第二章

 次の日から二人は独自のやり方で練習を始めるみたいで、放課後になったとたん、小篠君は僕にひとこと挨拶だけして早々に教室から出て行った。

 これから二人がどういうことをするのかそれは来週を楽しみに待つことにして、僕もやることがあるので教室を出る。

 さて、僕がこれから何をするのかと言うと……簡単に言えば二人の身辺調査だ。

 僕は彼らのことをあまり知らない。クラスメイトの小篠君のことはもとより、他のクラスにいる大海君のことは尚更わからない。

 二人の人柄がわからなければ二人にアドバイスもしてやれない。

 そして何より……彼らのことがわかれば、なぜ彼らが漫才をやりたいと考えたのかそれがわかるような気がする。

 漫才は熱を伝える競技だ。力強く「なんでやねん!」とツッコむのは自分の中の熱を見ている人たちに強く伝えたいからだ。

 では、その熱というのはどこから来るんだろう。僕が誰かとコンビを組むのであればそれはわかりやすいだろうが、他人の熱は実際に触れてみなければわからない。

 彼らに着火したそれはいったいなんなんだろう? それを求めて僕はグラウンドへ来ていた。

 相変わらずジリジリと肌を焦がす炎天下の中、目的の人物やその仲間たちは自主練をしていた。素振りやキャッチボール、柔軟体操をしている……と言えばわかるだろう、野球部の部員たちだ。

 小篠君は昔、野球をやっていたと話していた。となると、野球部の部員たちが小篠君のことを知っていてもおかしくはない。

 そう思ってやって来たのだけど……自主練を真面目にやっている彼らに話しかけるのははばかられた。

 部活が始まる前なら少し話をしても大丈夫かと思ったけど、そうか……野球部の人たちは自主練をするんだ。真面目にやっている中、わざわざ中断させちゃうと申し訳ないもんなぁ。

 仮に僕が彼らの立場だったとして、「小篠君のこと知ってる?」なんてのほほんと質問されたらさすがに不愉快に思うに違いない。

 怒られないうちに退散するかと思っていると、柔軟体操をしていた一人の部員がこちらにやって来る。


「氷室、何か用か?」


 身長が僕と同じぐらいで練習着の上からでもわかるぐらい発達した筋肉を持つ部員がにらみつけてくる。

 彼を見たことはある。同じクラスの佐野君だ。人となりは知らないけど、小篠君とは教室でよく話をしていた気がする。

 彼なら小篠君について知っているはずだが、今聞いて答えてくれるだろうか……。


「今はまだ自主練中だが、そろそろ練習始まるんだよ。用がねえなら邪魔だからどいてくれねえかな」

「あー、その、用事はあるんだよ佐野君。ちょっと聞きたいことがあって……」

「大会が来週に迫っていてみんなピリピリしている。先輩方は特にだ。だから聞きたいことがあるなら後にしてくれ」

「そ、そうなんだ……。いつ頃なら大丈夫そう?」

「部活終わりなら付き合ってやる。だからさっさとグラウンドから出て行ってくれ」

「りょ、了解……」


 佐野君の冷たい視線と、他の部員たちの奇異の目に耐えられなくなって、僕はグラウンドから逃げるように去ることにした。

 図書室で時間をつぶし、部活が終わったころを見計らって再びグラウンドへ。

 帰宅する学生たちに逆らうように歩いていくと、佐野君はスポーツバッグを椅子代わりにして座って待っていた。


「お、来たな。立ち話もなんだから場所変えるか? 簡単な話ならここで聞くが」

「うーん、どうかな……。聞きたいのが小篠君のことなんだけど……」

「小篠のこと?」

「そうなんだ」


 僕はこれまでのあらましを簡単に話した。

 すると彼は腰を上げてバッグを背負った。


「適当にここで話してどうにかなることではなさそうだな。場所を移すとしよう」


 僕たちは駅前まで移動し、放課後の学生たちで混雑しているファストフード店に入った。僕は適当にオレンジジュース、彼はポテトLとハンバーガー二つとウーロン茶を買って席に座る。


