第一章

「では、うちのクラスは二十分から三十分程度のショートムービーを制作します。次に内容ですが―――」


 夏休みを目前とした七月中旬、期末テストが終わってハッピーな雰囲気の教室でホームルームが行われていた。

 議題は夏休み明けに開催される文化祭の出し物をどうするかで、多数決の末ショートムービーを撮ることになったらしい。

 ちなみに僕が案を出した大喜利チャレンジはわずか三票だけだった。悲しい。

 ムービーを撮るということが決まって、いろんな案が出る。恋愛もの・アクション・ホラー・サスペンスなどなど……。

 そのうち目新しい案は出なくなり、ただ好き嫌いを言い合うだけの無駄な時間が流れる。


「氷室くん、何か意見ない?」


 困り果てましたという顔の委員長。そんな顔をされたら、意見を出すしかないじゃないか。


「そうだなぁ……コントとかいいんじゃない。例えば『取調室』という設定で、そこでひと悶着起きるとかさ」

「コント……あのお笑いの?」

「そう」


 コントって言ったらコメディ以外あるのか?

 そんな僕の疑問など知る由もなく、委員長は黒板にコントと書いた。


「他、意見ある人ー?」

「はいはーい!」

「はい、天宮さん。何かある?」

「私はね、学校の紹介とかいいと思うんだー」

「悪くないね。候補にいれておきましょう。他には……はい、志村くん」


 よしよし、これで議論は進展するだろう。もしかすると、今日中にやることが決まるかもしれない。このまま決まらずクラス内が険悪な空気になったら遺恨ができそうで嫌だもんな。

 結局、うちのクラスでは学校の良いところを紹介するプロモーションビデオを作成することになった。


「進路希望調査書を提出していない者は夏休みに入る前には提出するように」


 ホームルームの終わりに担任が真面目な顔をして言う。そう言えば僕もまだ提出してなかったな。早く書かないと。

 ホームルームが終わって緩み切った空気の教室では、部活のために素早く教室を出て行く組とテストの点数がどうだ、どこに遊びに行こうかだの駄弁っている組に分かれる。


「テスト終わったし、どこか遊びにいかねー?」

「お、いいな、ゲーセン行こうぜゲーセン」


 確かにテスト終わりだ、僕も誰かと遊びに行ってもいいかもしれない、と思いつつ帰り支度をする。


「あ、氷室くんちょっといいかな」


 バッグを持ってさあ誰を誘おうかなと考える僕を引き留めたのは、高二男子とは思えない小柄な体躯だった。


「なんの用?」


 僕が彼――クラスメイトの小篠君をいぶかし気に見ると彼は柔和な笑みのまま言う。


「手伝ってほしいことがあるんだ」

「何を?」

「僕、文化祭でクラスとはまた別に発表をするんだけど、それを手伝ってほしい……というか助言をもらいたいんだ。もし今日、時間があれば詳しい話をしたいんだけど……」


 僕は壁にかかっている時計を見る。…………今は午後二時。夕食の買い出しに行くのには早すぎるな。

 買い出しまでは暇だし、重要ではなさそうだけど、何か困っているみたいだからまず話だけでも聞いてあげるか。

 時間があることを伝えると、彼はいつも緩んでいそうな表情筋をより緩める。


「ありがとう。じゃあ、ついてきてくれる?」

「場所を変えるんだ」

「うん。一緒に発表をする友達が待ってるんだ」


 ここで話をしないということは別のクラスの友達が関わっているというわけか。

 ともかく、僕はポニーテールを揺らして歩く彼の後ろ姿についていく。

 小篠君……下の名前は聞き覚えのない独特な感じだったと思う。同じクラスの男子で、部活はやってなかったはず。小柄な体躯と中性的な……いや、どちらかと言えば男性ホルモンが足りていない顔立ち、そして髪型がポニーテールなので、最初は女子に間違えたものだけど、もちろん今はそんなことはない。

 下の名前、なんだったっけな……と思っていると、廊下でクラスメイトに話しかけられる。


「よう、雅。これからどこか遊びに行かねえか?」

「ごめん、用事あるんだ」

「そっか。氷室、お前は?」

「僕は小篠君の付き添い」

「そっか。じゃあまた誘うわ」


 そうそう、話しかけられて思い出した。小篠君の下の名前は雅(みやび)って言うんだった。この字に「人」を合わせて「雅人」という名前はよく聞くけど、単体で「みやび」というのはあまり聞かないな、なんて初めて聞いたときに思ったんだ。

