第10話★
己が弱き生き物のフリをした方が生きやすい事に気付いたのは、何年前だろうか。ホームレスに憐れみを覚えて寄付する連中は多かった。
我々ヤギ族は決して弱くない。ヒト族の畜産に頼らずとも、乾燥地帯での繁殖力は目覚しい。
樹皮や樹根さえ、我々の餌になる。だが魔法や戦闘において、どうにも争いを好む気質の者は少なかった。私もそうだ。面倒事は嫌いなのだ。
この廃村で若い頃は道具屋を営み、家庭も設けた。だが第一句が発展し客足は途絶えた。
だからといって然程生活の苦しさを感じることはなかったが、妻には先立たれ子は自立して行く。家族仲は悪くないが、結果的に私は独りになった。売れない道具屋を実家として残してあげたいと、私はこの地に留まり続けた。
それも束の間、国は、この村を廃すると国は言い出した。
だが、国が住居と新しい店の用意を確約しても、私はこの土地を離れる事が出来なかった。
気付けばホームレスと呼ばれる者たちの一員となっていた。
それでも私はこの地に留まれる事が嬉しかった。妻と子と、親しき友人を得られたこの村が大好きだ。
ネズミ族、タヌキ族の友人も、この土地に残る事を選んでくれた。植物は日に日に枯れ果て生活は苦しくなっていく。
老いと共に、仲間と死ねるならそれも悪くないと感じていた。ああ、しかし。
盛者必衰を痛感する。作物をお腹いっぱい食べたい、あの日に戻りたいと思ってしまうのは、自然の摂理だろう。
そんな私たちの前に三人のヒト族が現れたのは、ごく最近だった。
身の丈に合わぬ鎧を引き摺って、短い黒髪の小柄な男が我々に声を掛けてきたのだ。まだ若い青年だった。
「よおよお爺さん、この村って村として機能してんの?」
「……ここは廃村、地図から消えた村じゃ。君たちは野良人かね、それとも……入国審査を通った旅人には見えんな」
「野良人だよ。俺の所じゃあ物乞い、乞食、ゴロツキなんて呼び方する奴らも居るけどな」
「ワシらとて同じじゃが。獣族の国で野良人が目をつけられると、排除されてしまうぞ。悪い事は言わん、御国へ帰んなさい」
「ギャハハハハハ!やっぱヤギ族はつれねーな」
ヒト族とあまり関わりはなかったが、私たちは面倒事は嫌だった。彼らから敵意は感じない、穏便に済ますのが先決だ。
しかし私の忠告に、小柄な男は笑うだけだった。
小柄な男の後ろから、スキンヘッドの大柄な男が、一歩踏み出してきて肩を竦めた。継ぎ接ぎだらけのタンクトップと肩のアーマーは、恐らく相当使い古したものだ。私物だろうか。
「いやいや、国境に居てそれなりに生きてたんだぜ?俺らはアンタら獣族に、昔救われた事がある。だから獣族が好きでパーティ組んで仲良くしてたのによ。ヒト族の軍が国境に調査に入って、俺らは罪人として追われちまったんだ。帰る場所なんてもうねえの」
「それは……しかし」
「ちょーっと居させてよ。迷惑かけないからさぁ」
間延びした声がする。一番大柄な、横に広い男が更に一歩踏み出してきた。ぱつぱつの衣服と鎧の継ぎ接ぎは不恰好で、タプッとした腹が少し出ている。
隣でタヌキ族の友人が唾を飲む音が聞こえた。ヒト族は食用でもある、肉食にはご馳走だろう。
「俺トンっていうの。豚族に似てねぇ?こっちのよく笑うチビはビー、そこの厳ついハゲはスキン。まあ仲良くやろうやぁ、アンタらの邪魔しないからさ。少しだけ拠点にしてえのよぉ」
「よろしくな、爺さんよ」
「ゲヘヘヘ!よろしくな!トンのことは豚野郎って呼んでやってよ」
「俺いつも思うんだけど豚野郎って蔑称になんのかぁ?豚族良い奴多いよぉ、デブって言われるよりマシだぜぇ?」
「二年前組んでた豚族のあいつにそれ言ったらキレてたから、多分蔑称だろ」
「ギャハハハハハ!」
何だか愉快そうな連中が来たものだ。
私たちの年に比べれば、ずっと若い者たちだろう。ヒト族のことは詳しくないが、獣族に有効的な彼らを無碍にするつもりはない。
しかし、忠告は必要だと感じた。
「ヒト族が食われていることは周知の事実だろう、勿論衛生的でなければ売り場には出されんが。ワシらが君たちを食う可能性は考えんのか?」
「ギャハハハハハ!」
笑いどころではなかろうに。恐らくヒト族の中でも家畜に近い無学な男たちだ。
「そりゃあ死にたかねえけどよぉ、仲良くしてた獣族は俺らが不味そうって言ってたしなぁ」
「不味かろうとアンタらはワシらホームレスにゃあご馳走じゃよ」
「まぁまぁ、交渉させてくれ。俺らも考え無しじゃねえんだ」
「と言うと?」
そうでもないのだろうか。
片手を差し出した坊主の……スキンだったか、彼が嬉々として語り出した。
「畑の跡地あっただろ?あそこ、俺らに寄越せよ。もう使ってねえだろ。元に戻してやる」
「……なんと」
「土台を復興させて、基礎は教えてやる。畑は”俺らが去るまで”は俺らの物、その期間、お礼の作物の取り分は5:5でどうだ。一緒に食おうぜ、新鮮な野菜なんてしばらく食ってないだろ?」
「……おお、おお……」
「信じて良いのか……?」
ネズミ族の友人が私の肩に乗り、疑わしげな目をしていた。警戒心の強い彼のことだ。
その疑問は正しい。
「俺らが怪しいと感じたら、アンタらの魔法で殺せばいいだろ。顎の力だってそこのタヌキ族の老ぼれさんの方が上だろうぜ」
「老ぼれじゃないわい、食うぞ」
「ギャハハハハハ!そうそう、やべえと思ったら食えよ!」
「俺らはぁ、払えるもんが何もねーんだよぉ。アンタらに殺されるかぁ、自分らで生きられるように立ち回るかだぁ。武器もねえしなぁ」
すかすかの見窄らしい衣服の中に、刃物を隠せるようには見えなかった。
力量も、そして数が何より、私たち獣族の方が圧倒的に多い。
仮に裏切ったとして、私たちはこの土地に留まることを望んでいる。追い出そうとしているわけではない。
別に断る理由はないと、私たちの意見は一致した。
差し出された手を代表し、私は握る。
握手を交わしたヒト族の手は、仄かに温かい。皮膚は柔らかく、触れたことのない新しい感触がした。
まるで生まれたばかりの娘を抱いた時のような、弱々しく薄い繊細な皮膚だ。
私の爪を包むほど大きくても、彼らは弱きヒト族に違いなかった。
畑を元に戻してくれた彼らヒト族の肉を、食らう事なく埋葬し祈ったのは、まだずっと先の話だ。
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