「…………まだ夕飯前じゃない?」

「おやつにもなんねえよ」


 ぽんぽんポテトを口に放り込み、ガツガツとハンバーガーを食らうその食いっぷりに感動すら覚えるけど、とりあえず話を進めたい。


「それで、小篠君のことだけど」

「ふぁふぃふぁふぃふぃふぁいんふぁ?」


 『何が聞きたいんだ?』って言っているんだよな、たぶん。食べ物を口の中に入れたまま喋んないでほしいんだけどなぁ。


「小篠君の趣味嗜好とか、家族構成とか……。そもそも、佐野君は小篠君とどういう関係なの?」

「ふぉっとふぁて(ちょっと待て)……んぐ。俺と小篠は同じ中学で部活も同じだった。去年までクラスは別だったけどな」

「前から知り合いなんだ」

「そうだ。あいつが野球やっていたって話は……まあ、知ってるよな。そうじゃないと野球部に尋ねに来たりはしない」

「この間教えてもらった。意外に思ったけど……」

「ま、あんな見た目だしな。でも、いい選手だったんだぜ? 派手なプレイはないけど、打撃も守備も堅実で理想的なセカンドだったな。

 高校でもてっきり野球をやるもんだと思っていたけど、やらなくなっちまったのが残念だ」

「なんでやらなくなっちゃったんだろう」

「さあな、そこまではさすがに知らないし、聞けない。高校に入ってから何度か誘ったがフられてばかりだから、それなりの理由はあるんだろう」

「なるほど……」


 のほほんとした人だけど、結構辛い過去とか抱えているのかもしれない。そのあたりに触れるときは要注意だな。

 とりあえず野球のことはあちらから話してこない限り無理にする必要はないだろう、他の話を聞いてみよう。


「それなりに付き合いが長いってことは、小篠君が普段何をしているかとか、わかる?」

「普段は一般高校生のそれとそんなに変わらないと思うぞ」

「………………」


 一般高校生の普段の過ごし方ってどんなだ? 家に帰ってすぐ映画や漫才を見て、時間が来たら家事をする僕の過ごし方とは違うんだろうな……。

 一般高校生の過ごし方なんて聞いたらなんか笑われそうだから、僕は聞こうと思う気持ちをぐっと抑えた。だから、一番聞きたかったことをさっさと聞くことにする。


「じゃあこれが本題なんだけど、小篠君が漫才をやり始める理由とか、きっかけとなった出来事とか、そういうのに心当たりはある?」


 すると、佐野君は飲んでいたウーロン茶をテーブルに置いて顔をしかめる。


「漫才か……。少なくともそういうのを好んでいるという話は聞いたことがない。漫才を見て腹抱えて笑うよりケーキバイキングで腹を満たしたい、そう考える奴だ」

「ケーキバイキング?」

「小篠はスイーツの類に目がないんだ。

 そうだな、漫才についてはたぶん大海の方が言い出したんじゃないか? いろんなものに手を出す奴だし」


 そうか、小篠君と同じ中学ということは大海君とも同じか。もしかすると同じクラスだったときもあるかもしれない。当たり障りのない範囲で大海君のことも聞いておこう。


「いろんなものに手を出すって?」

「今でもいろんな部活に助っ人に行ってるだろ。うちの野球部は幸いそれなりに強いから来ねえけど、よく目移りして首を突っ込んで和を乱す。そういう奴さ」

「………………」


 小篠君について話すときより幾分か厳しい言い方だ。目つきも少し鋭くなっている……ように見える。うーん、もしかすると小篠君とは仲が良くても大海君とは良くないのかもしれない。

 昔なにかあったのかな? とするとこれについてもあまり触れない方がいいかなぁ。

 そんなことを僕が悩んでいると、佐野君は肩をすくめて言う。


「まあ、なんだって漫才を始めようと思ったのかなんて俺にも想像はつかないがな。黙って漫才なんて見る奴じゃねえしアイツ。

 本人には聞いてないのか?」

「聞きたいけど、僕を疎んでいるみたいでね」

「うん? そうなのか? アイツがさして交友のない人間をわざわざ疎むとは思えないが……。

 とにかく、一回聞いてみてもいいんじゃないか。最初に聞いたときはたまたま機嫌が悪かったのかもしれないし」

「…………考えておくよ」


 こうして佐野君へのインタビューは終わった。

 次の日もまた僕は身辺調査に精を出していた。

 佐野君のほかに小篠君と親しくしているクラスメイトや、大海君のクラスメイト、もしくは大海君が助っ人として参加したクラブの部員など、とりあえず思いつく人たちには接触してみた。

 たいていの人からは鬱陶しがられたり、それとなく調査を断られたりしたけれど、親切な一部の人たちは僕の質問に耳を傾けてくれた。

 情報を提供してくれた彼らには、僕がこういうのを聞きまわっていることを他言しないようにお願いして別れた。

 彼らと接触したことで思わぬ情報が得られた。

 曰く、小篠君は小学生の時から野球をやっているだとか、大海君はクラスメイト数人とグループでよく遊びに行っているだとか、空気を読まない発言で笑いを取っているだとか……。

 しかし、そんな情報をくれた彼らでも、小篠君あるいは大海君が突然漫才を始めたその理由を知らないみたいだった。

 そんなことをしている間に六日経って今日はもう一学期の終業式だ。明日には二人が練習の成果を見せに来る。

 それなのに本当に得たいものは得られていないのが現状だ。

 放課後、南棟の一階と二階をつなぐ階段に僕は腰をかけていた。南棟とは、美術室や家庭科室、視聴覚室、コンピューター室などの特別教室が集合している建物だ。

 そのため放課後や休みの日は特別教室に関連した部活動をする学生たちでにわかににぎわうのだけど、僕の今いる階段は南棟の最奥だからか人はほとんど来ず、静謐な雰囲気を保っている。昼休みには僕はたいていこの階段に座って昼食を食べるのだが、それは今どうでもいい話か。

 そんな静かな聖域で僕は溜息を吐いてしまった。

 わからないのだ、二人のモチベーションが。

 二人が漫才を始めようと思ったのには何か大きなきっかけがあるに違いない。そうでなければ、一週間好きに練習させろなんて自分から言い出したりはしないだろう。

 悪いとは思ったけど、ちょっと様子をうかがったこともある。僕が目にした二人の練習風景は真剣そのものだった。

 しかし、その真剣さの割に漫才について調べた様子がなかったり、知らなかったりと杜撰さも目立つ。この矛盾が僕に溜息を吐かせる。

 …………真剣にやっていないなら、文句の一つでも言ってさっさとこの件から手を引くつもりだったが、二人に航海を続ける気がある以上、船を降りるなんてのはナシだ。どこかに乗り付けるか座礁するまでは。

 それにしても、二人はどんなものを僕に見せてくるのだろう。

 彼らは準備をして練習の成果を披露するであろうが、僕は調査にかまけて何も準備できていない、というのも悩みの種であった。せめて言われていた花形はどっちか、くらいは考えていた方がいいよなぁ。