 僕が彼について知っていることは本当にこのくらいで、何が好きなのかとか、家族が何人なのかとか、そういうことはわからない。

 所詮、その程度の間柄な僕に何を手伝ってほしいというのか。

 学生たちが談笑する廊下を歩き、階段を降りて昇降口へ。外に出ると梅雨明けの空とジリジリと肌を焦がすような太陽が出迎えてくれた。

 梅雨はジメジメしていて嫌なものだけど、明けたら明けたで日射に根こそぎから気力を奪われる……そんな感じがする。


「ていうか、外に出るのか……」

「ごめんね。まだちょっと歩くんだ」


 僕がうだるような暑さに辟易としている中、小篠君は平然と日向の道を歩き始める。

 話聞くだけなのにこの辛さ、安請け合いするべきじゃなかったかな……。

 額に汗を浮かべながらついていくと、たどり着いたのは学校近くの公園だった。

 まだ午後二時を回った時間ということもあってか、遊んでいる子供たちはいない。当然大人も。

 しかし、その公園にたった一人、砂場で仁王立ちしている者がいた。

 身長は180cmを超えているだろう。もしかすると190以上あるかもしれない。体格はプロレスラーとか柔道の選手とかに近く、とにかくがっしりとしている。彼がうちの学校の制服を着ていなかったら、そういった選手に間違えていたに違いない。

 小篠君はその男に近づいていく。どうやら、彼が小篠君の言う友達らしい。


「お待たせ竜吾。炎天下なんだから日陰にいてもいいのに」

「日陰にいたらだらけちまうからな。で、そいつはいったい誰だよ」

「ああ、うん。クラスメイトの氷室透夜くん。クラスは違うけど体育は合同なんだから知ってるでしょ?」

「あー……わかんねえ。体育で一緒だからって全員は覚えられねえよ」


 それはごもっともだけど、僕は彼を知っている。

 大海竜吾。その恵まれた体格で体育の時間に大活躍していたことはよく覚えている。それだというのになぜか特定の部活には所属せず、もっぱら助っ人をしているらしい。

 遠目で見たときは誰かわからなかったが、近くに来てから思い出した。

 それにしても、身長が低く愛らしい小篠君と身長も体格も恵まれた大海君が並ぶと、どこか滑稽で面白いコンビに見えるな。

 続けて小篠君は僕に言う。


「で、このでっかいゴリラみたいなのが大海竜吾。僕とは小学校からの付き合いなんだ」

「それは知らなかったけど、大海君のことは知っていた」

「まー、こんだけ大きく目立つから誰だって覚えてるか」

「大きいとかでかいとかはそうだが、ちっちゃいし女顔だからお前も大概目立っていると思うぞ」

「むー、酷い。好き好んでこんな見た目をしているわけじゃないよ」

「お前が俺に言っていることもまあ酷かったからな?」

「えーと、ちょっといい?」


 丁々発止のやり取りを妨げるのは申し訳ない気がするけど、ここに連れてこられたわけを僕は聞きたかった。


「文化祭の発表の手伝いをしてほしいんだったよね。そろそろその話を聞かせてほしいんだけど」

「あ、そうだよね。話を聞かないと手伝おうにも手伝えないよね」

「そうそう。手伝うかどうかも決められないし。それとも他にもメンバーがいて、彼ら待ちとか?」


 すると小篠君はポニーテールを左右に揺らして否定する。


「いや、メンバーは僕と竜吾だけだよ」

「あ、そうなの? じゃあ僕に何を手伝ってほしいって? そもそも何を発表するつもりなの?」

「うん、肝心のそれなんだけどね……。僕たちに、漫才を教えてくれない?」

 …………漫才を教えてほしいって、そう聞こえたな?

「えっと、それはどういう……」

「文化祭のステージでいろんな人が発表することになってるでしょ? そこで僕たちで漫才を披露しようと思ってるんだ」


 小篠君の言う通り、文化祭では演劇部や軽音部といった部活、そして有志がステージで発表することになっている。この二人は有志発表として漫才を披露しようと、そう考えているわけだ。

 それは別にいい。彼らがやりたいからやるんだろう、それをとがめるつもりはない。だけど、わからないのはなぜ僕に漫才の手ほどきを依頼するのかということだ。

 僕は……まあ人よりは漫才について詳しいと思う。少なくとも僕の交友関係で、わざわざ劇場に出向いてまで漫才を見に行く人はいない。漫才師のライブDVDが世の中にあると知っている人すらいないんじゃないかな? 昔、漫才が好きだって言ったら「漫才ってなんだ?」という顔をした人もいたぐらいだし。

