7, 対価

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 カリカリ……シャッ……シャッ、とぷ……。カリ……。

 インクが擦れまた潤いを取り戻し、また擦れる。はぁ、と溜息を一つ溢したが室内は静まりかえっている。

 目の前の紙をぐしゃりと丸めた。本日、これで十枚程紙を無駄にしている。いくらこの湊地区の資源は無限に近しいものとはいえ、罪悪感は募る。

それでも無響室かのように音は響かない。

 椅子を回転させ、聳え立っている箪笥に目をやる。立ち上がらずに精一杯手を伸ばして書類を取ろうとした。横着してしまったため、写真立てを思い切り倒して落としてしまった。

カツン、と言う音とともにやるせなさが込み上げ、仕方なく立ち上がった。そして、それを元の定位置に直した。それでもまだ静寂は続く。

 はずだったが残念ながら五秒後にここの音は賑やかさを取り戻すだろう。

 さぁ、五。四。三。ニ。


 「オルティス! 適正確認ができたぞ!」


 誠に残念だ。一秒、あと一秒遅ければ予言通りであったのに。

 荒々しくドアを開けて突き刺すような音を発する彼女、Eveは豪快に笑う。


 「イヴさん。そろそろドアが軋み始めてくる頃なのであまり荒々しくしないでください。煩いですし」


「あ?! オルティス! お前ミルクティー無くなってんじゃん! 入れ直せよ!」


「ほんと私の話一切聞きませんよね、貴方って人は」


 ティーポットに入っていたミルクティーをとぽとぽ入れて私に渡してくる。正直言って助かりはするが今は必要ない。

 程なくしてゴツン、と鈍い音がする。それと同時に「ア痛ぁ……ッ!」と言う機械混じりの声がした。彼の顔…ディスプレーには漫画でよくあるバッテンの目と波打つ口が表示された。


「大丈夫ですか」


と問えば、ころりと表示が変わり


「 ^ - ^ 」


と返される。髪の隙間から見えるディスプレーは若干赤みを帯びている。……彼用に少し扉を改変した方が良さそうである。


 「今回はかなり時間がかかったな! 雪月イシャの体調が悪いのか?」


とEveが問うとこれまた表示を変えて


「( ◞ ‿ ◟ )」


と返す。その後「なんだか今回ハ、入りにくかったらしいんだヨネ。身体の替え時カナ?」と続けた。


 「まぁ、元気なら良いんじゃないですか、“仮面”さん」


 にこりと笑うと二人から笑みの返答をいただく。にやり、にまにま。不敵な笑みという表現が一番よく似合う。

 最高に素敵で思わずぞくりとする。頬が紅潮しているようだ。

 棚から新しくカップを取り出してミルクティーを注ぐ。お茶会とは行かないが少しばかりの休息を。


 「そういえば仮面! 百合が入ったのは知ってるか?」


 各々がカップの中身を飲み干したのを見計らってEveは沈黙を破った。休息とやらは無縁であるのか、あるいはこれもまた一種の休息なのかは彼女次第であるが。


 「あぁ、やっと入ったんだッタヨネ。待チくたびれたヨ」


「(╹◡╹)」と表示した彼は退屈そうにからになったカップを指でなぞる。


 「まぁ、遅かれ早かれ彼女は巻き込まれタはずだヨネ。というより、ずっと前から巻き込んでたんダッケ」


「そこは個人の判断じゃないですかね。主に臎さんや颯一さんのせいでしょうし」


「確かにな、あの問題児は人を巻き込むのがトクイだからな!」


「貴女も大概ですよ、イヴさん」


 むぅ、と頬を膨らますEveとは対照的にケラケラと仮面は笑っている。

その状況から一変、仮面の表情、目は表示されずにただ微笑んだ口だけが映る。


 「そうダ、エミリー。俺と雫は百合に会っても大丈夫なのカ?」


と問う。


 「好きにすれば良いじゃないですか。貴方達が


と答える。

 暫くして、再び(╹◡╹)と表示された彼のディスプレーから納得したと思われる。


 「おあー。仮面さーん。行きますよぉ。お仕事ですよぉ。置いていきますよぉ」


とどこかやる気のないのびのびとした声が響いた。チラリと扉に目をやるとダボダボの白衣の袖をぶらぶらと振りながらこちらを覗く雫がいた。どうやら彼女も適正確認を終えて来たようだ。

 言い終えて歩き始めた彼女の足取りは悪く、時々ガタリゴトリと壁にぶつかる音が振動する。彼女用にクッション材を壁につけるべきか、なんて馬鹿みたいな思考が交錯する。

 「すぐ行くから待ってヨネ」と言いながら仮面は雫に続いた。そして二人は廊下の奥に行ってしまったのかもう見えなくなった。

 Eveはこちらを見た。不気味とも呼べる視線。「なんですか」と問わずにはいられない。


 「オルティスも酷いもんだよな」


「何がですか」


「だって二人の身体は雪月が潰した研究所の実験でできたものなんだろ?」


「まぁそうですね」


「二人どころか四人に辛い思いをさせて、助ける為に壊したものを再度使わせるなんて酷いじゃん」


 二人の魂を他人に入れ替えるという術を生業としていた研究所の被験者を助けるために潰した正義の味方までも私は活用している。

 全ては目的のために。あの人のために。

 何を犠牲にしても。


 「まぁ、悪魔ですので。卑怯でも酷くても結構。褒め言葉ですよ」


そうやって、今日も私は嘘を吐く。

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