 そんな風に考えていると、コツコツという音が聖域に響く。続いて小鳥のさえずりのような、あるいは川のせせらぎのような、愛してやまない声が僕の耳朶を打った。


「お、いたいた~!」


 振り向くとギターケースとバッグを背負った天宮さんが踊り場に立っていた。

 窓から差し込む陽光を背景にした彼女が天から遣わされたもののように見えて、僕は思わず目を細めてしまう。


「あ、ごめんまぶしいよね」


 彼女はそう言ったかと思うと、一段ずつ階段を降りてきて僕の隣に座る。…………心臓が強く跳ねたことが自分でもわかった。

 今日はこの間みたいな粗相をしないようにしないと……。

 それにしても、彼女はどうしてここに来たんだろう? こんな静かで誰も来ない場所、一人になりたいんじゃなきゃ好んで来るような場所じゃないはずだ。

 それを聞こうにも口の中が乾いて、なかなか声が出せない。たぶん、無理やり出したら真夏だというのに震えきった声しか出ないだろう。

 僕の苦悩をよそに天宮さんは言う。


「すっごく静かだね……。夏休みでもいろんな人が学校に来ているのに、ここだけ人がいなくなってしまったみたい」

「…………もしかすると、一億年前はこんなに静かだったかもしれない。そのころにヒトなんていないんだから」


 と言ってから僕は失言に気が付いた。なんだよ、一億年前って。彼女はそんなことを言いたいわけじゃないだろ。もっとかっこいいことを言おう、何かそういうフォローを……。


「ぷっ、あはは! 何それ、どういうこと?」


 何か気の利いたことを言いたかった僕の耳入ってきたのは、意外にも鈴を鳴らしたかのような天宮さんの笑い声だった。


「何って、生物の授業でもやったでしょ。人類が生まれたのは新生代で、それは七〇〇〇万年前ぐらいだって。

 地球の長い歴史から見たら、人類なんて約五十分の一しか地球に存在していないし、さらに文明を生み出して支配し始めたのはもっと短くて……。

 ええと、つまり、そんな短い文明でしかないのに、音楽の多様性というのは素晴らしいものだと……」


 後半は自分でも何を言っているのかきちんと理解していたわけではなく、ただ頭の中に浮かぶワードを次々と口から出していただけだった。

 それでも、天宮さんは笑いながらしっかりと聞いてくれて、そしてうなずいた。


「は~、すごいねぇ。そんなこと、考えたこともなかったよ。私、あんまり成績良くないからさ」

「そ、そうなの?」

「うん。この間のテストだってなんとか補習しなくてすんだーって感じ。お母さんにも怒られちゃって……」

「あーそれは辛かったね……」


 口ではそう言うものの、実際にはよくわかっていない。両親に怒られたことなんてないからな……。

 だから、わざとらしく言っていないか心配だったけど、彼女は特に気にしてないみたいだ。


「これより成績が下がるようだったら、動画配信をやめろって言われて、まーちょっとナーバスなのです」

「それは困るな」


 これは本心。


「ギター取り上げられたらやだなー。少なくとも文化祭で演奏するまではなんとか説得しないと……」

「文化祭でも演奏するんだ!?」

「あ、うん。体育館でね」


 しまった、興奮してつい大きな声を出してしまった。驚きからか天宮さんの大きな目が丸くなっている。

 それにしても、体育館で演奏かー。生で彼女の曲を聴く機会なんてそうそうない……どころか初めてだ。芸術科目の選択で音楽取っていればこんなことにならなかったんだけど、音楽取っている人たちがうらやましいなぁ。


「それは楽しみだね」

「うん。氷室くんも聞きに来てくれる?」

「もちろんだとも」


 この機会を逃したら一生後悔するだろう。文化祭までに事故で鼓膜が破れたりなんかしたら人生に悲観して身投げするかもしれない。

 とはいえ、席を確保するのは大変だな……。最前列なんて戦争になるだろう。仮に取れても強引に奪われかねない。今から奪われないよう体を鍛えて間に合うだろうか……。最悪、席を取った人を買収するか……?


「とにかく、楽しみだよ」

「ありがと。この学校で演奏する最後の機会だから、頑張って練習するよ」

「うん。…………うん?」


 今、変なこと言わなかったか? 最後とかなんとか……。


「え、今なんて?」

「え? えっと、この学校で演奏する……」

「それはわかる」

「最後の機会」

「それだ。最後とは……」

「うん、最後なの。私、転校するんだよ。九月の中旬に文化祭があるでしょ? それが終わって十月の頭に」

「………………」


 突然のことに言葉を失う、なんて表現は使い古されているとは思うけど、まさか本当にそんな表現を使う時が来るとは思わなかった。

 え、なんで? という疑問や、転校しないでほしいとか、このまま時間が止まってほしいとか、いろんな気持ちがグルグルと胸の中でうずまいて、僕はもはやどうすることもできず彼女の顔を見ているしかなかった。

 きっと僕は間抜けな面をしていただろうに彼女はにっこり微笑む。


「だからね、本気でやりきりたいの。今出せるすべてをぶつけたい。この学校にいたことを誇りたいから」

「………………」

「あ、でもでも、転校しても動画配信は続けるからね。そこは安心して」

「あー、うん……」


 それはうれしいけど、今は素直に喜べない。たとえ配信をやめても君が近くにいてくれればそっちの方がずっといいに決まっている。でも、第三者の僕が何を言ってもどうしようもないからな……。