 僕は積極的にそういう話はしないから、小篠君が僕に手ほどきを依頼する理由がわからない。


「二人が漫才をするってことはわかったけど、僕に教えてもらいたいってどういうこと?」


 腹芸をしていてもしょうがない、率直に思ったことを質問すると小篠は言う。


「氷室くん、今日のホームルームで大喜利やコントをやりたいって話をしていたでしょ? だからお笑いとか好きなのかなって」

「まあ……好きは好きだけどさ。それだけ?」

「それだけって言うけど、知識がぜんぜんない僕たちに比べれば天と地ほどの差があるよ」

「じゃあなんで漫才やろうなんて思ったんだ……」

「あ、それはね―――」


 すると、それまで黙っていた大海がずずいと小篠の前に出てきて、僕に立ちはだかる。


「そんなことどうだっていいだろ。それより、協力するつもりがないんなら別にそれでもいいぜ」

「二人が困っているなら協力するのもやぶさかではないと思っているけど、そうでもない様子で?」

「雅がアドバイスくれそうな人見つけたって言って、勝手にお前をここに連れてきたんだ。俺は最初から二人だけでやるつもりだ」


 なんか二人の間で意見が食い違っているみたいだけど大丈夫だろうか。本人が自分たちだけでやると言うならそれでいいんだけど、不安は不安だなぁ。

 一応、もう一つ聞いてみる。


「最初からって、ネタを作るところから全部?」


 ネタとは漫才のシナリオ・筋書であり肝と言えるものだ。多少演者が下手でも完成度が高いネタさえあればある程度は見られる漫才ができる。それだけに漫才師は日々ネタを作りこみ、ああもでないこうでもないと試行錯誤を繰り返す。ダイヤモンドかどうかもわからない石を光ると強く信じて磨き続ける、途方もない努力と根気が必要なのだ。

 プロですら苦労するそれを、はたして彼らが作れるのだろうか。

 僕のそんな疑念は、耳を疑うような大海君の言葉で吹っ飛んで行った。


「ネタって話す内容のことだろ? 適当に考えて話せばそれでよくね?」

「漫才をなんだと思っているの?」

「人を話で笑わせればいいんだろ。普段クラスでもやってんぜ」

「…………君がクラスでいくら笑いを取っていようが、それは漫才じゃないよ。ただ面白おかしい話をすればいいってもんじゃないんだ」


 呆れた。漫才をフリートークと同じだと思っているのか。どういった経緯で漫才をやろうと思ったのかは知らないけど、そんな認識なら改めてほしい。

 そんな気持ちが態度に出ていたのだろう、小篠君が大海君の背中からひょこっと苦笑いした顔を出して言う。


「ごめんね、竜吾はなんでもかんでも我流でやろうとするから……。でも僕もあまりよくわからないんだ。どういう感じなの?」

「どういう感じって……。

 『この間ファミレスで変な店員がいてさ』

 『どんなの?』

 『俺が注文をした後に、その店員が注文の方塗り替えますって言ったんだよ』

 『注文を繰り返します、だろ! なんて聞き間違いだよ』

 ―――みたいなやり取りを作っていくんだよ」


 とっさに考えたからクオリティの方はだいぶ低いが、簡単に説明したいだけだからこれでいいだろう。


「やり取りを作るってことは演劇やドラマの台本みたいにちゃんと作らないと駄目なんだね」

「よほど才能のある人じゃない限り普通は作りこむよ」


 演劇やドラマと言うからには彼はそれらに詳しいんだろうか。帰宅部だと思っていたけど、実は演劇部なのかな?


「僕は帰宅部だよ。中学までは野球やっていたけどね」


 意外だ……。かわいらしい見た目をしているから、そういうのとは無縁だと思っていた。

 僕がそう思ってまじまじと見ていることに気が付いていないのか、小篠君はのんきに頬を緩ませる。


「やっぱり詳しい人に聞くのが一番だね。まだまだ知らないことたくさんあるから、教えてほしいんだ」


 教えることは別に構わない。放課後は暇をしていることが多いから、時間の余裕はある。問題としては彼らに漫才について教えられるかどうかだけど、まったく知らないみたいだから、僕程度の知識量でもなんとかなりそう。

 何より、漫才に興味を持っているみたいなのに、ここで見捨ててしまうのはあまりにも嫌すぎる。僕が助力することで漫才を好きになってもらえれば、それほど嬉しいことはない。

