第7話 解体

 精神保健法、という法律ができて、九年が経っていた。建物も設備もこれ以上使い続けるには限界があったし、せっかく法律の中で活用できる制度の枠組みもできてきた。そんな時代の中でほのぼの荘のような施設はその役割を終えたと言っても過言ではない。だから、ここ一ヶ月の間、完全に閉鎖するのか、新しい制度にのっとった施設にリニューアルするのかで運営チームの議論は沸き返っていた。もちろん陸たちが決定権を持っている訳ではないが、経営会議から諮問されており、アイデアをまとめて上げることになっていたのである。

 意見は主に二つに割れていた。生活訓練施設という、地域生活の準備をするための通過施設にするか、グループホームとか福祉ホームという、期限を特に設けずに、支援を受けながら生活し続けることができる居住施設にするか、である。

 前者は人員配置も多くて、その分運営補助金も沢山出るので、より色んな活動ができるが、利用期限が二年と限定されており、いつまでも住むことはできない。後者は期限がないので、腰を落ち着けて生活することができるが、補助金は少なく、人員配置も少ない。実際ほのぼの荘に住んでいる人々の利用の仕方は、一時的な練習や準備に活用して出て行くパターンと、そこを住まいとして何年もいる、というパターンの両方がある。病院がいつまでも抱えているべきじゃない、という考え方と、期限を区切って生活を組み立てていくテンポを押し付けるのはおかしいという考え方があった。

 陸にはどちらが正しいのかよく分からなかった。でも、宮井のように、十年も経ってから、元気になる人だっている。どっちかに振り分けるということそのものに、どうも無理があるんじゃないか、と思っていた。そう発言すると、

「それはそうやけど、どっちかに決めないと建てられへんねんからしようがない」

 と諭されてしまう。

「ところで、建て替えるとして、工事中は、入居者はどうするんです。どこかにアパート用意したりするんですか。それとも一旦全員退居してもらうんですか」

 田中が極めて現実的な質問をした。

「建て替えはせえへん。別のところに新しく建てるって聞いてる。今のほのぼの荘の場所は病棟の拡張のために使うらしい」

 そう言えば、立地条件としてほのぼの荘は病院の敷地とつながっており、しかも堤防沿いの道路に面している。病院にとっては一等地というわけだ。

「川の向こうに喫茶店があるん知ってるやろ。あそこのママがもう店閉めて、遠方の息子さんの家に行くから、家ごと買い取ってほしい、と言うてきはったらしいで」

 陸は驚いた。ベルだ。宮井が彼女と出逢った、あの店だ。店そのものは小さかったが、確かママさんが住む住宅がくっついていて、隣に駐車場もあったから、結構広いだろう。それにしても、なんでこう、色々つながってくるんやろう。


 陸は翌日、ほのぼの荘に行った。なんだかいい匂いがしてる。入居者の中で最高齢の、花岡信子が、昼食を作っていた。

「あれ、陸ちゃん。昼間に来るて、珍しいな。お昼食べてきたんか。雑炊作ったさかい、ちょっと食べや」

 のぞき込むと、鍋の中には雑炊がくつくつ煮えている。

「これ、何の雑炊なんですか」

「なんも入ってないねん。ごはんと卵だけや。さっきデイケアの子が水菜摘んでくれやったさかい、それもちょっと入れたあるけどな」

 お腹は空いてなかったが、いい匂いなのでちょっとだけお相伴に与ることにした。

「なんや元気ないなあ。ほら、これ食べて、元気出しや」

 みそ汁の椀に盛られた雑炊から湯気が立ち上っている。陸は、ふうふうと息を吹きかけながら一口、食べてみる。うまい。

「すごいうまいやないですか。なんも入ってへんってホンマですか」

「ホンマやで。簡単や。だしと醤油で炊いただけやがな」

 そういうが、こんなのは食べた事が無い。

「前から思ってたけど、信子さんて料理うまいですよね」

 お世辞ではなく陸はつぶやくように言った。その雑炊の味に引き出されたように、陸は今日のミーティングの内容を話し始めた。結局、期限付きで社会復帰の訓練をしてもらう生活訓練施設にする、ということに話はまとまってしまったのだった。

「ふうん……」

 食べながら、信子はしんみりと言った。

「ほんだらウチらは出て行くとこ探さなあかんね」

 陸にとっては痛い所である。自然、宮井の話になった。

「宮井さんも十年住んでて、退居しはったんですもんね。でも、出た途端に病気になってしもて。なんか気の毒でしたね。僕、宮井さんの転居手伝ったときに、この仕事の醍醐味や、思ったんですけど、なんや独りよがりやったんかな、て自信なくしたんですよね」

「陸ちゃん、素直なエエ子やなあ。でもな、難しいことは分かれへんけど、先生は幸せやったと思うで。恋もして、仲間もできて、自分の家も確保できて」

「でも一ヶ月だけでしたよ。住んでたの」

「時間の長い短い、は関係ないんとちゃうんかな。一ヶ月でも自分で納得出来たらええし、十年でも納得できへんかったらそれだけのことやし。あの先生のことやから、幸せやったと思てはるんちゃうかな」

 一緒に雑炊をすすりながら、信子は噛んで含めるように、ゆっくりと話した。そういえば、宮井の最期の言葉は、ありがとう、だった。信子の話を聞きながら陸は、自分が勝手に宮井を気の毒だった、と断じてしまうのは違う気がしてきた。昨夜、自分の肩をつかまれたのは夢だったのか、それとも本当に宮井が来たかは分からない。けれども、少なくとも宮井にとって、このタイミングでの死が必ずしも心残りのある、無念なこととばかりは言えないかもしれない、と思うと、少し楽な気持ちになった。陸は少しだけ元気を取り戻して、宿直室に入り、ミーティングで先輩たちに約束した通り、宮井のシングルべッドを解体した。軽トラックに積んで病院の資材置き場にそれを置き、仕事に戻った。


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