 だから、僕の口から出てくるのはあいまいな返事だけだった。


「………………」

「………………」


 参ったな、話題が出てこない。天宮さんも黙り込んでしまった。

 一方で、彼女と二人きりのこの空間が少し居心地がいいと感じる自分もいる。このまま時間が止まってしまえばいいのにな……。

 しかし、時間を進めることを天宮さんは選んだようだ。


「それにしても、南棟の奥ってこんなに静かだったんだね。

 氷室くんを見かけたときは、どこに用事があるんだろうと思ったけど、まさかこんなところがあったなんて」

「…………僕を見かけた?」

「うん。今日も視聴覚室で練習させてもらっていたんだけど、ちょうど休憩しようと思って外に出たときに奥の方へ歩いて行く氷室くんを見かけたの。どこ行くのかな、って気になって後つけちゃった」


 てへ、といたずらがバレたかのように笑う天宮さん。…………僕の瞳がファインダーだったらいいのにな。

 尾行なんてどこぞの馬の骨とも知らぬ人間なら嫌悪するが、天宮さんにされるならなんら問題ない。むしろそのおかげでこうして二人で話ができる機会をもらえたのだ、感謝こそすれ批判することはない。

 だから、気にしないでいいよと僕が伝えると、天宮さんはまた笑みを浮かべる。


「にひひ、優しいね。なら、もうちょっとわがまま言っちゃおうかな」

「…………お手柔らかにね」

「質問に答えてくれればいいよ。

 夏休みに入ったっていうのにまっすぐ家に帰らずどーしてこんなところにいるのかな? 考え事でもあるの?」

「ま、そんなところ」

「なるほど。じゃ、その考え事について……あ、まだ言わないで! 当ててみるから!」


 それは別に構わないけど、当てられるかな……。僕が小篠君や大海君に力を貸していることを彼女は知らないはずだ。

 うむむ、とうなりながらこめかみに指をあてて考える天宮さん。


「わかった、好きな人のことについてでしょ!」

「………………」

「うんうん、やっぱりそうだよね。健全な男子高校生の悩みってそうなっちゃうよね」


 その意見はあながち間違っていない。大抵の男子高校生なんて、部活かセックスかしか頭にない…………と思う。


「いいよねー恋愛って。誰かを好きになっているときの高揚感とか切なさとか、すごくエモいよねー。

 私の曲で人気なのはやっぱり恋愛ソングだから、みんな求めているんだよね、切なくも美しい恋愛ってのを」


 実際は見当違いな答えなわけだけど……駄目だな、完全に自分の世界に入ってしまっている。悩みを話すつもりはないから勘違いしてもらえているならそっちの方が都合はいいかな。


「で、好きな人は誰なの? うまくいきそう?」

「………………」


 そう言われて、僕は黙り込んだ。

 南棟の奥の階段には彼女と僕しかいない。誰も来やしないし、人に見られる心配はない。ここで愛の告白したところで、その秘密は僕の失恋歴と彼女の青春の端っこに残るだけだ。

 今日たまたま出会って彼女から何も聞かれなかったなら、僕はこの胸の高鳴りに従い彼女に思いの丈をぶつけていただろう。

 しかし、そんな思春期の暴走を抑えてくれていたのは彼女の先ほどの告白だった。彼女が間もなくこの学校からいなくなるというのなら、僕のことを好きでいてくれたかもしれない可能性を信じたいと思ったのだ。

 だから、僕は胸の高鳴りを知らないふりして苦笑する。


「言えないよ。恥ずかしくて」

「えー、いーじゃん。私しかいないんだから」

「僕の秘密をよその学校に持って行ってもらっては困るよ」

「それもそっかー」


 そう言って彼女は笑い声を響かせる。その笑顔がとてもまぶしい。…………僕がここで告白しようものなら、きっと彼女は困ってその顔を曇らせるだろう。

 人気者である彼女にはいつまでも笑顔でいてほしい。僕がその笑顔を曇らせていい理由はないのだ。


「じゃあさじゃあさ、どんな人が好きなの? そのままズバリは言えなくてもそれは言えるでしょ?」


 やたらぐいぐいとくる。やはり、女子はこういう恋バナが好きなのかな? それともさっき恋愛ソングが人気って言っていたから、僕の話を取材したいということなのだろうか。

 まあいいや。そのぐらいなら話しても良いだろう。


「明るい人がいいかな。あまり落ち着いている人だと、気を使わないといけないし」

「ふむふむ」

「あとは何かに一生懸命打ち込んでいる人や、真面目な人かな……」


 見るからに軽薄な人は信用できない。逆にまっすぐ真剣な人というのはそれだけでかっこいいんだ。

 それに比べて…………僕は、こんなところで何をしているんだろうな。


「…………? どうしたの?」

「あ、いや、なんでもないんだ」


 自嘲が顔に出ていたらしい。慌てて手を振ってごまかした。


「とにかく、そういう人がいい。男女問わずね」

「そっか……。やっぱり、そうなんだね」


 …………? やっぱりとは?