 だから、僕は首を縦に振った。


「僕でよければできる限りのことは手伝ってもいいよ」

「ホントに? ありがたいなぁ」


 こうして僕と小篠君は乗り気になっているのに、大海君はしかめ面のままだ。


「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。お前の力は借りるつもりはないってさっきから言ってんだろ」

「それなら、小篠君の力にはなるけど君に力は貸さない。そうすれば問題ないはずだ」

「だ~か~ら~! 勝手に力になるとかならないとか決めるんじゃねえ!」

「君とそういう話にはなってないんだから、そっちが口出しすることじゃないだろ!」

「まあまあ、二人とも落ち着いて」


 言い合ってヒートアップする僕たちの間に、小篠君が割り込む。


「竜吾、他の人に邪魔されたくないのはわかるけど、僕たちだけで漫才を作るのには限界があるよ。知識があって、客観的に見てくれる人がいないと。野球にだって監督やコーチがいるでしょ?」

「そりゃいるけどよ……。でもこいつは俺たちと変わらない年だぜ」

「能力のあるなしは必ずしも年齢と比例するとは限らないよ。竜吾だって先輩方押しのけてレギュラー勝ち取っていたじゃない。この件では氷室くんが上で、僕たちは下だと思うよ」

「ううむ……」


 すごい。荒海の竜のように怒っていた大海君がたちまちおとなしくなった。見た目では完全に大海君の方が主導っぽいのに、本来の力関係は逆なのだろうか。

 感心していると、小篠君は僕の方を向く。


「そういうわけで、僕たちに力を貸してもらえる?」

「さっき言った通り、困っているみたいだから助けるのは構わないけど……」


 チラリと大海君を見る。なんかアドバイスしても話聞いてくれなさそうだよな、彼。


「ま、僕もちょっとかじっているだけの素人だから、あんま期待しないで」

「ん、教えてくれるだけ嬉しいよ。

 それで、まずはどうしようか?」

「そうだなぁ、教えるにしたって準備が必要だから明日からじゃダメかな?」

「僕はいいよ。竜吾は?」


 聞かれた大海君はそっぽを向いて「……勝手にしろ」とつぶやいた。

 かくして、僕は小篠君と大海君という、それまで同級生という関係でしかなかった二人に漫才を指導することになった。

 人様に何か教えるなんてほとんど経験ないし、ましてや自分も実際にやったことのない漫才のことだけど、やるからには最後までやり遂げたいと帰り道に僕は思ったのだった。




 期末テストが終わった後のカリキュラムは、テスト返却とロングホームルームしかない。

 漫才を教えると決めた次の日に返却されたテストは現代文と数学Ⅱ。休み時間に戻ってきたテストを丁寧にファイルに入れてしまっていると、小篠君がやってきた。


「何点だった~?」

「テスト?」

「そうそう」


 そうそうって……。昨日までろくに会話したこともなかったクラスメイトのテストの点数をよく簡単に聞けるな……。僕だったら遠慮しちゃって聞けないや。

 とはいえ、嫌な気分ではない。冷やかしや馬鹿にしに来ているというわけではなさそうだし、

 僕としても恥ずかしい点を取ったとは思っていない。


「現代文が92点、数Ⅱが89点」

「お、高い」

「まあね。そっちは?」

「どっちも70点台。なんとか平均点超えたな~って感じ」


 少し恥ずかしそうに「えへへ」と笑う小篠君。その可愛らしい仕草は天然でやっているのか、わざとなのか。多分前者。

 さて、オープニングトークはこんなものでいいだろう。


「で、どうしたの。まさか、本当にテストの点数を聞きにきただけじゃないよね?」

「え?」


 小篠君はきょとんとした顔をする。

 え、マジでテストの点数だけ聞きに来たの?

 しかし、彼は少し考えた後にポンと手を叩く。


「あ、そうだ、思い出した。今日も公園で竜吾と待ち合わせする予定だって話をしに来たんだ。それで大丈夫?」

「そういう話か。いや、ちょっと見せたいものがあるから視聴覚室に行こう。借りる許可はもうもらっているんだ」

「映像か何か見るんだね」

「そういうこと」


 たかがいちファンでしかない僕がなんだかんだと講義しても絶対に頭に入らない。そこで今日は僕の好きな漫才師の単独ライブの映像を家から持ってきた。これを見てもらい、小篠君と大海君の二人には漫才とはなんぞやというのを知ってほしいのだ。


