「すまんな。まだ読んでないんだわ。ネタバレはすんなよ~」


 一年と少し程度の付き合いであったが、どこか気の許せる。彼は、そんなだった。


「おっし、ゲーセン行こうぜ」

「おっ、言ったなー。この前新しいコンボ開発したから期待しとけよー」

「ははん、戦歴でいえば俺の方が勝ってるんだから泣くなよ」


 彼との出会いは、中学校の帰宅路で、偶然ゲームセンターで対戦相手をしたことだった。

 格ゲーの箱を通じてぼこぼこにされてから、私の闘志に火が付いたんだ。


 それから通いつめでやっとの思いで勝った時、私たちの関係性は始まった。


「うーん……」

「どうした?」

「いやさ。この主人公のこと考えてて」


 帰り道。週刊誌を買って、一緒に読むほどには仲良くなった。彼の家で、据え置き型のゲーム機で遊びながら、漫画を読んでいた時、彼は読んでいた週刊誌の一ページに写された、とある男女の絵を眺めていた。


「悔しそうだよね、これ」


 それは、まるで私たちのようにゲームセンターで遊ぶ男女の姿。シューティングゲームや、クレーンゲームと私たちが日々やっているゲームとはジャンルは違うものの、どうやら男女の間で何かを競っているらしく、スコアで競い合っているようだった。


 そんな一枚に、負けた主人公はとても悔しそうにコミック風に涙を流している。


 ただ、私はそんな一枚を見て、楽しそうだな、なんて思ってしまった。


「私たちみたいだよなー」

「あ、ああ。そうだな」


 まだその時、少しだけ顔を赤くする彼の本心を、私は知らなかった。


 それを知るのは、彼が中学校を卒業するとき。彼は、私より一年早く卒業する。高校受験の前、元旦の日。私は、彼の誘いで初詣に来ていた。


 男子的な趣味を持つ私は、着飾ることのない地味な服装で境内へと訪れる。そして、彼を待った。


 集合時刻ぴったりに彼は訪れて、お互い手を挙げながら、親しい、親友と言える間柄だからこその軽いあいさつで言葉なく合流する。


 それから、参拝の列に並んで、神様にお願いして、お守りを買って。


 それから、他愛無いことを話しながら、私たちは同じ帰路をたどる。


「合格祈願はできたかなー、受験生君よ」

「まあ、ね。」


 その時、彼の様子は少しおかしかった。緊張している。私の前で。何をそんなに緊張しているのだろう、そんな疑問を浮かべたところで、彼は意を決した。


「あのさ。神様に伝えたことなんだけど……実は合格じゃないんだよね」

「え? 合格祈願の他に、いったい何があるんだ」

「……恋愛成就。あのさ、俺さ……。


 それが、私たちの日常の崩壊の言葉だった。


 好きと言われた。私が、親友だと思っていた人。


 それは、混乱だったと思う。今となって、あの時、あの瞬間の私の気持ちを代弁することも、表現することも、言い表すことも私にはできない。


 だからこそ、私は混乱していたと言いたい。


 そして、中学生だけど、日々ゲームセンターでゲームをしたり、少年誌を読んでいた私は恋というものがわからなかった。好きという気持ちを理解できなかった。


 だから、混乱の中。私はその申し出を断った。


「……ごめん。私さ、好きとかわからなくて」


 突然の告白に戸惑った私は、ほんの少しだけ、今の関係が壊れてしまうことに恐怖したのだけは、はっきりと覚えている。これを受け取った時、今のままではいられなくなる。そんな、恐怖心だけは覚えている。