 それを聞こうとした途端、彼女は立ち上がる。


「話聞かせてくれてありがとね。私、文化祭に向けて頑張るから、氷室くんも頑張って!」

「……あ、ああ、うん」


 やけに唐突な感じだけど、僕との会話の中で何かインスピレーションを得られたのだろうか? それなら僕はとてもうれしい。


「じゃ、練習に戻るね。またね」


 そう言ってから階段を駆け上がっていく彼女の短いスカートがふわりと揺れる。…………水色の素敵な布が見られてとてもうれしい。

 さて、天宮さんは頑張っている。この学校での最後の思い出を最高のものにしてみせると、そういう気持ちで。それはとても尊いことで、称賛されるべきことだ。

 では、小篠君と大海君の二人はどうなのだろうか。それは、明日わかる。

 僕が天宮さんの歌を好きになったのは、歌うきっかけが美しかったからではなく、どこまでもまっすぐ歌に向き合っていたからだ。

 それと同じように、二人が漫才に向き合っているなら、僕もそれに真剣に応えたい。

 僕は今日、天宮さんにその気持ちを気付かされた。

 そして次の日、僕たちは視聴覚室に集まっていた。

 あれから一週間、今日が約束の日だ。


「久々って感じでもないねぇ」

「一週間だからね……。練習はちゃんとできたみたいだけど、出来の方はどうだい?」


 聞くところによると僕が見せた漫才を参考に、大海君が主導で練習していたそうだけど、それが形になったのだろうか。

 僕の言葉を受けて大海君はぶっきらぼうに言う。


「お前の目で確かめてみろよ」

「それもそうだ。じゃあ、見せてもらっていい?」


 二人はうなずいて視聴覚室のスクリーンの前に立つ。

 部屋は普通の教室程度の広さだが、観客は僕しかいないし、それも近くに座っているのでマイクは置いていない。


「………………」

「………………」

「………………」


 空気が張り詰めていくのわかる。彼らはおそらくは練習の成果を人に見せるのは初めてだろう。

 そして僕の方もド素人の漫才をしっかり見るのは初めてだ。

 初めて尽くしの緊張感を切り裂くかのように、二人の良く通る声が視聴覚室に響く。


「どうも、雅です」

「竜吾です」

「「よろしくお願いします」」


 特に言うことのないフツーのあいさつだ。だけど、奇をてらう必要はないのでこれでいい。


「僕さ、身長低いじゃない?」

「低いな。どのくらいだったっけ?」

「100cm―――」

「んなわけねえだろ、小人族か」


 大海君が小篠君のボケに食い気味に突っ込む。

 小篠君はすぐに言う。


「じゃあ120cm……」

「さっき100cmだったのにシークレットブーツ履いたみてえになってるじゃねえか!」


 大海君のツッコミで叩かれた頭がパァンと乾いた音を響かせる。

 ありゃ痛そうだな……。小篠君も叩かれたところ押さえているし。


「そんなっ、高田先生みたいなことしないよ~!」

「言うな! はぁ……先生気にしてんだから!」


 空調が効いた部屋なのに、二人とも目に見えて汗をかいている。大海君なんて大声で常に叫ぶから、時折変なタイミングで息を吸っている感じだ。


「僕、身長伸ばしたいんだけど、何かいい方法ない?」

「よく寝てよく食べることだろ。お前大食いだけど昨日はどのくらい食べたんだ?」

「190憶カロリー―――」

「トリニティ実験かお前! トリニティ実験ってお前、アレ、アレだぞアメリカ発の核実験で起きた爆発と同じ量食ってんぞ」

「えっと、超高校級じゃん」

「超高校級じゃんじゃねーよ馬鹿! ゼー……ゼー……睡眠の方はどうなんだ?」

「毎日一時間だね!」

「死ぬぞ! お前今ギリギリだったりしない!? 今すぐ帰って休め!」

「えー、じゃあ帰らせてもらいます」

「「ありがとうございました」」


 …………劇的な失敗も、割れんばかりの拍手もなく、二人の初めての漫才は終わった。

 でも、最後までやりきったことに間違いはない。それは称賛されるべきことだと思う。だから、僕は二人に惜しみない拍手を送ることにした。

 大海君は頬をポリポリとかいていて、小篠君は照れたように笑っている。

 ひとしきり拍手をした後、僕が手で近くの椅子を指し示すと二人は素直に座った。

 大海君の顔を見ると、やはり幾分か緊張している様子だ。きっと僕の顔も似たようなものだろう。小篠君は……困ったように笑っている。

 さて、どう話を切り出すか……。空調が効いているというのに汗が出そうだ。

 話す内容は決まっている。だけど、問題は言い方だよな。

 僕の言い方次第で二人の今後のモチベーションが決まると思うと、迂闊なことは言えない。少し考えて、話を切り出す。


「とりあえず、感想としては……」

「………………」

「………………」


 真剣な表情で聞いている二人。


「…………想像していたよりは、ずいぶんとまともだった。

 ネタそのものは自虐ネタに近いからちょっと微妙に感じるところもあるけど、初回だからそれはまあいい」


 僕は二人の顔を見ることができず、視線を床に落とす。


「だけど、面白くはない。ネタが面白くないことは問題じゃない。二人のやり取りが下手なんだ」


 漫才は二人以上の人物の掛け合いで成り立つ話芸だ。

 音楽で言えばセッション、踊りで言えば社交ダンス。それらはお互いの波長や調子に合わせて自分の持ち味を活かすから心地よくなる。片方がジャズをやっているのに、相方がハードロックをやっていてはセッションにならない。それぞれがやりたいことをただやっているだけだ。

 僕は二人の漫才からそんな雰囲気を感じた。正確には、大海君がやりたいことをただやっていて、小篠君がそれに置いてけぼりになっている状態。


「例えば最初のくだりで小篠君がボケるけど、食い気味にツッコんだでしょ。それだとボケが最後まで聞けないし、ボケで笑う暇もなくツッコミを聞くことになる。それだとツッコミでも笑えなくなっちゃう」


 最初のボケ……つまりつかみで笑えないとその後どれだけ面白いことを言っていてもなかなか笑いづらい。つかみで笑わせるのは走り幅跳びの助走ぐらい重要なことだけど、ツッコミが被ってボケ殺しみたいになってしまっていた。


「早いツッコミに対して小篠君はすぐに次の言葉を言ったように見えたけど合ってる?」

「うん」

「それは驚いたから?」

「うーん、そうかも。次の言葉をすぐに言わなきゃってなっちゃって」

「なるほど。テンポが練習と違うことがわかったんだ」

「うん」


 つかみに失敗してテンポがガタガタになってしまったから、慌ててそれをカバーしようとして余計テンポが悪くなってしまう……そんな話は結構耳にする。まんまと二人はそれにハマってしまったわけだ。