「百聞は一見に如かず、ってわけだね。どんな映像を見るかはわからないけど」

「楽しみにしておいて」

「わかった」

「ところでさ、聞きたいことがあるんだけど―――」


 僕が一つ質問をしようとすると、クラスの男子が小篠君を呼ぶ。体育の時間、よく小篠君と組んでいるから、たぶん友人なんだろう。

 小篠君はその男子と僕の顔を見比べて申し訳なさそうに苦笑する。


「ごめん、呼ばれちゃった。急ぎ?」

「いや、そうでもないよ」

「うん、じゃあまた後で質問して」


 そう言って小篠君はクラスメイトの元へ歩いて行った。

 まあ彼には彼の付き合いがあるからな。僕よりも付き合いの長い友人を優先するのは当然だろう。今聞けずとも聞く機会はいくらでもある。なぜ彼らが突然漫才を始めようと思ったのか、そのことは。

 しかし、そうは言っても昨日大海君にうやむやにされてからずっと頭の中でその疑問が残ってしまっている。

 普通、何かを始めようとするにはきっかけがあるはず。例えば野球を始めるのは野球中継で選手が活躍するのを見てあこがれたから……というのはイメージしやすいだろう。

 漫才だって著名な漫才師の経歴を調べれば似た事例はいくらだって見つかる。面白い漫才を見たから自分も始めようと思ったという、そういう話は。

 一方で、友人に誘われたから始めたという理由もある。漫才師で言うなら、コンビの片方がお笑い好きで、その人から誘われて業界に入ったという人も珍しくはない。

 しかし、小篠君と大海君はそのどちらとも違う感じがしている。

 二人とも漫才に詳しい様子が一切ないことから、『友人に誘われた』パターンは考え難い。僕の知らない第三者がいるとすれば話は別だが。

 また、面白い漫才を見たからというのも信じがたい。少なくとも大海君の昨日の態度は漫才を見たことのある人のソレではない。一度しっかりとしたものを見れば、ただ話せばいいというものではないことはわかるはずだ。

 ともあれ、二人の漫才を始めるきっかけが一般的とは少し考え難い。一般的ではないということは、ますます漫才をやりたいと思う理由がわからないということなのだけど……。

 休み時間が終わっても、ロングホームルームで喧々諤々の議論が交わされていても、僕はそのことを考えずにはいられなかった。

 ずっと考えていたから、まるで早送りしたかのように放課後はやってきた。

 僕が視聴覚室に行くために席を立つと、ポニーテールをピョコピョコ揺らして小篠君がついてきた。リスやハムスター的な小動物みたいだなぁ。

 小動物……じゃなかった、小篠君が楽しそうに言う


「普段用事のない特別教室に入るのってなんかわくわくするねぇ」

「そうかもね」


 普段入らない教室と言えば芸術科目で使われる教室だろうか。うちの学校では美術・書道・音楽から選ぶことになっているけど、だいたいは選んだ科目の教室にしか用事がない。

 僕はこの間わけあって音楽室に行ったけど、なんだか不思議な気持ちだった。入ってはいけない所に入った背徳感? 普通は入れないところに入れた優越感? あるいは別の何か。言葉にはしづらいけど、確かに小篠君の言うようなわくわくした感じはあったかもしれない。