 だから断った。断れば、この関係は続くと。私が彼の家に行って、言い争いながらも対戦ゲームに熱中する。そんな日常に。


 私は、彼との友情に


 だけど、私たちはどこかずれていたようで。私が友情だと思っていたものは、全部間違っていたようで。


 彼は、私の恋心に


「なんでだよッ!!!」


 だからこそ、彼は豹変した。


 私は、彼の心の奥底に秘められた本当の【言葉】を、その時初めて聞いた。


「よく俺んちに遊びに来てただろ! それって、好きってことなんじゃないのかよ!」

「え……あっ……」

「好きじゃなきゃ、絶対あんなことしないに決まってんだろ! 俺のことが好きだから、あんなことをしたんだろ!?」


 見たこともない彼の顔に、私は恐怖して、怯えて、逃げた。


 ここにはいたくない。いつもの日常を壊したくなくて言った言葉で、その日常が壊れてしまったようで。だからこそ、背後で放心する彼をおいて、私は逃げた。


 家に入って、部屋に飛び込んで、毛布にくるまって、私は外の世界から隔絶された。


 すべてが悪い夢だった。そう自分に言い聞かせて、眠りにつこうとした。


 その瞬間、家のチャイムが鳴る。お母さんが呼び鈴に出たとき、お母さんの声といっしょに彼の声が聞こえた。


 彼が、私の家に来たのだ。


 お母さんも、私の彼の関係を知っている。仲がいいことを知っているので、お母さんは簡単に家に上げてしまった。


 やめて、という私の心の声も届かず、彼は私の部屋へと現れる。


「ねぇ、岸良。岸良は、僕のこと好きなんだよね?」


 ふらりと、何かを失ってしまったかのように生気のない彼の目は、底のない穴をのぞき込んでいるかのような不安感を煽り立てる。

 私は、恐怖のままに強く毛布を掴んで、部屋の隅に逃げ込んだ。だけど、そこから先は逃げ場はない。


 迫ってくる彼に対して、私はただ怯えることしかできなかった。


「だから、あの時ああいったんだよな。私たちみたいだって。あのラブコメのワンシーンを切り取って、私たちみたいだって」


 断られたという事実を受け取れないのか、何かに必死にしがみつくように同じ言葉を繰り返す彼は、徐々に私に近づいてきた。





 ――――その時、私が「助けて」と叫ばなければ、どうなっていたかわからない。




 これは、既に過ぎた過去の記録。だからこそ、後は結果だけを伝えよう。


 私は、彼に友情をした。そして、今までの楽しい日常が戻ってくることにした。


 だけど彼は、私の恋心にした。これから、私と恋人になれることにした。


 この二人の日常は、期待という言葉で簡単に崩れ落ちてしまった。



 あの部屋で。私は助けてと叫び、駆けつけた母親の手によって、彼は撃退された。彼は、私の今までと共に、居なくなってしまった。


 だけど。彼との思い出は、私の根幹に根付いている。


 冬休みが明けてから、私は登校することが怖くなった。


 学校で過ごすことが怖くなった。


 下校することが怖くなった。


 それから三か月。私は、登校することすらできなくなった。


 男っぽい口調も直して、私は彼のことを忘れようとした。


 友人や先生の助けを借りて、三年生になってからは何とかなったけど。それでも、いまだそのは私の意識の端っこでちらちらと顔をのぞかせる。


 あの恐怖が、すぐそこに迫っていると錯覚してしまう。


 だからこそ、私は【剣】の言霊を発言させたんだと思う。私を守ってくれるような。そんな、純粋な力を求めたから。


 

 

 それから、私はワードマスターなんて称号をもらった。


 だけど、私にはふさわしくない。故意だったとしても、間違いなく一人の人間の未来を捻じ曲げてしまった私は、果たしてこの称号を受け取る資格があるのか。


 怖くて、怖くて、怖くて、怖くて。


 怖くてたまらないだけの私が、みんなの前に立つことができるような人間か?


 私が出した答えは、否だった。


 なぜなら、私の目の前に、私よりもふさわしい人がいる。


 優しくて、努力家で、真面目で、強い言霊を持った優秀な人物が。


「矢冨君。――――私から、ワードマスターの称号を奪ってほしいんだ」


 これは、私のわがまま。間違いなく、私は悪いことをしている。


 なにせ、私はあの時、失敗したことをもう一度しようとしているのだから。



 私は、彼のやさしさにのだから。


「……できるかはわからない。だけど、話だけは聞いていいか?」

「うん」

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