「テンポが変わってガタガタになるのは二人がまだ慣れていないからでいいんだけど、掛け合いが下手に見えるのは理由がある」

「………………」

「………………」

「僕の印象だけど、大海君が一生懸命やっているのに、小篠君はそれに嫌々……というほどじゃないけど、なんだかやらされている感じがある。それがたぶん下手に見える原因。

 やらされている感じが出ちゃうと、ちょっと見ている側としてはしんどくなるかな……」


 漫才で生計を立てている漫才師……つまりプロでもネタを作っている方のやりたいことに相方が付き合わされているように見える時がある。

 プロにだってそういうことがあるのだから、二人が未熟でどうしようもないと言いたいわけではない。ただ、技量が未熟な分、二人とも志を同じにして楽しそうにやってほしいとは思う。そう見えれば多少下手でも目をつぶれる。

 そういう話をしたかったのだが、その前に大海君がガタッと音を立てて立ち上がる。顔は怒りで歪んでおり、拳が握りしめられているのがわかる。

 僕は反射的に後ずさりしようとするも、彼に一気に詰め寄られ胸倉をつかまれてしまった。


「てめえに俺と雅の何がわかるんだよ!」


 一瞬で場がピリッとする。彼のゴツゴツとした大きい手につかまれたシャツは今にもちぎれんばかりだ。ボタンもなんとか弾けとばないように踏みとどまっている状態。次の僕の言葉次第ではボタンがあえなく飛んでいってしまうことは確実だった。

 なんて悠長なこと言っているけど、僕本人に危害が加えられる可能性もじゅうぶんにあるんだよな……。

 痛いのは嫌だ。だけど、ここでそれを避けるためにお為ごかしの意見を言うのはもっと嫌だ。痛い目遭うのを覚悟して、言ってやる!


「二人がどういう関係だとか、どういう思いだとか、僕にわかるわけがないだろ!

 だけど、それでもわかるぐらいガタガタだったって言っているんだ!」

「んだとぉ……!」

「人にキレる前に自分を顧みろ! そうでないなら僕がいくらアドバイスしても意味がない!」

「…………るせぇ!」


 大海君が拳を握るのが見えた。僕は歯を食いしばって衝撃に耐えようとしたが……。


「それは駄目だよ!」


 小篠君の声が聞こえたと思ったら、僕は強い衝撃に体勢を崩し、背中から床に倒れてしまった。幸い頭をぶつけずに済んだけど、背中が痛い。そっちへの備えはしてないよ!

 しかし、なぜこうなっているのか状況が分からず混乱していると扉が開かれ、そして閉じる音が聞こえた。

 えっと、何がどうなって……。


「氷室くん大丈夫!?」

「え? あーうん、背中は痛いけどそれ以外は特に……」


 小篠君の手を借りて上体を起こす。背中が痛いといったけど、お尻も少し痛い。痔になってやしないか心配だが、今はそれどころじゃないな。


「えっと、何がどうなって?」

「竜吾に突きとばされたんだよ。殴ろうとしていたから止めようとしたんだけど……」


 最初は殴られそうだったけど、小篠君の声で思いとどまって突きとばすだけにとどめたってことか。…………いや、そこまで思いとどまれるなら突きとばさないでくれると嬉しかったんだけど。

 で、その大海君は?


「怒ったまま出ていっちゃった……」

「…………なるほど」

「ごめんね、色々と……」


 申し訳なさそうに頭を下げる小篠君。もともと小柄だけど今は普段よりも小さく見えた。彼に謝られると、なんだかこっちが悪いことした気持ちになるな……。


「いや、僕ももっと言葉を選んだほうが良かったかな……。まさかあんなに怒るとは思わなかった」

「あれだけはっきりと人から批判されることなんてなかったからね……」

「…………そうなの?」


 そんなことあるか? 十六年近く生きていれば一回や二回は人から怒られたり、叱られたり、あるいは非難されることなんてあるはずだけど。


「氷室くんの周りにもいなかった? 初めてやったことでも高水準な結果を出せる天才肌な人」


 あーいたいた。小学生の時、学業も運動も芸術でも才能を発揮して、しかも顔すらいいクラスメイトがいたな。学業だけでも何とか勝てないものか、と頑張ったけど結局勝てなかったんだよなぁ。

 神に愛されたのか、時代に選ばれたのか、それはわからないけど、確かにそういう人は世の中にいる。

 この場でこの話をしたということは、つまり小篠君の言いたいことは……。


「大海君もそういう人だって?」

「なんでもってわけじゃないけどね。体を動かすことについては間違いなく天才って言えるよ。野球・サッカー、陸上・水泳に至るまで竜吾はなんだってできた」

「それはスポーツに限ってでしょ」

「うん。勉強はてんでダメ。そっちは頑張る分野じゃないって割り切っているからいくら人から言われても平気だけどね。

 スポーツはなんでもできたから、人から批判されることはなかった……と言うと本当はちょっと違うんだけど、とにかく実力で黙らせてきたんだよ」


 実力でね……。個人競技ならともかく、チームスポーツなら仲間から反発があってもおかしくはないんじゃないか?