 そんなことを考えていると、視聴覚室の前までやってきていた。しかし、そこに大海君の姿はない。


「まだ来てないか……。ホームルーム終わったらすぐ来るように言ってあるよね?」

「え? 氷室くんが連絡したんじゃないの?」

「ん? 僕は大海君の連絡先知らないから話しようがないよ」

 このかみ合っていない感じ、まさか……。

「もしかして、大海君に視聴覚室に来るように話してはいない?」

「…………うん、氷室くんが言っていると思ったから。ごめん」


 小篠君は頭を下げる。なんだかすごく申し訳ない気持ちになってくる。


「いや、こちらこそ……ちゃんとお願いするべきだった。改めて、連絡を取ってくれない?」

「うん」


 頭を上げた彼はスマートフォンを取り出して電話をかける。…………しかし、出ないみたいだ。


「メッセージ送ってみるね」


 それでも連絡はこないみたいで、十数分後、スマートフォンをしまう。


「こうなるとたぶんすぐには返事が返ってこないから、公園行って呼んでくるね」

「そうなのか……。なら、お願いしたい」

「うん。先に入って準備してて」

「了解」


 小篠君は見た目にたがわない素早さで走って行った。元野球部は伊達じゃないなぁ。

 さて、先に入って準備するにしてもそんなに時間はかからない。どうしても待ち時間はできてしまう。

 言わなくても連絡してくれるだろうと甘えてしまったのが間違いだった、言って確認するべきことはちゃんと言わないとな。

 反省しつつ視聴覚室の扉に手をかける。


『~~~~』


 む、なんだ……? わずかに開かれた扉の隙間から、美しい音が漏れてくる。

 今日の放課後は僕が使うことになっているはずなのに、それは確かに視聴覚室の中から聞こえてくるのだ。

 おそるおそる中に入っていくと、その音が女性の声とギターの旋律で構成されていくことがわかってきた。

 聞き覚えがあった。そして、その音を奏でている主のことも、僕は知っている。

 視界に入ってきたものは、その認識と完全に一致している人物―――。


「天宮さん」


 ふわりとつややかで短めの髪を揺らしてこちらを向くその娘は、僕のクラスメイトで……僕が一方的に想っている相手。

 天宮佳音さんは、僕が片思いしている娘なのだ。

 彼女は僕を見ると、ちょっと驚いたように目を丸くし、しかしすぐにニコッと笑いエレキギターを鳴らす手を止めた。


「や、氷室くん。元気にやってる?」

「あ……ああ、うん。元気」

「その割に声に元気がないぞー? 若いんだからもっと声出してけーっ!」


 ギュィィィン、と視聴覚室内に鳴り響くギター。そして、そのギターに負けないぐらいのシャウト。力強く、しかし決して下品ではない。思わず聞き入ってしまう気品に溢れている。

 ずっと聞いていたいけど、そうも言ってられないんだよな……。

 口惜しい気持ちをグッと腹の底に抑え込んで、気持ち声を大きめにして話し始める。


「ところで、さ。ここで何をしているの? いつも一緒にいる友達は……」

「友達? あー、カナちゃんやユウリちゃんのこと? それとも、ナオちゃん、サキちゃんかな?」

「…………いや、名前は知らないけど」


 女子の名前なんて知らない。他のクラスならなおさら。

 教室で彼女とよくお喋りしているあの子がカナちゃんかな? それともサキちゃん?


「その、彼女らとは今日は一緒じゃないんだ」

「うん。新曲を明日までにアップロードするって視聴者と約束しちゃったから集中したいんだ」

「ああ、この前の配信で言っていた曲?」

「そうそう。…………え、もしかして氷室くん私の配信見てくれてるの!?」


 今の時期のヒマワリのように、大輪の笑顔を見せる天宮さん。

 天宮さんは女子高生なのだが、動画投稿者として自身のチャンネルで自作の曲や歌を公開し人気を博している。先日登録者数が何万人いったとかで盾をもらっていたのを覚えているが、そのぐらい人気だ。

 そんな彼女は楽曲のアップロードのほかに毎週金曜日の夜に生配信を行っており、配信とはそのことだ。

 毎週金曜日、それを欠かさず僕は見ているわけだが……まあそれは置いておこう。


「ま、まあ、たまにね。友達に勧められてさ、クラスメイトが著名な配信者ってのは珍しいものだから、せっかくだから―――」

「うわ~嬉しい~。じゃあさじゃあさ、新曲も楽しみに待っててよ! 明日十四日の夜にアップする予定だから!」


 手を両手で握られてブンブン振られた。めちゃくちゃ柔らかい手だ。この手で今まで数々の名曲が生み出されてきたのか……。

 …………って、あれ? 明日の十四日って言った? 今日は十二日だから明日は十三日のはずだが……。

 そのことを伝えると、彼女は小首をかしげた。


「え、そうだっけ?」

「そうだよ。ほら」


 スマートフォンを取り出して画面を見せる。中央に大きく時刻が表示されているが、小さく日付と曜日の表示もある。


「あ、ほんとだ。やだなー、日付を間違えちゃうなんて」

「まあ、テストも終わったし、夏休みも近いし、日付の感覚がなくなっちゃうのもしょうがないよ」


 日付を間違えてもらったおかげでこうして二人きりで話ができるんだから、ありがたいことだ。

「てへへ」と照れて笑っていた可愛い天宮さんはふと思い出したかのようにエレキギターをしまい始める。


「どうしたの?」

「練習するためにここ借りてたけど、日付が間違ってたなら今日は違う人が使うはずでしょ? だから退散~」

「ほかに練習する場所のアテはあるの?」

「家でやれるから。でも、ずっと家でやってると気が滅入ってきちゃうんだよね」


 そう言えば前の配信で自室は防音加工してあるからいくら夜に楽器を鳴らしても怒られないって言っていた気がする。

 で、気分転換に視聴覚室を借りる予定だったけど、本来使えるのは明日だったのを勘違いして今日使っていたってことか。

 うーん、いくら今日は僕たちが使う権利があるとはいえ、今ここにいるのにわざわざどこか行ってもらうのはちょっと気が引けるな……。防音加工された部屋じゃないと練習できない彼女と、映像資料を見るだけの僕たち、だったら僕たちは無理にここを使う必要はないんじゃないか?


