第12話★
目を覚まして最初に視界に捉えたのは、ただの天井だった。
今寝泊まりしているのは、宿屋だった。ここが私たちの生活の基盤になっている。牛族の店主は気前が良く、宿代さえ払えば此処にいつまでも居ていいとの話だった。第三区には集合住宅というものがあったけど、それに近い物だろう。
現に、ベッドとソファー、テーブル、クローゼット、簡易キッチンがあるこの部屋は、アパートの一室に近いそれだった。
身体を起こすと、ぎしりとベッドが軋む。
そうだ、ギルドの依頼をこなした後の記憶がない。疲れて眠ってしまったんだっけ。
嫌な夢を見た気がする、でも全然覚えていない。ヒト族を始末した後の夢見は、決まっていつも悪い。胃の中をひっくり返したような気味悪さ。忘れている何かを、引き摺り出そうとするように。
悪夢を見た後は誰かの存在が恋しくなる。隣のベッドには、今のご主人様が眠って
「……誰?」
いなかった。
見ず知らずのヒト族の男がベッドに座っていた。
高い鼻、瞼を縁取る色淡い睫毛。白金の細い髪。太陽色の瞳。顎の肉も腹の肉も消え失せた、細く長い手足。腹肉がはみ出していたご主人様の寝巻きは、緩々の布としてこの男の身体に纏われていた。
……あれ、このヒト族、何処かで見た気がする。
まだ夢を見ているんだろうか。
頭の理解が追いつかなくて、ただひたすらそのヒトを見つめることしか出来ない。
ぼろ、と、男の太陽色の瞳から涙が溢れた。
「やっと君に会えた」
静かな聞き覚えのある声は、確かにご主人様の声だった。
「……あえ、……でしゅ、か」
「牙も舌も隠さなくていい、君の誇るべき一部だ」
初めて言われた言葉に愕然とする。私が口を開く度に、悲鳴を上げる獣族の蔑みの目を、何度も見てきた。
「見せられたら、怖いでしょ」
「君がドラゴンの血を引くたる所以だ。オレはそのままの君でいて欲しい」
優しく微笑む男に眩暈がする。
妙な錯覚に襲われる。私はこの人を知っている気がする。それなのに何も思い出せない。
「時が来たら迎えに来る。待ってて。大丈夫。いつでもオレは側にいるよ。でも、いいかい。誰にも言ってはいけない」
「……」
「この罪獣の中で、ずっと時を見計らっていた。今混じり合っているけれど、いずれオレがオレになれた時は」
「何を、」
「神になろう。この世界の全てをやり直すんだ」
夢のような言葉を、無感情な声が淡々と紡ぐ。何一つ理解出来ないまま、男の様子が一変する。
底冷えするような鋭い眼球が、ぐらぐらと左右に揺れた。びくんと大きく身体が跳ねる。ぼこぼこと、身体の内側から沸騰するように皮膚が凹凸を繰り返した。
身体の一部が不規則に膨れ上がり、潰れ、前触れ無く急に腫れ上がる。
不気味な情景に吐き気を覚え、息を呑んだ。
程なくして、ようやく見慣れてきたご主人様の姿へと姿を変える。
「ご主人様……?」
「…………朝か、どうしたボタン……まだ寝てていい」
普段と変わらない豚族のふくよかな身体と、淡白な声が聞こえた。
今目を覚ましたかのように、垂れた耳をぱたりと揺らし大きな欠伸をする。
「ご主人様、さっきあぁ……あ゛……」
「どうした?」
慌てて先刻の彼の異変を言葉にしようとして、出来なかった。口を開けても、漏れる声は呻き声か吐息にしかならない。それどころか、段々と気道が締まるように息苦しくなっていく。
——……話せない。彼の異変を、彼に伝えられない。
ご主人様は、いつも通り、変わりなく、奴隷でもキメラでもない被契約者を見る目で私を見つめていた。
言わなきゃいけないのに、脳が勝手にセーブをかける。恐怖に思考が支配され始める
咄嗟に私は言葉をすり替えた。
「おあようごじゃいまう!」
「……ああ、おはよう」
すとんと、普段と変わらず声が出た。
ご主人様はゆったりとした喋り方で挨拶を返す。ここ数日で慣れ始めてる、いつものやり取りだ。
「今日の依頼は午後から片付ける。夜はローズと飲みに行くが、付いてきてくれるか」
「ひゃい……」
普段と変わらない朝が訪れた。
まるで私だけが、悪夢を見ただけに過ぎないように。
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