 そう思って尋ねると、小篠君は溜息をつく。


「そうだったけどね……。下手な奴の戯言だと思っていたみたいだよ。そう思うだけの実力もあったけどね」


 中学では小篠君は野球部だったというけど、大海君もそうだったのかな。でも佐野君はそうとは言ってなかったな。

 まあそれはいいや。とにかく、大海君はスポーツでは敵なしで、そこで多大な成功体験を積んできたということがここでは大事だ。


「漫才とスポーツとは近しい点がないとは言わないけど、基本は別物なんだけどな……」

「…………竜吾も別物だとは思っていたみたいだよ。練習中、かなり悩んでいたし、僕に相談することもあったから」


 別物と認識していたのに漫才をやろうと思ったのか。学業は頑張る分野じゃないとしてやらないのに?

 なら、それはおかしいじゃないか。小篠君の言葉を借りれば漫才だって大海君が頑張る分野じゃなくないか? となると、頑張る分野じゃないけど、なんらかの理由で漫才をやる必要に迫られているのだろうか。

 って、そんなこと考えている場合じゃないか。大海君を連れ戻さないと。

 僕が立ち上がると、小篠君は首を横に振る。


「今、氷室くんが行っても火に油を注ぐだけだよ。ますます怒って手が付けられなくなる」

「じゃあどうするって?」

「僕が行ってなだめるよ。いつも通りね」


 なだめるって、子供を相手にしているんじゃないんだから。


「なだめてどうするんだ。なだめたところで彼は反省しないんじゃないのか?」

「…………たぶんね。運が悪かったとか、氷室くんに見る目がないとか、そう思うんじゃないかな」

「だったら! 小篠君が行っちゃ駄目だ。それではいつまでたっても上手くなんてならないよ!」


 僕が出した大声に、小篠君は少しビクッとする。

 …………僕自身、ここまで熱くなっていることに少し驚いた。昨日まで、どころか二人の練習の成果を見るまでは、冷静に見てどうしようもなかったらこれ以上協力するのはよそうと考えていたのに。

 思っていたよりずっとまともに、真面目に練習したのがわかって、僕も大海君に入れ込むようになったのだろうか。

 もっともらしい理由をつけるならそういうことになるのだろうけど、僕の胸の奥から湧き出てくるこの想いは天宮さんに対する気持ちともまた違った熱のあるものだった。


「彼がどうして漫才を始めようと思ったのかは知らないけど、少なくともうまくなり方がわからないにも関わらず真面目に練習していたとわかった。

 だから、大海君は何が悪かったのか反省できればもっとできるようになるはずなんだ。つまり、その……なんというか……」


 しまったな、彼に期待する気持ちはどんどん湧き上がってくるのに、うまい言葉が見つからない。

 言葉って不自由だ。言葉にしがたいことを表現するために芸術が生まれたんだけど、これでは言葉にできることすら伝わらない……。

 すると小篠君が苦笑する。


「何を言いたいかはちょっとわかりづらいけど、氷室くんが竜吾を認めてくれたことはわかるよ。竜吾の成長のために甘やかしちゃいけないってそういうわけだね?」

「そ、そう! それが言いたかった! …………それだけじゃないけど」


 ああっ、もっと伝えたいことはあるんだけど、一番言いたいことはわかってもらえたからいいかな……?


「じゃあ竜吾のところに行ってくるよ。なだめるんじゃなくて、説得をしに」

「いや、それは僕が……」

「なら一緒に行こうよ。氷室くんだけじゃ話を聞きやしないと思うから」


 小篠君はそう言って、出来の悪い子に愛をもって接する教師のように笑った。




 大海君を迎えに行くと言っても、どこに行ったかまではさすがにわからない。だから、大海君が行きそうなところを探して校内を歩く。ナビは小篠君の勘だ。

 南棟から離れ中央棟へ。廊下は空調がきいていないので、すぐに汗が出てくる。

 移動中は少し暇なので、僕は小篠君に質問をすることにした。


「小篠君は、僕に批判されても怒ったり、落ち込んだりしないの?」

「うーん、怒りはないかなぁ。だってうまくいかないのは当然なわけだから。落ち込む気持ちも……ないわけじゃないけど、それよりはしっかりと批判してくれたことがありがたいと思うよ」


 人間ができているなぁ。同い年とは思えないぐらい、とてもしっかりしている。僕が同じ立場だったら……すごく落ち込んでしまいそうだ。

 感心していると、小篠君が言う。


「ただ、一つわからないこともあるんだ」

「ん? 何?」

「テンポがガタガタになっちゃったのはやっている最中でもわかったんだ。もっと間を持たせたいのにすぐに次の言葉を言っちゃったり、変なところで呼吸しちゃったりしてね。セリフを一瞬忘れるなんてこともあった。

 それが課題なのはわかるんだけど、僕が竜吾に漫才をやらされている感じになっているって言うのがよくわからないんだ。

 確かに竜吾が主体で練習していたし、大まかな話の流れも竜吾が考えたけど、僕だって嫌だとは思ってなかったよ?」

「そうだね……やらされているというと少し言い過ぎかもしれない。

 だけど、波長が合ってないとは断言できる。大海君の情熱・やる気と小篠君のそれがつり合ってないとでも言えばいいのかな……。

 大海君のやりたいことが先行していて、そこに小篠君がノれてないとも言えるし……」


 理想の形としては、ネタを作っていない方が漫才中にのびのびと楽しそうにしていることだ。しかも、観客からそちら側がネタを作っていると錯覚するぐらいだと最高の関係と言える。

 小篠君は自信なさげにしている。


「となると、僕と竜吾が見ているところが違うってことなのかなぁ」

「そうとも言えるね。二人三脚で走るときだって、片方がゴールを、もう片方が足元見ていたらうまく走れないでしょ?」

「そっかぁ。そうかもねぇ」


 うんうんと彼がうなずく。何か心当たりでもあるんだろうか。聞いてみよう。


「何か思い当たる節でもある?」

「うん。僕は竜吾に付き合っているだけだから、明確に目的がある竜吾とは当然熱量に違いはあるなって」

「大海君にはどういう目的があるの?」

「それは……本人に聞いた方がいいかな」


 小篠君は視線を前方にやる。

 …………野ざらしになっている西棟へつながる渡り廊下。それの落下防止用の柵に大海君は体重を預けて外を見ていた。

 屋内ですら暑いから、直射日光があたる渡り廊下は余計暑いだろう。しかし、小篠君は躊躇せず足を踏み出した。…………野球部にいた人はこのぐらいなら平気なのだろうか?