「あー、今日ここ使うのって僕なんだけど、どうしても視聴覚室でやらなきゃいけないってわけじゃないから、もしよかったらそのまま使ってもいいけど……」

「え、そうなの? んー……でも、横取りしたみたいでいい感じじゃないから、やっぱり退散するね」


 ギターケースとバッグを背負いこむ天宮さん。帰り支度完了といったところで、僕に微笑みかける。


「でも、ありがとね。気持ちだけはもらっておくから」

「あ……ど、どういたしまして?」

「じゃ、また明日!」


 彼女がそのまま僕の横を通り過ぎようとすると、わずかな風に運ばれてとても心地の良い香りがする。


「ちょ、ちょっと待って!」


 その香りに誘われたのだろうか、僕は思わずすれ違う天宮さんの手をつかんでしまった。


「えっ? ど、どうしたの氷室くん」

「あ、その……」


 衝動的としか言えない行動は、それをしたはずの僕ですら驚き困惑してしまう。

 いくら好意的に思っている相手だからって、突然手を握って良いわけないだろうが……!

 しどろもどろになってしまう僕に、天宮さんは「あはは」と笑いながら少し顔を赤くして言う。


「何か伝言があるとか……?」


 それだ! 何か言葉を絞り出せ……! これ以上怪しまれる前に、何か言うんだ……!


 定期テストの時ですらここまではならないだろうというぐらい、脳をフル回転させて気の利いた言葉を探す。そして、なんとかいうべきことを見つけた!


「その、新曲……楽しみにしてます」

「そ、そっか。絶対にいい曲だから楽しみにしてて!」

「う、うん」


 僕はそこでようやく彼女の手を離すことができた。

 すると、彼女はゆっくりと身を引いて、小さく手を振る。


「またね」


 そして、今度こそ視聴覚室から出て行った。

 ………………。

 …………ああ~~~~~!!!!!!! なんてことをしたんだ……! 絶対に引かれてしまったァ~!

 たいして親しくもない、面も良くない男にいきなり手を握られたって嬉しいはずがない、そのはずだ。

 それに、僕たちが使うべきなのになんで視聴覚室使っていいなんて言ってしまったんだ。恩着せがましい奴だと思われてないかな……。

 最悪だ……。せっかく二人きりで話せたのに、これじゃ好きになってもらうどころか逆じゃないか……。

 ああああああ~~~!!!!

 しばらくして小篠君と大海君が視聴覚室にやってくるまで、僕は頭を抱えてうずくまっていた。

 頭を抱えてうずくまっていた僕を二人は訝しがって、あるいは心配してくれていたのだけれど、僕が天宮さんと二人きりでいたことは僕の胸の内にしまっておきたかったので、片頭痛持ちだって言ってごまかした。

 その後、単独ライブの映像を二人には一時間ほど見てもらった。本当はこの後もトークやら、ゲストを招いた企画やら、見どころはたくさんあるんだけど、まずは漫才ってどんなものか知ってほしかったからね。

 コンビ、ないしトリオ……もっと大人数の漫才師もいるけど、その中のボケと呼ばれる役割の人が話題の中に間違いや勘違いを入れる。それをツッコミと呼ばれる人が訂正、ボケの人の笑いを増幅させる……というのが漫才の基本だ。