「竜吾、探したよ」


 それを聞いて大海君は顔をこちらへ向ける。僕と一瞬目があったが、すぐに小篠君の方へ視線を変えた。


「嘘つけ。実はそんなに探してないだろ」

「まあね。どこに行ったかぐらいは予想つくし。

 それより、突き飛ばしたことを氷室くんに謝ろうよ」

「………………」


 今度は僕の方を一切見ない。大海君はそのまま青い空を見上げる。


「氷室くんは、僕たちに足りないことを客観的に教えてくれているんだよ。ズブの素人の僕たちに教えたって何の見返りもないのに。

 仮に怒るんだったら、氷室くんにぶつけるんじゃなくて竜吾の気持ちについていけてない僕にじゃない?」

「それは違えよ」

「何が違うって?」

「…………お前は、よくやってくれてるよ。それこそ見返りなんてないのによ。俺のわがままにいつも付き合ってくれる。感謝こそすれ、怒る道理がねえ」

「………………」

「俺だってわかってんだ。うまくいってなかったことぐらいは。だけど、それを知った顔で長々と説教されるのは気に食わねえ」


 大海君は僕の方を見てはいなかったが、敵意を向けていることだけは感じられた。


「やってもねえのに、ただ見ているだけなのに、偉そうなヤジを飛ばす観客と変わらないたかだか漫才に詳しいだけのいちファンボーイに請う教えなんざねえよ」


 冷たく吐き捨てられた言葉がそのまま僕に突き刺さる。批判が悲しいからではなく、どこか僕も同じことを考えていたからだった。

 所詮僕は漫才オタクでしかない。人よりちょっとだけ詳しいだけ。それは間違いなく事実で、

 そういう人間が偉そうな口をきいていたら怒るのも当然と言える。

 だけど、僕だってそれをわかったうえで、二人が漫才をやりたいと言うから協力をしていたんだ。たかだかオタクだったとしても何か手伝えることがあれば惜しまず協力しようと、小篠君の言葉を借りれば見返りもないのにやってきたんだ。

 それなのに、その言い草はないだろ!


「そんな偉そうな口きくのは満足に人を笑わせられるようになってからにしろ!」


 激情に任せて怒鳴ってからは断片的にしか覚えていない。

 小篠君が目を丸くしていたこと、大海君につかみかかったこと、そして誰かの叫ぶ声。気が付けば、僕は目の前に広がる青空を見上げていた。

 …………どうしてこうなったんだっけ?

 体の感覚から仰向けになっていることだけはわかる。そこから体を起こそうとするけど、なんだか頭が重い気がする……。

 ゆっくり、極力頭を揺らさないように起こすと、小篠君の嬉しそうな声が聞こえる。


「あれ、目が覚めた? 良かったぁ……」

「何が……どうして……?」

「先生、氷室くんが目を覚ましました!」


 小篠君が声をかけた先には、白衣をまとった……養護教諭がいた。見たことはあるけど名前は忘れた。

 彼は氷嚢――たぶん僕の処置に使っていたやつ――を拾い、うなずく。


「そのようだな。どうだ、氷室君。頭が痛むかね?」

「えっ? あー……ちょっと痛いかも……」

「吐き気やめまいはする?」

「全然」

「なら軽い脳震盪だろう。念のため早めに病院に行きなさい。お大事にな」


 そう言ってさっさと去って行ってしまった。

 …………脳震盪? つまり頭を打ったのか?

 まったく何があったか思い出せずにいた僕に、小篠君は心配そうに言う。


「竜吾と口論になったのは覚えてる? そこで氷室くんが竜吾につかみかかったんだけど、そしたら勢い余ってそのまま柵に頭ぶつけちゃったんだよ」


 小篠君の説明によると、つかみかかった際に勢いが強すぎて大海君のシャツのボタンが弾け、それでバランスを崩した僕が落下防止用の柵に頭をぶつけてそのまま気絶したと、そういう情けない状況だったらしい。

 殴り合いの喧嘩になった末に気絶したとかならまだ箔も付きそうなものだけど、自滅じゃあホントにかっこ悪いな……。


「で、すぐに保険の先生呼んできて応急処置してもらったってわけ」

「えーっと、僕はどのくらい気絶していたの?」

「うーん、だいたい十五分くらいかなぁ」


 スマートフォンを取り出して時間を見せてくれる。…………気絶したときの時間がわからないから、見せられてもなぁ。

 ともあれ事情はわかった。して、その渦中にいた大海君はいずこに?

 きょろきょろとしていると、小篠君は言う。


「帰っちゃった。僕が先生呼びに行っている間はいてくれたけどね」

「そっか……」


 つまり、僕と彼の間で話に決着がついていない状態というわけだ。

 もっとも、いつ目覚めるとも知らない相手を待ち続ける殊勝さが彼にあるとは思えないので、ある程度は納得できることだけど……(あと外れたボタンを直したいだろうし)。

 こうして、僕は大海君と建設的な話ができず、また彼の漫才をやる目的を教えてもらえず、小篠君に付き添ってもらって病院に行くしかなかったのだった。

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