 ツッコミ『ライト貸して』

 ボケ『はい』

 ツッコミ『暗いな……』

 ボケ『それ太巻きだぞ』

 ツッコミ『そんなもん渡すな!』

 と、一例をあげて説明すると、大海君が楽しそうに言う。


「なんか簡単そうだな」

「言うは易く行うは難し、ってご存じ?」

「なんだそりゃ」

「コロンブスの卵でもいいけど」

「????」


 駄目だこりゃ。


「ちょっと聞きたいんだけど……」

「ん、何?」


 小篠君が挙手。なんか授業しているみたいだな。


「僕たちの場合、どっちがどっちをやった方がいいのかなぁ」

「うーん、結局はどちらがやりたいか、あるいは向いているかだと思うけど……」


 これはとても難しい。やりたいと思った方が向いてないなんてことも当然あるし、向いていないと思っていたけど、やってみたらうまくいったということもある。

 難しい問題だけど、そうやって前向きに考えてくれていることはとてもうれしい。


「とりあえずそのあたりは今すぐ決めなくてもいいよ。こっちの方やりたいかな~程度に考えていてくれればそれでいい」

「うん、わかった」


 うんうん、小篠君は僕の言うことはしっかり聞いてくれているし、とても素直だ。

 それに比べて大海君は……。


「…………ふふっ」


 ここに来てからずっとニマニマと楽しそうに笑っていて、僕の話をちゃんと聞いているのか聞いていないのか……。

 僕は小篠君に小声で聞く。


「…………なんか良いことでもあったの?」

「そうだねぇ。あったと言えば、あったかなぁ」

「どんなこと?」

「さっきここに来る途中に天宮さんと会ったんだ。竜吾、天宮さんの熱烈なファンだから、それが嬉しかったんじゃないかな?」


 なるほど。天宮さんが配信者をやっていることは、この学校にいる人ならだれもが知っていることだ。大海君がファンであってもなんら不思議ではない。

 で、クラスが別だとあまり学校で目にする機会もないから、校内で出会ってウキウキしちゃってるってわけか。

 その点では天宮さんのクラスメイトな僕が一歩リードしているって感じだな、フフフ。

 って、優越感に浸っている場合じゃない。ちゃんと話を聞いてもらわないと。


「大海君、僕の話聞いているかい?」

「あ? なんだよ?」

「なんだよって……ちゃんと僕の話を聞いてもらえているかどうかの確認をしているんだよ」

「聞いてらあ。ボケかツッコミ、どっちやりたいか考えておけって話だろ」


 なんだ、ちゃんと聞いているじゃないか。

 様子に反して実は意欲的に取り組もうとしているのかな……?


「んで、一個聞いていいか?」


 質問もしてくるし。まあ、理由は何だっていいや。前向きにやってくれるならこちらも相応に対応するだけ。


「なんなりと」

「ボケとツッコミ、どっちが花形なんだよ」


 どっちが花形ときたか。これも難しいんだよな。

 かつてはボケが花形と言われていた時代があった。ボケが笑いを取っていきツッコミはあくまでアシストだった時代が。

 でも、近年……具体的には二〇〇〇年代中頃からツッコミが華と言う人も増えてきた。

 僕が生まれる前後の話だから正確なことはわからないけど、そのころからボケの笑いを引き立たせるだけではなく、自分のツッコミによって観客を笑わせられる……主役を張れる人が増えたんじゃないかと思う。

 かといってボケの人が弱いのかと言ったらそうではない。ボケの人が強いコンビだっていくらでもいる。だから、僕は大海君の疑問に対して明確な答えは出せずにいた。


「そうだなぁ……。ボケの方が目立つけれど、活躍しているのはツッコミの人にも多いし、だけどやはり……昔ながらのポピュラーな漫才師ではボケが強いよなぁ。だから、その、つまりだね……」


 僕が答えあぐねていると、大海君が立ち上がって言う。


「答えられねえなら一週間やるから考えておけよ。その間、俺たちは好きにやらせてもらう」

「氷室くん抜きで一週間も何やるの?」

「座学は性に合わねえんだ、まず実際にやってみてそれからだろ、理屈ってのは」


 そう言って大海君は視聴覚室を出て行った。彼の後ろ姿を見てから小篠君は首をかしげる。


「どうしよっか?」

「…………とりあえず大海君の言う通りやっていいよ」

「いいの? でも確かに案ずるより産むがやすしっていうしね」


 小篠君は納得したようにうなずいたが、僕の本意としてはそこではない。

 ついさっきまで漫才をロクに見てこなかった奴が好き勝手やってうまくいくはずがない。適当にやっていればなんとかなる、と思っている彼の鼻っ柱をへし折るにはいい機会だろう。鼻っ柱がへし折れれば僕の話を聞かざるを得なくなる。

 そうなってくれるなら一週間くらい安いもんさ。このまま耳を傾けてくれない状態で一週間過ごすよりかはずっとマシだ。

 それに僕もこの一週間、有効に使わせてもらう。

 小篠君には定期的にどんな練習をしているか連絡するようお願いして、その日は解散となった。

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